ラオス 山からだより  16号         2011年10月 



みなさま、いかがお過ごしでしょうか
この夏は、ラオスのあちこちでも洪水が起きました

6月末、ゲオバトゥ村に行った時には、バスが通る国道が、途中何か所も冠水していて、最後は、筏に乗って水を渡り、何度も乗り継いで、ようやくたどり着くことができました。

日本と違って、バス会社の振り替え運転などというものはありません。でも、地元の人たちが、竹で筏を作りドラム缶やプラスチックタンクを浮きとして、バイクや人々を渡していました。もちろんサービスではなくて、金はとります。自らも洪水の被害に遭っている人たちかもしれませんが、自分たちでいろいろ考えたのでしょう。普段は水とは縁のない人々が、筏をさっさと作り商売にしているのは、まったくあっぱれで、お金をぶんどられながらも、彼らのたくましさに恐れ入った気がしたのでした。

ノンヘートまで何とかたどり着き、そこからは、知り合いのバイクに乗せてもらって、村まで行きましたが、村の入り口でも、道が川になっているのに驚きました。普段は村のそばに川などないのに、どこから水が来るのか? 山の森から水が流れ出してきていたようです。

村の奥には、「パーデェニャー(洪水池)」と呼ばれる低地があります。村よりも低い谷間ですが、普段は水などなく、トウモロコシや果樹が植わっているのです。そこが、見事な湖となってしまったのには、驚きました。水位は、5メートル以上になっていたでしょう。水を満々とたたえ一見美しかったけれど、あと数メートル水位が上がったら、村へと水がゴウゴウとあふれ出るはずで、村も危機一髪のところだったのです。こんなことは、これまでになかったそうです。そんな状況なのに、のこのことやってきた私は、まったく危機意識に欠け、賢くないなぁと我ながら思いました。それにしても、たった2日の豪雨でここまでの状況になるとは、やはり、伐採などの影響で山の保水力がなくなってきているのか? それとも、雨の降り方が異常なのか? 昨年は旱魃、そして、今年は洪水…ここラオスでも、年ごとに異常気象が顕著になってきている気がします。地球は確かに変わりつつあるようです。自然とともに生きてきた人々にとって、自然は信頼すべき、恵みをもたらしてくれるものだったのでしょう。でも、時として容赦なく裏切り、人間を傷めつけもする。人間は自然の脅威の狭間に生きているということを改めて感じました。




「ゲオバトゥ村と太郎の図書館の近況報告」

棚田の田植え

6月末、棚田の田植えについて行った。図書館スタッフ、リーの家の水田だ。村から歩いて1時間半ほどの山の斜面が、村の人々の農地となっている。水が引けるところは棚田に、引けない斜面には陸稲を植えている。リーの弟のメドンたちと一緒に山の斜面を歩いて行ったが、大雨の後で、崩れている場所もある。鉄砲水の跡のようだ。植えたばかりの田に泥が流れ込んだり、トウモロコシ畑が崩れた場所もあるという。
「ここ、昨日、ぼくとトゥーローの二人で道を直したんだよ」とメドンが言う。小4の少年2人が崩れた後の道をならしたという
のだから驚きだ。昨年は旱魃で水田をあきらめた家族も多かったのだが、今年は水がありすぎる。泊り込みで作業をするお母さんや兄嫁たちに混じり、メドンといとこのトゥーローもさっそく田植えを始める。トゥーローは父を事故で亡くし母は再婚して、両親ともにいないが、こうして親戚の家族とともに、作業を身につけていくのだ。後で婆ちゃんに、「トゥーローが田植えしてたよ」と報告すると、婆ちゃんは、「あの子ができるようになったの?」と驚いていた。婆ちゃんはもう水田まで歩いて行けないから、家の中でのやんちゃな孫の姿しか知らないのである。昼間、図書館で働いているリーは、図書館が終わると、水田に急行し、田を耕しているそうだ。「暗くなるまで働けるからね、朝、また村に帰って図書館の仕事をするんだよ」と言う。リーはお嫁さんをもらったばかり。図書館をさぼると私に怒られるし、家の水田はやらなくちゃいけないし…男はつらいよ…いや、なかなか大変である。



 新学期が始まる

 9月。新学期が始まる。私たちがずっとお世話になっていた亡くなったサイガウ爺さんが一番かわいがっていた末の孫、トゥージェがようやく1年生になった。昨年は、お兄ちゃんのトゥーローにくっついて小学校に行ってみたものの、「やっぱりやーめた。図書館で遊んでいた方がいいや」と、行くのをやめたトゥージェだったが、今年6歳になり、正真正銘の1年生。図書館でも、習ったばかりのラオス文字を、ミミズが這ったように書きまくっている。最初に、建設担当の鈴木晋作と安井が下見に入った2005年3月、村に滞在している時に生まれたトゥージェが1年生になったのだから、感慨深い。そろそろ、幼児の頃から図書館育ち?の子どもたちが、小学校に入りはじめた。



