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2005年11月はじめより、ラオスに来ています。ここでは、山の村での日々を中心として、日々のできごと、思いを、ありのままに書いていきたいと思っています。
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2006年3月  
 3月。乾季の終わりですが、ここのところ、日々雷鳴が轟き、にわか雨が降ります。ふと気がつくと、急に緑が美しくなって、まるで新緑の季節ようです。緑が美しいのは、雨で乾季の間にたまった土埃が洗い流されたせいもあるかもしれませんが、日本の春と同じこの時期、乾季を過ごした枯葉たちが落ち、雨季をまじかに、新しい芽吹きがはじまっているのですね。
 
 色が変わっている日にちが読めます
活動日誌
3月2日(木) 続行
 
「続行」といきなり書いても、もちろん、わからないだろうけれど・・・・・実は2月末に一度、今回の建設を着工するのをやめて、来年に見送ろうか・・・という話になっていた。実は、木材もまだ全部揃っていないし、それに、村で大工仕事のできる人たちが、他の家作りに出かけていて、なかなかスケジュールが合わない・・・などなどの理由から、今年作るのは難しいのではないか・・・と話しあっていた。ビエンチャンから来た担当のお役人、ソムトン氏も一緒に話しあった結果、来年に持ち越そう・・・・と一時は決まりかけていた。..
 でも、いざ、そうなってみると、大工仕事ができるノーポーやジュアテンが、一時期ではあったけど戻ってきて、「やるよ!」と、カンナかけや、私が頼んだ机や椅子、本棚をつくってくれたり、晋作氏と一緒に、オンドル作りをやるトゥンザウやゾントゥアも、とても一生懸命仕事をしているし・・・・・今年やらないのは惜しいなぁ・・・と思えてきた。しかし、また、ノーポー、ジュアテンともに、まだ途中である建設現場に戻ることになってしまった。やっぱり無理か・・・と思う。しかし、
「今年やるんならね、ぼくたち、大急ぎで10日で仕事を片づけて戻ってくるよ。そうしたら、一緒にやるよ」と言ってくれる。また、村長も、ぜひ今年やってくれと言う。
 そんなことで、3月2日の朝、村長と話しながら
「やっぱり、今年やろうか!」という話になったのであります。一度は、「あぁ、もう帰るのかぁ」と思いましたが、いやいやまだまだ帰れまへん。がんばります。(やすい)


3月4日(土) ナーリー絵本を見る
 爺さんの孫娘、3歳になっているか?というナーリー。爺さんの家の机の上に置いてある絵本をあれこれ引っ張り出しては見る。
 「ガンピーさんのふなあそび」、「おとなしいめんどり」などの絵本は、話すとよく聞いている。動物の鳴き声をすると、まねをする。「おとなしいめんどり」の絵本のめんどりがお菓子を持っているページでは、乗り出してきて、めんどりにキスをする。きっととても好きなページなのだろう。
 自分であれこれ絵本を引っ張り出してくるが、急に絵本から遠ざかって、「うぇ〜ん、へぇ〜ん、へぇ〜ん」と言い出すので、何かと思うと、「サルとワニ」の絵本。ワニが怖いのである。「3びきのやぎのがらがらどん」を話そうとしたら、やっぱり「ひゃぁ〜、うぇ〜ん」と怖がる。何かと思ったら、そうか、トロルが怖いのである。それでも、「シャイ(見る)、シャイ}と言いながら、ずっとページをめくり続ける。つきあっているとエンドレスである。でも、本当に村で、図書館の活動が定着していくとしたら、このナーリーの世代なのかもしれないな・・・なんて思いながら、お話をしていた。(やすい)

