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     活動日誌

2005年11月
  色が変わっている日が読めます
11月6日(金)〜9日(水) G村訪問         安井清子

11月4日より、武内桂子さん、横須賀和江さん、及川勝さん、の3人が仙台より、ラオスを訪ねられました。G村にも、2泊3日で滞在。村の人たちと顔合わせ。
 武内桂子さんは、この山の子供文庫の活動のきっかけとなった、太郎さんのお母様です。ぜひ、実際にはじまる前に、太郎の図書館(仮称ですが・・・)を実際に建てる場所を見てほしいと思っていましたが、それが実現しました。よかったなぁ。

 村の人たちはみんな、「どなたが太郎さんのお母さんかい?」と尋ねては、「この村を訪ねた太郎さんが亡くなったのは、本当に残念だけど、そのお母様が村を訪ねてくれて本当にうれしい。そして、太郎さんが結びつけてくれたおかげで、こうして図書館ができることになって、村の子どもたちも大人たちもみんな喜んでいるよ」と、言った。

 県の文化局の副局長さんにもご挨拶をしたが、副局長さん(モンの人)は、実は太郎さんに会ったこともないのに、本当に親しげに、そして懐かしげに、タロウは、ぼくの弟だよ。なぜって、名前が、タ・ローで、ぼくは、ニアリー・ロー。同じロー家の人間だから弟だ。だから、タロウさんのお母さんはぼくのお母さんだ」と言って、武内さんのことを「グゥ・ニア(私のおかあさん)、グゥ・ニア」と呼んだ。副局長さんだって、そこそこの年齢で、武内さんとどちらが年上かもわからないくらいなのに、「おかあさん、ぼくのおかあさん」と呼ぶので、私は、なんだか可笑しいような、でも、モンの人の温かみを感じた。

 サイガウ爺さんは、実は、ちょうど1年前に、末息子を交通事故で亡くした。
私たちが村に到着した6日は、ちょうど1周忌にあたる日だった。サイガウ婆さん(爺さんの奥さん)は、おしゃべりな爺さんと違って、ほとんど話の輪にも加わってこなかったが、私たちが村を去る日、「どの人が、息子さんを亡くしたお母さんかい?」と聞くと、武内さんの手を取って、話しはじめた。


「私も、あんたと同じように息子を同じ交通事故で亡くしたんだよ。これまでも話しかけようかと思っていたけど、話したら、もう息子が思い出されて、胸がつまってしまってどうしようもなくなる・・・と思って、話しかけられなかったんだよ。」
 そう言うと、婆さんは、武内さんの頭を娘のようになぜながら、おいおいと泣いた。
お婆さんは、同じように息子を亡くした。モンの人たちは、ほぼみんなが、家族の誰かを亡くしている経験をしている。死がより身近だ。だから、大切な人を亡くした人の悲しみをみんなあたたかく共有し、一緒に悲しんでくれる・・・そんな気がする。  (安井)


11月8日(火) G村の歓迎会   安井清子
 夜、空を見ていたら、赤い星が、尾をひいて流れた。ふしぎにゆっくりとすぅっと流れた。「これから、うまくいきますように・・・」と願った。
 きっと大丈夫!きっと楽しい活動ができていく・・・と信じたい。

 午後、武内さんたちの歓迎会が、サイガウ爺宅で行われた。午前中から、村の人たちが、豚を料理して準備してくれた。今、ちょうど稲刈りの時期で、山の畑や水田に出払っていていない人も多いが、村に残っている人たちが集まって準備してくれた。
 モン語では、フップリー・キーテェというのだが、ラオス語ではバーシー。人々の幸せ、健康などよい事を願う、よい言葉をいいながら、糸を手首に結ぶ儀式を行ってくれた。
 その後、武内さんが挨拶。
「息子の太郎がここれお世話になり、ありがとうございました。はじめての海外で来たのがこのG村でしたが、『いい村だったよ。あんな村だったら、住んでもいいな』と言っていました。それから、とても残念なことに、1年3ヶ月後に息子は事故で亡くなりましたが、その後、安井さんと会って話しているうちに、この村に図書館を作ったら、太郎がそこで生きてくれているような気がしたのです・・・・」。
 村の人たちはうんうんと頷きながら聞いていた。

