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2005年11月はじめより、ラオスに来ています。ここでは、山の村での日々を中心として、日々のできごと、思いを、ありのままに書いていきたいと思っています。

モン正月滞在記‐1

安井清子  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12月1日(木)

 モンの大晦日にあたる日。30日目の月の日だ。昼間、人々は牛の飼い葉にする草を採りに行ったり、あれやこれやで出払って、村はひっそりしていた。

 夕方5時頃、村の中心の広場に、人々が集まってきた。ンゴォ・トォ・ガイという新年を迎える行事が行われる。広場に立てた長いポールから茅を編んだ綱がたれ下がっている。人々は、1年使ってきた農具を持ってきて、ポールを立てた根本のところにおいていく。農具様、1年間ありがとう。来年も怪我なく無事に農作業を行えますようにという願いをこめて、置くのであろう。村中の人々が集まってくる。こんなに大勢いたかな?というほど。

 合図に合わせて、人々は、茅の綱をくぐって、時計と反対回りに3周、時計回りに3周歩く。人々が歩いている間、村の長老が生きた鶏を振り回しながら「ションロー・ムゥ・ジェー、ション・チア・トゥア・ロー(古い年往き、新しい年がやって来た)この年がいい年でありますようにー」と、唱える。人々は3周ずつ歩き終わると、持ってきた農具を再びかついで、家に戻っていく。その後、鶏の首に刃が入れられ、血がポールや茅の綱につけられて、終わり。

 人々は夕方から、それぞれの家で、フップリーという、新しい魂を家に呼び込む儀式をする。あちこちから、カーンカーンというドラを叩く音が響いてくる。 

 サイガウ爺さんの家でも、その儀式が行われ、鶏が新しく紙を貼り直した神棚に供えられ、家族の人数分の卵に魂がよびこまれる。前日到着した晋作くんと私も、ゆでた魂入りの卵をもらって食べた。その卵はとてもおいしかった。
 これまで私が過ごしたモンの村での正月は、これから人々の家々を訪ねて、食べ歩くのであるが、ここG村の大晦日はとても静かであった。
ごはんと鶏の夕食をすませると、人々はあっさりと寝床についた。新年は淡々と、やってきた。(や)


12月3日(土)

 朝、大人たちは、麓の町ノンヘートで闘牛が行われると、みんないそいそと出かけていった。20組の牛たち、2組の水牛たちが闘うのである。でも、午後早く戻ってきたリーは、「人の方がいっぱいで、牛たちが怖がって、あんまり闘わなかったよ」と。

 闘牛は昨日も村の中でも行われたが、すぐに逃げてしまったり、興奮しているのは、男たちばかりで、牛の方は、本当はのんびりしていたいようであった。でも、見かけはブルブルと肉をふるわせ、自慢の角を伸ばした立派な牛たちばかりであったが・・・・でも、20分くらいもお互い譲らずに、角を突き合わせていた2頭の牛もいて、びっくりした。

 さて、今日は、はねつきにコマ遊び(投げてあてるけんかゴマ)。カンカンというはねつきの音が響く。日本のむかしのお正月の風景って、こうだったのだろうか?と思う。モンの子どもたちは、お正月前には、全然コマ遊びもはねつきもしていなかったのに、お正月になった途端、見事に、はねつきとコマで遊んでいる。なんだか、とっても、お正月らしく華やいで、面白いな・・・・と思う。

 いつもは、みんな子どもたちも、仕事で忙しいので、ここまで大勢が遊んでいる姿を見ない。なんだか嬉しい風景。(や)



鈴木晋作 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12月1日 モンの大晦日

 G村も普段よりは少しのんびりしているようだ。軒先で久しぶりに帰郷したという青年と拙い英語で会話。家に招待される。去る3月に竹のドームを作ったときに、竹を提供し、作業も手伝ってくれたジュアポー・ヤァさんの息子でシェンクワンの中心部の師範学校で英語を勉強している。家族の暮らしぶり、村の歴史、彼の将来などを聞かせてくれた。
 彼によると、ノンヘートはアメリカとラオスが戦争していたときに空爆は特にひどかったが、G村付近には不発弾等は無いということだ。これで安心して土探しができる。でも用心に越したことはない。その都度、長老達に聞かねばならない。

 
夜、爺さんに土の釜の事を聞く。モンの豚の釜は立派。それに引き換え、人のものは鉄の三脚?(metel tripod)を立てたに過ぎない。昔は、しっかりした釜があったという。この方が簡単で、良いと言う。でも熱が空気中に逃げ、効率は悪くても、寒いノンヘートの冬には、適しているのだろうか。村の家は、冬を基本として作るようだ。

12月2日 モンの正月

 朝から闘牛を見に行く。この場所は、村のはずれの坂道を下ったところにある。斜面に囲まれた平坦な窪地は、さながら「G村スタヂアム」であり、臨場感がある。このように場所が使われていることもおもしろい。よく見ると、村での新年の行事、遊びも小さな広場、空き地で行われている。山間の村の起伏の多い地形をうまく利用していると言える。

 
村では、普段歩いていて出くわさない人を見かける。畑仕事で出払っている人、村の縁のあたりに住んでいる人、正月で帰郷している人。とにかく普段と比べると村はにぎやかで大勢の人がいる。
 
お世話になっているサイガウ爺さんの家族に、先日ビエンチャンのITEC(11月24日参照)で買ったプレゼントを渡す(村の人も正月前に豚を売って、子どもに服を買っていた)。
「私たちのことをこんなに愛してもらってうれしい。あなた方は、私達の家族同様だ。」と
モンの長老は、口上がうまい。酒が入るともっと饒舌な「語り=騙り」になる。

