武田家臣。名を雅勝・康明・秀虎とも。大隈守。武田家の水軍を率いた。もとは今川氏に仕えており、今川氏真の代には海賊奉行の職にあったが、武田信玄の駿河攻めのときに帰順し、船手大将となった。信玄の代には武田家の水軍が活躍したという記録はないが、武田勝頼の代のときに駿河湾で北条氏の水軍と海戦して勝利を収めたという。武田氏の滅亡後は徳川家康に仕えて代官となり、のちに駿河国の船奉行となった。慶長元年(1596)7月21日死去。