ラオス 山からだより 3号  
                      ラオス山の子ども文庫基金

2005年5月 

あっというまに、半年ぶりのお便りとなってしまいました。この間、さまざまな方々にご支援をいただきました。

こんなにたくさんの方々に応援していただき、ほんとうにありがたいなぁって思います。そして、心をひきしめてがんばらなくちゃっと思っております。                                           

私自身「いつかラオスの山の村で、小さな文庫活動をやってみたい」とずっと思っていましたが、実現はむずかしい遠い夢・・・みたいな気持ちで、ただ心の片隅に思い描いていただけでした。それが、武内太郎さんとの出会い、そして武内桂子さんとの出会いから、「ラオスの山奥のモンの村に、図書館を作るんだ!」ということが、なんと実現に向かっています。「ほんとかな?」といまだに思いつつ・・・気がつけば、もうすでに歩きはじめているのです。

図書館というと、日本の立派な図書館を想像されては困るのですが、小さなスペース・・・「子どもが集まる、絵本や本がある遊び小屋」兼「村の大人たちも集まれる場所 + 山の生活の中で、モンの人々が伝えたいことを残していける場所」みたいになったらいいなぁ・・と考えています。が、それは、日本人の私たちが考えていることなので、「何を作るんだい?」ということを、村の人たちと共有できるように、建物も活動も一緒に作るところから始めていきたいです。とはいえ、なにせ村の人たちは誰も「図書館」なんてもの、見たことも聞いたこともないのですから、口でいくら説明しようが、結構むずかしいことのようです。子どもたちの方は面白ければ、集まってきますけれど・・・

あせらず気長にやっていくしかないですが、モンならでは、山の村ならではの活動の場になればいいなぁ・・・と思っています。                                              

「再び、山の村へ」                    安井清子

 2005年3月、私たちは、再びG村を訪ねました。今回は、「本当に図書館建てるんだよ!」という予告編?に行ったって感じです。つまり、村の中心地にある図書館建設予定地(まだその半分は、立ち退き予定の豚の柵に囲われ、豚が暮らしている)に、簡単な小屋を作って、そこで、子どもたちと遊んだり絵本を見せたりして、「ほら、こんな風にみんなが集まれて、本を読んだり絵を描いたり・・・楽しいことができる場所を作るんだよ」ということを、実際に感じてもらえればいいな・・・ということだったのです。

メンバーは、設計・建築を担当している鈴木晋作と私、そして学生の友岡清秀くん、森田大輔くんの2人が、絵本をたくさん入れた重い荷とともに参加してくれ、食欲旺盛なメンバーとなりました。いつも泊めてもらうサイガウ爺さんのおうちが不安に思わないように、私たちは米袋をかついで、村に行きました。

今は乾季の終わり。そろそろ暑くなりはじめる時期です。ラオスでは、本格的な雨季のはじまる前の4月が一番暑いのです。山の村だってもう寒くはないだろう・・という予想に反して、寒い!ある朝は霜がおり、温度計を見たら、3度でした。農作業がはじまる前でまだみんな忙しくないだろう・・という予想もはずれて、人々はみな畑に出払っていました。

ここG村では、焼畑で、陸稲とトウモロコシを作っています(棚田も少しある)。これまで私が他の場所で見た焼畑は、火入れ後、耕さずに、穴をあけて種を蒔いていましたが、ここの土は固いので、みんなで耕さなくてはいけないのです。今日はこっちの畑、明日はあっちという具合に、みんなでパウジョー(労働交換)をして、毎日山の畑に出かけていました。子どもたちも結構あれこれ、家や畑の仕事で忙しそうです。畑に行かない日も、男の人たちは農具の打ち直しなど、朝早くからサイガウ爺さんの庭の片隅にある鍛冶場へきて、トンテンカンテン鍛冶仕事をしています。


ある朝、サイガウ爺の鍛冶場では、爺さんと婿がいっしょに農具を打ちなおしていました。その回りには4〜5人の男の子たちがたむろしています。爺さんたちは真っ赤に焼けた鉄に、でかいトンカチを打ちおろしては鉄を切っている。真っ赤に焼けた鉄に、刃が食い込んで切れていく様子は迫力で、みんな「わぁ」という顔をしてみています。男の子たちは、大人の仕事の合間を縫っては、鉄の切れ端を焼いては打っています。こうして、遊び半分、大人の仕事を見たりまねたりしながら、いつのまにかできるようになっていくんだなぁ・・・と思いました。