それは、魂や家族の深い感情のことであることが多い。信じてしまう不思議な説得力がある。

 夜、村長宅を訪問、材料・村人の組織、作業形態について話し合う。これからも率先して動いてくれそうである。彼に関わらず、「日本」から人が来て何かを作ると言うことが、
何かのチャンスになると期待している人が多いのは、肌で感じられる。

でも、ぼくが「この村の土は、とてもいい。強いきれいな土の壁が塗れる。土の柱もできるかもしれない」「裏山の石灰石を焼いて、石灰のクリームを作る」と言うと、困った顔をして

「セメントがいいぞ」「レンガは電話一本で運んでこられる」と説得しようとする人も多い。



上. 模型を前に打ち合わせ、・・・「困ったときはサイガウ爺さんに聞け」 
     左からサイガウ爺、ビー君、安井氏 (す)

12月3日 「正月気分」

 モンは、正月も朝は早い。5時過ぎに、市場に野菜を売りに行く娘さん、早朝の乗り合いトラック荷台バスで出掛けるお嫁さんの声で目が覚める。
 若い人、男性はノンヘートの町に降りていく人が多い。闘牛などを見に行くと言う。我々は村に居残った。
サイガウ家では人手が足りないということで、餅つきを手伝った。この家の高校生のビー君と二人一組で木の半丸太をくりぬいたモンの臼の両側から、力いっぱい杵を振り下ろす。
餅つきは大変な作業。疲れた所で、安井さんに交代した。さすがここでも、芸人魂を忘れない。安井さん、お得意の民話の「屁っこき嫁ならぬ」へっぴり腰で、みな大爆笑だった。爺さんの娘さん、お嫁さんも力強くついて、正味12,3分で出来上がり。


正月といっても、家族の誰かは仕事をしている。一日の内、ある時間帯は仕事をする。隣で爺さんの働き者の孫が「今日はやるとこがないから、疲れた」と言っている。
 夜は、爺さんの家で、発電機を使いテレビで映画鑑賞会。村の正月、午前中と家族が寝静まった夜の時間をみつけては、模型の作成等準備を進める。安井さんは、村の記録、絵本の訳付けその他準備に忙しい。まだこの村も本格的な寒さにはなっていない。 (す)


上.餅つき。丸太半割の臼。 (す)
・・・・・・・安井氏のへっぴり腰具合。入「モン」して2週間。まだまだ、初級。


上. モンの正月遊びをする、
・・・・・・晴れ着を着た近所の女の子(す)

モン正月滞在記‐2

安井清子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12月5日(月) 霧の一日。隣村へ爺さんと行く   

 上記の餅つきですが・・・確かに、自分でもびっくりするほど情けないペタンともいわない、ペンともフニャラともならない情けない音に我ながら本当に情けなく・・・また回りの人々は大笑い。私も大笑いで腹の力が抜けて、ますますどうにもならない。本当に餅つき一つできないんだから、情けないことです。

 さて、今日は、サイガウ爺さんに隣村まで連れていってもらった。私たちの荷物はあれこれ多く、それを片づけてしまうために棚を作りたいのだが、角材や板材を簡単に購入できないので、相談したら「あぁ、そんなの簡単じゃあ、隣村に板に引いた木があると聞いておる。朝飯が終わったら連れていってやる」とのことで、晋作君と私はついていく。

 隣村まで歩いて40分ほど。着いてみると、28戸とこじんまりした隣村でも、女の子たちが着飾って、お正月の遊び、ボーポー(まり投げ)をしている。男たちは、あちこちの家を回って酒を飲んでいるらしく、私たちはそちらに招かれる。サイガウ爺さんは隣村でも敬われているようで、あちこちからお誘いがかかるのである。サイガウ爺さんは私のことを

「この人は、本当はモンに生まれるはずたったのに、うっかり間違えて日本に生まれてしまったんだよ。だから、日本人だと思っていたらしいけど、結局モンの村に帰ってきた。ワッハッハ」と紹介して、面白がっている。

 さて私たちは3軒、はしごでご飯をご馳走になった後、買った角材を担いで村まで戻った。爺さんが「殿様になるなよ。家来になりなさい。(指示するだけじゃなくて、自分で動け!ということ?)わしも1本担ぐから、みんなで1本ずつ担げばよろしい」と言うので、私も4メートルくらいある角材を担ぐ。爺さんと晋作氏は軽々担いでいるように見えるが、私はひえぇ〜と思いながら、よたよた歩いている。でも何とか村まで担いできた。村に着くと、村の男の人が爺さんの分と私の分をすぐに担いでくれた。それにしても、爺さんは元気である。75歳くらいになっているだろうに、2キロくらい離れた村から、角材を担いでひょいひょいと歩いてくるんだから。

 昨日から、霧が出てきて、太陽が見えない。寒くなった。(や)



12月8日(木) 太陽の出ない日が続く。寒い日々


 朝起きて、霧。もう、太陽とご無沙汰して4日目くらいだろうか?朝起きて、外も薄暗く、そして窓もあまりなく電気もないモンのおうちの中はやっぱり暗い。昨晩は、明日起きたら元気になるぞ!と思って寝たのに、さわやかに朝を迎えられず、とても気分が落ち込む。その上、髪もかゆい。朝、息を吐くと白いし、冷水はきついけれど、洗面器を見ていたら、耐えられなくなって、髪を洗った。そうしたら、気分がすっきりした。まったく、些末なことだけど、本当にそんなことで気分が変わる。

 さて、お正月気分もそろそろ終わりに近づいてきた頃だろうが、まだ女の子たち、着飾ってボーポー(まり投げ)をして遊んでいる人々も多い。私たちは、今日は、村長にくっついて、竹林を見に行ったり(材料にする竹の為)、先日、よたよたしながら運んできた角材と、その翌日、隣村から子どもたちが背負って届けてくれた板材で、棚作りを村の人に頼んだり、少しずつ、こちらもお正月気分が抜けて、そろそろ始動か・・・というところ。

