「再び G村を訪ねました」           安井清子

9月、G村・・「太郎の図書館」(仮称です)を建てる予定にしている村を再び訪ねました。でも、今回は、ちょっと寄り道してから、村にたどり着いたのでした。

ちょっとというには、あんまりにも遠回りでしたが、東チベット(中国・四川省の西側のチベット地域)経由でG村へ行ったのでした。ハッハッハ!(と、笑っちゃうほど、遠回りでしたね)

今回の私の旅は、日本→ラオス・ビエンチャン→<空路>→雲南省・昆明→<列車20時間>→四川省・成都→<バス9時間>→庚定→<車7時間>→理塘→<車5時間>→曲登郷→<トラック5時間>→理塘→<バス17時間>→成都→<空路>→昆明→<バス13時間>→景洪→<バス5時間>→モンラー→<バス2時間半>→モーハン→<国境を越えてラオス入り。トラックバス2時間>→ルアンナムター→<バス4時間>→ウドムサイ→<バス18時間>→ビエンチャン!〜〜〜→<空路>→ポンサワン→<バス4時間>→ノンヘート→<トラックバス30分>→G村 

やれやれ・・・どうしてこういうことになったかというと・・・

曲登郷というのは、4300メートルの高度にあるチベットの人たちの村です。そこに今年春から何ヶ月もその地に暮らし、地元の人たちと一緒に小学校を、チベットの建築様式で作っている日本人がいます。鈴木晋作さんといいます。昨年暮れ、たまたまラオスで出会いました。話を聞いて、建築は業者に任せてやるものなのだろうと思っていた私には、そうやって地元の人たちの技術を使い、一緒になって建築の仕事をしている人たちがいるなんて、ちょっとした驚きでした。で、写真を見せてもらったりしているうちに、見たこともないようなでっかい空、どこまでも続く草原・・・行きたくなってしまったのでした。その小学校を見てみたい。そして、ラオスの図書館建設のことも相談したい、と。 

 ということで、ちょっと!寄り道をして、曲登郷に行こうかなぁ〜、鈴木さんを引っ張ってG村に行ってもらおうかなぁ〜と思ったら、行ってしまったのでした。ということで、東チベット経由?で行ったのですが、寄り道というには、かなり遠かったです。



ラオス 山からだより
  2号       

ラオス山の子ども文庫基金

曲登郷の小学校建設

 高度4300メートルで作業をしているのです。しかも、電気の工具などもない。全部手作業。石積みの堅牢な分厚い壁の校舎が、中庭をぐるりと取り巻くように作られていました。そして、中は、木で壁、床、天井が作られています。ひとつひとつ石を積み、木を削り・・・とても丁寧に作られていて、人の手の力と温かさが伝わってくるような気がしました。この曲登郷という村は、けっして小さな村ではなく、結構な数の子どもたちがいるのですが、小学校はつい2年前までなかったそうです。それが日本の人々の援助(チベット高原初等教育・建設基金会 http://www.gesanmedo.or.jpで、小さな校舎が作られ、すでに2年生までの子どもたち(大きい青年みたいな1年生もいます)が勉強しています。でも、すでに校舎が足りないので、今回の小学校建築となっているのですが、とってもいいなぁ、と思ったのは、子どもたちや先生が、毎日、新しい校舎を作っている人たちの姿を見ているってことです。また、作る人たちも、子どもたちが大声で勉強している声を聞きながら作っている。また、村の大人たちが面白いくらいに、学校を覗きにきていました。お年よりやごっついお父さんたちが、マニ車を回しながら、窓から覗き込んで授業参観をしています。村の人々が、こうして、小学校で勉強している子どもたちの姿、そして、今作られつつある新しい校舎を覗きにきているのは、とっても素敵だな・・・と思いました。それにしても、学校がなかったところに、学校ができるということは、なんと大きなことでしょう。

