2012年1月9日〜13日  G村を訪ねました




2012年1月9日(月)  ジャール平原へ



 
 
 久々の観光である。
 友人のリエさん夫婦が今回いっしょに村へと同行した。お二人は、文庫基金の強力な協力者でもあり、たいへんにお世話になっている。リエさんは、私が「おはなしきゃらばん」に勤めていた頃の同僚で、その後は、ずっと幼稚園で働いて、今は、子育てサロンなどを開いて、子どもと育児の活動に関わって長く、深い。ご主人のシノキさんは、カメラマンである。子どもたちの写真を中心として、撮りつづけ、写真絵本も何冊か出ている。白黒の子どもたちのきらめきが映し出されるような写真である。

 というわけで、今回は、山の村に入る前に、いつもなら行かない「ジャール平原」に行った。巨大な壺がごろごろしている場所である。今は、観光地として整備されていて、壺公園みたいな雰囲気になっていて、少しつまらなくなったなぁ・・・・と思っていたが、晴れ上がった空の下、ずっと山の上まで登っていくと、広々とした平原が見渡せ、気持ちがよかった。
 旦那に、
「この壺はさぁ、昔の人が酒盛りしたおちょこなんだってさ。昔の人は、大きかったんだよねぇ」
というと、「そんなわけがないじゃないか!」と、怒ったようにいう。
 ちぇっ、そう思っておいた方が、ロマンがあると思うんだけど・・・・この晴れた青空の下で、この壺で酒・・はきついが、ビールを酌み交わして、大空に向かって泡でも飛ばしたら、面白いじゃないか!



1月10日(火) 村へ。 桃の木がベトナムへ大移動
 晴れたのは、昨日1日だけで、またまた寒い天気へ。霧がかかり、太陽が見えない。
 いつも、村の人たちに、
「あんたが来ると、いつも寒くなるね。運がないねぇ」と言われる。
 まぁ、この季節、ここノンヘートは、どーせ、こんな天気だ、霧がかかって太陽が見えない日が、4〜5日、晴れて2〜3日・・の繰り返しってとこだから、私が悪いわけではない。

 さて、あちこちで、桃の木をバイクの後ろに縛り付けたり、車の荷台に満載して、ベトナムへと車が走っている。ベトナム人たちが、桃の木を買いあさっているのである。根ごとではなく、花のつぼみがついた大きな枝をバッサバッサと斬り、そして、買っていくのである。
 もうすぐ、ベトナム正月・・・・・そのために、桃の木の買い付けに血眼のベトナム人たち。
 村にも、大勢がバイクや車で乗り付けている。
 大きな木では、100万キップ近くもするそうだ(1万円)---その値で買い付けて商売になるというのだから、よっぽど高いお金で売買されるんだろう・・・・・・小さな枝は、1本5万キップ(500円)くらいからの買い付け値だが・・・・
 桃の木は、桃太郎が鬼に勝つ力を持っているように、魔除けのパワーがあるそうだ。ベトナム正月には欠かせない木だという。根こそぎ斬っていくのではないから、よっぽど根元に近い位置で斬らなければ、木が死ぬことはないという・・・・・それを聞いて、ほっとした。





2012年1月11日(水) 学校へ文房具を持って行ったり

 まず、村の小学校へ、文房具を届ける。これは、昨年9月に村まで訪ねてきてくださった、石川県の清水基金の木崎さんが、文房具を購入して学校へ寄付するための資金をくださった。それで、今回、購入してきたわけである。
 村のはずれにある小学校は、5年生までで、125人ほど。近隣の村からも通ってきている。
 学校へ行くと、ちょうど鐘がなり、休み時間となって、子供たちが元気に外で遊びだした。
「今日は、木崎さんにお預かりした文房具を持ってきたよ」と言うと、先生はどこかへ消える・・・・と、まもなくビールを3本持って現れた。朝っぱらから・・・・前回、木崎さんと職員室を訪ねたときは、なんとハチ入りお酒だったのだが・・・・・
 この学校の校長先生のチャ・ウー先生は村の住人だが、他5人の先生たちは、ラオの人たちで、県内ではあるが、他の地域からやってきている。学校の敷地内の宿舎に住み、自炊し、教えている。そのうち二人は、結構モン語も話せる。先生たちも、なかなか大変である。
 さて、小さな職員室に集まった先生たちと、あいさつ口上を述べながら、ビールを回し飲み、そのあと、文房具を贈呈、子供たちに配った。




学校の全生徒が校庭に並ぶ。霧が低く垂れこめ、寒いが、子供たちは元気。



 図書館は相変わらずの盛況ぶりだ。学校の授業が終わると、またたくまにみんながやってくる。

 夕方、図書館が終わると、泊めてもらっている家のシェンが、待ってましたとばかり、「餅つきに早く来てよ」と呼ぶ。シェンの家には、今、男手がない。そこで、旦那と、そして、隣の家のメドンが餅をつく。私とリエさんは、餅を丸めるのを手伝う。モンの餅は、なかなかおいしい。


