ラオス 山からだより 7号  ラオス山の子ども文庫基金      

  2007年4月 




G村に、「たろうのとしょかん」の建物が完成しました。
ばんざーい!




これまで、「いったいいつできるのかしら?」と思いながらも、気長に見守ってくださったみなさま、建物完成のご報告ができて、本当にうれしいです。ありがとうございました。

2005年11月から2006年4月までの村滞在では、柱が立ち茅葺き屋根をふいたところで、雨季に入り、人々が農繁期に入ったところで、一度作業は中断。建設作業を再会したのは、再び乾季になって農閑期に入った2006年11月でした。鈴木は、村の多くの人々を巻き込んで建設作業を、安井は、文庫スタッフになりたいと希望してきた村人4人と子どもたちとともに図書館準備を進め、2月18日に、建物自体はまだ未完でしたが、日本からは武内桂子、横須賀和江さん、ヴィエンチャンからは国立図書館の館長コンドゥアンさん、図書館員のプーヴィエンさん、ノンヘート郡の教育局長、文化局長さんなども加わり、村の人たちとオープニングを祝うことができました。

3月初めには建物も完成し、鈴木、安井とも日本に帰国しました。でも、建物ができたとはいえ、実際の図書館活動はこれからがスタートです。4月末には、安井は再び村入りする予定ですが、山の村に、どんな活動がはじまっていくのか? 「たろうのとしょかん」を、どうぞこれからも気長に見守って、応援してください。  (安井清子)

山の村の小さな「図書館」                     武内桂子

お蔭様で山の村に「図書館」ができました。

「館」というにはあまりにも小さい建物ですが、とても素敵な立派な「小屋」ができました。鈴木晋作さんの建築家としての強い思いから、村の材料を使って村の沢山の人達の手を借りて、丁寧に造られた建物はあたたかい「家」です。建築作業の写真を見て頂けばお分かりになると思いますが、村での建設作業は資材の調達、作業者の確保、天候の不順など思いもかけない困難が多く、鈴木さんや安井さんにはご苦労が絶えなかったようですが、皆さんの気持ちが詰まった素敵な素敵な建物です。



オープニングには、ヴィエンチャンの国立図書館、ノンヘート郡のお役所の方々や村中の沢山の方が集まって下さいました。特に国立図書館の館長さんと児童図書室担当の館員さんが、お忙しい中を遠い山奥の小さい村まで足を運んで下さり、村の先生方やこれから「図書館」の活動を支えてくださる方々のためにワークショップを開いて下さったことは、今後の活動の大きな力になるものと思います。この「図書館」がこの地で本物になったように思いました。

館長さんはほんとに素晴らしい方です。村に着くと私達の周りには沢山の子供が集まってきました。村には子供が沢山います。館長さんは子守りをしていた子に自分の養女にならないかと声をかけていました。今までも10人近くも養子を育てた経験があるそうです。ツイーお婆ちゃんにはご自分のカーディガンを脱いで着せて上げていました。図書館員のプービエンさんはなんでも気がつく優しい館員さんです。日本にも3ヶ月程研修に来ていたことがあるということで言葉もなんとなく通じましたので、同行中ずっとお世話になりました。

村はまるでお祭りのようでした。子供たちの踊り、ケーン(笛)を吹く人、村で最近商売を始めたという人の出店が2つも出ていました。大人達がくじ引きに熱中している間、子供達は勝手にどんどん本を開いて夢中になっていました。本との出会いに真剣に興味を示す子供達を見ているのはとても嬉しいです。本の力の大きさを感じます。



安井さんはここからまた一歩を踏み出すことになるのでしょうが、ここまで一緒にやって来られたこと、鈴木晋作さんが最後まで頑張って下さったことは本当に有難いことです。そして、最初に背中を押して下さった宮城教育大学の横須賀薫元学長、日本から往復8日もかかる山奥の村まで2度もお付き合い下さいました和江夫人、「文庫」の活動を支えて下さった沢山の友人に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

今回、「図書館」に飾ってもらいたいと思い、取材の時にNHKカメラマンの半田さんが撮って下さった取材班の皆さんの写真と、太郎の写真を持って行きました。その写真を見ながら村の方々が当時のことをいろいろお話しして下さいました。特に太郎が一人で取材の帰りに山道で迷子になった時のことを聞き、言葉の分からない所でどんなに心細かったことだろうと思いました。その時助けて下さった方が、今まで「図書館」を作るために村で中心的に音頭をとってきて下さり、これからの「図書館」を手伝って行って下さることになったノーポー奥さんでした。ノーポーさんはご自身も昨年の秋、下のお子さんを突然亡くされたそうです。まだまだ悲しみの中だと思いますのに、オープニングの時もずっと手伝って下さいました。太郎のことを村の人達がまだ忘れずにいて下さったうちに、この「図書館」を作ることができたことを嬉しく思っています。