昼過ぎ、村はずれのお寺の裏に行きました。そこから向こうには、ただ草原が広がっています。見渡す限り草原です。草原の向こうから何かが駆けてきます。点がだんだん大きくなると、それは2人の子どもでした。真っ赤なほっぺたをした男の子と、小さな女の子が笑いながら走ってきました。学校へ行くところなのです。私は感動してしまいました。                   

まっかなほっぺの新一年生                        

「モンの村で、図書館の土地を測量する」                    安井清子  

9月半ば、ラオス、シェンクワン県のG村に行った。私たち(鈴木、ソムトン、安井)は、村の人たちが「ここなら使っていいよ」と言ってくれている土地を測量することにした。そこは、村の中心で、人々が日々通る道のわきだ。私たちがいつも泊まらせてもらっているサイガウじいさんの息子、ゾンブーおじさん一家の家が、その土地のすぐ下にあり、ゾンブーおじさんの豚小屋が、その図書館予定敷地内にある。豚ちゃんたちは、じきに引越しをしてくれることになっているが…

今、村の人たちは、晩成のトウモロコシの収穫に大わらわ。山の畑からかごいっぱいのトウモロコシを背負ってきては、畑と家を何往復もしている。ゾンブーの一家も出払っていて、残っていたのは末息子のメドン(目のぱっちりした6歳の男の子。本当は小学校に今年入る予定だったが、やんちゃでちゃんと座ってられないので、まだ「学校適齢期」とはみ.なされず、今年は入れなかった)が一人で家にいて、私たちが何やらはじめると、他の子どもたちといっしょに覗きにきた。

                                       

    

まず、土地の四隅に杭を打つ。すぐ下のゾンブーの家の軒下に、薪がいっぱい転がっている。私たちはその薪を拾ってきて、杭代わりに使った。すると、メドンが大きな目を心配そうに大きく見開いてやってきた。「それ、ぼくたちの薪だよ。使わないで」。メドンは小さくても、留守番をしている今、家の全責任を背負っていて、私たちが薪を取ってしまうのではないかと心配しているのだ。思わず笑ってしまったが、「ちょっと借りるだけだから、心配しないでね」と言い、使わせてもらう。

豚小屋と、その隣のただの草がはえている何でもない土地が、黄色のロープに四角く囲われた。子どもたちと、道行く大人も集まってきた。

私は走って絵本を取ってくると、黄色いロープの中に入り、子どもたちを呼んだ。「お話するよ」と。ソムトンさんと鈴木さんが回りで測量の作業をする中、私は子どもたちに絵本を見せてお話をした。

「ねぇ、ここに何ができるの?」と男の子が尋ねる。「子どもたちが本を見たりお話をきく家」と私は答えた。そう答えたとたん、その黄色いロープで囲われただけで、まだ何もない土地に、子ども図書館になる家が見えるような気がした。まだ何もないのに、そこがもう、「本を見てお話を楽しむ空間」になりはじめているような気がしたのだった。 

   
→測量をする。こっちを見てるのがメドン.。
←絵本を見せてお話をする安井
→スケッチをする鈴木とのぞき込む子どもたち 
「建設のための現地調査」
〜言葉・材料・習慣・子供の場所を創る力
    鈴木晋作 

東チベットの草原からラオスの山間へ

昨年から今年と東チベット(中国四川省甘孜チベット族自治州理塘)にて遊牧民の小学校建設のために滞在しておりました。安井清子さんは、この9月初めに学校まで来ました。ちょうど新校舎の完成を間近に控え、子供が集まり始めているところでした。清子さんは子供たちに絵本を読み聞かせ、みんなで一緒に楽しく遊びました。標高4300mの遊牧草原地帯では、お話を聞いたり大勢で遊ぶ習慣はとくにありません。その後、当地での役割を終えたぼくは清子さんと共に、ラオスに向かいました。中国は四川省成都から雲南省昆明と南下し、そこからはラオスの首都ビエンチャンまで実に5日間バスに乗り詰めました。ラオス国境付近でモン族(中国では苗族)の集落を訪れることができました。山岳に住む彼らの生活を垣間見るようでした。もちろんここでも、モン語で力一杯「おおきなかぶ」を引っ張る清子さん。

