山からだより 15号
     
                                      2011年5月




                             

東日本大震災から2カ月以上がたちました。

みなさま、いかがお過ごしでいらっしゃるでしょうか? 

私たちの「ラオス山の子ども文庫基金」は、仙台で生まれたグループで、宮城県の支援者の方々がとても多いのです。中心となっている武内さんとは、地震後1週間後に、ちょうど訪ねていた「たろうの図書館」のあるゲオバトゥ村から連絡がつき、村の人とともに、本当にほっとしました。武内さんを通じて、他の支援者の方々のご無事も伺い、胸をなでおろしたのですが、それにしても、今回の地震、そして津波によって、あまりにも多くの命が奪われ、多くの方々が被災されたことに、本当に心からのお悔やみと、ご冥福をお祈りしております。

ラオスでも、ささやかながら募金集めの活動が、ラオス人の方から起こりました。みんな、「少しでも、日本を応援したい」という気持ちから行動を起こしてくれました。「お財布の中にお金なくなっちゃった」などと言いつつもお札を出してくれた人もいました。少しでも、と自分も苦しい家計の中を寄付して下さるラオスの人たちに、本当に胸がいっぱいになりました。

今回、本当に、これまで私たちがどんなに日本のみなさんに支えられてきたか、ということを、改めて感じました。そして、こんな時、ラオスで私たちはいったい何ができるのだろう? と思いました。今回ほど、普段のおだやかな日常を守っていけるということは、なんと幸せなことか…と思ったことはありません。でも、自分がよければいい…ではなくて、自分ではない他人、自分の住んでいる場所ではない他の場所で何か起きた時に、他人事としてすませずに、我がこととして感じ、少しでも行動できる人に、ラオスの子どもたちにもなってほしいと感じました。

今、自分たちに何ができるか…せっかくここまで応援していただいて、立ち上がってきたラオスでの子ども図書館活動を、ちゃんと継続発展させていくこと、活動の中で、子どもたちとともに、他人を思いやりながら、自分の人生をいっしょうけんめい生きていける人に育って行くこと…。

それは、きっと、日本、ラオスを問わず、必要になってきているのかもしれません。

今、地球はより狭く、より丸くなり、みんなで一緒に悩み、一緒にやっていかなくちゃいけない…そう地球は回転しはじめている…などと感じるこのごろです。



たろうの図書館近況報告

スタッフの入れ替わり・・・・図書館スタッフ人事のあれこれ

2010年12月末、これまで2年間勤めてくれたマイワァ・リーが、辞めた。これまで、モンの人にしては珍しく、女性側の実家で暮らしてきたマイワァだが、やはり、夫の実家のある村に引っ越すことになった。それは、このゲオバトゥ村よりも、もっとベトナム国境に近い山奥の中の村だそうである。マイワァはとても知的な女性だったが、なんといっても、モンの女性には珍しく、絵を描くのが好き、かつ上手で、私は、メイド・イン・山の村…山の村の女性が描いた絵本を作りたかった…が、実現しないうちに引っ越すことになってしまい、それがとても残念であった。マイワァは3児の母であるが、次女が知的障害であり、その次女を抱えながら(実母の助けがかなりあったが…)畑仕事、そして図書館の仕事をこなして、その上、親戚の子どもまで預かって、村の学校に通わせていたのだから、脱帽であった。これからもがんばって!

みんなで記念撮影


マイワァの代わりに入ったのが、ディア・リー。彼女は、高校卒業後コンピューターの勉強もしたそうである。でも、町では就職せず、村に戻ってきた。2ヶ月間、マイワァのあとを臨時で継いでやってくれていたが、「私、図書館の仕事をやっていきたいわ」と言った2日後に、遠くから求婚しにきた男と結婚することになり、村を離れた。結婚したら、男の村に行くのは、モンでは仕方のないことである。