 私は午後から、まだ知らないおうちを訪ねてまわる。このG村には今まで何度も来ているとはいえ、70数世帯の家のうち訪ねたことあるのは半数くらいか?まだ、名前と顔の一致しない人たちがたくさんいる。いきなり訪ねるのも図々しいけれど、でも、いきなり「こんちは」とあちこちの家を訪ねることにした。今日はいきなり一軒目で「あんた誰?」と言われて少しがっかりしたが、よく聞いてみると、親戚を訪ねてきているベトナムのモンの女の子たちだった。国境を越えて、親戚たちが暮らし、そして、行き来している。

 まだ、統計が取れたわけでもないが、このG村は比較的、教育熱心な人たちが多いようだ。学校へもほとんどの子どもたちが行っている。中には、ビエンチャンへ進学させている親もいる。学期中は、畑仕事をしているのは、親。でも、朝や夕方など、もちろん子どもたちが畑仕事から、豚の餌やり、水牛や牛の飼い葉取り・・・など、あれこれ手伝う姿は見かける。子どもたちももちろんかなり手伝っているが、でも、昔のように子どもが多ければ働き手が増えるというわけではない。ただ、子どもの数は5人から10人と多い。食い手は相変わらず多いわけで、働き手は少なくなっている。昨今のモンの親も、なかなか大変だなぁ・・・などと思ったりもする。(や)

12月9日(金) やっと太陽が出た。藁を取りに山へ

 数日ぶりに太陽が出た。あぁ、嬉しい。霧霧霧・・・の日々はやっぱり、なんだか心まで霧っぽくなってしまうけれど。太陽がこんなに嬉しいとは。

 乾かなかった洗濯物を干し。洗濯。水浴び・・・・・(水は冷たくて、それはまた修行のようであるが・・・)

 午後、山の畑まで藁を取りに行く。かごを背負って、リー、ビーの二人の少年と、鈴木安井の4人。普段、家の中ではあまりはしゃがないビーが、あれこれふざけたり、歌をうたいながら歩いている。山は景色がよく、谷を越えて広がっている斜面には、棚田、そして焼き畑の畑が広がっている。もう収穫を終え、枯れ色。

 藁は日溜まりの斜面にふかふかと置いてあり、飛び込むと気持ちいい。少年たちと鈴木氏はしばし、藁の上で大暴れしている。藁は土壁に使うものだそうだ。私もよくわかっていないが、村の人たちもやはりわからないので、「いったい家作るのに、なんで藁がいるの?藁で家を作るの?風が吹いたら飛んじゃうよ」(三匹のこぶたみたいだが・・・)なんて言う人もいる。これはもう、実際に実行していくうちに、わかっていくしかないだろう。

 藁はまだ足りないので、明日また、今度はもっと大勢で行こう!ということになった。(や)


 鈴木晋作・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

12月10日 「町から現地報告」

 午前中、安井さんが校長先生と子供達にワラ集めを呼びかける。子どもがいっぱい集まって、必要な量の3分の2は集まった。午後、6日ぶりに街に降りてくる。ワラを詰める袋の調達、その他生活用品、村の人に労働奉仕をしてもらったときのおやつなど購入、ホームページの更新。といっても小さな商店しかないので、改めて県の中心ポーンサワンまで行き、買い物をしないといけない。大勢で作業する時、こどもに簡単な仕事をお願いする時にも、ちょっと口に入れるものなど気の利いたものが有ると、作業が楽しくはかどる。村も正月には変わらないが、ようやく準備に取り掛かれる体勢になってきた。以下、簡単にこの一週間を振り返る。

12月5日 「隣村へ」
 サイガウ爺さんと隣のT村へ。G村で拠点としている爺さんの家に本と文房具、建築の道具を仕舞える棚、本を持ち運べる棚を作る為、板を探しに行く。
 小さなこの村の様子、手に入る木と竹の情報が聞けた。地区代表(兼女性同盟代表)の人から、「この村にも子どもは多い。G村の小学校に通っている子がいる。またこの村にも訪問し、多くの関心をG村だけでなく周辺の村にも寄せて欲しい」という声が聞かれた。
 これまで地理的な要因から、G村により多くの農業、小学校建設、ケシ撲滅、不発弾・地雷除去のプロジェクトが入ってきた。各家の壁に貼られたプロジェクトの「啓蒙」ポスターを見れば分かる。4mの角材を担いで、G村まで1時間の道程を戻る。
 夜はお灸がしみるように効く。手伝ってもらった爺さんの足にも据える。
…改めて、周辺の村との連携、活動の広がりを想像しよう。始めに構想された文庫活動の「移動図書館」「ラオスの山の中の図書館」とは?
…安井さんの構想とは?…目に見えた場所だってまだない。
これから、これから…ぼく達は、始まりの真ん中にいる…



上.隣村からサイガウ爺さんと木を担いでくる

12月6日「寒い一日、家にこもり、じっくり考える日」
 今日は、村での生活を考察し、絵を描いて一日おとなしく座って考えた。…もちろん家の中は暗く寒い。この村でないと「できないこと」、この村に「必要なこと」それを楽しく構築していく。それが、図書館建設の裏のテーマ、図書「館」の骨格である。
…「光・熱・水のエネルギーの利用」、「冬を快適にする」、単純な見た目のデザインに納まらない、「生活の中の住まいのデザイン」…生活を観察することから始まり、各部のデザインが見えてきて、全体が決まるようになるのではないか。
 手続き、便宜的に始めに図面を描いて、模型を作っているにすぎない。これがあるとなんだかできそうな気がしてしまう。言い換えれば、都合上そこに辿り着くプロセスを抜かしていることにもなる。
そこから、廃熱を積極的に(集めて)利用する煮炊き(人・豚用)するかまどのデザイン、雨水を集める軒先のデザインが生まれる。模型では分かりにくい室内の透視図を描きながら、蓄熱する床の発想、土壁のデザインへ思考を巡らせる。
 実験・試行から実施・機能させることに結びつけることは、それなりの時間が必要。村の人の理解と知恵はもちろんのこと。