 杵と杵を突き合わせ、最後に餅をこね合わせて、仕上げる。モンの臼は横長である。

 夕食は、隣の家のリーが、わざわざ鶏をつぶして料理をしてくれた。私は、何度も見ているが、リエさんは、「生まれて初めて、生きた鶏から料理するのを見た」と言う。確かに、日本では、ほとんど見る機会はないだろう。シノキさんが、
「日本では、食べ物のありがたみを子供たちに教えるには、どうするか? なんてことを言っているけれど、本当にここでは、何も言わなくたって、人間は、他の命をいただいている・・・っていうことが、見てわかるもんなぁ」とおっしゃる。まさに、そうである。
 リーの弟のメドンが、
「パヌン、今日、ぼくといっしょに下の家で寝てくれる? ぼく、一人で下の家に寝るから、ちょっと怖いんだ」
と言う。リーの家は、昨年、小さな家を新築したのだ。家族が全員そろえば7人となり、古い今の家だけでは手狭になるわけだが、今日は、お父さんは畑小屋に泊まってるし、きょうだいのうちの2人は、学校で家にいない。お母さんもビエンチャンに行ってまだ帰ってこないので、リー夫婦は古い家に泊まり、下の弟のメドンが、下の家に一人で泊まるわけだ。
 私と旦那が、メドンの寝る下の家に行くと、メドンは、机にたくさんノートを広げて、勉強していた。
「もうすぐ試験なんだよ。ぼく、勉強してから寝るから、先寝ていいよ」
などと殊勝なことを言う。
 メドンが寝るまでつきあったが、メドンは一生懸命、教科書をノートに書き写している。
「書き写しているけど、わかってんの?」
と尋ねると、「ううん、とにかくまずは書き写すんだ」と言う。
「読めるの?」
「ううん」
 メドンは5年生なのだが、ちょっと不安だ。図書館のスタッフに聞くところでは、
「以前の方が、学校は小さかったけど、先生はよく教えてくれたよ。みんな、2年生になる頃には、なんとかラオス語読めたもんだけど、最近の子、読めないのよね」
と言っていたが・・・・・人数が増え、一人ひとりがわかっているかどうか、なんて置いたままで、授業が進んでしまうのだろうか・・・・

 

 メドンは、
「一生懸命書いてるから、暑くなったよ」と、なんと上着を脱いだ。しんしんとコンクリの床から冷気が上がってくるというのに・・・・でも、じきにくしゃみをし、
「ねぇ、ちょっと運動しようよ」と言いだし、私と旦那とメドンの3人は、コンクリ床の上で、Y字バランスやら、ブリッジやらをやる。そのあと、寝た。


 2012年1月12日(木) 霧の中、相撲をしたり、牛を探しに行ったり・・・・
 
 学校は、午後早々に終わったようで、子供たち、また大勢図書館にやってくる。
 昨日も今日も、寒いので、オンドル窯に火を入れている。床の一部だけだが、少しだけ暖かい。


 寒いけれど、子供たちは図書館にあふれ、お話を誰かが読みだすと、熱心に聞き入る。
 シノキさんが、「寒いときは、相撲をやろう」と言い出して、土に丸い土俵を描き、男の子たちと取り組む。子どもたち、身体はずっと小さいのに、「いやぁ、力があるなぁ」と驚いている。



 ためしに私も、小5のトゥーローと取り組んでみたら、あっという間に負けた。
 さすが、ずっと小さいころから、山を歩き、水汲みや薪背負いをし、畑仕事をやってきているから、筋肉の付き方、身体の鍛えられ方が違うのだろう。
 いや、恐れ入った。

 その後、シェンに言われて、山に牛を見に行く、メドン、トゥーローたちにくっついて、放牧地のある山まで行くことになった。この村の人たちは、山の草地に、牛を放しているから、たまに見に行って、「いるかどうか、数を確かめる」のである。いないと、結構、大騒ぎして、あちこちを探しまくる。牛というのは、群れがいっしょにいるものだから、大抵、いっしょにいるものだそうだ。
 さて、メドンは、鳥のワナをついでにかけながら、行く。

 途中、数日前にかけたワナを見たら、小鳥が一匹かかっていた。ズボンのポケットに得意そうに突っ込む。竹の中に、エサになる、何かの幼虫を持っている。ワナに仕掛けるのだ。
 すばやく、あちこち、藪の中に分け入りながら、ワナをかけながら、山の放牧場の方へと行く。
 男の子たちは、耳を澄ましながら、
「あっちから、牛の鈴の音が聞こえるぞ。バーウバウバウ」
「ハーウハウハウ」
と牛を呼ぶ掛け声をかけながら、すばやく山の斜面を登って行った。私たちには、
「ここで待っててよ」と言い、斜面をのぼり、しばらくしてから、
「全頭、牛を発見した」
と戻ってきた。
「牛にやる塩持ってきたの?」
「うん、忘れたんだ。でも、牛いたしさ、いいんだ」
と、みんな元気にまた村まで戻ったのである。