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2005年11月はじめより、ラオスに来ています。ここでは、山の村での日々を中心として、日々のできごと、思いを、ありのままに書いていきたいと思っています。
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2006年2月  
 山の村では、スモモの花が散り、桃と梨の花が同時に咲いています。人々は、本格的な農繁期に備えて、畑の準備をはじめています。村の人たちも忙しくなりつつありますが、私たちの図書館の準備小屋?の建設も、そろそろ材料もそろい、ようやっと本格的にはじまりつつあります。
 
 色が変わっている日にちが読めます
活動日誌
2月14日(火)虎の罠を見に行く
 
先日、ニア・ノーポー(ノーポー夫人)の家を訪ね、火を囲んで話している時、
「娘がね、薪取りに行ったら、トラの罠があったっていうのよぉ」と、ニア・ノーポーが言う。
「えぇ?だって、この村にはもうずっと昔からトラは出ないっていうじゃないの。どうして罠なんか、あるんだろう?」
「きっと、ダー(霊、おばけ)が作ったんじゃないの?」
とニア・ノーポー。旦那のノーポーは元々無口な人だが、ただ黙って座っている。
「じゃあ、今度連れて行ってよ。見たい」と言うと、
「見に行ったら、ハッハッハ、日本人が罠にかかるかもよ」とニア・ノーポーは豪快に笑う。
「もし、日本人が捕まっても食べないでね」と言うと、
「食べるわよ。罠に引っ掛かった獲物は食べるわよ、ワッハッハ」
彼女はまたまた豪快に笑った。
 トラの罠というのは、ニア・ノーポーがまだ小さい女の子だった頃、お父さんたちが作るのを見たことがあるという。その頃は(30〜40年前)、ラオスの山にはトラがいた。トラは家畜を襲い、また、サルがたくさんいて、畑のものを食べに来たという。そこで、男たちは、罠(檻を作り、中に食べ物を置いて、食べ物を食べに入ると、入り口の柵がしまるような仕掛け)を作ったという。その話を、先日ニア・ノーポーが話してくれたのだったが、でも、まさか、今、村の中にあるとは・・・・
 ということで、今日、娘のネンたちが、薪取りに行くのに、私とニア・ノーポーがついて行った。彼女も、自分が小さい頃に見た罠と同じかどうか、確かめたいのだという。
 村はずれの山の斜面を少し入ったところに、あったあった。虎の罠・・・そこら辺の枝を伐って作った檻であった。でも、入り口の柵が落ちる仕掛けは、すでに、やんちゃなモンの子どもたちが触って落ちていた。
「これ、確かに虎の罠よ。ちょっと小さいし、いい加減に作ってあるけどね」
とニア・ノーポー。
「でも、本当にいったい誰が作ったんだろう?」と言うと、ニア・ノーポーはクックックと笑って、「うちの旦那が作ったらしいわよ。話を聞いて、試しに作ってみたらしいわよ」と言う。
 妻が小さい頃見た虎の罠の話を聞いた夫、ノーポーが、子どもたちにも妻にも言わず、虎の罠を試しに作ってみたらしい。それを知らずに、娘が発見して、「わぁ、虎の罠が本当にある!」と、大騒ぎになったのである。その話が出た時も、何食わぬ顔をして座っていたノーポーが、実は作ったのだ。一人黙々と、「誰が発見するかな?」などと思いながら、一生懸命作っていたのか・・・と思うと、可笑しくなってしまった、(やすい)

2月15日(水) やっと木材が届く

  12月に注文していた材木の一部がようやっと届いた。やっと、これから本格的に作業が始められそうだ。

 トラックから木材を下ろし(手伝ってくれたのは、女の人たちと、子どもたち)、一息いれたら、もうお昼。
 最近は、みんな畑仕事で忙しいので、昼間は、私たちが世話になっている爺さん宅の、娘さんも嫁さんもいないことが多い。いるのは爺さん、婆さんと孫。「何でも勝手にお作り!」と言われ、お昼ご飯は、自分で作ることとなる。
 ちなみに、私は料理は嫌いではない。いや、日本にいたら、料理するのは大好きなのである。が、モンの村で、いざ作るとなると、薪で火をおこすところから始めなくちゃいけない。野菜も畑から取ってこなくてはいけない。勝手が違う・・・・料理好きだと思っている私でも、これまではなかなか料理ができなかったが、やっと最近、少し慣れてきて、多少は出来るようになった。
 でも、あれこれ作ってみたくても、実際にあるのは、庭に生えている野菜と、壺に入っている豚の脂と、塩である。私が作っても、決して日本料理にはならない。決してモンの料理に文句をつけたいわけではないが・・・・多少、自分たちの栄養バランスも考えなくてはいけないし・・・・今回、短期間であるが日本に戻ったので、あれこれ日本から材料を仕入れてきたのであった。「煮干し、鰹節、わかめ、味噌、しょうゆ」などなど・・・である。
 煮干しは、から煎りしてしょうゆをまぶすと、シンプルなものだが、カリカリっとして評判はいい。「これ、日本の魚よ」といばって言うには、ちょっと情けない気がするが。栄養的にはすぐれているはず。
 今日は、煮干しと鰹節をたっぷり入れたままの、カリフラワー(爺さんの家の庭に生えている)の味噌汁。カリフラワーの花と葉っぱのニンニク風味炒め・・・を作った。火を起こし、煤だらけの鍋に触るたびに手が真っ黒になり、「アイヤァー」と思い、なかなか思うように料理できないけれど、それでも、なんとかモンの家の台所で、火を起こし、料理が出来るようになっ。それが私は嬉しい。(安井)