さて、困った。この間をずっと取り仕切っていたのは、私ではなく、実は「ツィア」である。彼女は、最初から図書館を支えてくれている「おねえさん」。でも実は、今となっては、ツィアがいなければ、図書館がなりたたないほどの存在となっている。彼女は、若いのに、他人に対して寛大であり、そして、大切なことがわかっている。そして、子どもたちにもちゃんと接し、本を読んであげる。ツィアには悪いが、「どうぞお嫁にいかないで、ゲオバトゥ村に長くいてね」と、こっそり願っている。

その上、唯一の男性スタッフ、リーが結婚した。これも、あっという間の出来事。またツィアから電話があり、「結婚したら、若い奥さんを一人で山の畑に行かせるわけにもいかないし…リーが休むと図書館を一人で見るのは大変だから、ぜひ、ディアの代わりを見つけてほしい」と言う。リーが今後、続けられるかどうかは、まだわからないが、もう一人、スタッフを探すことにした。

そこで、新たに図書館スタッフになったのは、図書館のすぐ下に住む、ニア・ボー(ボーの奥さん)である。二人の女の子のお母さん。ツィアが、「ボーの奥さんは、時間があると本を借りに来て、一生懸命読んでいるのよ。図書館で働く人は、本が好きな人じゃなくちゃね」と言ったので、その通り!だと、ニア・ボーを訪ね、働く気はないかと誘ったのである。


 彼女は、丸顔で優しそうな顔をしている。高校2年まで勉強した。
「でも…結婚したから辞めてしまったの。結婚せずに勉強続けていたら、私は別の人生を歩んでたわ」と言う。夢見ていた別の人生とは、どんなものだったのだろう?
 モンの女性は結婚すると、自分の名では呼ばれなくなり、夫の名前で呼ばれることになるのだが、「あなたの名前は何て言うの?」と聞くと、一瞬戸惑ったように、「娘の頃の名?」と聞き返した。「そうよ。あなた自身の名前よ」と言うと、「両親がつけてくれた名前はね、トゥルっていうの。でもね、学校では、ダラーポンって名前を使ってたのよ。友だちがつけてくれたの」と、何だか誇らしげに言った。ダラーとはラオス語で女優など、スターのことである。きっと夢いっぱいの学生時代だっただろう。

「今は、畑仕事ばっかりよ。でも、結婚したんだから、仕方ないけど」と、トゥルは言った。図書館で働くことに、ダンナのボーは「おまえに勤まるかなぁ」と渋りながらも、賛成してくれたと言う。結婚した女性は、ダンナの協力なくしては、働くことは無理である。図書館のある日には、ダンナは一人で畑仕事に行かなくちゃいけないし、妻を外に出したがらない人もいる。

「大丈夫。彼は理解してくれるし、それに、図書館のない日には、一生懸命畑仕事するわ」と、トゥルは言った。こうしてトゥルは働きはじめた。図書館の出勤表には、彼女は「ダラーポン」と、学校で使っていた名前を書いた。これから、いろいろ大変なこともあるだろうけれど、どうぞ、がんばってほしい。

図書館を通して、若いお母さんたちにも、外の世界への窓が開けていけばいいな…と思っている。


まん中が新しいスタッフのトゥル


図書館大盛況

ゲオバトゥ村の「たろうの図書館」は、オープンから4年目となった。子どもたちも飽きてくるかと思いきや、今回、その盛況ぶりに、びっくり。図書館は、水木金、週3日開いている。学校と重なるために、朝のうちは、学齢前の小さな子だけであるが、11時過ぎ、学校が昼休みになる頃には、大勢の子どもたちが大挙してやってくる。午後は授業がない日もあるので、そのような日は、午後も子どもたちが大勢いる。そして、今回、目を見張ったのは、本を借りる子どもたちが増えたことである。それは、3月に、新しい本を購入して入れたことにくわえて、日本の方のご支援で文房具をたくさんいただいたので、「本をたくさん借りて読んだ子には、ご褒美で文房具をあげる」と言ったところ、本を借りる子が急に増えたのだ。きっかけはともかく、子どもたちが先を争うように、本を借りている姿に、心が弾む。