3月5日(日) 子ども小屋(臨時)を作ってもらう
 晋作氏は、昨日ノンヘートを発って、本当に1週間ほどでせわしないが、日本へ。安井が村に残っている。
 以前から欲しかった「小屋」を作ってもらう。もちろん、図書館ができるまでの、一時的な「小屋}である。柱と茅屋根だけの小さなもので、小屋というより、日よけ・・・東屋と言った方が適切かも・・・
 ゾントゥアとワクゥという2人の男性が、午前中は竹や木(薪にするような木の少し太いもの)を伐ってきて、昼前から柱を立て、あっというまに作ってくれてしまった。残るは茅屋根だけ。茅も山から刈って背中いっぱいに背負ってくると、どんどん屋根に編んでいく。本当に小さくて、壁もない小屋(屋根と柱)だけど、やっとスペースができる。ゴザをあちこちに敷いては活動するゴザ難民から仮スペースだけど、定住へと格上げされた気分。
 私自身は、先日作ってもらった本棚を塗る。少し楽しくしたいな・・・と思い、水彩えのぐで、花模様など描き始めたら、消すに消せないし、いい加減にも描けないし、下手なりに一生懸命描いている。モンの人は、絵を描く人などがいないので、みんな「ジョンゴォー(きれい)、あんた何でもできるのね」などと、お世辞を言ってくれるけれど。モンの人からしてみれば、「棚に模様を描いたところで、何の役にも立たないし・・・なんて暇なこと!」と思うだろうなぁ・・・と思いながらやっている。機能的には増すわけでもなし・・・ただ、子どもの場所には、一つ一つ丁寧に作ったものを入れていきたいな・・・と思う。モンの人の住む場所なんかは、(失礼だけど)、雨風が避けられて、寝られればいい・・・という家であり、居心地とか気持ちいいとか、きれいとか・・・・そういうことまでは、とても考えられていない。だから、今回作る子どもの図書館は、そんなことも考えてみたい。

 ここのところ、村ではおかずがない。乾季の終わりで、野菜がほとんど枯れてしまっているからだ。爺さんの家他、数軒の庭には、キャベツが植わっているが、キャベツが今のところ、唯一元気な野菜である。普段は野菜が豊かな爺さんの家でさえも、キャベツしか残っていないのだ。
 爺さんの家の献立も、キャベツづくしだけれど、豚脂で炒めたキャベツはなかなかおいしいし、ただ煮ただけのキャベツとその汁もびっくりするほど甘くておいしい。
モンの人々が豚脂を大切にするのが、よくわかる。とにかく、豚脂でカロリーが何とかなる。
「うちは、まだいいのよ。キャベツさえない家は、ご飯と唐辛子。唐辛子もなくて、ご飯と水だけの家もあるよ」とのこと。
 1日に何回か、この家にキャベツを買いに来る人がいる。1個1000キップ(10円ほど)、一つ二つ買っている。何日かぶりのせめてのおかずになるのだろうか?
 雨が降り出すと、またあれこれの野菜ができてくる・・という。そうとなると雨が待ち遠しい。(やすい)