 村の人たちはみな、口々に
「タローニア(太郎のお母さん)は、ぼくたちのお母さんでもあるよ・・・・太郎さんが亡くなったのは本当に残念だけど、太郎さんのつながりで、お母さんが村まで来てくれて本当に嬉しい。そして、おかげで家ができることになって本当に、大人も子どもも楽しみにしているんです」
と言ってくれた。
 こうして、人がつながり、顔が見えて、思いが伝わり、少しずつ進んでいくのだなと思う。
(や)


 


 G村でのひとこま *フップリー・キーテェ (す)


11月13日(日) G村から戻り活動開始〜新しい国ラオスで〜鈴木晋作

 11月5日より、ラオスに滞在しています。日本また中国チベット人の地域(チベットでの小学校建設活動 http://www.gesanmedo.or.jp)からフィールドを移し、子ども文庫基金の建築担当スタッフとして、ぼくにとっては新しい国「ラオス」に来ています。

 図書館建設の村には、初めの1週間のうち3日間ほど滞在し、村の人々、郡長と挨拶を交わしました。G村に滞在中、太郎さんのお母さんと村の人たちの交流は、言葉は直接通じなくても、大切な思いのやりとりでした。心から心へと伝える深い声。

その場に介した人にとっては、図書館の始まり、動機付けになったと思います。

これから実際に、文庫基金に関わる人、村の人にとって「図書館をみたことがない」「本自体がほとんどない」ところで、図書館つくり(発想、建設、運営)をしていくことを始めます。G村は、農生活を中心とする70世帯ほどの小さな集落(周辺の衛星村にとっては、郡の中心地ノンヘートへの中継地)です。単純に他の地域での例を適応させることも難しいでしょう。

 「山の子ども文庫」の発端となった「太郎さんのお母さん」武内桂子さんの思い、ラオスとタイでモンの人々とずっと関わってきた安井さんのモンの生活記録・言葉の蓄積、村の人々の山の営みがゆっくり複合されて、イメージが共有、具体化されるでしょう。それは空間を作っていく上で大きな手がかりとなり、「空」に「形」を与えます。その形の建設も「山の文庫」活動のひとつです。
文庫活動の中で、積極的に空間造りに関わろうという位置づけには、「村の人々と共に村の中心の空間を考える」「村、山を再発見する」「意識、メンテナンスのことを含めて村の人が長く使っていける」ことなどの理由があります。

 個人的には、のどかな村でそこにある土や木や竹を使って楽しい空間づくりができればいいなぁというのが率直な思いです。そこに子どもがたくさんいるとあればもってこいです。言葉も習慣もまだ分かりませんが、とにかく前進あるのみ。でもラオスのペースでゆっくりと。(す)



11月15日(火) ビエンチャンで 思い  重いけど。 安井清子
 
以前働いていたSVAのオフィスを訪ねる。みんなでちょうどお昼を食べていたので、ごちそうになってしまった。所長の八木沢さんとは、もう長年の知り合いであるけれど、八木沢さんに、
「山の村に図書館作るっていうけど、大丈夫?心配しているんですよ」と言われる。「というのはね、SVAもタイでの図書館活動長いけれど、農村ではほとんど成功した例がない」とおっしゃる。
 長年の図書館活動を続けているNGOだけに、(私も以前所属していたし)、言葉が重い。
 確かに簡単なことではないのは予想できる。こちらは、ましてはラオスの山の村。元々、本などないところ。普通では成り立たないのは、もうあきらかに予想できる。実際の村は、難民キャンプなどとは違って、毎日、日々、大人も子どもたちもみんな忙しい。子どもたちも、ちゃんと役目を持って働いている。
 そんなところだから、図書館運営など、よけいに難しいと思う。
 でも、それでも、やろうと思うのは、山の子どもたちだって、モンの子どもたちだって、都会の子どもたちと同じように、お話や絵本が好きで、夢中になって吸収し、そして世界を楽しく広げる力があるっていうこと。それは信じていいと思う。きっと、そんな中から活動を支える力が出てくるのだはないか。
 ただ、時間はかかる。うんと時間がかかる。でも、子どもたちの力を信じたい。
それに、都会の図書館活動を持ち込むのではなくて、山の村ならでは、山の人ならではの活動が生まれてきたらいいなぁ・・・と思っている。
 でも、あぁ、大変なことに足、突っ込んでしまったなぁ・・・と思う。
 