敷地について

9月中旬、清子さんと共に5日間村に滞在しました。ちょうど稲刈りの始まった山の田畑に行ったり、祈祷師による儀式を見守ったりと生活を垣間見つつ、敷地調査および「住」にまつわる聴き取り・住宅の実測をしました。

見たところ、山間の村にあって広場的な場所、つまり村の中心が存在しません。この敷地は、ちょうど幾つかの道が結ぶ、少しばかりの高台に位置し、神木など大きな木に北面しています。そしてその向こうには谷を挟んで山が見えます。このように、ここは広場的な性格を帯びている空間と言えます。

敷地調査のために、黄色いビニールのロープを張りました。それは敷地・建物の検討のための三角測量でしたが、それを終えても敢えてロープは解きませんでした。ぼくたちがこの空間に想像を膨らますため、村人に実際に図書館作りを進めていることに気付いてもらうため、そして子供たちがどのような反応をするのか興味があったためです。

敷地の中で清子さんによってお話が話され、子供たちがそのまま寝転がって絵本を読み始めたり、ロープで囲われた領域の中を走り回ったりと、ただの空間が舞台・集会・読書・休息・遊びの場に変成していきます。子供の「場所を創る力」には、図書館建設のための手掛かりがたくさんあると思います。

習俗と住まい

この敷地は南側に緩やかに傾斜していて、一軒の家に近接しています。その家の中心には「スカ(神棚)」があり、精霊に配慮して、このスカにかかる形で北側に建物を設けていけないことになっています。その他、戸の数・配置、寝床の方向なども、モン族の信仰・生活に起因しています。これからも協働者であるラオス文化研究所のソムトン氏と話し合い、この建築にも配慮すべきであると考えています。

建物を造るということ

建設に並行してもしくは先行して、村に入って図書館活動の準備を始めたいと考えている清子さん。ある日、建物が出来上がって「さぁ、どうぞ」と言っても、うまく使い始めるのは難しいことと思います。図書館活動(具体的内容)と建物(具象的なハコ)の相互関係を、建設過程(相互作用)の中で見出し、「何を建てるか」よりも「どのように建てるか」ということを考えなければならないでしょう。

これからは、便利で加工が簡単で一見きれいな新建材がビエンチャンまたはベトナムから、この村にもどんどん入ってくることでしょう。そこで直接的に建物の機能・性能を求めるのでなく、自分達の生活と材料を見つめつつ築き上げていくような手掛かりが、この山にもたくさんあるはずです。今回の図書館建設においても、その過程の中から発見していくものと考えたいです。


建設に向けて準備

日本では、協力してくれる人を探すこと・話を進めること・建設に向けて図面と模型を制作すること。

東チベットでは、絵や模型を使って話し合いを進め、工事の際も確認のために用いました。各々の事情は異なりますが、急速の外発的な変化およびそれとの不均衡にあっては、草原・山間に住む少数民族の置かれている状況は似通っているのではないでしょうか

 かの地で体験したことがこの図書館建設にも活かされれば、大変喜ばしいです。

現地では、想像を膨らましてもらうこと、敷地に木を植えることから始めて欲しいと思います

次回、清子さんがラオス・G村に行く際は絵本だけではでなく、模型と図面を担いで行ってもらいます

2004年10月

測量した土地、及び回りの土地を上から見たスケッチ 
(鈴木晋作)    。

「ひとりぼっちのマイ」                         安井清子

夕方、マイの家を訪ねた。薄暗くなりかけた小さな家に、小さなマイはぽつんと一人でいた。

「お母さんは?」「山の畑にトウモロコシを背負いに行った」「まだ帰ってこないんだね」マイはうなづいた。マイは乾いたトウモロコシを手にとると、粒をこそげとっては鶏にやった。鶏はにわかに活気づきコーコッコッコッコとマイの周りを跳ね回る。暮れなずむ景色の中で、小さなマイが鶏にえさをやる姿・・・私は涙が出そうになってしまった。3年前とあまりに光景が似ていた。でも、3年前、それはマイではなく、マイの姉のツァイだったけれど。

