梅北国兼(うめきた・くにかね) ?〜1592

島津家臣。宮内左衛門尉。
島津氏による大隅国蒲生氏の攻略戦(大隅合戦)に従軍し、その最中の弘治3年(1557)頃に大隅国山田の地頭に任じられた。のち、時期は不詳であるが天正8年(1580)8月までには薩摩国湯尾(湯之尾)の地頭に任じられている。
主家の命を受けて文禄の役に出征する途中の文禄元年(1592)6月15日、船待ちと称して欺いて加藤清正領の肥後国葦北郡佐敷城を奪った。さらにその翌日には小西行長領の肥後国八代郡の麦島城の奪取をも企てたが、その翌日の6月17日、佐敷城留守居衆の境善左衛門らによって殺害された(梅北国兼一揆)。