「文武両道」と称された名将・太田道灌が和歌を志すきっかけとなった逸話である。
道灌がまだ若い頃、山に鷹狩りに行った帰り、にわか雨に降られた。そこで道灌はとある民家で蓑を貸してくれるように頼んだのだが、その家の少女は無言のままで一枝の山吹の花を差し出すだけである。道灌はわけのわからないままにそれを持ち帰った。
道灌は居館に戻ってから家臣にこのことを話したのだが、その家臣の言うには、山吹の花は実のないことを意味しており、その民家には「蓑がない」ということを、暗に「実のない」山吹の花に託したのだという。
この山吹の花に実がないという件は『後拾遺和歌集』にある兼良親王の「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞ哀しき」という古歌で知られているが、道灌はこのとき己の無学さ(というよりは詩歌の心の無さか)を深く恥じ、これより文学や歌道・和歌を深く志すようになったという。