 こういうことが、ある意味では、「図書館」なんだと思いました。知識や情報が、その場でじかに伝わっていく。日本ではもう本の中やらテレビの中にしかないものが、この村では、じかにここにあるのです。だから、こうした山の村の中、生活のあちこちにちらばっている、大切なこと、伝えたいこと・・・を大切にした図書館活動が作っていけたらいいな・・・と思いました。

「現地調査を通して村を知る」                                                                       鈴木晋作

 3月2日から14日まで図書館建設地のG村に滞在した。今回の目的は、この秋の子ども図書館(遊び小屋のような)の建設準備と調査である。それは大きく分けて3つである。

「村の中に子どもの遊ぶ、形のある場所を作ること」

「材料・生活技術・風習など村の地域資源を探すこと」

「村の人々と図書館のイメージ作りと人間関係作りをすること」

 ↑模型を使って、村の顔役たちと打ち合わせ

雨期の前の村の様子

村に到着した翌朝、村人が畑作業に出払ってしまう前に(遠い畑へは山道を1時間歩く)、村の顔役たちに今回の訪問の目的について説明し、協力をお願いした。農閑期ではあったが、われわれの予想とは異なり村人は毎日忙しいので、村人を集め、村の現在の問題や今後のあり方、今度の図書館について議論を重ねるということは難しかった。


村人たちは、例えば、住宅の屋根の茅を修繕、新築、農具の修理などの鍛冶仕事など、雨期に備えている。ノンヘート郡は他の地域に比べて、焼畑の準備を始める時期が早く、既に多くの畑が焼かれ山はまだ微かにすすけた匂いがする。とうもろこしの種はまき終わり、これから雨が降り出せば陸稲のもみをまくと言う。大人は野良仕事で、中学生は町に勉強で、集落から出払っている。5歳の小さな子も幼児の面倒や水汲み、牛追いを立派にやっている。日中の集落には、その妙なくらいにしっかりした顔つきの子どもたちしか見えず、なにか「子どもの国」に迷い込んだような気がする。ちなみに後日訪れたフアパン県のモンの村は、まるで正月のような騒ぎで、1日に5、6度も食事に呼ばれた。村の事情は、同じモンでも地域によって大きく異なるようだ。

木材に関して


村から歩いて行ける距離には、建築物に使える材種・大きさの物はもうこれまでに切ってしまって無いという。移動を繰り返してきたモンの人々には、植
林をして山を守るという習慣はなく、自然の回復力も追いつけなくなっている。   

ただ、本棚・家具等に使用できる木の板を村人に切ってもらい確保することを約束している。他の地域で探すにあたって、材木の選択には、耐久性・経済性の面から特に配慮が必要であり、購入、輸送のために行政の書類上の手続きが必要である。次回、ラオス訪問時は始めに材木の手配等に取りかからねばならない。    

 ↑3月8日爺さん指導のもと粘り強い竹でやり直し

 

  子どもの場所作り、「メイド・イン・G村」の竹のドーム

                           
今度の図書館の敷地に、簡単に手早く空間を作るために、竹を使ってドーム
を作った。主に作業は、我々が村の長老達に教えを請い、山で材料を探しながら、4日間程度で作った。                         先に安井は、子どもたちと地面に敷いた合板の上に絵本を広げて、お話を読んだり、絵を書いたりして遊ぶことから始めており、その床のできた場所をそのままドームでおおった。通りかかる人が、

「これが図書館かい?」
                            「日本の家は、竹でできてんのかい?」

と言ったり、手伝ってくれる人もいれば、怪訝な様子の人もいる。作業にあたっては、長老のサイガウ爺さんがずっとそばで見守ってくれて、他の人も我々のへっぴり腰を見ては指導してくれた。

                                     このドームの壁の内と外に、安井がこれまで撮ったこの村の写真と子どもの描いた絵を早速展示すると、村にギャラリーが出来たようだった。
畑仕事の行き帰りの人もよく立ち寄るようになった。この竹のドームに絵本と絵の道具を持参すると、たくさんの子どもたちが時間を見つけては、集まって来るようにもなった。 

