NHK『美しい日本 百の風景』より「島根県 宍道湖」
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みごとな夕日で知られる湖があります。島根県、宍道湖です。静かに波立つ湖面を染めあげる夕映えの光。10月、冷たく澄んだ空気の中で湖はいっそう輝きわたります。変わりやすい秋の空のつかの間の光と影がうつろう宍道湖の風景です。
夕映え 水面にうつろう
島根県 宍道湖
宍道湖は周囲45キロ、全国で7番目に大きい湖です。その東側に広がるのは城下町松江。この町のくらしの息づかいは、昔から宍道湖と深く結びついています。なだらかな山並みに囲まれたおだやかな眺め、松江から見た宍道湖です。
町の中心部には松江城がそびえています。城が建てられたのは江戸時代のはじめ、実戦本位の武骨な天守閣が町を見おろしています。城の周りには宍道湖の豊かな水を引き込んだ堀がめぐらされ、その一部は今も昔のままに残っています。
堀を走る遊覧船です。遊覧船がいく3.7キロの間には16の橋がかかっています。小さな橋に出会うと、遊覧船は屋根を下げてくぐります。堀の両側には、水面を覆うように木々が生い茂っています。堀がつくられてからの400年という歳月がしのばれます。
さて、みなさま、あの前方の枝の下をくぐりますからね。3センチほどさげますよ、3センチ。あの、このように舟のほうが遠慮して走ります。昔の自然が残っております。
堀の北側に武家屋敷が残る通りがあります。まだ江戸時代の面影が濃い明治時代のなかごろ、ここに暮らし、松江の町並みをこよなく愛した外国人がいました。『耳なし芳一』や『雪女』などで知られるアイルランド人ラフカディオ・ハーン、日本名「小泉八雲」です。八雲は明治23年に来日、英語教師の職を見つけて、松江に住みつきました。八雲は日本庭園を好み、仕事から帰ると、この庭をながめて心を和ませました。八雲は地元の女性と結婚してあこがれだった日本の生活に徐々に溶けこみ、松江で多くの作品を執筆しました。
宍道湖の夕日に八雲は格別の思いを抱いていました。これまで目にしたことのない夕日だったからです。八雲には夕日をながめるお気に入りの場所があって、夕暮れが迫ってくるとひとりで出かけていきました。この地方の天気は変わりやすく、刻々とうつろう夕日の光や色が湖の美しさをいっそう引き立てます。
八雲は宍道湖の表情をていねいに描写しています。
私の前には広々として美しい湖が、柔らかい光でにぶくかがやいて眠っている。…くすんだ濃い紫の靄が幅広くたなびき、朦朧とかすむ紫が更に中天に向かうあたりは薄く淡い朱やかすかな金色になり、それがまた仄かにも淡い緑色を経て、青空の青さに溶けこむ。/仄かに淡い夕暮れの色は五分ごとに変わっていく。すべすべした玉虫色絹布の色合いや陰影を思わせて色という色が不思議なほどに目まぐるしく移り変わる。(小泉八雲『神々の国の首都』より、森亮訳)
「出雲」という名の通り、この地方は雲が多いところです。日本海に面しているため、冬の間は高く厚い雲が立ちこめます。出雲の雲の多さを表わした「八雲」ということばを自分の名前にするほど八雲はこの風景を愛していたのです。
宍道湖のほとりに、夕日を見るのに絶好の場所があります。島根県立美術館です。ここでは夕日を壮大な絵画と見立て、鑑賞するためのさまざまな工夫を凝らしています。
湖に沿ったロビーは全面ガラス張りです。また、3月から9月の間は閉館時間が日没の30分後というめずらしいきまりになっています。夕暮れどき、人々はここに来て心ゆくまで夕日を楽しみます。
美術館にやってきたのは八雲のひ孫、小泉ぼんさんです。ぼんさんもここからながめる夕日をたいへん気に入っています。ほんさんは東京育ちですが、今は松江に住み、地元の短大で民俗学を教えています。八雲は100年前、宍道湖の夕日に何を感じていたのでしょうか。
あの、八雲はたびたび "vapor tone" ということばをつかっているんですけれども、あの、ぼうっとした、湯気を立たせたような、白っぽいぼうっとかすんだ、そういうことばをくりかえし使っています。宍道湖の夕暮れは5分ごとに変わっていくといっていますが、その変わりやすさっていうのは、ええ、日本文化の、やはり、たいへん大きな要素だということに八雲は気づいてですね。日本人が花を愛でるときには、つぼみから開くまでの間を楽しむ、一瞬の開いた、開花したきれいな状態を楽しむんじゃなくて。やはりそういううつろう時を愛でる日本人の感性、まあ、そういうものをハーンは、この宍道湖の夕日のうつろいっていうのを見ながら理解しようとしたんじゃないかと思うんですね。