上.小屋を作ってくれている二人と手伝ってくれている通りかかりの人


3月7日(火) 子ども小屋オープン?
 小屋はできたけれど、子どもたちは学校へ行っているし、小屋は茅屋根と柱だけで、当然何も置いていない。
 学校から帰ってくる子どもたちがびっくりするように、準備をしておこう・・・と、10時過ぎから、1人、ゴザを敷き、本棚を置き絵本を並べ、また布製の状差し状の本入れを、すぐ隣にある豚小屋の柵にかけ、ラオス語のぺらぺらの絵本はそちらに入れ、机を二つ並べ、小さな図書館?に整えた。
 豚小屋には、昨日生まれたコブタが7匹いて、かわいらしい。風向きによっては、ほのかに豚の香りがする。
 小学校の鐘がなる。子どもたちがそろそろ、家へと向かう時間だ。子どもたちの一団がやってきた。「わぁ、パヌンの家だ」と、彼らは言うと、走ってきた。
 ところが・・・である。その時同時に、一天にわかにかき曇り・・・・・・・村の北側の山から白い雲が煙のようにもくもく沸き起こり、サァーッと一陣の風が吹き下ろし・・・・今にも、ザァーっと大雨がやってきそうな気配。いくら屋根があるとはいえ、壁はない。横殴りの雨がきたら、びしょぬれである。
「わぁ、大変。早く早く、片づけなくちゃ。みんなもずぶ濡れになるよ。家に帰って」と言うと、子どもたちもわぁ〜っと駆けていく。私はガオジェと一緒に、本を取り込むと、箱に入れ、二人で彼女の家へと非難させた。
 大雨!と思ったら、なんてことはない。一陣の風が吹いたら、その後、うそみたいに晴れてしまった。まったく、空にからかわれた気分である。子どもたちが戻ってきたので、ゴザを敷いて、本箱を持ってくると、さっそく本箱から本を取りだして読み出す。せっかく作ってもらった本棚や机は出さないまま、ゴザの上に子どもたちが座り込んで、絵本を見ていた。子どもたち、午後の授業が始まる1時ぎりぎりまでいて、そのまま学校へ戻る子もいる。昼飯は食べないのか?昼飯より本の方が面白いのか・・・
 午後はおえかきと絵本。子どもたちが、「私たちが運ぶから絵本を見せて」と言うので、重たい絵本箱を持ってきてもらう。「これ読んで」「あれ話して」と次々と出される絵本を、喉がかれるかというほど、つたないモン語で話をしては、「疲れたから、勝手に見て」を繰り返す。中学生の女の子が寄ってきて
「子どもたちがこんなにたくさんで、早く本当の家ができるといいね」と言って行った。うれしかった。
「いい加減に帰って仕事しなさい」とか、「水くみに行ったかと思ったら、ここで油売ってたの?」とか呼びにくる親もいる。横目で見ていく人もいるし、そのまま立ち止まって、子どもたちと一緒に絵本を見ていく人もいる.。

 
上.できた子ども小屋にゴザを敷いて低机本箱、絵本棚をセッテイィング。
   学校帰りの子どもを待つ


 朝のおかずは、昨夕、嫁のニア・ワァがたくさん採ってきた、さや豆であった。豆が大きくふくらんで、ほとんどがグリーンピースになっている。「わぁ、久しぶりに、豆だぁ」と、私はうれしかった。ニア・ワァも「おいしいよ。食べるものがないから、ゆでて食べよ」と言った。私は、豆ご飯にしたら、おいしいにのいなぁ・・・と思ったのであった。今朝のおかずに、そのゆでたグリーンピースとサヤエンドウが出た。でも、娘のシェンはとても不満そうに
「種にしようと思っていたのに、こんなに取ってしまって、どういうつもりかしら?」と言う。ニア・ワァはいなかったので、本人はもろに怒って言っていた。そうか、おいしいグリーンピースは来年用の種だったんだな・・・と思うと、少し複雑な気持ちで、食べた。(やすい)


3月8日(水)
    トウモロコシ倉に子どもたちの絵を貼る
 
今日はラオスでは、インターナショナル・ウィメンズ・デイとやらで、女性の日なのである。日本にいる間は知らなかったが・・(本当に国際女性デー?日本は、インターナショナルではないのだろうか?) さて、この日は、女たちがドンチャカおおっぴらに遊んでいい日なのである。といっても、村の中では全然関係がないが・・・女性の先生がいる小学校はお休みであった。
 学校がある日は、11時前頃に子どもたちが群れをなして、学校から家へと帰るので、その時、ゴザを敷いて本を出しておくと、大勢の子どもたちが本を見ていく。でも、お休みの日は、それぞれが畑仕事に行ったり、山に薪を取りに行ったり、あれこれ子どもたちも忙しい。子ども小屋の辺りも閑散としている。
 11時頃、小屋に行き、ゴザを敷くと、近くにいた女の子たちがさっそく寄ってきた。
「絵を描きたい。絵を描きたい。私、たくさん絵を描きたい」と隣の家の兄妹たちを中心にやってくる。この兄妹のお父さんは、大工仕事を得意としているが、兄妹たちも美術系?なのか、お絵かきが好きなようである。兄は、??ライダー、学校、龍の絵、妹は花や女の子の絵を何枚も描く。他の子どもたちも集まってきた。
 私は、これまでに子どもたちが描いた絵を、貼り出すことにした。今の仮小屋には壁がないから、ここの梁に貼ると風でなびいてしまうので、ちょうど隣にある、リーたちの家のトウモロコシ倉の壁に貼らしてもらうことにした。「倉の壁に絵を貼るなどいうことが、ジャイ(モンのタブー)ではないよね?」と、リーに聞いてみたら、「いいよ」というので、私はわずかなスペースの足場に上って、スパイダーマンのようにはりつきながら、子どもたちの絵を貼った。落ちたら洒落にならないな・・・と思いながら。
 村の中のトウモロコシ倉の回りにぐるりと貼りめぐされた絵を、子どもたちや大人たちが見ている。ちょっと面白い光景であった。
 ただ、せっかく貼ったのに、夕方から雷鳴が轟き、夕立になってしまった。絵はずぶ濡れになってしまったはずである。(やすい)


