成瀬正成(なるせ・まさなり) 1568〜1625

徳川家臣。父は成瀬正一、母は熊谷直連(なおつら)の娘。通称は小吉。従五位下・隼人正。
若年より徳川家康に従って小姓組に属した。
天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦に功があり、天正18年(1590)の小田原征伐、朝鮮の役にも功を重ねて下総国栗原4千石を与えられた。
慶長5年(1600)には和泉国堺の奉行に補せられ、本多正純や安藤直次らと共に政務の中枢に参与し、2万石を甲斐国内で加封された。
慶長12年(1607)に従五位下・隼人正に任ぜられた。
慶長15年(1610)に尾張徳川家・徳川義直の補佐役となり、名古屋藩創成期の藩政を指揮し、その確立に功績を残した。
慶長19年(1614)の大坂冬の陣ののちには総掘埋め立ての指揮を執った。
元和3年(1617)、尾張藩付家老として尾張国犬山城を与えられ、元和6年(1620)には1万石を加増されて3万石を領するに至った。
寛永2年(1625)1月17日、江戸にて死去。58歳。生年を永禄10年(1567)で享年を59歳とする説もある。