形はともあれ、竹で囲われ、茅の日除けでおおわれ、ドームが出来たこともイメージとしてその一助になったかと思う。何かの期待を持って集まってくるということが、子どもたちにあったのではないか。少年が牛飼いの帰りに通りかかり、牛を家に帰した後、走ってこの場に駆けつける姿を見かけた。

「ここにくれば、本がある、人がいる、遊べる場所がある…」

↑ 3月10日 ドームの一部に、土壁用の竹木舞をあむ

図書館の始動に向けてこれからの課題

忙しい農作業の中、多くの村人とは良く話し合うことが出来ず、今回の意図を村の人にはっきりと伝えるのは難しい面もあったが、収穫の多い調査・交流になった。村の中に場所を定め(図書館建設地)、具体的な形のある物を村の材料と技術を使って作ることで、予想は出来ないが村のことをより多く知ることができた。今回作ったドームも全て村の材料、竹(3種類の竹)、粘土、色土(酸化鉄)、石灰、茅などを使用している。これから電気も入り住まいのあり方も変わると予想される村において、持続可能な住まい作りの提案も建設の中に盛り込めると良い。例えば、日本の左官の技術を用い工夫次第では、住宅には利用していない村の石灰石(焼成して水に溶き生石灰クリームとして使用)や粘土も竹を利用して壁に塗ることもできる。

日本の学生も茅の屋根材を編んだり、竹を多用途に加工したりと、日本では得がたい経験に触れる機会になったようである。山には、たくさんの知恵と材料があり、それを活かさない手はない。それを村の人々は、とても愛着があるのに、古い物、見てくれの悪い物と思い込んでいる。

これから、建築方面の活動としては、今回の調査をまとめ、それを元にこの秋の建設に備え、研究・試作をし、文庫の活動そのものと同時に図書館のあり方について考える。つまり、建設のプロセスそのものを共有し目的化することではないだろうか。村の中で、手を挙げて先頭に立ってできる人を探し、村人が自分たちのこととして捉え、自ら建設に関わらなければ、今後の建設、維持管理も困難である。そして日本でも、多くの知恵をお借りしたい。       




3月10日 できたドームの中でお話をする 

「図書館みたいで図書館でない? 本からはみ出した図書館活動?を作りたい」                                 安井清子

 今回、村の中心地の図書館建設予定地にできた竹小屋?ほったてドーム??は、どう見ても、図書館からはほど遠い建物なのだが、村の人々は夕方農作業からの帰りに、このへんてこな建物ができあがっているのを見ると、少し心配そうに、

「これがぁ〜例の建物かい?図書館ってやつ?」と尋ねていたのがおかしかった。「ちがうちがう、これはホンモノじゃないよ。これはウアッシー(遊び)なの」と答えたけれど・・・。とにかく、村の人々には、「今度できる建物は、子どもたちが遊び回っていて、絵本や本を自由に見たり読んだり、絵を描いたりできるところらしいぞ」ということが伝わったかもしれない。私達自身、私達が作ろうとしているスペースが、たくさんたくさん本があって静寂な・・日本の図書館のイメージとは全然違うもので、実際に、「図書館」という名称で呼ぶべきかどうなのか? よくわからない。

 モンの子どもたちは忙しい。絵本を見に来ていたかと思うと、もう水汲み、トウモロコシ挽き、山の畑へ行っている。さっきまで牛を引いていた子が、走って絵本を見に来る。いつのまにか働いていて、いつのまにか遊んでいる。子どもたちはちゃんと家の中で役目を持っているし、小さい子でももっと小さい子の面倒を見たりしている。えらい!のである。でも、だからこそ、子どもが子どもでいる場所が必要なんだ・・・と、今回強く感じた。その場所に来たら、家の仕事やら役割から離れて、おおはしゃぎで跳ね回ったり、絵を描きまくったり、お話の世界に入り込んだりできる・・自宅とは違う自分の場所・・そんな場所になったらいいなぁ!と思う。そして、もちろん、子どもたちだけでなく、大きい人たちも、本やお話の世界を通じて、興味、知識や情報を広げ、世界を広げていってほしい。そんな場所になればいい。