上.布の絵本立てにラオスの絵本を入れる


上.場所ができると学校帰りの子どもがいっぱい集まってきて、               外に溢れてしまった。西日が射し込む。


3月9日(木) ポンサワンに出てきた
 村の中にちょうど1ヶ月滞在していたわけだが、今日、朝の乗り合いトラックバスに乗って、県の中心地の町ポンサワンに出てきた。ちょっとあれこれ雑用がある。
 ここは元々、戦後開かれた町のようで、なんだか開拓地のような雰囲気で、しっとりとした情緒などはないが、今は道路工事に建設ラッシュ、セメントと砂とレンガがあちこちに積まれ、ますます土埃だらけで、あまり、落ち着かない。
 といっても地方の田舎町なのに、村から出てきた私には、物が溢れかえっているように見えてしまう・・・・・いやはや、東京生まれ東京育ちの都会っ子のはずの私だが・・・・ラオスの片田舎の町でおのぼりさん気分である。
 1ヶ月ぶりにお湯のシャワーを浴び、冷たいビールを飲んだ。これだけでちょっと、贅沢な気分。明日はまた村に向かいます。(安井)

3月10日(金) まだポンサワンでうろついてます
 さっそく村に帰ろうと思ったけれど、昨晩から妙に疲れが出てきて、せっかくの町なのに、胃の調子もおかしい。町の食堂で食べても、1人で食べるのは何だかおいしくない。村の食事は、何もないし素朴だけど、結構おいしい・・と妙に恋しくもなる。まぁでも、今日の午後便では村にはたどり着けないかもしれないし、もう1泊して少し休んで、明日朝帰ることにした。(やすい)


3月11日(土) ムゥジェー 家へ帰る
 朝のバスで、ノンヘートへ。土曜は市場がある日なので、たくさんの村人たちがノンヘートへ下りてきている。うまくしたら、車に乗って帰れる・・・と期待していたが、バスが着いた11時には、すでに閑散として、車もなかった。
 しかたないので、歩いて帰る。
 バッグを背中に背負い、強い日差しの中、傘を差して1人で歩いていると
「パヌン、ムゥダッチ?ムゥジェー ロー?(パヌン、どこに行くんだい?家に帰るのかい?」と、村の人に声をかけられる。「うん、あなたはまだ帰らないの?」「あぁ、先に行っておくれ」
 そんな会話をしながら、このラオスの片田舎の山道を歩いて、私は我が家(今の・・であるけど) に帰っているんだな・・・と思うと、なんだかおかしくなった。
 途中、やはり歩いて戻る母娘に出会い、一緒に歩く。「あんた、1人で歩いていたら、眠くなっちゃうわよ」と、あれこれおしゃべりをしながら歩く。
 2時間弱であるから、そうも大したことはないが、さすがに日が強かったので、なんだかばててしまった。最後は、車道を離れて山道を歩くのだが、道を上ると、忽然と村が見える。「あぁ、家に帰ってきた・・・」とホッとした。