2月17日(金)子どもたちと石を運びに行く。車は壊れる
 今日は、先日、G村からさらに歩いて1時間半ほど、奥に入った村へ石を運びに行く。石は、先日、サイガ爺さんと晋作氏が、二人で、平たい石を切りだし、割って準備してある。
 以前も村の人々が岩を割って石にしているのを見て驚いたが、今回も、石を割り出すという作業を見て、すげぇこったな・・・と改めて思う。人の力で石を割り出すというのは、これまでの私の生活の中にはない。しかも、爺さんはもう80歳前だというのに、重い石を掘り出し、ほいほいと投げる。
 さて、集めた平たい石が約50枚。1枚が、10kg〜20kgあり、しかも石を集めた場所が、道路から1kmくらい離れているから、運ぶのが難問であった。
 そこで、村の小学校の校長に相談したところ、「高学年の子どもたちにやらせよう。その代わり、お菓子の一つもあげてくれよ」と承知してくれた。そこで、今日は、石運びの日となったのだ。
 子どもたちは、行きはトラックの荷台に乗ってやってくる。5年生と4年生38人。みんな山道を走って行くと、石を見て、「わぁ、こりゃ重いよ。わぁ、遠いよ」とは言うものの、みんなそれぞれ担いだり、袋に入れたりして、運んでくれる。「ニャァ〜(重いよぉ)」とは言うものの、誰一人途中で放りだすような子はいない。確かに石を持って1kmほどの道を2往復もするのだから、大変である。でも、さすが山仕事をしているモンの子どもたちだな・・・あっというまに運んでくれた。
 帰り道は、トラックには石が載ったので、子どもたちと私たちは歩いて戻る。2時間ほどか・・・・もうお昼の時間を過ぎている。子どもたちは歌を歌い、あちこちで食べられる茎を取って食べ、そして、「チャイチャイップラー(腹減った)から走ろう」と、バタバタ走って行くのだから、元気だ。
 さて、もう少しで村に到着、「車はとっくに着いて石は下ろしてあるだろう・・・」と思って道を曲がると、なんと車が道に止まっている。道が悪いので、車が溝にガタンとはまった時に、石にあたって、前輪あたりの部品が折れたという。というわけで、石をまた道ばたに下ろす。
 車は村の中で唯一使える車である。持ち主で運転手であるゾンガオは、壊れた部品をはずそうと車の下に潜り込んでいた。
「運んだ石のせいじゃないよ。これは、壊れるべきして壊れたんだから」と言ってくれたので、ほっとしたが、石が重いせいもあったろう。車にも災難なことだった。、
 やはり申し訳ないので、夜会いに行くと、「あなたたちのせいじゃないから、全然気にしないでいいよ」と言ってくれたが、その横で、家の婆さんが、「ゾンガオはがっかりして、ご飯が喉に通らないのよ」と言う。
 車は翌日直り、石も届いた。(やすい)

