NHK『美しい日本 百の風景』より「北海道 釧路湿原」
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1月の釧路湿原、日ごとに寒さは厳しさを増し、大地は次第に凍てついて行きます。すべてが、氷に閉ざされる直前の季節です。豊かな水は冷えきった湿原をめぐり、さまざまな形の氷となって、繊細な輝きを放ちます。湿原に満ちる水が、あるときは厳しく、あるときは柔らかな表情で命を育み、冬の大地を潤します。
厳冬 タンチョウ舞う朝
北海道 釧路湿原
北海道、釧路湿原。零下20度にもなる寒気のなかをSLの汽笛が響きわたります。
釧路湿原は北海道東部に広がる日本最大の湿原です。釧路川など大小の川が流れ、その豊かな水が2000種類もの動植物の命を支えています。1月上旬、湿原を緑に染めていた葦もすっかり色を落としていました。もうすぐ川は氷に覆われてしまいます。日一日と流れは冷たさを増していきます。川面では草や枝についたしぶきがたちまち凍りついていきます。
湧き水です。釧路湿原では、1日2000トンもの水が湧き出しています。湧き水の温度は一年を通しておよそ5度、気温が零下20度まで冷え込む1月、湧き水は豊かな流れとなって、湿原を暖めます。
暖かな湧き水のめぐみで川の中は冬でも色鮮やかです。鮭の卵、孵化の直前です。ここで生まれた鮭は海に出て、4年後、再び子孫を残すために戻ってきます。そして、この川で一生を終えます。
釧路湿原は巨大なスポンジにたとえられます。いつもはひざまで水に浸ってしまう湿原を自由に歩けるのは冬だけです。新庄久志さん、湿原のハンノキを研究して34年になります。ハンノキは寒さの厳しい釧路湿原で、唯一、群生している樹木です。冬になると、新庄さんはハンノキの年輪をつぶさに調べ、厳しい大地を生きるハンノキの成長を記録しつづけています。
冬のハンノキは氷の上にそびえています。湿原の大地は極端にやせています。夏でも気温が上がらない湿原では枯れた植物が腐葉土にならないからです。
張りつめた氷の下でハンノキは自分のまわりの氷を体温で融かし、わずかな養分を吸いとります。そのとき、湿原の水は濾過され、きれいになっていきます。
誰も見向きもしないでしょ。ハンノキって。だって、花だってきれい、あんまりきれいじゃないし。すごい素朴な花なんですよ。あの、春先にね、こんな白樺みたいな黄色いの、鎖のようになるだけで、誰も知らない。そして材料にもならない雑木っていわれんです。それで、みんなボソボソボソボソ切る、切るだけなん。いや、役、まったく役に立たないと思われてた木なの。実はそれが山林を守る役割をしてくれるし、湿原の生態系も、いろんな野生生物を支えてくれているし。で、こうありたいと思うんですよ。今の今まで、誰も見向きもしていない、その、そんな役に立たないと思われて、思われていたのが実はこんなに役に立つんだ、で、こんな役割をしてるんだっていうのをハンノキは僕たちに教えてくれるんですよね。励ましてくれるというかね。あの、うん、オレたちだってやれるんじゃないって気になるんですよ。
花も美しくなく、材木としても役に立たないので、誰もハンノキに注目しなかった。しかし、ハンノキは山林や多くの生き物を守る役割を果たしている。ハンノキは、誰でも努力すれば人の役に立つことを教えてくれる。
釧路湿原の愛嬌ものヤチボウズです。菅の仲間は、毎年、古い株の上で成長を重ね、数十年もかけて、こんな形になりました。キタサンショウウオが冬を越すために潜りこんでいることもあります。
この日、湿原に雪が降りました。北海道の中では雪の少ない釧路湿原ですが、一度降った雪は根雪となって大地を覆います。流れる雪はやがて氷となって川をうめつくします。
エゾシカです。冬の間、木の小枝をかじりとって、飢えをしのぎます。
アイヌの人々が「サロルン・カムイ」、『湿原の神』と呼んだタンチョウ。タンチョウもまた冬の寒さに耐えています。
渡部トメさん、雪のためにタンチョウのエサが不足する間、牧草地でトウモロコシを与えます。北海道から委託された給餌人です。渡部トメさんはタンチョウの世話をして40年、しかし、タンチョウに必要以上に近づくことはしません。
まだどこでも食べれるうちに人がこうやってどんどんやったら、自分で食べなくなってさ。ズルくなっちゃって。だからもうなるったけね、地面が凍るまでやらねえの。凍っちゃったらとれねえから。だから、こう。だから、だいたい早くやっても10月の26、7日ころからかな。うちではだよ。それだけ悪党なんだな。そりゃやっぱりつるめんくいからそうするんだ。うん。な、でなかったら、どんでもいいわ、エサやればいいわい、どんでもいせえというものなんだら、なにい、雪降らなくても、しばれなくても、どんどんやるんだ。んだけど、やっぱり自然のもんだから、やっぱり自然のあれでおきたいべさ。
人間がエサを与えてばかりいると、タンチョウは自分でエサをとらなくなってしまう。だから、地面が凍ってエサがとれなくなるまではエサは与えないようにしている。自然の中で生きるタンチョウは、できるだけ自然のままにしておくのがいいと思う。
1月中旬、寒さはさらに厳しさを増します。気温が最も低くなる夜の間、川に氷が張りつめていきます。
朝7時、冬の遅い夜明け、湿原を流れる雪裡川に霧が立ちのぼっていました。地元では「けあらし」と呼んでいます。けあらしが出るのは、湧き水の豊富な暖かい水の流れる場所です。タンチョウはこの川に集まって、厳しい寒さに耐えます。
湿原の湖は厚い氷に覆われました。氷の中のまるい模様。湖の底から湧きあがるガスも氷に閉じこめられています。湖面には氷の造形があらわれました。「御神渡り」です。湖の氷が厳しい冷えこみと太陽の熱にさらされて、日々、膨張と収縮を繰り返してできた氷の街道です。氷のきしむ音を響かせながら御神渡りは毎日少しずつ大きくなっていきます。佐藤光則さんは釧路湿原を訪れる人たちに自然の姿を伝える指導員です。御神渡りが現れてからは毎日のように氷の変化を見つめています。
氷を見て、その小さく氷の中に閉じこめられた気泡なりその結晶っていうことですね。その、やっぱり、さまざまな自然のですね、あの、成り立ちやその厳しさなんかが見えてくることがあると思うんです。ですから、やはりあの、その見方を変えるとですね、単なる御御渡りでもですね、いろんな表情を見せてくれるっていうのも、やっぱりひとつの魅力かもしれないですね。
「御御渡り」をよく見ると、自然の成り立ちや厳しさなど、いろいろなことがわかる。
朝の湿原にダイヤモンドダストが現れました。まもなく、2月、釧路湿原は雪と水に閉ざされ、一年でもっとも寒い時を迎えます。