 どうも腹の調子が悪く、夜中中、何度も起きてはトイレに行くはめになる。
 月は12夜の月、半月を少し過ぎたくらいの月が、煌々と空高く上っていた。自分の影が地面に映る。
「半月でこんなに明るくて、自分の影も見えるなんてことを、東京にいたら感じることはないだろうなぁ・・・月はこんなにも明るく闇を照らす」と、あらためて思う。月は少しずつ傾き、夜明け方西の空に沈むと、一気に星が見え始めた。
 夜中の2時半頃、一番鶏(?一番鶏は夜中の12時過ぎには鳴くので、2番鶏かもしれない)が鳴く。パタパタパタ・・・・・と羽ばたく音が聞こえ、その後、コッケコッコーと。すると、近所の鶏に伝わっていき、まるで、波のように村中の鶏が次々と鳴く。3番鶏、4番鶏・・・と何度か、鶏たちのコケコッコーの波が響く。
 もう朝が白みだそうという頃には、もう村中が、わさわさと音に包まれる。鶏の鳴き声、ヒヨコのピヨピヨいう声、豚が餌を待っている鳴き声、牛の鳴き声、牛の鐘の音・・・人々が石臼をゴォゴォーと回している音・・・人々の話し声・・・が、まるで一気に湧き出たように村中を包むのである。さぁ、そろそろ私も起きなきゃ。
 また、村の1日が始まる。(やすい)
 
3月12日(日)  トン・ガオジェおおいに手伝う
 朝、引き続きだるかったが、サイガウ爺さんの孫たち、ガオジェ(タイトル写真左)とトン(同右)、末弟のメドンたちにあったら、なんだか元気になってしまった。母と兄弟たちは畑に行くはずだったのだが、私が、「よかったら、水牛連れてきて、土踏みをやってもらえないかなぁ」と言うと、「じゃあ、今日は畑行くのやめたわ」とお母さんが言う。「あんたたち、パヌンの手伝いしなさいよ」と。母に言われなくても、この兄妹たちは、いつも私たちの手伝いをしてくれる。
 まずは、わらを刻む。トンとガオジェ、私などよりずっと手際よく刻むのを手伝ってくれる。ではその間に・・・と、前からやらなくちゃいけない・・・と思っていた、ドラム缶(水溜用に買ってあった)の内側の底にこびりついている油を、砂でこすって落としていると、トンが来て、「ぼくもやる」と、中に入って、一生懸命こすってくれる。ドラム缶の中に頭を突っ込んでいると、油臭くて頭が痛くなりそうなのに、一生懸命やってくれ、きれいになった。こんな時、大人はたいてい見ているだけで手伝ってくれないのだ。子どもたちの方が、すぐに手伝ってくれる。
 さて、その後、土プール(土壁用の土とわらを混ぜ込で仕込んである。3ヶ月前に村の人々と協力して作った)の土を被っているシートをはずして、土の中にズボズボっと入る。私は短パン、脚の上の方まで土にのめり込んでしまうのだ。土の中に落ちた枯れ葉やゴミを、水牛が踏む前に取り除いておかなくちゃいけない。すると、ガオジェとメドンも、「私たちも手伝うよ」と入ってくる。土はズボズボとぬめりこむ。ズボズボズボボボ、グニョニョニョ・・・と音がする。ガオジェは「葉っぱを取るのね」と、取ってくれているが、メドンの方はズブズブ土に入って大喜びである。結局二人とも、土を投げ合ったり駆け回ったり大騒ぎして、土だらけになった。私もである。回りには、観客の他の子どもたちが座って、半分うらやましそうに、半分後込みをしながら見ている。他の子に呼ばれると、ガオジェは「今、パヌンの仕事しているから、後でね」と言っては、メドンをきゃあきゃあ追い回している。
 その後、彼らはお母さんの手伝いで、石臼で大豆を挽きに行った。今乾季の終わりで、野菜が枯れて不足している村では、人々はこぞって、大豆を挽いては豆腐を作っている。彼らの家も、もうおかずにする野菜がないのだ。石臼を回すのも、結構な力仕事で疲れる。私は水くみを手伝ってもらおうかな・・・と思ったけれど、さすがに悪くて、バケツと天秤棒を借りて、自分で水を汲んでは、土プールに運んだ。ガオジェが「足りなかったら、後で水くみ手伝うよ」と言ってくれる。水くみも疲れるけれど、私は最近、天秤棒で水を運べるようになったので、それがちょっと嬉しくて、子どもみたいにやってみたいのである。
 夕方遅く、トンが山の草場から水牛を連れてきてくれた。水牛に乗って、「来たよ」とぬっと軒下に現れた。水牛は大きく、その上に乗っているトンは誇らしそうであった。水牛はさっそく、バリバリ草を食べている。水牛を連れて土プールに行く。トンが「パイ(行け)ハーッシュ}などとかけ声をかけると、水牛は嫌々ながら土の中にズボズボっと入っていく。水牛は重いので、脚の上の方までズボズボ入ってしまう。「冷たいから嫌なんだよ」と、トン。でも、嫌がる水牛を何周も往復させて、土を踏ませてくれる。小さな土プールの中で、大きな水牛が立派な角をふりふり、大きなお尻をふりながら、ズボズボ歩く姿は力強く、なんだかユーモラスでもある。
 トンとガオジェたちのおかげで楽しい1日だった。体調の悪さももふっとんだのであった。 (やすい)