 安井さんは、本格的に開業、図書館事始をしているようで、座って絵を描くぼくの目の前を行ったり来たり、ゴザを、画板を、手を洗うバケツ・タオルを抱えて走り回っている。重い腰を上げて、手を貸しに行く。
 屋根もない広場のゴザの上の「臨時図書館」。みんなで集まって絵本を眺めながら、教えあったり、一人で何かつぶやきながら短い小さな想像の世界を広げているのだろうか。こんな仮の「絵本の空間」を繰り返す、内に何が必要なのかもわかるだろう。そして、隣村にも臨時移動図書館に行くのもいいだろう。

 その後安井さんより、運べる本箱の提案があり、簡単な棚を考案。板は今朝、隣村から5,6人の子ども達が板を背負って持って来てくれた。



上.正月の臨時図書館?

12月7日 「お客様は神様」
 昨日から、行商の中国人(四川人)二人とラオス人4人が車で乗りつけ、荷台と広場に「店」をひろげ、村の人たちの注目と札束を集める。その後、手におもちゃを持ったこどもをよく見かけた。歯の治療、ピアスの穴の処置(大丈夫か?)まで、なかなか行き届いたサービス内容。村の中での場所(高台)の使い方、音楽の効果的な流し方(登場、開店)といい、なかなか巧妙。彼らに言わせるとラオスの田舎は、中国の「60年代」と同じだそうだ。パースを描きながら、快適なモンの「家」、楽しい家作りを考える。


上.大工仕事が得意な人と話をする

12月8日 「村での材料準備開始、まずは竹から」
 朝、竹を探しに、村長と山へ。昼、大工仕事の得意な人に本箱作りを頼む。
これまで村の人に、模型や絵で計画のことを話して来たが、平面・立面・断面図と言うよりも、模型、立体透視図、室内断面透視図の方が伝わりやすいようだ。
大工仕事が好きな人は、興味を持って見入る。「これならできる」とか自分で作るなら…という仮定で見ている辺りが、これからの建設の時にも期待が持てる。
 村では、話をすることばかりだったが、ようやく材料の準備を始められた。


上.竹を探して山へ

12月9日  「今日は、ワラ集め」
 午後からワラを集めに山の畑へ行く。子供達に集まるように言ったが、結局このサイガウ家のビーとリーだけ行くことに。4人でカゴいっぱいに入れて、1.3立米くらいか。これの3倍以上は必要。明日は人が集まるか。
 今の間に、ワラ、竹、土を集めて材料を仕込まない(乾燥、壁土作りの時間)といけない。形が見えないだけに、「土とわらを使った家作り」は、みな想像しがたいかもしれない。土壁だってあくまで、家の一部である。ビーとリーは、去る3月の竹のドーム作りを手伝ってくれたので、参加しやすいのだろう。夜は、
ワラを背負って疲れたので、さっさと早く寝る。 (す)


上.山の畑からワラを背負ってくる


 

12月11日(日) 村長の家にみんなが集まる

 夕方6時過ぎ、夕食を食べていると、カンカンカンとドラを叩く音が聞こえてきた。これは「村長の家の集まれ」との合図だそうだ。また、30分後くらいにカンカンカンと鳴ったら、その時に集まるのだと。何か用事がある時、この方法で、村の人々がみな村長の家に集まることになっているのだ。

 今日は、私たちの用事である。今週、来週と、あれこれと村の人々に力仕事をお願いしたいのである。一つは、竹を運ぶこと。(大きな竹なので、2人で1つ運ぶ)竹を割って、木舞にする竹を作ること。土壁用の土を掘って、藁と混ぜること。藁を運ぶことなどなど。

 それに、村に滞在していても、実はまだ知らない人たちも大勢いて、実際、私たちが何しに来ているか?よくわかっていない人たちもいる。一度、みんなを集めてもらいたいと思っていたのだが、なかなかチャンスがなかった。

 みんなといっても、家族から一人。子どもが来ている家もあれば、お父さん、お母さんが来ている家もある。

 村長が、仕事を割り振って一人一人の名前を呼ぶ。みんな、ガヤガヤしている。そのうちノーポーの奥さんが発言した。

「まだ藁が足りないんだったら、私たち女が藁をしょってくるわよ」と。すると、次々と女の人たちが声をあげた。「私も行くわ」と。なんだか、急に雰囲気がよくなった。

 竹割りは、やはり熟練した人にやってもらうという。すると、何人かの人が「ぼくの名を入れてくれよ」と。

 少しずつ、みんなで作るっていうことを、みんなの家だってことを、実践しながら実感していけたらいいな・・・・と思う。

 ラオスでよく見かけるのは、せっかく援助でできた学校やら、建物が、数年後には、壊れた窓が修理もされず、どんどん手入れもされず・・・そのままになっていることだ。「修理する金がない」と言う。やっぱり、外部の人に作ってもらったものは、自分たちのものという意識が少ないのだろうと思う。そして修理もせずに放られてしまう。そうなってほしくはない。「修理する材料がないからできない」という話もよく聞く。今回の壁は、土壁である。竹、藁、土・・・村の中で手に入る材料である。だから、自分のおうち・・・という気持ちさえあれば、手入れをしていくことができる。そんなことが伝わればいいと思う。(や)