 また、本だけにこだわらずに、生の村の知識、経験の集積所・・・とでも言ったらいいのか?モンのいいところ、残したい伝えたいもの・・を残していける、伝えていける場所にもなればいいと思う。モンは元々文字を持っていないので、いきなり文字という形で残していくことは難しいかもしれない。でも、まずは写真でも音声でもいいから、モンの人々自身が、自分たちに残していきたいものを記録して残し、伝えていけたらいい。


今回、私達は、撮りきりカメラをたくさん持って行って、村の子どもたち、大人たち20人ほどに渡し、好きなものを撮ってもらった。もちろん、あまり上手とはいえないけれど、私達日本人には決して撮れない写真の数々、モンの生活の端々が見えて面白かった。今度は、子どもたちにテープを渡して、お年寄りの話を録音して集めてもらってもいいかもしれないし・・・そんな風に自分たちで記録していくことだってできるということ・・・そんな活動をあれこれ探っていきたい。

 一方で、現在、ラオスの山の村を取り巻く状況は、急激に変化している。今までの伝統的な生業を続けていたのでは、食べられなくなってきているのだ。そんな中で、自分たちの文化を伝承していくことももちろん大切だけど、それと同時に、見直したり、変えていかなくてはいけないことも多いように思える。

例えば、モンの人々はこれまで長い間移動してきたから、定住して一つの土地を長く耕すということがなかった。だから、焼畑以外のことは、あまり知らないのである。土を改良していこうという発想がない。牛たちは畑ではなく、道ばたにたくさん糞を落としているが・・・。「牛糞や鶏糞、日本では売ってるよ」なんてこと信じられないことなのだ。本当は、農業の本をたくさん図書館に入れればいいのだろう。でも、ラオスには本もあまりないし、やはりモンの人々は読むのは苦手だ。だから、きっとこういうことは「本」ではなく、経験のある方々に、「図書館?」を訪ねてもらい、堆肥の作り方、果樹の接ぎ木の仕方などなど教えてもらうことができたらいいのではないか・・・このようなことも含めて、いろいろな活動あり!の図書館を作っていきたい。

図書館みたいで図書館ではなく、本もあるけれど本だけではなく、本からはみ出した図書館活動。この「図書館?」はきっと小さな建物にすぎないだろうけれど、山の村の外の世界へ、山の民の内の世界へと大きくつながっていく・・・そんな可能性を広げていきたい。

子どもたちが作った 粘土の動物たち

                                        













山の土をとってきて、子どもたちと一緒に粘土細工をした。初めてだとは思えない手つき。上手。牛の角がとても立派。

「だって、ぼくたち、山に牛追いに行く時なんか、粘土を掘っては、あれこれ作って遊んでいるんだよ。黄色い粘土、青い粘土があるところも知っているよ」

「G村の宝物」                        森田大輔

僕はG村までは、バスの中で知り合った現地の子供に連れて行ってもらった。G村までの道はのどかな風景が広がっていて、G村はどんな所なのだろうとワクワクしていた。1時間半ほど歩くとG村が見えてきた。その村は小さい家がいくつかあり、自然と人間、家が共存しているように見えた。映画で例えるなら「七人の侍」の村にそっくりだった。油断していたら山の向こうから野武士が出てくるような所だ。理想郷とか桃源郷のような言葉に当てはまりそうだ。僕はこの村に1週間滞在した。   

ガス、電気、水道のない生活が始まった。日本ではありえないような所で、本当に生活ができるのだろうかと考えていたが、僕は周りの環境に適応するスピードが速いらしく、すぐ慣れてしまった。むしろ楽しいくらいだった。

1日の経つ時間が恐ろしくゆっくりだ。環境が違うだけで、こんなにも時間の感覚が変化してしまうのかと驚いてしまう。僕はこの村はのんびりした生活だと思うが、現地の人たちはのんびりと感じてはいないのだろう。彼らにとっては現実の世界で生活しているからだ。朝から畑仕事に行ったり、動物の世話をしたり、水をくみに行ったりと。日本で当たり前と思っていたことが通じない。でも彼らは当たり前のように生活をしている。こんなにも違う世界があり、人が生活しているのを見ると同じ人間として違和感がある。


サイガウ爺さんという超パワフルな爺さんの家に住ませてもらった。なぜ超パワフルかと言うと何でも全て自分でやってしまうからだ。野菜作ったり、竹切ったり、ワイン作ったりと。でも、このことも現地の人からすれば、当たり前なのだろう。