3月13日(月)  再び寒くなる
 朝、うとうとしていたら、トンの「トゥア・アァ ライ(土踏みするぞ)」と言う声で飛び起きた。まだ薄暗い。トンは学校へ行く前に、朝、もう一度、水牛に土を踏ませ、そして山の草場まで水牛を連れて行くという。私も飛び起きて、土のついたTシャツと短パンをはき、コンタクトレンズだけ入れて、走っていく。
 水牛は、「本当にもう嫌だなぁ、もう」という顔をしながら、それでもズボズボっと土を踏んでは、また「嫌だなぁ、もう」というそぶりを見せながらも、トンに「パイ、ハーッシュ」と言われて、仕方なく何回か土を踏んでくれた。水牛が立ち去った後、私が今度、水牛が踏み残して、藁と土が混ざっていないところを踏む。朝もはよから泥だらけである。ついでに雨まで降ってきた。朝もはよからびしょぬれである。水くみから戻ってきたガオジェがちょっと見ていたが、「あたしもやる」と、また一緒に入ってくる。「いいよぉ、学校でしょ?」と言うが、「だって、おもしろいんだもん」と、またまた一緒に泥だらけになって土踏みをしてくれた。
 この朝は、全然寒くなかったのだが、その後、時間が経つにつれ、どんどん冷えてきて、再び霧がたちこめて、本当に寒くなった。あんまり寒いので、ついつい1日家にいてしまった。
 私の腹はもう全快で治ったのだが、今日はガオジェのお母さんがお腹を壊しているという。夕方、ガオジェに「薬、取ってきてよ」と頼んでいるので、一緒に行く。山道に生えている、なんということない草である。白い花が咲くそうだが、今は花はない。ガオジェは見分けて摘んでいく。「ほらね、こうやって、むしゃむしゃ食べちゃえばいいのよ」と、いきなり草を、ウサギみたいにむしゃむしゃ食べた。煎じたりするわけではなく、これは、むしゃむしゃ食べてしまえば、お腹はよくなるのだという。私もむしゃむしゃ食べてみた。少し苦い。今度腹を壊したら、(滅多に壊さないが・・・)この草の葉をむしゃむしゃ食べてみよう。ちなみに、ガオジェのお母さんのお腹も、この草で治ったとのこと。(やすい)