 

11月21日 ビエンチャンでの日々 鈴木晋作

先週からビエンチャンに戻り、1年目の「文庫準備小屋(図書館本体は来年度)」建設のため、打ち合わせ、本の整理、ホームページの作成、調べ物、図面・模型の検討をしています。ビエンチャンでは、安井清子氏の借りている小さな平屋の一室を文庫基金の事務室にして作業をし、ぼくはその奥の部屋を寝室としてひとまず使わせてもらっています。
 日常的なこと、専門的な情報は安井さんの知人の長期滞在のユニークな日本の人たち、ラオスの専門家に聞きます。場所とネットワークの面でも、このような基盤があってからのこそ、日本からきたばかりのぼくも作業が可能です。ビエンチャンも小さい街なので、それも都合がいいのかもしれません。

 隣家からは、「魚を焼いたから食べにおいで」とか、「夜、外灯が点いていない」とか、「キヨコの代わりに草をむしれ」とその度に「スズキ!スズキ!」と呼びつける大家のホンペオおばさんの声が聞こえます。1975年の革命以前は、フランス語教育を受けていたという。安井さんがいなければ、ラオス語、フランス語、日本語を混ぜて、めちゃくちゃな言葉で会話。でもこうやって気軽に声をかけてくれる隣人がいてくれるのはありがたいこと。ビエンチャンでも、小さい住宅には、庭もなく近所に公園やノッパラがある訳でもなく、隣の大家さんの家には近所の子ども達が遊びに来ます。(す)

写真は、

1.2. タートルアン祭り、ホンペオおばさんと安井さん、
     正装して早朝から供物を持ってタートルアンへ。(す)
3.   11月20日の昼、魚をご馳走に。
     隣のホンペオさんと息子と近所の子たちと鈴木。(や)

 1.


 2.


 3.


11月22日(火)    シェンクワンへ出発前日  安井清子
 明日の午後、シェンクワンへ飛び、再びG村へと向かいます。私とソムトンさん(一緒にやっているモンの役人)が先に行き、晋作氏は一足遅れて数日後に合流する予定。
 あれこれ準備をしています。
 持って行くものは、絵本!(日本から持ってきた絵本と、ラオスで購入しているラオス語の絵本)・・・でも、当分は、建物もまだありませんので、ゴザを敷いて木陰で子どもたちを集めるくらいでしょうから、少しだけ持っていきます。文房具や遊びの道具。それに自分たちの生活必需品です。
 電気もガスもない山の村。長期で暮らすとなったら、どうなるのかな?もちろん、これまでも何度も行っているのですが、長期でいようというのは、私も初めてです。いよいよこれから始まり。
 今後は、麓の村に下りた時だけ、電話が通じるので、そこからの更新となります。明日から、電気よ、しばらくさようなら。(や)

11月22日 SUZUKIはHONDAに乗る。  鈴木晋作

先日購入したスクーターの諸手続き。道路税(バイ・シアカーターン)、車検(テクニック)、運輸局(コンソーン)の支払いと名義変更の書類(バイ・ス−カイ)の手続きを併せて手数料込みで約25ドル。書類が揃っていないと、他県にも越境できない。
高価なものはドルかタイバーツ払いで
ビエンチャンの市内公共交通は、乏しい。ガソリン高騰化で、ジャンボー(三輪バイクタクシー)の乗車賃(要交渉)も高くなっている。

バイクがないと通学、通勤できないという声を聞かれる。確かに、青年は一台ずつバイクを持っている家庭も稀でない。ビエンチャンは、ここ2年で車の数が増え、しかもきれいな車(タイ製のTOYOTA,NISSAN、ラオス・韓国合弁のKOLAOなど)が増えているのが明らかに実感できる。中古車は、個人同士で売買している。意外と市場にある中古車が少ないと思われる。

運転中は、路地からバイクが飛び出てくる。夜は酔っ払い運転のバイク、車に気をつけないといけないらしい。


午後から、一年目の準備小屋の模型・材木集計表を作成。
 (す)

11月23日  安井さん、ソムトンさん現地入り  鈴木
安井さんが、カウンターパートの文化研究所のソムトンさんとシェンクワンに出発。鈴木は、準備を整え、2,3日後に出発する予定。両氏が出発直前、一年目の準備小屋の模型と材木集計表を持って、空港に渡しに行った。現地での打ち合わせ、材木を手配する書類に必要なものだったので、安井さんは肝を冷やした様子。

