小山氏政(おやま・うじまさ) 1329~1355

下野国小山氏第10代。第8代・小山秀朝の子。第9代・小山朝郷(朝氏)の弟。左衛門佐。下野国小山城主。下野守護。
貞和2:興国7年(=正平元年:1346)4月に早世した兄・朝郷の享年は22前後と推測され、嗣子がなかったためか弟の氏政が小山氏の家督を継承した。
先代の朝郷は幕府(北朝)方か南朝方かの旗幟を鮮明にしないまま没したが、氏政は同年末には幕府を通じて北朝に馬を献上していることから、幕府寄りの態度を示したとみられる。
足利尊氏直義兄弟の抗争(観応の擾乱)においては尊氏に与し、観応2:正平6年(1351)末の薩埵山の合戦に参陣して尊氏方の勝利に貢献している。
直義や関東の南朝方勢力との抗争を終息させた尊氏が文和2:正平8年(1353)の秋に京都へと帰還するに際し、尊氏の寵臣・饗庭命鶴丸から先陣の将として推薦されており、結果としては先陣を仕ることはなかったが尊氏に随行している。また、その後の文和3:正平9年(1354)12月に尊氏が南朝軍の京都侵攻を受けて近江国へと退避するにあたっては後陣を務めるなど、信頼が厚かった。
そして翌文和4:正平10年(1355)2月から3月にかけて、京都奪回を目論む尊氏に従って戦功を挙げたが、同年7月23日に死去した。戦死か病死かは上詳。享年27。