1211日 鈴木
 大工仕事好きのノーポー・ローの家に朝食に呼ばれる。食後は、模型を見ながら打ち合わせになった。他の村の大工のジュアテン・ヤーを交えて詳しい話をした。彼らの道具も見せてもらう。
 村長が壁に使う竹を切りに行く。夜は、村長宅に村人を集めて(各家族一名)共同作業の配分をし、準備開始を告げる。(す)

12月12日(日)もぉ〜本当に寒い1日。書類作りに奔走

 寒い。また霧。冷たい霧雨が一日中降っている。そして、風。

 ノンヘートの森林局に、木材の購入の申請に行く。今、ラオスでは木材を買うのは許可がないといけない。特に、このような田舎では、製材所がすぐあるわけでもなく、木はいちいち、木のある村に行って伐って、そして、製材してもらわなくてはいけない。森の木を伐ることからはじまるのだから、やっぱりそんなに簡単なことではない。まだまだ時間がかかりそう。毎日、霧ばかりだし、なかなか予想以上に大変なことだなぁ・・・と思う。
 役所に回す書類も手書きではいけない・・・というので、市場に数軒あるパソコンやさんで打ってもらう。ラオス語の書類だから、私のパソコンでは打てないのだ。一つ一つのことに時間がかかる。(や)


1212日 鈴木
 
1年目の材木集計表を修正。ビエンチャンからカウンターパートの文化研究所のソムトンさんと合流し、村長共々、郡の農林局に出向き、手続きをする。お役所文書なので形式が揃っていないなどの理由で付き返される。
 今日は、非常に寒くて、鈴木はダウン、先にG村に帰って休む。
その後安井さんたちが、市場の通信屋(国際国内電話、パソコン文書・画像作成)で書類をデータにしてプリントアウトし、再度農林局で手続きの申請を行った。午後から朝方まで、ずっとおとなしく寝た。(す)

1213日 
 朝、安井さんが竹割り担当の人の家々を訪ねる。鈴木も快復し、竹割に参加。手馴れていないと難しく、手のひらのあちこちを切ってしまう。なかなか集中力の要る作業で思ったよりも疲れる。午後も竹割りは続いた。
 その間、安井さんは、書類のこと材木のことで、麓の町に降りる。手続きも材木探し(人探し)もうまく行ったようで、陽気に村までの道
2時間を歩いて帰ってきた。
 夕方、面倒見の良い女性同盟代表の人と粘土を見に行った。
 (す)


竹切り、竹割り  (す)



12月14日(水)今日も一日霧雨。
 おーい、ラオスでは、10月から3月は乾季で雨が降りません。なんて誰が言ったぁ?「**の歩き方ラオス編」だの「ラオス**入門」だのに書いてあったら、それは嘘です!ここノンヘートでは1週間のうち半分以上、霧。霧。霧・・・霧雨霧雨霧雨・・・の日々です。
 爺さんや婆さんに「明日は晴れる?」と聞くと、「うぅ〜ん、こんな霧じゃあなぁ・・・まだ当分晴れない。でも、これで晴れたら霜が降りるよ」と。
 外も中もほとんど寒さは変わらないので、家の中でもずっとフリースの上にジャケット着て、毛糸の帽子を被っています。日本では、ウォームビズなんて言葉あったっけ?
 村の小学校も午前中で終わり。スーカスーカの教室では、寒すぎて勉強にもならないそうです。しかも窓から雨が吹き込むともう子どもたちも濡れてしまうとか・・・私たちの図書館になる小さな建物も・・・心地よくあたたかく、明るく楽しめる空間・・・を目指すとなると、本当に、まだここのモンの村には一軒もない家となるわけです。寒かったら閉める。閉めたら暗い・・・閉めても隙間だらけ・・・という家ばかりですからね・・・・
 ろうそくの灯りでパソコンを打ちながら、ろうそくの炎のほのかな暖かみに手をかざしたりして、マッチ売りの少女の気持ちがわかったりします・・・なんちゃって。(や)


1214日 鈴木
 朝、昨日も協力してくれた女性同盟代表が自ら名乗り出て、これからなんでもできるだけ協力すると訪ねて来た。これからの作業のこと頼りがいがある。

 サイガウ爺さんと土探しに行く。主に性質が対照的な土が二種類。
1.粘土分の非常に強い土と 2.砂分が強いぽそぽそしている土。
1は、子供達が粘土細工(可塑性のある)に使っているようなのでその「ねばねば」度は保障済みである。2は、豚の餌を煮る大きな土の釜に使われるもので、ひび割れ、表面強度が強い。土間を打つにも、堅くて強いものが出来ると言う。


上. 左が土-1 粘土分が多く、造形できる、水持ちがいい。
   右が土-2 砂分が多い。棒にすると折れる、早く乾く。 (す)

12
15
 麓の町に手続き、材木探しに行く。手続きは、空振り。
 材木は柱と土台に使える分は、見つかった。



12月16日(金)穴掘りをする
 朝5℃。久しぶりに晴天。久しぶりに洗濯。寒いことには変わりはないけれど、やはり晴れていると気持ちがいい。
 今日は村の人5人と一緒に、土壁用の土と藁を寝かせておくための穴掘りをする。朝10時前、朝食の終わった人々がスコップや鍬を持ってやってきてくれた。サイガウ爺さんがまるで監督のようにやってくる。サイガウ爺さんは最初の頃はずっと毎日のように、
「よけいなことを言うようじゃがな、わしはセメントの家がいいと思うよ。セメントだったら、木材を集めたりする苦労もないし、何しろ安くて長持ちする。わしらはセメントの家がいいぞ」「土壁?そりゃあいかんじゃろう。村人たちにバカにされるぞ」というようなことを、私に言い聞かせていた。それがだんだん、晋作くんの話、「土壁は、中の竹をよく乾燥させて虫食いがなかったら、日本では何百年も保っているのがあるんだよ」「中の竹の木舞には1000年たっても壊れていないものがある」などなどを聞くにつれ、爺さんは土壁推進派のスポークスマンのようになってくれていて、人々が穴を掘る作業をしている時も、サイガウ爺さんは「日本ではな、土壁は100年、1000年ももつそうじゃ!この穴は、そのための土と藁を混ぜて置いておくためのものだからな」と得々と話している。この村では人徳者のおじいさんなので、とても説得力がある。本当にありがたい。
 作業をしていると人々が回りに集まってくるので、ゴザを持ってきて敷き、絵本を入れたかごを持ってきて子どもたちにお話をした。大人たち、中高生くらいの大きな子どもたちも熱心に絵本を見ていた。