3年前、武内太郎さんがテレビ取材、海外初仕事でやってきたのがゲオバトゥ村。モンの民話語りを題材としたその番組の主人公になったのが、ジャンザウさんという民話語りの上手なおじいさんと、ツー少年だった。ツーは13歳。夏休み中毎日、牛追いに行く貧しい少年。ツーはジャンザウ爺さんの家に民話を聞きにいくようになり、「牛追いのみなしご」が主人公となった民話を聞き覚えて、山の草原で他の子どもたちに語ってきかせた。・・・・ツーの妹が、ツァイとマイだ。ツァイは、10歳くらいだったろうか。マイは3歳くらいだった。取材に行った山からの帰り、一人迷子になってしまった太郎さんを、村まで連れ帰ったのがツァイだった。太郎さんは、ツーには自分のかぶっていたナイキの野球帽を、ツァイには、「迷子を救ってくれたお礼に」と、チェック模様の傘を買ってあげた。ツァイは恥ずかしそうに受け取っていた。きっと生まれて初めてもらったプレゼントだったにちがいない。ツァイはその後も、ずっと太郎さんのことを「また来ないかなぁ」と言っては、懐かしんでいた。

今年6月、2年ぶりに村を訪ねた私は、すぐさまツーとツァイに会いに行った。二人ともいなかった。兄ツーは、中学をやめ村を出て兵士になっている。「兵士になりたいわけじゃないんだよ。ぼくみたいに貧しい家の子が、外に出るにはそれしかない」と、ツーは前に言っていた。妹ツァイは、「こんな貧乏暮らしはたくさんよ」とお母さんとけんかして家出してしまったという。

お母さんは離婚してから、女手一つで家を守っている。がらんとした何もない小さな家。ツァイはよくひとりぽっちでポツンと家にいた。暗くなったら、火をおこすライターもない。火を借りに隣の家に行き、ようやく薪に火をつけご飯を炊く・・・その姿はけなげで、そして寂しかった。母も必死で畑仕事をして戻ってくる。確かにヒステリックになったり、小言がうるさかった。一人の肩にかかる重荷につい愚痴ってしまう母の気持ちもわかるし、母を手伝って家事や畑仕事をこなしているのに、愚痴を言われ、反抗期になって反抗して家を出てしまったツァイの気持ちもわかるような気がして、なんともやりきれなくてしかたない。

私は、もっと早く図書館活動が村に入っていたら、彼女を少しでも救えたんじゃないか?と思う。もちろん、彼女の貧乏暮らしは救えない。環境にうち勝つのは大変なことだし、何の役にも立たないかもしれない。でも、少しでも、現実とは違う、夢がある世界に出会え、ほんの少しの時間でも、目を輝かせてお話の世界に夢中になることができる・・・そんなことが、子どもたちの心に与えるものの力は大きいのではないかと思う。子どもたちが子どもたちなりに夢をみられる場所、心の世界を広げる場所・・・そんな空間と時間を作りたい。

お兄ちゃんとお姉ちゃんがいなくなってしまったマイは、たった一人で留守の家を守り、鶏にエサをやっている。もうすぐ暮れおちる。家には明かりひとつない。マイはエサをテキパキとやり終わると、鶏をさっさと小屋に追い込む。 子どもたちは、必死に、けなげに生きている。



      

鶏にえさをやるマイ
他の通信を読む

homeへ