この小さい場所が子供たちの未来のために役に立ってくれることを切に願っています。

皆様、どうぞこれからもこの小さい「図書館」の活動を見守っていて下さい。よろしくお願い致します。

                       

G村 再訪                           横須賀和江

 3日間滞在するだけなのに、足掛け10日間の旅になってしまった。やっぱりG村は遠いなぁ、と思う。

でもその遠さ故に思いがけない出会いもあって、今回も中味の濃い旅になった。

 仙台から東京までの新幹線の中で 

同行の武内桂子さんとは座席が離れ、一人で座っていた。隣の座席には脱いだコート類が乱雑に置かれ、ビジネスケース風のバッグが網棚に見えるのみで、もしかしたら事件?と不安を抱き始めた頃に、若い白人女性が座席に戻ってきた。「間もなく東京か?」と屈託なく聞く。少し気分が昂揚しているようだ。

「三沢にずっといたの。その間に5ヶ月イラクにいっていたわ。2年ぶりで両親と会えるのよ!明日成田から発つんだ!」「ご両親はどんなに嬉しいでしょう!」 片言でのボディランゲージまじりの会話が続き、オーノー、ブッシュ、ストゥピドプレジデント!命あって無事に帰国出来る若い女性の喜びがストレートに伝わってきて、返す言葉が思いつかないもどかしさに思わず彼女を抱きしめてしまった。移民やヒスパニック、黒人出身の若者が学資を稼ぐために軍隊に志願することが多いと聞いているが、彼女はプアーホワイト?いやいや、詮索が過ぎる、ほどほどにしよう。この時になって、もしかしてアメリカに移住したモンの若者が軍隊に入って戦場で戦っているということもあり得るのだと、ふいに気付いた。

 タイからビエンチャンまでの機上で 

隣に小太りのアジア人女性が座った。彼女はオーストラリアからだという。一瞬アボリジニー?かな、と想像がよぎったが、次の瞬間、彼女の手に白い糸の束が巻かれているのが目についた。「あっ、前回G村の祝宴の席で、村人に巻いてもらったのと同じものだ!」私の視線に気づいた彼女は“グッドラック”と手を見せ、微笑んだ。モン語ではフップリー・キーテェというと教えられたものだ。「滞在はどのくらい?1週間は短いねぇ、私は3週間」と。オーストラリアにもモンは多いと読んだ記憶がある。里帰りなのだろう。ディアスポラという言葉が浮かんで消えた。

 ビエンチャンから

ビエンチャンの空港からずっと一緒だった国立図書館の館長コンドゥアンさんと職員プービエンさん。安井さんからは、とても気持ちのいい人たちよ、と聞いていたが、言葉が通じたら、もっともっと親しくなりたいと思う程に好ましい女性達だ。二人ともラオ族。ラオスに来て、初めて話をしたモン以外のラオス人である。プービエンさんは国立図書館では児童室担当だった。よく気がつき、フットワークの軽い人だ。

 シェンクワンでは、ポンサワンのホテルに一泊。眺望が素晴らしいホテルだ。ここで、思いがけない夕食にありついた。コンドゥアンさんがベトナムのお正月料理を持参して、ご馳走下さったのだ。美味しいラオビールと一緒に、暮れなずむ田園風景を一望しながら味わうベトナムの正月料理は格別だった。リズミカルな擬音混じりのラオス語が、コンドゥアンさんの口から小気味よくほとばしる。安井さんに通訳してもらうまでは、ただ音として聞くだけだから、よけいに彼女の楽しい気分が伝わってくるのかもしれない。

 コンドゥアンさんは少女時代をポンサワンで過ごした。お転婆娘で男の子を何人も従えて野原を飛び回っていた。県知事?さんの家に生まれたお嬢さんだったから、本来はもっとおしとやかにしていなければならなかったのかもしれないが、規格はずれで、好奇心を抑えられない少女だったようだ。その片鱗を同行中にしばしば目にすることになる。楽しい話ばかりではなく、ポンサワン一帯が戦場になり、コントゥアンさんの広大な邸宅も焼けて、ビエンチャン(飛行機では30分)まで歩いて逃げたという話も飛び出してきて、「えっ、いつの戦争?」と頭がくらくらしてきた。日本軍が撤退し、ラオス内での左派と右派の闘いにアメリカ、ベトナムの介入があり、モンが両派に利用されながら、闘いに明け暮れていた印象を持ってしまうラオスなので、コンドゥアンさんの戦争が何年のことなのか、よく分からない。