小泉八雲は、変化していく宍道湖の夕暮れを見ながら、「うつろう時」を美しいと感じる日本人の感性を理解しようとしていたと思う。
八雲の心を日本人の感性に寄りそわせた宍道湖の夕日です。
暮れなずむ松江の町。そして、靄のなかで明ける朝。午前6時、朝の冷えこみが厳しくなると、湖は深い霧に包まれます。
日が昇るとまもなく漁船が霧をかきわけるようにして出て行きます。
宍道湖でもっとも盛んな漁、しじみ漁の船です。およそ7メートルのさおの先についた「鋤簾」というかごにしじみが入ると重さ10キロにもなります。しじみ漁は力仕事なのです。
宍道湖では日本一多くのしじみがとれます。豊かな恵みを知らせる鋤簾の音が湖面に響きます。
10月、冬が近づくと宍道湖に渡り鳥が次々に飛んできます。秋の初めにまず姿を見せたのはマガンです。マガンは国の天然記念物に指定され、およそ3000羽が宍道湖で冬を越します。マガンは宍道湖をねぐらにし、昼は田んぼで過ごします。刈りとりの終わった田んぼは格好の餌場です。
コハクチョウもシベリアからやってきました。およそ5000キロの旅を終え宍道湖に姿を見せたばかりです。早朝、ねぐらをたつマガンの群れ、ガンが連なって飛ぶ姿は「雁行」と呼ばれ、秋の季語となってきました。古来から日本人が愛でてきた秋の空の風景です。
宍道湖の北西にある斐川町です。ここには出雲平野独特の美しい農村風景が見られます。冬、日本海から吹いてくる強い季節風を防ぐため、昔から家の北側と西側に松が植えられているのです。松の囲いは「築地松」とよばれています。築地松はいつも丹精に刈りこまれています。
高さ10メートルをゆうに超える築地松を手入れするには専門の職人さんが必要です。25年ほど前までは斐川町には15000本の松が残っていましたが、最近は害虫の被害で枯れたり、家の構造が変わったりしたため、その数が減ってきました。高度な技術が必要な職人さんにも後継者がなかなか現れません。坂本芳友さんは築地松の剪定をして40年、73歳の今は最年長になりました。
せっかく大きくなろうと思って、松が成長したり、あの、刈られるということが、非常に、まあ、痛かろうなと思うてもですね、だども、みなさんにかわいがってもらったり、好いてもらうためには、やはり姿を整えるってことが、みなさんにかわいがられるもとになりますから。ああ、まあ、なんですかね、痛からどもこらえてほしいなという感じで刈っとうですね。
形がきれいな方がみんなにかわいがられると思う。「痛いだろうが、がまんしてほしい」という気持ちで切っている。
築地松は厳しい自然環境のなかで生きてきた出雲平野の人々の歴史を物語っています。松の剪定の技を次の世代に伝えてこの風景を守りたいというのが坂本さんの思いです。
おだやかな秋晴れの一日が終わろうとしています。今日もすばらしい夕日を見ることができそうです。
宍道湖には毎日、日没の時刻のあわせて遊覧船が出てきます。夕日がきれいになる秋の週末、船は満員です。
船長の上谷繁夫さんです。上谷さんは以前、隠岐島で観光船の仕事をしていましたが、宍道湖の夕日に魅せられて、家族とともに松江に移り住みました。それから16年、上谷さんは遊覧船の船長として毎日夕日を見つめてきました。上谷さんはちょうどいい所で船を泊めます。風がおさまり、厚い雲も消えました。出雲の秋にはめずらしい空模様です。水と光が織りなすなめらかな布が広がっているようです。
今日の夕日はね、ええ、夕日は、まあ、秋がいちばんきれいなんですがその中でももうトップ級のきれいな夕日です。この、べた凪ぎの日はですね、あの水面が、あ、波が立ってませんが、これはね、焼ける、焼けるいうんか、あの水面が焼けるというですかね、非常にきれいな色が出てきます、あの、水面の。だからお客さんに見せても、乗せてても、船に乗せて見せても、何かこう優雅な気持ち、われわれでも優雅な気持ちになりますよね。
今日の夕日は非常にきれいだった。波がないときは、水面がとてもきれいな色になるので、自分たちも優雅な気持ちになる。
午後5時半、夕日に感動したお客さんたちから自然に出た拍手です。
時には優雅に、時には荘厳に、太陽と雲と風でうつろう宍道湖の夕日、空と水とが溶けあうひとときです。