 今日は満月である。ジャンザウ爺さんの家を覗くと、ジャンザウ爺さんはシャーマンなのだが、ウアネン(祈祷)の準備をしている。
「今日は十五夜だから、モンのシャーマンを司る霊であるネンを呼び寄せる日なんだよ。お正月の間、霊たちは空に遊びに行っているんだよ。遊びに行っていただかないと、霊たちはご機嫌をそこねて、あれこれ悪さをしたりするんだよ。だからお正月の間は霊たちに空で遊んでいていただいて、今日は呼び戻す日なんだよ。」とのこと。面白いなと思う。霊たちの正月も終わるのか。でも、子どもたち若者たちは相変わらず、毎日、羽根つきやボーポー(まり投げ)をして遊んでいる。男たちもしばしば闘牛をする。お正月気分は日本よりもずっと長く続いている。



1216日   鈴木
 塗り壁用の土を寝かせるプールを掘る。斜面を利用して、
3.3m×3.3m深さ45cmの穴を掘る。でもこれが一層、「ワラと土の家」の印象を強くしてしまい、通りがけにぶつぶつ言って行く人が多い。
 いつの間にか、人が多く集まっており、安井さんもゴザで「絵本の広場」を広げる。


敷地の近くの斜面に土のプールを掘る  (す)


絵本にも少しずつ
慣れていく (す)



12月17日(土)土掘りの日
 今日は土掘りだ。粘土がたくさんある場所を掘って、その土を先日掘った穴に入れ、藁と混ぜるのである。村長が配分した人たちが39人もいて、大勢が土掘りに来てくれた。土を掘るのはいいが、運ぶのが重くて大変。みんなからの提案。
「私たちが一人1000キップ(約10円)ずつ出すから、車を雇ってそれで土を運ぼうよ」とのこと。土を担いで何往復するのは、みんなやりたくないのだ。「それなら、お金は私たちが出すからいいよ」と言うと、「いいよいいよ、みんなで協力して払う」と言う。最終的には基金側の資金で出したけれど、その気持ちは嬉しかった。
 結局、ピックアップトラックでも3往復する分だけの土を掘り出して運び、穴に入れ藁と混ぜる。土曜日で学校がお休みのせいか、子どもたちも手伝いに来てくれていて、結構みんな楽しそうに一生懸命作業してくれた。
 今日の作業を統率したのは、もちろん晋作くんだけど、ニア・ノーポー(ノーポー夫人)の力も大きい。彼女は7人の子の母、そしてこの村の女性同盟のチーフである。今日も大勢の人々をまとめて、自分自身も率先して作業してくれた。どうも実は村長よりも彼女の方が責任感と統率力があるようである。
「今日は本当にあなたのおかげで作業がうまく進んだよ」と言うと、「私がやろうって言うとみんな動くのよ。私の言うことをみんな聞いてくれるの」と本人も言う。モンは男性中心社会だけど、やっぱりさすが母ちゃん、しっかりした人がいるもんだなぁ・・・と思う。



1217日  鈴木
 朝、麓の町の土曜市に行き、養生シート(日本のブルーシートのような)などを購入。
10時過ぎから、土掘り、土運び、同時にワラの混ぜ込みを行った。多人数で陽が傾くまでの長時間の作業になった。女性(旦那の代わり)、若者男子ががんばって(楽しんで)いたのが印象的だった。
こういう作業を通して、結構付き合いにくい(お互い照れる)年頃の子ともコミュニケーションできる。作業が終わって、土に散水する。気が付くと、暗く赤い空に十六夜の月が、昇っている。そろそろ長いモンの正月も終わりに近づいているようだ。


多人数で粘っこい土を掘る (す)


12月18日(日)お楽しみ会を開く

 午後2時からお楽しみ会を開く。私たちは今回こうして家作りをはじめているが、まだまだ情報が村全体の人たちに行き渡っているわけでもなく、いったい何のために、こうして日本人が来ているのかをわかっていない人たちもまだ多い。人々に集まってもらい、私たちがいったい何しに来ているのか?を説明し、また今回、あれこれの作業(竹運び、竹割り、藁運び、穴掘り、土運び)を、みんなでやってくれたことへのお礼をこめて、宴会・・・というまででもないけれど、お菓子とペプシとお酒を用意して、ささやかなお楽しみ会をやろうということにしたのであった。
 朝から、ニア・ノーポーが村の人たちに宴会のお知らせを触れ回ってくれていた。
 2時過ぎ、男の人たち、女の人たち、子どもたち・・が集まってくる。男たちにはお酒。女の人たち、子どもたちには、お菓子とペプシを振る舞う。私たちが挨拶。それから、「3びきのやぎのがらがらどん」の紙芝居。へっこき嫁の影絵(安井の手作り)、その後、ツィーばあちゃんにモンのへっこき嫁のお話をしてもらう。ばあちゃんの回りに座った子どもたちはみんな真剣な顔をして聞いている。そしてビデオ上映会。ガソリンで発電機を回し、今回、私たちが撮ったビデオを見せる。もう、満員電車のように人々は押し合いへし合いの、大盛況。後ろの人たちは椅子に立って見ている。やはり自分たちの村の様子は面白いようである。
 ただ、私は途中から、風邪のひき初めか?どんどん気持ち悪くなって、立っているのもしんどくなってきた。5時くらいにビデオが終わると、人々はさぁ〜っと瞬く間にいなくなって、後にはキャンディーの包み紙がたくさん散らばっていた。サイガウ一家の人々が掃除を手伝ってくれた。申し訳ないが即、布団に入って朝まで寝てしまった。(や)