 その日、コンドゥアンさんの親類で同級生だという、ラオス人にしては珍しく太った女性がホテルに訪ねて来て、仏タイ辞書を借りていった。ごく普通の農婦のように見える女性だったが、コンドゥアンさんによれば、学生時代は大変な美人で、彼女と結婚したい男性が山ほどいて、その一人と結婚したのだが、結婚後、夫は妻子を残して仕事でビエンチャンへ行ったきり、10年間も帰らなかったという。やがて夫には新しい家族がいることが分かって、彼女は絶望のあまり倒れた。その時の手術がもとで太ってしまった。それからは女手ひとりで子どもを夢中で育てたのだろうか。ソフィア・ローレン主演の映画『ひまわり』のヒロインみたいな人なのだと思った。

G村で

G村にたどり着くまでなんと永かったことか、いよいよ村に着いた。

 懐かしい顔、かお、顔。サイガウじいさんは変わらない笑顔だった。ナーリーちゃんは大きくなっている。前回は畑に行ったきりで会えなかったお母さんと二人の兄弟にも会えた。

 早速、晋作さんの創った図書館小屋を見に行く。壁塗りがまだ不十分ということだが、ほぼ出来上がっている。窓ガラスが周囲にはめ込まれて開放的な建物だ。あちこちに晋作さんらしい工夫がこらされいる。板張りの床がとても居心地がいい。屋根は瓦にする予定だったが、瓦の材質を吟味していたら、ラオスでは手に入らず、藁屋根になった。薄いので、雨期になったらどうなるのか気がかりだが、晋作さんにはもくろみがあるのだろう。

 早くも子ども達が次々にやってきて、裸足の足で床に上がるので、床はたちまち真っ白い足跡だらけになる。

次の日の開館式までに仕事が山とある。コンドゥアンさんもプービエンさんも労をいとわずせっせと働いている。国立図書館なるもののラオスでの位置づけがよく分からないけれど、村の人と一緒になって自然に働いている。館長さんの人柄なのではなかろうか。暇を見つけると、コンドゥアンさんは小さな子ども達に持参のとびだす絵本を読んであげている。そばでラオス語をモン語に翻訳するのは小学校の校長先生。この校長先生がなかなかの逸材に見えてきた。暗くなるまで働いて、私たちは、街灯もなく舗装もない暗い夜道を30分車に揺さぶられて、ノンヘートのゲストハウスまで帰った。後で運転手さんもハラハラしながらの運転だったと聞いた。

 次の日はいよいよ開館式だ。安井さん制作の絵入りの見事な看板が出来上がっている。武内さんが“たろうのとしょかん”と日本語で書き込んで完成。外には、安井さんがこれまでに写した写真がいっぱい展示してあり、村の子ども達が自分の写っている写真を見て楽しんでいた。室内には武内さんが日本から持参した太郎さんの写真が飾られた。サイガウじいさんの奥さんが見入っている。村人が写真を前に太郎さんとの思い出をこもごも語り始める。村人に愛されただろう、子ども達が慕っただろう太郎さん、俳優にしてもいいような美青年である。

 式では、ノンヘートから教育局長さん、文化局長さんも来てくれて、広場いっぱいに集まった大勢の村人を前にして、次々に挨拶が続いた。私に分かったのはタローニアこと武内桂子さんのご挨拶だけだったが、ああ、これでよかったんだ!よかった、よかった!と武内さんの喜びを共有させてもらった。

 村の子ども達がモンの民族衣装で、民族舞踊を披露してくれた。ケーンという竹の民族楽器の演奏が始まると、モンの服装の安井さんは即興で楽しそうに踊り始めた。村での取り組みの第一ステージがやっと終わったという安堵感があってのことだろう。午後からはサイガウじいさんのうちで、家に溢れんばかりの村人が集まり、祝宴が開かれた。

 次の日はワークショップ。小学校の先生や図書館を手伝ってもらう村の人たちにするコンドゥアンさんとプービエンさんのお話は図書館の運営方法などなのではないか、と想像する。安井さんの絵本の読み聞かせ、プービェンさんのエプロンシアターはどちらも「おおきなかぶ」を使ったものでよく分かり面白かった。