先日購入したHONDAのおかげ。結局、模型の写真を撮る時間がなかった。村で子どもに壊されませんように。

予定は、ノンヘートの郡長に会いに行く。そしてその後、G村でモンのお正月を過ごす。普段は畑に出払っている人とも会うチャンス。ただ、御呼ばれして、一日に何度も食事をすることになるのでお腹の準備をしないといけない。この郡長もモンの人で、図書館のことは大筋で理解してくれているようだ。  
今日は向かいで火事があったり、バタバタして作業も遅れ気味。 (す)

11月24日  ビエンチャンにて 「雑調査」  鈴木


ビエンチャンの古い建物を調べに行く。行き先は必然、お寺になる。ワット・プラケーオ、ワット・シーサケット、ワット・インペーン。木と土とレンガと石灰の建造物。昔は、優れた技術があったことが見て取れる。
ラオスでは、資料を探そうにもなかなか見つからないようだ。出版物が少ない。研究費もない。
お寺、民家、米蔵(高床板倉作り、竹木舞いの土壁蔵)、そして竹カゴまでこの地域の知恵がたくさん凝縮されているものから発見できることも多いだろう。
友達が、お寺と同じ素焼き瓦葺きの築80年の木造住居に住んでいることを知る。後日訪れることに。

夜、その友達に誘われて、大型の展示会「ITEC」に行く。最終日は、日が変わるまで多くの人が買い物に明け暮れ(といっても洗剤、化粧品、日用品など)、高揚している気分が感じ取れた。内容は、日本のデパートの催事場のセールのようなもの。規模は大きい。中と外の会場を併せて、1万平米以上はあるだろうか。時折、有機農業、炭焼き、織物のプロジェクトの出品もあった。建築は、タイ製セメント瓦の出展程度か。

ビエンチャンの中心部で生きている人々の幾らかには、中国系の人々がおり、ここでも中国語が使えるようだ。
 (す)

上−ワットインペーンの経典収蔵庫(木と土の蔵、土と石灰のレリーフ) 
中−ホープラケーオの階段廻り。手すりの下に、修繕の為の素焼き瓦が確保してある。
下−「国際見本市」「何でも催事場」 ITECの会場、最終日に人でゴッタがえる。










11月24日(木)  シェンクワンにて  安井清子
 昨日、朝は ビエンチャンで借りている家の前の家から火が出た。大家のホンペオおばさんがやけにギャァギャア騒いでいる・・・と思って、出てみると、「ファイマイ、ファイマイ(火事)!」と人々が騒ぎはじめていた。私も駆けだして行ってみると、煙が上がり、燃えたソファー引き出して、大騒ぎしている。私も大慌てで、「晋作くん、火事火事!」と仕事をしている鈴木氏に言うと、二人で急いで、大家の庭の蛇口にホースをつないだ。火事はみんなが寄ってたかって消したので、燃え広がらずに消えた。消えた頃やっと消防車がやって来た。うちから消防署は近いのであるが・・・・かなりのんびりやって来た。そして、あきれたことに、消防士たちは、まだくすぶっている家を悠長に眺めると、そのまままた消防車に乗り込んで行ってしまった。おいおい!それから数分して、今度はうぅ〜〜〜とサイレンを鳴らして消防車がまた来て、同じようにのんびりと火事現場を眺めて行ってしまった。
 ホンペオおばさんが、「こうなのよ。ほら、こんな具合なんだから」と悔しそうに言う。
 家を借りていたのは韓国のコイカ(韓国の政府援助機関)の人たちである。彼らは、まだこの家を借りて10日目だそうで、不運である。そして、なんといってもいなかったのだから、何の責任もない。雇っていたお手伝いさんの連れてきていた小さな娘がライターをいじっていて、燃え移ってしまったらしい。大事にはならなかったが・・・・大家のホンペオおばさんの親戚が貸している家なのだが、ホンペオさんは、その後私を呼ぶと、
「外国人の借りている家だから、うっかりしたらテロの疑いをかけられるかもしれないって警察が言ったのよ。だから、あんたもそんなこと起こさないように気をつけなさいよ・・・・」と深刻な顔をして言った。
 そりゃあ、あんまりでしょ?被害受けた上に・・と思うけれど。12月2日はラオスの革命記念日?今年は30周年目なので、大きな式典があるとか?・・だから警察もピリピリしているという。私たちは、モンの村に入ってしまうし、ちょうどモンの正月なのでよかったかな・・・と思う。