1218日  鈴木
 今回の準備作業が一段落したこともあって、日曜日で学校もないので「宴会」をすることにした。大人も子どもも集まって、正月の様子、準備作業中を撮影したビデオを観覧、安井さんの「屁っこき嫁」の影絵ショー、ツィ婆ちゃんの屁っこき嫁の民話の語りを楽しむ。
 会が終わって一段落して、安井さんがここのところの疲れから、寝込んだ。


準備の一段落をみんなで労う (す)

1219
 校長と女性同盟代表に誘われ、小学校へ。授業の様子を見る。
 安普請で作られた教室は、風が吹きぬけ寒くて耐えられないほどで、授業も午前中でも切り上げることもあるらしい。小さな子が震えながら、授業を聞いているのはかわいそうだった。
先生もいっぱい着込んでいる。
 午後、麓の町の農林局へ。また空振り。材木を探し、近くの村に行く。


「出張サービス」読み聞かせ (す
子ども達がいうことを聞かないから、絵本でも読んでくれと困り気な先生

12
20
 安井さんは、「出張ミニ文庫」で隣村へ、同時に小さい丸い竹(雌竹)の手配を依頼する。
 鈴木は、サイガウ爺さんと通りかかりの人と竹切り、竹割りをする。
 (す)


12月21日(水)材木の一部を購入する

 建設のための木材を購入する手続きがやっと終わった。農林局の許可、サイン、郡長さんのサインなどなど、人がいなくて手続きが進まなかったり・・・・許可をもらっても、一体どこで木を伐ってもらって製材したらいいのか?・・・そんな森の奥に自ら行くことはできないし・・・一体、本当に材木なんて手に入れることができるのだろうか?と思っていた。でも、実際にあれやこれや動き始めると、意外に情報が入ってくるもので、実は人々の軒下に、材木が積まれている・・・ということもあちこちで目にするようになった。

 親戚が柱用の材木を売ってもいいよ・・・と言っているとの話を、G村のジュアテンが教えてくれた。そこでノンヘートの町はずれにあるおうちまで見に行く。確かに柱用の5メートルもある材木が積まれている。7年ほど前に、自分の家の建て替えのために準備したのだというが、結局使わなかったものが、積まれていた。ただ保管状況があまりよくなかったために、かなり汚くなっていた。晋作くんは、「こんな保管状況では木がかわいそうだ。こんな状況で保管していた木に高い金は払うわけにはいかない」と言い、売り手のモンの人は、「全然問題はない。カンナをかけたらとってもきれいだよ。この木は強いから大丈夫。ぜんぜ〜ん問題はないぞ」と、結局、話はかみ合わず、値段もあまりまけてくれなかったけれど、やっと実際に材木を手に入れることができて、ほっとした。

 その他の木材に関しても、やっと手続きが終わり、人を通じて村での伐採、製材をお願いすることができた。本当に、木を伐らないと家が建たない・・・豚を殺さないと肉が食べられない・・・本当に自然を犠牲にする上に生活が成り立っているのだ・・・と痛感する。

 私たちが下の町に下りている間、サイガウ爺さんが、水牛で、藁を混ぜた土を、踏んで耕してくれていた。靴が泥だらけになっていた。

「わしは、土壁のことは知らんけどな、でも水田をずっとやっているから、どうやったらいいかはわかるんじゃ。まだまだ水が足りないから、まだ混ざりが悪かったが、もっと水を入れて、また水牛で踏めば大丈夫じゃ。水牛は人間の10倍にも勝るぞ」と、爺さんは言って笑った。

1221日  鈴木
 麓の町で、主構造用の材木を選別、購入、輸送。農林局の手続きも完了。材木の手配も依頼した。その間、村では、土のプールの水遣り、水牛での土踏みをサイガウ爺さんが担当。「水田と一緒じゃよ。わしゃあ、わかっとる」「ワラはもっと短く切れば、水牛も踏みやすかったはずじゃ」と心強い。


12月22日(木)明日、ビエンチャンに戻る

 明日、村からビエンチャンに戻る。1月10日過ぎにまた戻ってくるが、しばらく村をあける。今日は作業の残りをやったり、片づけ、挨拶などをして回る。

 サイガウ爺さんと晋作氏が、土壁用の竹を割っている。その割った竹を、モン語でションターと呼ばれる、調理する火の上にかけられた棚の上に置いてもらって、燻したいと思っている。竹をよく乾燥させて、虫食いを防ぎたいからだ。数家族かの人々はすでに担いで持っていってくれたけれど、まだたくさん竹が残っている。私は道ゆく子どもたちに声をかけた。まずは10歳くらいの男の子2人。

「竹をションターの上に置いてもらいたいんだけど、いい?」「いいよ」「家どこなの?一緒に運ぼうよ」「うん」。

 ということで、男の子たちと竹を担いで運ぶ。竹も束にするとずっしりと重いけれど、男の子たちは一抱えずつ担いでくれた。でも、ションターに載せるということは、日本でいったら押入に物をしまうようなもので、他人の家の押入にしまってもらうのに、親の了解を得なくていいのだろうか?と私は心配してついていったのだが、ちょうど家にいたお父さんが、「あぁあぁ、いいよ」と気軽に竹を受け取ってくれた。