3月14日(火) 子ども小屋を開く
 さぁ、しばらく休んだので、今日こそは「店開き」をしなくては・・・・と。店開きというのは、作ってもらった日除け小屋に、ゴザを敷き、絵本を持ち込んで見せること。
 11時過ぎ、小学校の午前の授業が終わると、子どもたちが走ってくる。最初に来た女の子2人に「絵本の箱一緒に取りに行ってくれる?」と頼むと、いいよ・・・と走っていく。普段は、絵本はサイガウ爺さんの家に保管してある。店開きする時に、いちいち本を入れた箱を運ばなくてはいけないのだ。子どもたち50人くらい、狭いゴザにひしめいている。
 昨日の晩、これまでまだモン語で話したことのない絵本、「きつねのホイティ」のモン語訳を考えて、頭の中で練習した。今日の箱の中には、初めてその絵本を入れて置いたが、さっそくトンが抱えていて、「この絵本、ぼく聞いたことないよ。話してよ」と言う。初語り(語りというには、お恥ずかしいが・・・)である。キツネが干してある洗濯物の服を着て人間になりすまし、飯を食わせてもらう話だが・・・招き入れる女たちは、キツネだとわかっていて、笑いをこらえながらご馳走して、後で人間になりすましたキツネを大笑いする。キツネはキツネで、だましてやったり・・・馬鹿な女たち!と上機嫌・・という話で、絵もお話も面白いからだけど、子どもたちもくすくす笑って、聞いている。一気に人気本になった。
 私自身も、もう10数年以上前に、5年間、モンの子どもたちに絵本を読んで話していたけれど、あれ以来、本当にしばらくぶりである。少し練習したり、ちゃんと訳を考えたり、モン語ももう一度勉強しなおさないといけないなぁ・・・と思い始めた。お話のレパートリーも増やしていかないといけない。(やすい)


3月16日(木) 今日も子どもたちが絵本を見に来る
 今日は、やはり学校帰りの子どもたちが、100人くらいは来たろうか?
 来た子に、紙に名前を書いてよ・・・と言ったが、みんなすぐさまゴザに座り込み、絵本を見だしてしまうので、結局、1人しか名前を書いていない。まぁ、仕方ない。私もやっと少しずつ顔と名前が一致する子どもたちが増えてきたが・・・もっと名前を覚えなくちゃと思っている。
 いつもはすぐ、「話して、話して」なのだが、今日は、まずみんな自分たちでめくって見ている。お話をすでに聞いて知っているのは、自分でぶつぶつ言いながらめくっている。比較的大きな子どもたちは、ラオス語やモン語(アルファベット表記のモン語)を読んでいる。最初の頃は、大きな子でも、ラオス語は学校で習っているから読めるはずなのに、読むことになれていないせいか、意味をとってお話として楽しんで読むことができなかったようだが、最近、少しずつ読める子が増えている。
 しばらくしてから、「読んで」と、ジャ・ダー(ジャーといういたずら者が主人公である、とんち話)という、以前難民キャンプで、チューという少年が書いて、女の子たちが布に刺繍して作った絵本をデジカメで撮ってプリントアウトして製本したもの・・・モン語の絵本である。続き物で、全部で4冊あるのだが、私が読み出すと、回りを子どもたちが取り巻く。20人くらいか、4話目まで、よく聞いている。やはりモンの話は面白いらしい。
 ラオス語の絵本は貸し出しているが、今日は、10人ほどの子どもたちが(特に5年生)、2冊ずつ借りていった。2人は、午後すぐ返しに来て、また新しい本を借りていった。きっと、どんどん新しいお話を読みたいんだろう・・・
 日除け小屋での図書館活動は、まだまだ始まったばかりであるが、子どもたちが日増しに自分たちの場所として集まってくるようになってきた。(やすい)。