 その日の夕方の飛行機でポンサワンに飛んだ。今回は当面使いたい絵本などを3箱段ボールに入れ、40kg以内で収まるだろう・・とたかをくくっていたら、80kg。ひょえ〜。超過料金を取られた。ラオスでは、飛行機の料金に、外国人値段とラオス人値段があるが、この超過料金もそうだ。
「ラオス人値段にしてあげるよ」と、カウンターの人はまけてくれたつもり。私はばっちし取られた気分。超過料金、1kg5000キップである。
 さて、ポンサワンは寒い。このところビエンチャンも急に涼しくなっているが、ポンサワンではもうセーター、厚いジャケットがないと寒い。何度も来ているというのに、こちらも毎回たかをくくってしまって、もっと厚い服、持ってきたら良かったな・・・・とか思う。
 今日、これからバスでノンヘートへ向かいます。
 22日、「電気よしばらくさようなら」と書きましたが、このシェンクワン県の中心であるポンサワンのゲストハウスでは、最近は24時間電気あります。これまで、入ってなかったのに、テレビが部屋に入っていて、朝からうるさい。電気とさよならするのは、G村に入ってからです。  (や)


11月26日(土)  G村での日々 安井
 24日より村に入っています。寒い。朝、顔を洗っていると湯気が立ち上ります。家の中でも、フリースや山のジャケットを羽織っています。こんな中で、風呂はなく昼間に外で水浴びですから、まるで修行です。
 人々は稲刈りを終え、お正月の準備を始めています。いつもよりも、少しのんびりした雰囲気。男の子たちは、コマ遊びをはじめています。普段はやらないのに、お正月になると、みんなコマ遊びをはじめます。羽根つきや、お線香作り・・・なんとなく、華やいだ雰囲気がしてきます。
 今日は、土曜日。麓の町のノンヘートで市が立つ日です。もうお祭り騒ぎかと思うほど、人々がごった返しています。お正月(12月1日からか?)前の市場の日ですから、大勢の人々が、買い物にきているんです。私は市場の片隅の電話屋さんの机で、パソコンに向かっていて、人々が奇妙な顔をして見ては、通り過ぎていきます。では。


 と、ここで、電話につないで更新しようとしたのですが、電話がうまく通じなくて、結局、そのまま村に戻りました。戻ると、サイガウ爺家の嫁さん(次男の嫁だが、次男は昨年亡くなった)が、豆腐を作るという。私は前回、豆腐作りを手伝って、どんなに大変かを知っているので、「じゃあ、手伝うよ」と、今日のG村の午後は豆腐作りで終わりました。
 何が大変か・・というと、まず水につけた大豆を石臼でひくのです。これ、肉体労働。石臼で豆を挽くなんて、ノスタルジックですが、実際やると大変。嫁さんと私は2時間、ひたすら、石臼を回しました。ほんと、これ肉体労働。それから、大きな鍋に入れて火にかけ煮て、袋で漉しておからを取り、そして、また煮て、酸っぱい葉っぱをを煮た汁を入れて、豆腐に固める。
 今日は、具合のいい袋が見つからず、手間取ったせいもありますが、豆腐が完全にできあがったのは、夜の9時過ぎ。モンの村できちんと食べていく・・・というのは結構大変です。私は豆腐ができあがるまで手伝いましたが、その後はリタイア。寝袋に入って記録をつけています。でも、嫁さんは、明日市場に野菜を売りに行くんだ・・・と、10時頃まで、野菜を束にしばっていました。彼女は、明日朝、四時には家を出て、市場へ野菜を売りに行くそうです。。働き者。
 今日の半日は豆腐作りで終わり。こんなペースだけど、こんなペースなんだから仕方ない・・・と思います。今、パソコンを打っていますが、ろうそくの灯りです。夜10時半。村は寝静まっています。でも、誰かがケーン(モンの楽器。竹の笙)を吹いています。外は満天の星空。おやすみなさい。