つまり、近代的なモノがない世界。一人一人作ったモノを使いながら素朴に人々は生活をしている。自分もシンプルな生活をしていると、人間にとって大切なコトがすごくシンプルになっていくように感じる。近代化の中で忘れつつある人の優しさを現地の人々の中に感じ、僕はひとつ感動を覚えた。彼らは都会の人間では手に入れることのできないモノを持っている。時代の変化によって新しいモノが作られるのは素晴らしいことだ。しかし、世の中には残すべき文化、守るべき精神があり、大切にすべき宝がある。

G村を一言で言えば、人の優しさと心の豊かさ、幸せがあるところだ。



トゥットゥンゲンの畑 (トゥットゥンゲンはモン語で「なまけもの」の意)                 友岡清秀

「ワシはトゥットゥンゲンだからのぉ、如何にして、うまいものを楽して食うかってことをいつも考えてんだ。それが幸せってもんだろう」

と語るサイガウ爺さんの幸せのもとは、爺さんの家の裏にある畑だ。畑といっても、畝は作っておらず、平らな地面から作物が勢いよくニョキニョキと生えているので、日本の畑とは随分イメージが違う。おまけに、たくさんの作物が雑然と(というか適当なのか?)庭一面に植えてあるので、歩くときは野菜を踏まないように気をつけなくてはならない。今回、G村滞在記として、そんな爺さんの幸せのもとである畑を紹介したいと思う。

 爺さんの家では、基本的には野菜は買わない。もちろん、爺さんの家だけではなく、村全体でも、野菜を買うということはめったにない。G村は、食に関しては、本当に自給自足で、皆、大なり小なり畑を持っている。爺さんの家の畑は約1反歩ほど。そのなかには、年間を通して20〜30種類ほどの野菜や果樹などが植えられている。私たちが訪ねたときは、ちょうど乾季にあたり、収穫できるものが少ないという時期であったものの、キャベツ、レタス、アスパラ、ねぎ、菜っ葉などが、所狭しと育っていた。もちろん、毎日の食事でそれらをおいしくいただいたわけで、特に豚の脂でいためたキャベツの炒め物はおいしかった。また、驚くことに、コーヒーまで自家製だ。毎朝ごちそうになったのだが、それがうまいこと。山の中という環境のせいか、余計にうまく感じてしまう。庭にベトナムからもってきたというコーヒーの木を育てていて、その実を収穫し、焙煎し、粉にして飲んでいた。勿論、村人が皆こんなことをしているのかというと、そうではない。爺さん曰く、「コーヒーなんて育てているのはこの村じゃワシだけじゃよー」というのは伊達ではなく、実際、村の中でこれだけ立派な畑をしているのは本当に爺さんだけのようだった。

 立派というのは、ただ種類が多いだけでなく、栽培方法や設備にも言える。如何にして、トゥットゥンゲンにうまいものを食うかという工夫がいたるところに見える。例えば、庭に植えてあるスモモの木なんかも、接木がしてあったりする。どうしたら、うまいものが食えるか、日々研究しているらしい。また、畑にまく水も排水を利用している。この村では水が貴重で、一軒一軒に井戸や水道があるわけではなく、皆共同の水場から水を運んできている。なので、水の無駄遣いはできない。そこで、畑にまくために必要な大量な水を確保するために、爺さんは共同の水場の排水を家まで引いてきて、それを使って野菜を育てている。排水に洗剤やシャンプーなどが入っていることは、まぁ置いておくとして、その生活の知恵には脱帽する。やはり、「こんなことするのも村でワシだけじゃよー」と爺さんは自慢げに言っていた。

爺さんの畑で取れる収量は、家族をまかなうには十分過ぎるほどとれるので(ちなみに、爺さんの畑には肥料は入れていない。肥料らしきものといえば、土壌改良のために蒔いてある灰くらい)、余った野菜は市場で売っている。土曜日には、近くの町で市がたち、そこで売りに出し、貴重な現金収入としている。また、余った作物は、売るだけではなく漬物やお酒にして保存している。菜っ葉を塩漬けにしたものはよく食卓に出たが、その醗酵したすっぱい味は日本の野沢菜のようであった。そして、何といっても忘れられないのはスモモ酒。爺さんは酒を作ることは何か不名誉なことと考えているらしかったが、私たちの間では大人気であり、夜毎晩酌をしては、その日の疲れを労わっていた。