 割られた竹はまだまだ山になっている。今度は女の子たちに声をかける。マイヤオとアイの二人。「ションターがある家知らない?」するとマイヤオが、「私の家のションター大きいよ」と。マイヤオとアイの二人はさっさと竹を担ぐと、家まで運んでいく。家には誰もいない。薄暗くがらんとしている。二人はどんどん中に入ると、やっぱり親に聞くこともなく、ションターにかかっている梯子段を上り出す。ションターは、竹で作られた小さなつり棚のこともあるけれど、立派なションターはまるでロフトか、中二階のようにしっかりと板か竹で天井(というか床というか・・・)が貼ってある。「私も上っても大丈夫?」と聞くと、「平気だよ」と。竹を担いで梯子段を上り、ションターの上に上る。長年のすすで真っ黒になったションターの上には、竹で編んだかごや、あれこれいろんなものが置かれて燻されている。モンの家は平屋なので、ほとんど上から部屋を見下ろしということがないので、ションターに上って見下ろすモンの家は、なんだか別の世界を見るような気がして面白い。ちょっとわくわくしてしまった。

 子どもたちが「じゃあ、あっちの家に運ぼう」「こっちの家に運ぼう」と、ちょこまかちょこまか竹を担いでは運んでくれたので、あっという間に、竹をションターの上に載せることができた。大人に頼んでも、「あぁ、後で取りに行くよ」と言ってはくれるけど、なかなかすぐには来てくれないが、子どもたちには、竹を運ぶのも何だか遊びの延長みたいなものみたいで、面白半分に手伝ってくれたので、ありがたかった。

 夜、サイガウ爺さんと一緒に飲む。ビエンチャンから、ラオス製のワインを買って持って行っていた。夕食の後、一緒にラオス製のワインを飲む。コルクを引く抜くのが固くて一騒動でその分、期待して飲んでみたけれど、爺さん「渋いなぁ。まずい。わしは一杯でいいよ」と。実は爺さん、自分でもお酒を作っている。毎年6月になるスモモでスモモ酒を作っているのだ。「お爺さんのお酒の方がぜったいおいしいよね」と言うと、「まぁ、そうだな。ワッハッハ」と。「だってこれ、6万キップ(600円ほど)で売ってるんだよ。ぜったい爺さんのお酒の方がおいしいよ。ラベルと瓶をきれいにしたら、絶対売れるよ。そしたら私が売るよ」なんて言うと、「そうかいそうかい、じゃあ来年はたくさん作るかな」と。本音を言うと自分が飲みたいわけだけど、でも、ここでは、いくらスモモがたくさん収穫できても、市場で全部は売れないし、保存もできないし、もったいないのである。

 夜、ろうそくの灯りの中、サイガウ爺さんに感謝をこめつつ、一緒に酒を飲んだ。サイガウ爺さんは「あんたたちが、うちにいる間には、まずいものもうまいものも一緒に食べる。そういうことなんだから、家族の一員だと思っていなさい。食い物がある時は一緒に満腹になり、ない時は一緒に腹を減らせるっことだよ。わしができることは手伝う。できることはできる。できないことはできないよ。ワッハッハ」。

1222日    鈴木
 
身の回りの整理、現場の片付け、土のテストを行う。ベトナムに瓦の調査に行ったゾンブーが帰ってくる。報告を受け、ラオスで使われていた瓦(お寺、古民家)を元に改善箇所を含め、原寸図を描き彼に渡した。製作の指示、契約など諸手配を頼んだ。現地の人には、往来が簡単で、物の遣り取りも盛んだ。


瓦のサンプルと原寸図で説明、ベトナムでの瓦の手配を頼む (す)

1223
 朝、サイガウ爺さんの孫のトンが水牛で土を踏んでくれる。ワラが入っているのと粘性が強いのとで、水牛も辛そうだ。大分、ワラと土が混ざって、水とも馴染んできた。昼前に村を後にし、ポーンサワンに向った。午後3時のバスでビエンチャンに出発。深夜
2時着。これで、今回の準備を一区切りとした。

 

 
 「土が冷たいよ!」と言うトンと、そろそろ疲れた水牛 (す)

12月25日(土)メリークリスマス

 クリスマスです。でも、裏のお寺が一晩中お経を唱えています。今日はワンシンと呼ばれる仏様の日だからかな?夜中中あんなにお経を唱えていたら、このあたりにはサンタクロースもやってこないだろう・・という気がしてしまいます。
 さて、23日の朝、G村をトラックバスで出て、バスを乗り継ぎ24日の朝2時にビエンチャンに到着しました。
 村ではろくに自分の顔を見ることもなかったけれど、改めて見ると、手には黒い汚れがしみついているし、髪はべたっとしているし・・・顔も日焼け風焼け・・・。ビエンチャンでやっと温水シャワーをあびて、洗濯をして、やっとほっとしました。ビエンチャンも涼しいけれど、半袖で大丈夫なのだから、なんて楽、快適なのでしょう。


 晋作くんは3週間、私は1ヶ月、村にいました。はじめの頃は、正直言って、霧深いノンヘートで、本当に霧の中で立ち往生して、いったいどっちに足を踏み出したらいいのだろう?とそんな気持ちがしました。でも、村に滞在していく中で、村の人々と一緒に作業をして、そして、村の人々の顔が見えてきて、そして、いろいろ材料や準備のめどがついてきて・・・・ようやっと今頃になって、やっと霧の中から一歩踏み出せた気がしています。
 来年1月10日過ぎに、再びG村に戻ります。(やすい)
 
 


つづく

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