2月18日(土)水牛になる?
 12月に仕込んだ、土壁用の土であるが(粘土と、藁を混ぜて、寝かせてある)、久しぶりに水牛に踏んでもらうことになった。それに先だって、昨日暗くなってから、晋作氏が、土の溜池?の中にズブズブ入り、中に落ちている葉っぱやゴミ、石なんかを取り除いていた。暗くなっていたので、通りがかった子どもが、両手も土につけて這いつくばるように作業している晋作氏を見て、「水牛?」と聞いたので、思わず笑ってしまったのだが、晋作氏、「明日は清子さんの番だよ」と。
 さて、山の野原で悠々と草を食べている水牛をリー(サイガウ爺の孫)に連れてきてもらった。その前に、藁を3センチほどに鉈でぶった切る。慣れない手つきでやる私を見て、メドン(リーの弟、6歳)が、「ぼくも手伝うよ」と一緒に切ってくれる。
 さて、リーは水牛を連れてくると、嫌がる水牛を泥の池(直径2メートルくらい)に入れて、ズブズブと土を踏ませる。1ヶ月ほど前に混ぜた藁は腐って、ほのかに臭いが、土は柔らかく気持ちがいい。新たな藁をまいた土の上を、水牛はしばらくズブズブと踏んで、脚が土色のブーツを履いたみたいである。もういい加減疲れたようで、もう嫌だよぉ、嫌だよぉ、とつぶらな瞳が言っているようだ。
 水牛が出た後、今度は、短パンをはいた私が、ズブズブと土に入った。水牛が踏み残して、混ざっていない藁と土を踏んで行く。道行く子どもたちや人々が、「わぁ、水牛に踏ませないで、なんで、パヌンが踏んでるの?」と面白そうに聞くので、
「さっきまでは、水牛が踏んでいたのよ。私は今、水牛になる練習してるの。ンマァオ〜。明日、きっとパヌンはいなくて、その代わり1頭の水牛がサイガウ爺さんの家にいるからね。そしたら、その水牛をパヌンだと思って、かわいがってよね。食べたりしないでね」
などと言うと、子どもたち、面白そうにずっと見ている。
 私がぶきっちょにズブズブ土を踏んでいるのを見て、リーのお母さんが、ズボンのすそを上げて、一緒に土を踏んでくれた。水田の仕事で慣れているのか、土のこね方もずっと上手。二人とも泥だらけになったけれど、本当に小さな水牛になったような気分がして、大笑いしながら、ズブズブと土を踏んだ。ちょうど、通りかかった人々が呆れて見ているのが、可笑しかった。 (やすい)

月21日(火)
     本を借りにくる常連現る。いたずらっこ絵を描く

 数日前の夕方、家に戻ってくると、お客さんが待ってるよ・・・と。見ると小学5年生の女の子たち。どうせ、写真を撮ってくれ・・・ってことかな・・と思うと、「パヌン、本を見せて。本を貸してよ。私たち家に借りて帰って読みたいの」と言う。
 まだ、図書館も本棚もないけれど、木箱に本を入れて、爺さんの家の机の上に置いてあるのだ。本格的の貸し出し作業を始めているわけではないけれど、いつのまにか何人か、本を借りにくる人たちが出てきた。1人は若いお母さん。そして、この彼女たち。学校ではラオス語を勉強しているけれど、モン語も読めるという。ラオス語の本は薄っぺらい本しかないけれど、彼女たちはあれこれ題や表紙を見て、1人2冊ずつ持っていった。まだ、貸し出しカードも登録もしていないけれど、小さなノートに
「自分の名前と本の名前を書いて、今日の日付を書いてね」と言うと、ノートに1人ずつ名前を書き、本の題名を書き、「ありがとうね。明日持ってくるね」と帰って行った。
  きっと家で、暗い灯りの中、弟や妹にも、ラオス語で読んでは、モン語でお話してあげているのだろう。まだ、何のシステムもできていないのだけど、こうして本を借りに来る女の子たちがでてきたのが、私はうれしい。

 私は看板作りをしていた。大した看板ではないが、「建設中の木材の上に上るな」というもので、ベニヤ板に絵の具で、子どもとサルが木材の上で遊んでいる絵を描いたのであった。私が1日中、お絵かきをしていているところに、サイガウ爺さんの孫のトゥ・ローとがやってきた。「絵、描く?」と聞くと、「ぼく、描けないよ」と言う。「描けるよぉ。何でもいいんだよ。花でも山でも何でもいいんだよ」と言うと、しばらくすると、トゥ・ローは花をたくさん線だけで描いた。「わぁ、描けるじゃないのぉ。すてきだよぉ」と言うと、今度はトゥ・ローは黄色と肌色で丁寧に塗った花を描いた。そして、今度は人も描く。「ぼくね、さっきまで絵が描けなかったんだよ。でも、今、絵を描くこと知ってるよ。花と人が描けるよ。さっきまで絵の描き方知らなかったんだよ。今知ってるんだよ」と何度も何度も言う。「でもね、ぼく水牛や牛はまだ描けないなぁ」と言うので、「じゃあ、そうねぇ。ひよこは?」と言うと、「ひよこは・・・・ひよこなら描けるよ」と、小さな小さな線を描き「脚だよ」と。そしてその上に小さな四角をかいて、「ひよこの描き方、ぼく知ってるよ」と。
 隣の家に住む、やはり爺さんの孫のメドンが駆けてくる。メドンも「ぼく、絵かけないよ。絵の描き方知らないよ」と言う。トゥ・ローが、「ぼくだって、さっきまで知らなかったんだよ。でも、もう知ってるんだよ。花と人とひよこだよ」と言うと、メドンもクレヨンを握って紙に向かった。メドンは木を描いた。「これ、根っこだよ。これ、大きい木なんだ」と。紙いっぱいに、最初は黄色一色で、次はピンクで、何枚も木の絵を描いた。  (やすい)

