ラオス 山からだより 12号              2009年9月 



 山の村の「たろうの図書館」は、8月から開館日を週1日増やすことにし、水・木・金に開いています。なぜ、連続しているか?というと、図書館員の二人の女性も、山で畑仕事をしているので、その方が畑仕事も効率がよいということで、彼女たちの希望を入れて、そうしました。ますます頑張ってくれることを願っています。

 6月に、「国際ソロプチミスト東京‐葵」のみなさまから、建物増設のためのご援助をいただきました。これは、村の人たちからの、図書館の隣に、村の人たちが集まれる集会所を作りたいという要請を受けて、ご協力くださったものです。私たちは、集会所+小さな村のモン博物館(ちょっと大袈裟ですが・・・)のようなものができたらいいなと思っています。ひとつ具体的にイメージしていることは、これまでに録音収集してきたモンの民話の録音テープをきちんと整理して、モン民話ライブラリーのスペースとしても活用していきたいということです。また、中高生の勉強机を置いてもいいし(モンの家の中には、腰かけて勉強できるようなスペースはないので)、村の人々に頻繁に利用してもらえるスペースになればいいと思っています。予定では、乾期となる11月以降くらいに着工、春ごろまでにできればいいなと思っています。

◇ある日の図書館                        安井清子の図書館日誌















7月29日(水)
今回は、ペープサートを作ってみることにする。堀内誠一さんの絵の、「たろうのともだち」(福音館書店)を元に作ってみる。お話もシンプルだし、わかりやすいし、ペープサートを初めて演じるにはいいのではないか?と思ったのだ。ちゃんと、子どもたちに読み聞かせをしていれば、本当は、あまり小手先の道具なんて必要ないとは思うけれど、ひとつは、自分たちで作ることは面白いし、演ずることで、また違った気持ちになれるといこともあるし、ペープサートを作ってみることにしたのだ。ツィアは

「私、絵描けないの。この年齢になるまで、描いたことないんだもの。ほんとに、描けないの」と言う。
「えー?」「ほんと、描けない」彼女は、お話をすることも、文章を書くこともできるけれど、絵は描いたことがないのだ。山の暮らしの中では珍しいことではない。「そうなんだぁ。じゃあ、私が描くから、色塗って」と、色塗りを任す。一方、マイワァは、絵が大好きである。実は、先日も、絵本の原画だといって、一連の絵を描いてきたほどだ。どこか、日本の戦前?の絵本ともいえるだろう講談社の絵本の絵みたいな・・・・そんな雰囲気のある絵である。なかなか上手。マイワァは、ペープサートの絵も張り切って描き始める。ツィアが文章、マイワァが絵を描いた絵本の原画を見せながら、お話するツィア。まるで、桃太郎のような、「桃の実こぞう」の話だが、鬼退治ではなくて、やまんばと力比べをして、最後は、やまんばを食べてしまうところが、すごい!

           



7月30日(木)

開館日ではないが、私がいると、子どもたちが入ってくる。
「あれ?マイニアじゃない」
 マイニアは、図書館のすぐ隣の家に住んでいた女の子で、図書館がまだ建設中で、私がゴザを敷いては本を見せていた頃の常連である。ほとんど毎日、妹のマイトンをおんぶしてやってきた。でも、一家はポンサワン(シェンクワン県の県庁所在地)へと引っ越して行ってしまったので、私はとても残念だった。

「夏休みだから、お爺ちゃんお婆ちゃんのところに遊びに来てるの。1か月いるの」

という。昨日も来ていたらしいが、私は気がつかなかった。

「ごめん、昨日、気がつかなかったよ。でも、マイニアに会えてうれしいなぁ」
「私も、パヌン(安井)に会えてうれしいな。妹のマイトンも、しょっちゅう、パヌンに会いたいなって言うのよ」と。子どもにこんなこと言われると、嬉しい。

 マイニアは、9月の新学期からは小4年生になるそうだ。

「向こうの学校では毎年、落第せずに進級してるの。私、ラオス語も読めるようになったよ」

町に近い学校で、モンだけのこことは違って、ラオス人の子どもと混じって勉強している。ラオス語も、より使う機会があるのだろう。マイニアは、少しはにかんで控え目な笑みを浮かべて、「これ、読んで。忘れちゃったの」と、「きつねのホイティ」を持ってきた。「ポンサワンにも図書館あるんだよ。でもね、ここと違って、絵本があんまりないし、読んでくれないの」と。

なんだか、少し大人に、そして、少し都会の子になったマイニア・・・・でも、本当に親しげに懐かしそうに、毎日、図書館に顔をのぞかせた。絵本をうんと読んであげた子どもとの、「おはなしの仲」というのは、不思議に絆が深いような気がする。

7月31日(金) 図書館 大盛況

この日の図書館は、とてもいい具合だった。まず、一番に私たちは「たろうのともだち」ペープサートを演じた。練習もしていなくて、いきなりぶっつけ本番だから、ツィアとマイワァの二人はわけがわからなかったかもしれないが、とにかく、こうして遊べばいいということだ。この日の図書館では、大きな子(中高生くらい)が、座り込んで、ずっと本を読んでいる。雨で農作業に行かなかった子たちだろう。回りで小さい子が騒ぐのも気にせず、ずっと一心に本を読んでいる。そして、ずっと、民話のテープを聞いている子がいる。一生懸命、おえかきをしている子がいる。ツィアは、せがまれて、お話の本を、ラオス語の文章を読んではモン語に訳しながら、ずっと話してあげている。結局1冊読んでしまった。