ゲオバトゥ村の小学校には、歩いて1時間以上かかる隣村からも子どもたちがやってくる。学校から家へ帰る途中に、図書館に寄り、ひとしきり本を見てから借りて帰る子どもたちも増えた。山の村の土間の家であるから、借りて行った本は汚れるし破れもするだろうけれど、家に借りて帰れば、家族のみんなが本を囲んで見ることができる。読み書きのできないお母さんに、子どもがたどたどしくでも、読んであげていたら素敵だな……囲炉裏端で、みんなで本を囲んでいる姿を想像すると、それだけでも、うれしくなってくる。

図書館が明るくなりました

3月末、図書館の屋根を葺き替えた。茅葺屋根の葺き替えである。その時に、半透明のビニール屋根板を入れて、大きな明かりとりとしたところ、図書館が見違えるほど明るくなった。茅屋根も前に比べて、厚く葺き替えることができ、今年の雨季は、快適に乗り越えられそうである。

ゲオバトゥ村にはまだ電気が通っていない。図書館にも電気はない。これまで、特に曇りや雨の日は、図書館の中が暗いので、ずっと気になっていた。暗いのに慣れている子どもたちは、まるっきり気にならないようであったが…

たとえ曇りの日であっても、乳白色の半透明のビニール板が屋根にあると、かなり明るくなるものである。やっぱり、明るくなると、それだけで、心が軽やかに気持ちがいい。

今後も、少しずつ改善しながら、居心地のよい図書館にしていきたい。

 東日本大震災に遭遇して                        武内桂子

 このたびの東日本大震災により被害を受けられた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。1日も早く安全安心な生活が戻りますよう、心よりお祈り申し上げます。

 3月11日の午後2時46分には、私はたまたま自宅近くの郵便局内におりました。揺れが始まり、局員の誘導ですぐ外に出たのですが、前の道路が大きくうねり、電柱も建物も音を立てて揺れ、空が異様な感じで、一瞬にして空気まで変わったように感じました。揺れが続いたので立ってはいられず、傍らの手すりにつかまっていたのですが、何か地球全体に異変が起こるような恐怖感にとらわれました。

 それでも、このあたりは、仙台市でも丘陵地帯なので、石垣が崩れたところは何軒か見られましたけれど、近くに大きな被害を受けた家はなかったようです。ただ沿岸部の方は被害も大きく、家も木々も田畑もすっかりなくなりました。家の近くからずっと先に海が見えていたのですが、震災後はその海がぐんと近く見えるようになりました。

 震災後、日がたつにつれて、友人や知人の中にも、津波で家が流されてしまった人、身内を亡くされた方の知らせが届くようになりました。いまだに行方不明の身内を探している方もいらっしゃいます。毎日どんな辛い日々をお過ごしのことでしょうか。この大震災の被害がどれほど大きいのか、さらに原子力発電事故による被害の大きさ、避難生活をしている人たちのこれからの生活への不安は計り知れないものと思います。

 この度の震災後、被災地には日本中、世界中から、たくさんの支援金や支援物資を送って頂き、大勢のボランティアの方々が支援に来て下さっています。
(安井さんもラオスから帰国して、連休の3日間、小松のグループと一緒に、石巻や南三陸町に行き、子どもたちに絵本の読み聞かせなどをしました。)
 
 被災地にとっては、とてもありがたいことと思います。受けたみなさんにとっては、再生の力、希望の力になると思います。偉いなぁと思うだけで、私など何もできませんが、世界はつながっているのだという実感がわいてきます。
 
 原発の事故で計画的避難区域になっている福島県の飯館村では、子どもたちのアイディアで、ラオスの子どもたちと相互交流を目指し、「ラオスに学校を作ろう!」という活動を進めていたそうです。飯館村の子どもたちが元の生活を取り戻せるようになるまでには、まだ当分かかるでしょうが、今度はラオスの子どもたちから元気をもらえるかもしれません。「ラオス山の子ども文庫」の活動を続けていく意味をあらためて深く考えました。