今回、石川県小松市の清水基金(これまで、ラオスの子ども図書館活動に対して、毎年ご寄付を頂いている)の木崎さんも一緒に村を訪ね、図書館とゲオバトゥ村小学校も訪問した。図書館の常連であるトゥージェやマイプーなどチビちゃんたちが、白いシャツに紺のズボンやスカートをはき、教室に丸顔を並べているのは、なんともかわいらしい。放課後、図書館は制服の子どもたちで、あふれかえる。

 現在、ゲオバトゥ小学校には、生徒124人。(電気もまだ通らない山の村なのに…である。ラオスでは、田舎であっても、子どもの数は多く過疎ではない。)木崎さんは校長先生からの要請にこたえて、この次、ノートと鉛筆などを小学校に届けることを約束して下さった。                    






椰子の実の人形劇

 安井のパートナー、ノイが、図書館で子どもたちに椰子の実人形の小パフォーマンスを見せてくれた。乾いた椰子の実で作った人形は少し不気味でもある。小さな女の子ライは、ノイが椰子の実の頭をかぶって出てきたとたん、泣きそうな顔になり、100メートルは走って逃げた。その後、恐る恐ると戻ってくると、最初は後ろから、だんだん前に回って、最後は正面から見ていた。図書館スタッフのリーが、ノイと一緒に人形を動かす。子どもたちは押すな押すなで見ているくせして、椰子の実人形が近づいてくると、ヒャア〜と後ずさり。人形とわかっていても、なんだか怖いのだ。いつもの空間にいきなり現れた椰子の実人形たち。ちょっと愉快なひとときだった。












s122.JPGマイワァよ、やすらかに」

 前号(2011年5月)で、引っ越すために図書館を辞めることになったとお知らせした元スタッフのマイワァが亡くなった。自殺。夫の実家のある村に、家族で移り住んだマイワァは、トウモロコシをたくさん作って生計をたてようと、農作業に忙しい日々を送っていた。でも、夫が浮気をしたこと、畑仕事がきつかったこと、そして体調も崩し、彼女は辛かったらしい。マイワァは、「週3日またゲオバトゥ村に戻って、図書館の仕事がしたい」と夫に言ったところ、「なに言ってるんだ。畑仕事を文句言わずにやれ」と言われたそうである。本当の原因が何だかはわからないが、とにかくマイワァは、夫との畑仕事の途中に、一度どこかへ行き戻ってくると、まだ4歳ほどの息子を抱き、

「お母さんが死んだら、お父さんと一緒にいなさいね。でも、お父さんが新しいお母さんをもらって、おまえに意地悪だったら、お母さんが迎えに来るからね」と言ったそうだ。息子はうんうんとうなづいた。夫はそれを聴き、「おまえ、なに変な話をしてるんだ?子どもにそんなこと言って」と叱った。すると、マイワァは、「私は薬を飲んだの」と言って、ほどなく倒れ息を引き取ったという。山には毒草があるそうで、それを食べると死んでしまうそうである。彼女が何を食べたのか、わからない。

 その夜、やっと連絡をもらったお母さんは、息子夫婦と一緒にバイクで駆けつけた。

「信じられなくて…どうしてもウソだって思って行ったの。だって、前の日には元気な姿で、私に会いに来たのよ。娘は、『図書館で働きたいけど、旦那が許してくれないから、帰ってこられないわ』って言ったから、私は娘に『本当に嫌なら、離婚していいからお母さんの元に帰っておいで』って言ったのよ。でも娘は、『旦那は一人じゃ何もできない人だし、やっぱりいいわ』って言ったの。で、次の日に死んだなんて、信じられなかった。でも、呼んでも呼んでも起きない。目を覚まさない。それで、あぁ死んでしまったんだって思った。遠くにいても、元気でいれば帰ってくる、また会えるけれど、死んでしまったら、もう二度と会えない」と母は泣いた。

 マイワァは賢い人だった。ただ、短気だった。だから、きっと、頭に血が上って、死ぬことしか考えられなくなった時に、ふっと死んでしまったのではないか…そう思うと残念でならない。そんな思い込んだりせずに、一歩後ろに下がってゆっくり考えることができたら、死なずにすんだのではないか…もし村にいて、お母さんや他の人に愚痴を言ってワァワァ泣いたり、相談することができたら、死なずにすんだのではないか…人生を自ら断つことはなかったのに。でも、誰も、彼女を救うことができなかった。