                         

おかあさんもきて、子どもと一緒の絵本を見ている。そして、小さなこどもたちも絵本を見ている。

もちろん、なかにはただ暴れて遊んでいる子どもたちもいて、私たちに怒られるのだが・・・・・この図書館が狭いせいなので、あれこれごちゃごちゃしているのが、いいわけではないのだが、でも、年齢層を越えた子どもたちが、ひとつの空間で、それぞれが、本やおはなしを楽しんでいる。この日の、この様子は、なかなか面白いものだなぁ・・・・と思った。もちろん、毎回こういうわけにゃいかないが、村の中に、こんな場所を作れてよかったなぁ・・・と、また思ったのだった。


村からとてもショックな訃報が届きました。村の長老であり、これまでずっと私達を応援して下さっていたサイガウお爺さん。太郎は勿論、私も2度の訪問で大変お世話になりました。ベトナム戦争を生き抜き、息子さんを交通事故で亡くされ、3人のお孫さんを親代わりなって育てていました。今まで、どんな過酷な人生を歩んで来られたのだろうか。その柔和なお顔からはそれまでのご苦労を想像することができませんでしたが、生活のすべてをご自分の知恵と力で賄っておられることに深い感銘を受けました。

 もう一度お会いしたかったです。遠い地から、ただただご冥福をお祈りしております。 
(武内桂子)

追悼:サイガウ爺さ s01サイガウ爺1jpg.JPG  








 8月19日の早朝、サイガウ爺さんの娘さんから突然電話が入りました。サイガウ爺さんが18日夕方5時に息を引き取ったとの連絡でした。本当にびっくりしました。私がつい2週間ほど前に訪ねた時には、ここ数カ月体調を崩しているとはいえ、まだまだ元気な話しっぷりで、きっとこれから元のように元気になって、まだまだ長生きしてくれるだろう・・・と思え、少し安心していたからです。でも、心臓と肺に問題があったそうで、呼吸が困難になり亡くなったそうです。私はすぐに飛行機と車を乗り継いで、村へと向かいました。

 サイガウ爺さんがいなかったら、村の図書館はなかった・・・といって過言ではありません。建設時も、その後の運営にも、サイガウ爺さんが、いつも見守ってくれ、問題が起こると、解決策を考え、収めてくれたものです。サイガウ爺さんは、村のみんなの相談役で、いつも筋が通っていて、的確で公正な判断をするので、みんなの信頼が本当に篤かったのです。能弁で、ワッハッハ・・と豪快に口をあけて笑い、いつもにこにこしている爺さん。本当にきっと、太郎さんも、そして私も、サイガウ爺さんがいなかったら、G村にここまで魅かれなかっただろう、と思います。人一人の存在が、ここまで大きいものか・・・と。サイガウ爺さんは、家族にとっても、村のみんなにとっても、私たちにとっても、とても大きな存在だったのです。

 言葉だけではなく、みんなの先頭を切って実行するのもサイガウ爺さんで、鈴木くんが、「土壁で作ろう」と持ちかけた時に、爺さんも最初は半信半疑だったのですが、一度納得した後は、先頭を切って、村の中の土探しをし、まるでスポークスマンのように村の人々を説得してくれました。また、材木運びや石探しなども、ヒョイヒョイと気軽に協力して、村の人たちを先導してくれたのです。

 図書館が開館した後は、爺さんがカギを管理してくれたのですが、しょっちゅう、図書館の周りを覗きにきてくれたそうです。あれこれいざこざが起こると、図書館員の女性たちもサイガウ爺さんに相談していました。すると爺さんは、「これは村の中で解決したらいいんだから、パヌン(安井)には知らせなくていいぞ。余計な心配かけるからな」と言って、一緒に考えてくれたそうです。本当に、私が知っている以上に、図書館のことを考え、気にかけていてくれたのだな・・・と感謝の気持ちでいっぱいです。

s4−29爺と孫2.jpgサイガウ爺さんは、3人の孫の親代りでした。「自分の子どもたちの時は妻にまかせっきりで、おしりもふいてやったことなかったが、この孫たちは、わしがみないとな、ワッハッハ」と言って、本当にかわいがっていました。きっと、亡くなるときに一番気になっていたのは、残していく小さな孫たちと、家族たちだったに違いありません。

 お葬式は4日間に渡り、大変に大きなものでした。普通の農民であった爺さんの死に、ここまで人々が集まったのは、本当にお爺さんが人格者だったからだろうとつくづく思いました。モンの人はとても丁寧に、自分たちの手で、死を送ります。最後は、夜中じゅう、ツィーサイという、この世からあの世へと導く歌がうたわれ、「もうこれで逝ってしまった。帰ってくることはない」と最後に歌い手はしめくくりました。サイガウ爺さんはみんなの手で葬られました。

 サイガウ爺さん、本当にありがとうございました。サイガウ爺さんには助けていただいたこと、教えていただいたことばかりです。爺さんがいなくて、本当に心細いですが、これからも、村の人たちと一生懸命頑張りますので、どうぞ、これからも見守っていてくださいね。                  (安井清子)