 武内さんと私は集まってきた子ども達と折り紙を折り始めたところ、思いがけず大好評で、次々に教えていくことになった。12面体のユニット折り紙は難しいので、置いてくればいいや、というほどの気持ちで、20個程作って持参していたのを見て、作りたいという子が現れた。次々に希望者が出てきて、教え始めたら、辛抱強く作り始める。一人が完成すると、負けじとがんばる子がいて、やがて男の子も仲間に飛び込んできて………。今まで折り紙に触れた経験のない(と思われる)子ども達のこの熱心さ、集中力は、なんだろうか。いくつ完成したのか、覚えていないのだが、「作ったものを持って帰っていいのよ」といっても、どの子も持って帰らなかったのは何故なのだろうか?私の文庫だと、頂戴、ちょうだいともらいたがる子が多いのになあ、と未だに不思議な気持ちがしている。

 “たろうのとしょかん”は、やっと開館にこぎ着けたところで、これからが本番だ。安井さんの苦労はまだまだ 続くと思う。でも、モンの子ども達の持っている潜在能力を見せつけられて、希望のともしびが相当明度を増したのは確かである。

 3月10日に日本に帰ってきた安井さんからは、晋作クンががんばって壁塗りを完成させてくれ、壁に絵も描いてくれたので、すごくよくなったよ、という知らせが届いた。

やったね!晋作クン、ありがとう。





文庫のおねえさん・おにいさん・おばさんになる人々                安井清子               

 いくら建物ができても、「人」がいなければ、活動はなりたっていかない・・・・本を見にくる子どもたちをにこやかに迎えて、せがまれればいつでもお話を読んであげる誰か・・・本の貸し出しをして、子どもたちを見守ってあげる誰か・・・がいなければ、建物は活力ある場所として継続してはいかない・・・いったいぜんたいこの村の中で、その「誰か」になる適任者はいるのだろうか?・・・それが、私の一番の気になる問題であった。その「誰か」を見つけて、育てなくてはいけない。

 G村の人々は、みんな土に生きる人々である。ほとんどの人々が、山の畑や水田を耕し、鶏、豚、牛などの家畜を飼い、水汲みをし、薪を背負い、自給自足の生活を送っている。みんな忙しい。そんな生活の中で、図書館の面倒を見てくれる人など出てくるのだろうか?・・・でも、村の図書館の活動が継続していくためには、村人の中から、「誰か」を見つけなくてはいけない。建物の完成が見えてきた1月半ば、村全体ミーティングを開いてもらって、図書館で働く人を募集することにした。

 さっそく翌朝、まだ私が布団の中で寝ているうちから、「働きたいんだ」という若者がやってきたり、道で出会うお婆さんに、「私でよければ、どう?」と言われたり、予想以上に活発な反応に驚くやら嬉しいやらであったが、結局、20代の男性2人、20歳の女性と、7人の子どもたちのお母さんの4人で試していくことにした。

 この中で一番お話が好きなのが、20歳の女性、ツィア。7人兄弟の長女、中学3年生を卒業してからは、家事と家の農作業を手伝っている。とにかく本が好き。手伝いにやってくるようになってから、毎日のように、ラオス語訳のついている絵本を借りていき、片っ端から読んでくる。訳のないものは、私が子どもたちにお話するのを見てお話を覚えて語る。モンの子どもたちはやんちゃで頑固者も多いので、叱り飛ばしたくなる時も多いのだが、彼女はおっとりしていて、辛抱強く子どもたちの相手をしている。

 7人の母ニア・ノーポー(ノーポー夫人)は、建設作業でもさんざん世話になってきた村の女性同盟の長である。「私は図書館の担当はやらないわよ」と以前言っていたので、今回、こちらからは声はかけなかったのだが、「私は最初からこの家作りに関わってきたから、自分の家っていう気がしているのよ。だから、他の人だけに任せられない。それにね、私は、読み書きは弱いけど、お話なら上手よ」と大声で言うとメンバーに加わってきた。小さい頃、学校では勉強できなかったけれど、大人になってからラオス語を勉強したという。一生懸命ラオス語の本を読んで理解すると、ドスコイ!の迫力で大声で話をするので、ニア・ノーポーの周りには子どもの輪ができる。強力である。男性は、ジェンとジェという2人。子ども相手となるとシャイであるが、本の登録や、貸し出しカード作り、訳貼りなどの作業から始めてもらった。今後、本作りなど、いろいろな可能性を含めて動いてくれたらと思う。

