種子島時堯(たねがしま・ときたか) 1528〜1579

種子島の島主・種子島恵時の子。幼名は犬楠丸。初名は直時。従五位下・弾正忠・左兵衛尉・左近将監。入道して可釣と号す。
天文10年(1541)4月に弾正忠、弘治4年(=永禄元年:1558)2月に左近将監に任官。
天文12年(1543)8月25日、種子島門倉崎に漂着した船に乗っていたポルトガルの商人より鉄砲を入手、父と共にその射撃法・製法を学び取った。またそれと合わせて、使用する火薬の調合法も習得した。その秘伝は天文18年(1549)に将軍・足利義輝に伝授されている。
弘治元年(1555)、島津貴久に従い蒲生氏と戦った。屋久島をめぐって禰寝氏と抗争、屋久島に築城した。琉球との修好も担った。
天正7年(1579)10月2日没。52歳。法名は法惟院日勝大居士。
娘は島津義久の後室となった。