11月27日(日) G村で活動はじめ   安井清子
   今、夜9時20分。サイガウ爺宅は寝静まっている。外も、今日はにぎやかだったけれど、もう静まっている。私はシュラフにくるまり布団をかけて、パソコンに向かっている。
 急に寒く、乾燥していて肌はバリバリ。私も、もう曲がり角をとっくにすぎたおトシ頃であるから、肌のことなど、普段はそれなりに気にして入るんだが、もうモンの村に来て数日経つと、鏡もろくに見ない。それでも、顔洗ったり化粧水つけたりという自分のことに割く時間がモンの人に比べてうんと長い。朝起ると、人々はもうとっくに起きているが、人より遅く起きる自分が、さらに、自分のことに手間をかけているのを、我ながらイヤだなぁ・・・・と思うけれど、なかなかどうしようもない。でも、きっと、この村滞在で、ずっとシワと日焼けとシミが増えるだろうなぁ。ノンヘートの人たちは、風が強くて、昼の日差しが強くて・・・なので、色が赤黒い人が多い。気休めに日焼け止めは塗っているが、まぁ、もうここでしばらくいることを決めたのだから、もう仕方ない。
 まだ本格的に仕事?ははじめていない。晋作くんを待っていることにあるが、自分自身もまずは、ござを敷いて、かごに絵本を入れて村の中を回ることからはじめようと思っているけれど、まだゴザも買っていないし、持ち込んだ本を一応登録したり、そんな事務仕事をモンの村でしていると、とてもへんてこな気分になってくる。私、何やってるのかなぁ・・・・
 人々は、いったい何しにきているんだぁ?って思っているだろうなぁとか思ったり・・・
 でも、そんな時に一番ほっとするのは、ツィー婆ちゃんの家で、婆ちゃんと雑談している時と、そして、りー・トン・ガオジェの兄弟の家に行ってあれこれ話している時である。
 今日、夕方彼らの家に行くと、もう食事をしている。
「なんでこんなに早く夕食?」と聞くと、昼を食べていないという。一家で薪伐りに行き、昼抜きだったのだそうだ。一緒に昼飯だか夕飯だかわからないが、ご馳走になり、薪取りにくっついて行った。2番目のトン(タイトル写真で水牛を引いている少年)と3番目のガオジェ(同、トウモロコシを持っている少女)の兄妹と、後から来たお母さん。子どもたちが自分たちのかごに入れた薪を、お母さんは
「あんたたち、そんなに重いのを持たなくていいわよ」と言って、薪を減らす。トンは「ぼく、もっと背負えるよ」と、また、かごに薪を入れる。それを母が、「重すぎるよ」と言って出す。母は、一番重いかごを、腰を曲げて背負っている。子どもたちが、「おかあさーん、重いでしょ」と言うと、母は「重くなんかないよ」と言いつつも、だんだん歩く速度は遅い。
  私はこの母とこの兄妹たちと一緒にいると、あったかい気持ちになる。
(や

1月29日 G村へ出発     鈴木晋作

今日、シェンクワンに出発し、明日の午後にG村に着き
安井氏に合流します。
詳しい予定は未定ですが、ぼくも、初の長期滞在となります。

村での予定、目標は

・郡の担当者との打ち合わせ・・・材料・工法の話し合い
・村でのヒヤリング、作業人の調整
・左官材料の準備(土・竹・ワラ)
・その他準備(石・砂・セメントなどの手配)

この次(12月20日頃)までに戻る予定です。
また、現地からも時折報告できると思います。 (す)