 図書館のオープニングの翌日、ヴィエンチャンから招いた国立図書館の人々にワークショップを開いてもらった。小学校から借りた椅子と机を並べ、図書館は小さな教室になったが、ノートとペンを用意してさっそくノートをとっている小学校の先生たちに比べ、この4人は何も持っていない。急いで彼らにもペンと紙を渡したが、あらためて、彼らが「お勉強」の場に臨むのは本当に久しぶりなのだろう・・と感じた。きっと新しい図書館の中で、彼ら自身も新1年生みたいな戸惑いと喜びを感じているに違いない。図書館が、子どもたちだけではなく、彼らにとっても、新しい「窓」となっていってほしい。

とにかく、山の村のペースでやっていこう。みな農作業があるから毎日開くことは難しい。まずは週2回でいいから、図書館の扉を開いて、子どもたちに本を見せようね、と話しあった。まだまだ一筋縄にはいかないだろうけれど、これから一緒に試行錯誤、頑張っていこう。

ナーリーと絵本                                 安井清子

 ナーリーは、ずっと滞在させてもらっていたサイガウ爺さんの孫娘。今3歳である。ナーリーは毎朝起きるとトコトコ私のところにきて、「ピア・ンダウ・グゥ・シャイ(絵本をお話して)」と言う。朝こっちも起きたばかりである。「ほら、ナーリー、まだ顔洗ってないんでしょう。顔洗ったら読んであげる。髪ぐしゃぐしゃ、髪とかしたら読んであげる」などと言うと、お母さんやおばさんのところにすっ飛んで行って、「顔洗って!」「髪とかして!」と。いつもなら髪をとかされるのを嫌がるのに、言うことを聞くのである。ナーリーが顔を洗って、髪までとかしてくるとなると、もう読んであげないわけにはいかない。

 昨年、ナーリーはまだ2歳だった。いつのまにか、絵本を見るようになったが、最初の頃は、「さるとわに」のわにや「さんびきのやぎのがらがらどん」のトロルの絵を見て、「フェ〜ン、怖いよぉ」と泣きだしそうになっていた。「さんびきのくま」では、女の子がこぐまの椅子を壊して尻餅をつくページになると、「ポンポン・アァ(土に落っこちた)」と言って、いちいち自分も床にひっくり返った。言葉もまだたどたどしかった。

 今年は、ちゃんと言葉が言える。「おおきなかぶ」の絵本では、犬が出てくると「ワンワンワンワン」と言って絵本の前で跳びはねてから、絵本を指さし、「アオ・ムゥ・フゥ・ミー・ロー・パ(犬が猫の助けを呼びに行った)」と、まだ口振りはたどたどしくも、きちんとしたモン語の文章を話すようになった。じきに、「スーホの白い馬」がお気に入りの絵本となった。もちろん文章も長いし、私もモン語で、はしょって話すので、すべてをわかっているわけではないが、神妙に話を聞いていて、スーホが殿様の家来にぶちのめされて、友だちに負ぶわれているページでは、「スーホは痛い痛い。だから友だちが助けたの」と言う。殿様が、あばれ馬から落ちるページでは、いかにも愉快そうに笑う。子どもって、なんてすごいんだろう・・・ちゃんと大事なところをわかっている。

絵を描くのが好きなお兄ちゃんの真似をして、絵も描くようになった。まだ絵とは呼べないかもしれないけれど、小さな丸を描いては、嬉しそうに、「ルッパァ(花)」と言う。いくつか小さな丸を「花、花・・・」と描くので、「大きな花は?」と聞くと、今度は大きな丸を描いて、「大きな花!」と。しばらくすると、小さな丸を描いて、「プー、チョッポー(おなら)」と、お尻を突き出しておならをする真似をする。我ながらこのアイディアが気に入ったらしく、小さな丸を描いては、「プー」「プー」と言って大笑いしている。私も一緒に大笑い。そうかと思ったら、今度は、線を長く引き、「ツォッゲー・パイ・ホンヒエン(学校へ行く道)」と。そして、小さないびつな丸を描いて「学校へ持っていく鞄」と言う。ナーリーは当然、まだ学校へ行ってないけれど、お兄ちゃんのトゥーローが、毎朝、鞄を持って、学校へ行くのを見ているのだ。また線を引き、今度は「ツォッゲー(道)ピーピー(車のクラクションの音)」、次は線を描きながら「ツォッゲー(道)ポーポー(意味不明)」・・・・

まったく、子どもは面白い。