3月25日(土)〜3月31日(金)
 しばらく、日記を書く暇と余裕がなかった。
 まず、私たちが泊めてもらっている爺さんが、自宅の寝室部分を建て替えるため、26日に取り壊した。それに従い、いつもは寝室に寝ているサイガウ爺さん、婆さん、娘のシェン、嫁のワァと3人の子ども、甥のビーが、私たちが寝させてもらっている部屋・・・・(家は寝室以外ほどんど仕切られてれていない。大きな1部屋で、私と晋作氏は、部屋の西端と東端に置かれたベッドにそれぞれ寝ている。壁もカーテンもなく、プライベートはまったくない)に、一緒に寝ることになった。いつも使わせてもらっている大机は庭に出し、寝室から3つのベッドを入れて、とにかく、爺さん一家と私たちは雑居・たこ部屋状態である。というわけで、夜、あまりパソコンを打つような気分になれない・・・・夜中に3歳のナーリーが泣きはじめると、誰かがコンコンコンコンと壁を叩く。するとお母さんが
「ほら、夜泣くと、ゴォニア・デェンデェー(長い牙の)ポンゾン(妖怪)が来るわよ。ほら、壁を叩いている」と言う。少しだけ、ナーリーは泣きやむが、また泣く。すると、今度は「ミャォーン」と誰かがなく。「ほら、猫がきたよ。泣くのおやめ」と・・・・爺さんのいびきが聞こえ、誰かの寝言が聞こえる・・・・こんなプライベートがまったくない生活を、日本ではきっとできないだろうなぁ・・・・でも、ここでは何故か平気である。ここ数日は、末娘に、家作りを手伝いにきた婿二人が加わり、婿は軒下に置いたベッドに寝ている。荷物と人が入り交じって、もう何が何だかわからない。夜、寝ないわけにはいかないし、早朝、起きないわけにはいかない。私たちが机の上に、ろうそくを二つ並べてつけていると、婆ちゃんは、「まぁ2つもつけて、もったいない。明るいこと!」とか言うし、(たかが、ろうそくの灯火だが・・)、やっぱりパソコンを打つ気にはなれないのである。
 それに加え、23日ビエンチャン着、25日から31日まで村入りで、東北芸術工科大学の田口先生が、村に調査に見えた。泊まりは麓の町のゲストハウスだが、毎日通って、村で、モンの罠の復元をして記録をした。復元といっても、現役で使っているものも多いが・・・・・というわけで、安井は、ずっと田口先生の通訳兼コーディネートで、図書館作りの仕事はその間、お休み。晋作氏は、ノーポー、ジュアテンという二人の村の大工さんとともに、柱作り(合わせ柱)、梁作り(これも、長い材木が結局、足りないので、木を継ぎ合わせた梁)などの作業を進めている。

 クマ梯子、竹のねずみ罠、竹の鳥罠、仕掛け弓、虎檻、サル檻など、モンの人々はいろいろな罠を作る。小さい動物を捕る罠は、今も現役である。クマや虎、サルを捕る罠は、30年前頃までは作っていたという。トウモロコシが熟す時には、山奥からクマやサルがトウモロコシ畑にご馳走を狙いにくる。それを狙って、人々は罠をかけた。また、虎が家畜の牛などを襲うと、その虎をしとめるために罠をかけた。
 80歳を越えている、猟が好きだったというお爺さんは、モンの鉄砲を見せてくれた。鉄と石がこすれあって火花を起こし、そして火薬に火がつくという、まるで火縄銃というかモン独特の手作りの銃である。そのむかし、フランスの植民地時代、モンはこの銃を持って、重税を課すフランス人に闘いを挑んだ。どこからともなく撃ってくる、このモンという小さな山の民に、フランス人たちは恐れをなしたという。しかし、
「雨が降って、湿ると、モンの銃は発火できなくて、使えない」と、フランス側に密告した人がいて、結局、雨の降る季節、モンはフランス植民地側に負けてしまったという。また、谷間の一本道の上に、綱を切ると、石がごろごろと頭の上に降るようなしかけを作って、やってくるフランス兵に対抗したそうだ。その他、仕掛け弓だの、イノシシや鹿を捕る罠を、フランス兵に対しても使ったそうである。さぞかし、戦々恐々としたことだろう。もちろん、最後は、フランス兵の持つ銃に負けてしまったわけだけれど。これは、話し手のお爺さんの世代の話なのであるが、まるで、つい昨日の出来事のように話す。
 ところで、以前は虎やクマ、象やサイもいたという森は、戦争の爆撃で破壊され、動物たちは追いやられて行った。そのあげく、虎は、戦争中にアメリカ側が残していった、手榴弾?を土地の人々が拾って利用した罠で、根絶やしになってしまったという。人間の起こす戦争が、やっぱりこの世の自然や環境を一番破壊しているんだな・・・・と感じだことだった。(やすい)

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