2月22日(水)  カレーを作る
 最近、爺さんの家の娘シェンや嫁のニア・ワァが畑で忙しい。夕方遅く戻ってきて、それから食事の支度をするときなど本当に大変だ。でも、シェンは料理が上手なので、本当に私たちは、素朴ながらもおいしい食事を食べさせてもらっている。
 でも、今日は、私がカレーを作ることにした。先日、晋作くんがポンサワンから、じゃがいもやタマネギを買ってきてくれたので。
 とにかく、フゥフゥ吹いて火をおこすこと、そして、焦げだらけの鍋に触るたびに手がまっくろになり、それでまた服など触ってしまうと、真っ黒になること・・・そんなことをイチイチ毎回繰り替えしながら・・・なんとかカレーを作る。モンの人が食べられるかなぁ・・・と心配で、中辛で作ったけれど、まぁまぁ、それなりにみんなお世辞だろうけれど、「カッカー(おいしい)」と言いながら食べてくれた。でも、部屋が暗いので、黄色のどろどろが見えなかったこと・・・もよかったかと思います。初めて見たら、やっぱり食べにくいのではないかな?
 ヨーグルトを入れたり、香辛料を入れたり、そんな味を微妙に調整することもできないし、とにかく気合いで作った?山の合宿的気分のカレーでありました。(やすい)


2月25日(土) 米の差し入れ

 ニア・ノーポーを、最近見かけなかったが、先日会ったら、激烈に歯が痛くなって、ノンヘートへ行って歯を2本抜いたのだという。その日の夕方覗いたら、「まだ歯が痛い」と言う。
「間違えた歯抜かれちゃったんじゃないの?」
「うーん、そうかも・・・・あぁ、歯なんて全部抜いちゃいたいわ。そしたら、こんな苦しみ味あわなくてすむ」と。
 モンの人は(というよりも、ラオスでは)歯が痛いと、抜いてしまう。歯医者はやっとこを持った人のことである。(というに等しいかと・・・)さて、ニア・ノーポーはまだ治らぬ歯痛に耐えきれず、今日また行って、今度は歯を3本吹いてきたという。
「あぁ、すっきりしたわ。もう元気よ」と、彼女はガハハといつもの豪快さで言うと、「はい」と餅をくれた。「差し入れよ。スズキとお食べ」。
 最近、ふと立ち寄っては差し入れをしてくれる女性たちがいる。以前、ニア・ノーポーは米を1袋(10kgくらいか)を背負ってきて、差し入れてくれたが、昨日は、ニア・ワートンが、そして、ニア・ノーワァも、米を小さな袋に1袋ずつ「お食べ」と差し入れてくれた。「私たちは、大した手伝いができないからね。何もできないけど、ちょっとだけど食べてね」と言ってくれる。そんな気持ちは嬉しい。(やすい)

2月26日(日) 子どもたちと「つみき」を塗る
 つい数日前から、大工仕事をする男性、ノーポーとジュアテンの2人に、まず、子どもたちが使う低い机や椅子を作ってもらっている。
 晋作氏の方は、トゥンザウ、ゾントゥアと共に、オンドルを試作している。先日、学校の子どもたちに運んでもらった平たい石はここで活きるわけである。
 私は、机を作るのに出た木くずを拾ってきた。四角や三角の木ぎれ。また、凝り性のノーポーが机の脚に丸く切り込みを入れているので、半月方の木くずも出た。
「積み木になりそう」と、拾って、紙ヤスリをかけると、水彩えのぐで色を塗ることにした。黄色を塗っていると、すぐにアンツァイ(女の子)が寄ってくる。
「やる?」と尋ねると、「うん」と。メドン(男の子)も寄ってきて、「ぼくもやる」と。2人とも、まだ1年生で、えのぐを使うのは初めて。手をえのぐだらけにしながらも、丁寧に結構きれいに塗っていた。遊びじゃなくて、パヌンの仕事を手伝っていると思っているからだろう。よっぽど楽しかったらしく、いくつもいくつも色を塗りたがった。
「何やってんの?色がもったいないよ」と言う子もいるが、じきに、「積み木」として小さな子どもたちが遊べればいいな・・・と思う。家と同時に、こうやっておもちゃが作れていくのは、楽しいな・・・しかも、子どもたちが自分たちで塗った積み木なのだから、面白いんじゃないかな。(やすい)

 木ぎれにいろを塗るアンツァイとメドン 


 作ってもらった机を使って、みんな一生懸命おえかき 


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