 マイワァはなぜ図書館に戻りたかったのだろう? マイワァは絵を描くのが大好きだった。図書館でもたくさん絵を描いていた。マイワァが描き残したモンの民話の挿絵が、私の手元に残っている。

「とても上手だよ。絵本に印刷できたらいいね」と、私は彼女に言ったものの、結局何もしないうちに、彼女は逝ってしまった。もし、その絵本が印刷できていたら、彼女は自殺しなかっただろうか? もちろんそんなことは関係ないかもしれない。でも、モンの女性にとって、自分が表現したり発表したり主張したり…そういうことは、まだまだ少ない。自分が表現したものが作品となって手元にあったら、それは、自分が生きる意味や力に、少しは繋がったかもしれない…そんなことを思うと、私は図書館で働いてくれた彼女の「描きたい」という気持ちと力を、もっと応援してあげられなかったことを、申し訳なく思う。

 もちろん、自殺の原因とは関係ないだろう。でも、モンの女性の多くが、元々一夫多妻制の男性中心の社会の中で、忍耐と辛抱を重ねて生きている。そんな中で、自分の好きなこと、やりたいこと、価値観、夢や希望を持ち始めた女性たちは、きっと、これまでとは違う葛藤の中に投げ込まれるのではないか?

 村の中で図書館をやる…ということは、これまでとは違う価値観を外から持ち込むことでもある。民族の伝統や文化の継承に役立つ図書館にしたいと思っているが、ある側面から見たら、これまでの価値観を壊すことに一役買っているともいえる。でも、やっぱり、前回のNHKの朝の連ドラではないが、私は、

「女性たちよ、よき人生を!」という言葉を、モンの女性たちに、そしてマイワァにかけたかった。

 マイワァのご冥福と、残された3人の子どもたちが、少しでも元気に幸せに、よき人生を過ごせるように育っていくことを祈っています。



「今後の予定など」

通信13号でご報告しましたが、ゲオバトゥ村の集会所を「国際ソロプチミスト東京―葵」のみなさまからご支援を頂いて建設する計画が中止、延期になったことですが、同会の希望される期間内に村での作業は難しかったことから、ビエンチャンのドンパレープ子ども図書館の建設、立ち上げのため使わせて頂きました。「国際ソロプチミスト東京―葵」は今年4月に解散となりました。これまで長い間、ラオスの子どもたち、女性たちを支援する活動にずっとご支援下さいました。本当に心より感謝申し上げます。

その後ゲオバトゥ村の人たちと話し合った結果、やはり作りたいとの希望を受けて、残っている木材を全部提供すること、足りない材料は文庫基金から支援することで、図書館の隣に集会所を建てることになりました。建設作業は全部、村の人たちに任せます。こちらの希望としては、将来、モンの民話の録音テープ(現在、CD化する作業に取り組んでいる)を利用できるテープライブラリーとして、また、これまでに記録した映像テープ(村の生活、伝統行事、お年寄りの話、図書館の建設の過程など。これも編集作業をはじめている段階)を利用できるビデオライブラリーとして、また村の記録写真も見られる写真ライブラリーとしても使えるスペースとなることです。まだ電気が完全に通っていない村で、こんな構想を練っているのは変に思われるかもしれませんが、貴重な村の記憶は村の中に残して、村の人たちが利用できる形にするべきだと思うのです。出来上がったら、画期的なことだと思っています。

また亡くなったマイワァが残した作品、(モンの桃太郎のような話)の印刷を実現したいと思います。ただラオス語への翻訳や問題もありますが、いつか実現できる日を夢見て公言しておきたいと思います。                             (以上 安井清子)

3月11日の大震災から7カ月以上が過ぎました。未だ渦中から抜け出せないでいるだろう人たちや、先を見失ったままの人たちも大勢いらっしゃると思います。仙台市でも街中のビルや壊れた家々などでは復旧工事が続いていますが、まだそのままになっているところも沢山あります。家の近所には、家を流された人たちが引っ越されて新しい生活を始めています。多くの人たちが困難な現実と向き合い、懸命に乗り越えようとしています。

先週、被災地でのボランティア活動をしている会員さんと一緒に、安井さんが東松島の小学校を訪問し、絵本の読み聞かせなどをしました。子どもたちがみんな元気になってくれると良いです。被災された皆様に一日も早く心穏やかな日々が訪れますように。

                           (10月18日 武内桂子)