11月29日(火) モンの年末 安井清子

 あと2日でモンの正月。今年は12月2日が新月。1日が、30日目の月。その日が、いわば大晦日で、あれこれ新年を迎える儀礼がある。けれど、もうすでに、村は毎日、数軒の家が、豚をしめてはご馳走(といっても、豚と青菜の汁ばかりですが・・・)を作って、人々はあっちゃこっちゃを回ってご馳走を食べている。
「昔はね、モンの村にはもっとたくさん豚がいたから、もう正月の10日前くらいから、みんな呼び合って、ご馳走を食べていたものなんだよ。今は、村に豚が少ないから、数日前からだけど・・・」と、サイガウ婆さんが言う。
 私は今まで、難民キャンプのモンの人たちや、ビエンチャン郊外に住む帰還難民の村で、お正月を迎えただけなので、ご馳走はお正月を迎えてから食べるものだと思っていた。が、元来は、稲刈りを終えたお正月前後、一番のんびりする時に、みんなこぞって、普段は食べない豚をしめて、ご馳走を作るのだろう。
  ただ、料理方法のバラエティはないから、どこへ行ってもおなじメニュー。
「モンは普段、野菜しか食べないからね、お正月にうんざりしちゃうほど、肉を食べるんだよ」と。
 豚はしかも脂身だらけ。モンの人たちは、いざ、これから食べるぞ!という豚には、トウモロコシをうんと食べさせて、脂身を増やす。
「なんで、脂が好きなの?」と聞くと、「滅多に豚はしめないからね・・・脂はずっと取っておけるし、その後、野菜を炒めたりして食べられるから」と。

 さて、今日朝、ノンヘート(麓の町)に下りた。ノンヘートでこのサイトを更新したり、電話をかけたり、買い物ができる。今日は、晋作くんが来ると思って下りたのだが、電話してみたら本人が出た。まだビエンチャンにいる。少しがっかりしたが、明日来るはずなので、正月には間に合うだろう。帰りは女の人たちと歩いて、村まで帰る。2時間弱。少しずつ、村の人たちと時間と空間をともにしてきているようで、嬉しいような、私は、何で今頃こんなことをやっているんだろうか?と、そんな気もする。
 村が見えた。この3月に村に来た森田君が、「7人の侍」の村みたいだと言ったが、歩いて到着すると、山間に肩を寄せ合うように集まった家々から、侍が出てきてもおかしくないような、確かにそんな気がしてきた。

 午後、買ってきたゴザを広げて、かごに入れた本を持っていって、子どもたちにお話をする。実際ゴザを広げてみると1枚では、小さすぎて、結局半分以上がはみ出して、絵本を、結局まっくろな手で見ていた。手を洗え!と言っても、近くに水がないんだから・・・なぁ。やっぱりバケツを買ってくるかな。ゴザもあと2枚はいるなぁ・・・・と思う。
 お話の本だけではなく、動物の絵本も入れてみたが、大人も一緒になって、
「それ何だ?世の中にはいろんな動物がいるもんだなぁ。へぇ」と言って見ていた。これから、毎日数時間ずつでも、やっていこう。私もあれこれ、話せるように準備しなくちゃいけないし・・・なんだか、バンビナイで活動を始めた頃の気分がよみがえってきた。 (や)
 

11月30日 いざG村へ 鈴木晋作

 前日午後3時のバスで、ビエンチャンを出発。午前2時にシェンクワン中心の主要都市間バスターミナル着。午前6時、バス停にビエンチャンから運んだ荷物とバイクを受け取りに行く。
 ノンヘートの市場前から、10時頃まで、町を散策。建材屋、市場で材料・道具を眺め、価格調査。バイクに載せられそうなものは、購入。ビエンチャンに匹敵する品揃え(といっても限られている。20軒有っても、同じような品揃え)で、中国製品は少ない代わりにベトナム製品が多い。セメント、網等一般的な材料は、ラオス製、タイ製、ベトナム製が混在。
地の利を生かして、材料、消耗品に関してはかなりベトナム製が普及している。タイ製品は信頼厚いが、輸送料の面から割高感が強い。材料の調達に関しては、ベトナムの近距離圏を視野に入れる必要もあるか。
 特に屋根材は、選択肢が限られる。村の茅葺(日本とは、天地が反対で熱帯地域に多い「逆葺き」)をそのまま使うのでは、多方面で了解が得られない。日本の方法の応用も考えられるが、それが主題になり、今年はその研究で終わってしまう。事後経過も数年は見ないといけないだろう。村で瓦を生産(木板、粘土焼成瓦)することもこの一年目は難しい。ラオス(もしくは隣接する国)のプリミティブで耐久性、応用性のある屋根材料はないだろうか。一見、信用性を帯びた匿名的な「プロダクト」(もしくはそれが持つ資本主義的な政治性、大体において有害、土に還らないもの)はできるだけ避けたい。

 午後1時半、ノンヘート着。風焼けした安井さんの出迎え。2週間ぶりのG村へ。これからしばらく滞在することに。  (す)


つづく

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