このように、滞在中は爺さんの畑でできたうまいものを食べて、幸せをお裾分けしてもらっていたわけだが、冗談ではなく、農民にとって畑は、それも、爺さんの家の畑のように、自給のための畑は、本当に幸せのもとである気がする。隣国のタイで農民をしている知人から、「タイの農民は野菜を市場で買っている。自分の家では作らない」という話を聞いた。農民が自分の食べるものをお金で買っている。すこし考えてみれば、こんなおかしな話はないのだが、現実としてタイだけではなく、あらゆる場所で同じ現象が起きている。そうなったとき、畑は幸せのもとではなくなってしまうのかもしれない。

当然、隣国のタイですらその状況なのだから、G村だって、いつそうなるかわからない。実際、2007年には電気が通るという話だし、道だってどんどん舗装されて町や他の村から色々なモノや人が出入りするだろう。当然、村の生活だって変ってくるはずだし、それによって村人がどう変るかはわからない。

しかしそうは言いつつも、爺さんは爺さんとして、変らずに毎日畑に行くのだと思う。そしてまた村に行ったときには、「わしゃートゥットゥンゲンだからのぉ」とか言いながら、爺さんが出迎えてくれて、食卓には畑で取れたキャベツの炒め物が出され、夜は爺さんのスモモ酒で晩酌をする。そんな光景が私の目には浮かんでくるのであった。                         
 (サイガウ・ローふぁん倶楽部会員)

「リーとビーと話したこと」               安井清子

昼下がり。村は静かだ。道を歩いても、ひっそりしている。暑い日差しの中、乾いた畑を耕している子どもたち。サトウキビをしぼっている人々・・・道を戻ってくると、竹の小屋の中で、二人の少年、リーとビーが、なんだかとっても楽しそうに話しながら、まだ酸っぱい桑の実と餅を食べていた。竹の小屋の中は、涼しくて気持ちがよかった。

風が通り抜ける、窓のあまりないモンの家にはない気持ちのよさ。

リーがきく。「ホンモノの図書館を建てる時は、建設会社に注文して作るの?」
「ううん。村の人たちと一緒に作るの」。     

するとリーが言う。「ぼくたち金とるぜ」。

すると、ビーが言った。「いらないよぉ。だって、ぼくたちのために作るんだろ?ぼくたちの家だよ。だから、いらないよ」。

 リーが言った。「その時、ぼくたちのブタを移すの手伝ってくれるね?(建設予定地にあるブタ柵はリーの家のもの)」すると、ビーがのどをかき切る真似をして、「そんな必要ないよ。ぼくらが食っちまえばいいのさ」と言うと、彼は歯を出して愉快そうに笑った。みんなのんびりしてて、家にいる時よりも、ずっと解放されているような気がした。

 彼等は私にあれこれ聞いた。亡くなった太郎さんのこと、そして太郎さんのお母さんのこと・・・どうして死んじゃったの? どうしてお母さんはぼくらのところに図書館を建てようと思うの?・・・私は知っている限り答えた。・・・太郎さんはパキスタンって国に、この村に来たみたいに取材で行って・・・事故で亡くなったんだよ・・・お母さんは日本にいて、図書館で働いていた人なの・・・お母さんは、太郎さんが大好きだったこの村の子どもたちのために、図書館を作りたいって思ったんだよ・・・太郎さんのこと大好きだからね、みんなにも大好きでいてほしいって・・・・

みんな神妙に聞いている。

「ぼくは知らないんだ」とビーが言う。2年ほど前に両親を亡くし、サイガウ爺さんの家に来たばかりのビーは、太郎さんには会っていない。                 

「背が高くてハンサムなんだぜ」とリー。

「じゃ、ぼくみたいかな?」とビーが笑って言った。

 村に図書館を作っていくことで、人と人が、思いと思いが、つながっていく・・・そんな気がした。

少年たちは、風がふきわたる竹小屋の中、遠い世界へ、人々へ、思いを馳せているようだった。

リー:サイガウ爺さんの孫。中学1年生。太郎さんが、「よしお」と名づけて可愛がっていた。ベンチで寝ている少年。  

ビー:サイガウ爺さんの甥。立っている少年。数年前に両親を亡くしてから、サイガウ爺さんの家で暮らす。中学6年生。


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