九州の南、六十キロに浮かぶ屋久島。六月、水の島とも呼ばれる屋久島には、絶え間なく雨が降り注ぎます。山から溢れた水が作り出す巨大な滝。豊かな水が育んできた原始の森。悠久の時が流れる屋久島を訪ねました。
鹿児島県屋久島、標高1936メートルの宮之浦岳をはじめ、いくつもの険しい山々が聳えています。屋久島は今から1400万年前、海底の花崗岩が隆起し誕生しました。山に降り注ぐ雨の量は多い年では年間1万ミリを超えます。雨は険しい地形と、豊かな緑を育んできました。
山の中に一歩踏み込むと、そこには太古の昔から姿を変えない原始の森が広がっています。屋久島に自生する植物はおよそ1500種。世界最大の羊歯の仲間、ヘゴです。大きいものだと高さ5メートルを超えます。
1993年、日本で初めて世界自然遺産に登録された屋久島。世界でも数少ない、手つかずの自然が残された場所です。川が増水する六月、ガイドなしで森に分け入るのは危険です。しかし、人があまり訪れないこの時期こそ最も屋久島が美しいと言います。
ええと、ですね、まあ、今日は雨が降っていますけれども、あのすごくウェットな感じで、あの、屋久島らしい風景が見れますよね。すべてが水に覆われてる。岩であるとか、え、苔であるとか、木であるとか、なにしろ動物なんかも全部、雨、水に覆われてる世界。生き物って全部、あの、水に育まれてるじゃないですか。それを、なんか、強く、え、感じたります。
標高差は1900メートル。登るにつれて、亜熱帯の林から針葉樹の森まで、様々な姿を見せてくれます。標高600メートルを過ぎたあたりから、島の代名詞ともいえる屋久杉が育つ森が広がります。屋久杉という名は樹齢千年を超える杉だけに与えられてきました。標高800メートルの森にある七本杉、幹から七本の太い枝が伸びています。標高1200メートル、樹齢3000年の紀元杉です。栄養分の少ない、花崗岩の島で育つ屋久杉は緻密で樹脂分が多く、腐りにくいため、長く生きることができると考えられています。
標高1300メートル、屋久島最大の杉、縄文杉が姿を現します。高さ25.3メートル、幹周り16.4メートル、一説には樹齢7200年と言われる島の最長老です。数千年の時を越え刻まれた深いしわ、それが縄の目に見えるところから、縄文杉と呼ばれるようになったと言われています。
10年前に撮影された映像です。現在は根を保護するために、縄文杉のすぐそばに行くことはできません。1967年に初めて紹介された縄文杉は、屋久島を巨木の育つ森として広く人々に印象づけました。以来、ここは多くの人々が屋久島の自然が持つ偉大な力と向き合う聖なる場所として大切に守られつづけています。
つかの間の晴れ間、ガイドを初めて15年になる真津さんは幾度となく縄文杉と向き合ってきました。光が差し込みまるで深い呼吸をしているかのような姿。真津さんは縄文杉が生きてきたはるかな時の流れに思いを馳せます。
やはり、一番すごいなぁと思うのは、あの、長い年月かけて生きてる生き物じゃないですか。やっぱり、そういうものと今自分が会ってるんだなぁという感覚が自分の中で持てたとき、明治時代も生きてた、えー、江戸時代も生きてた、えー、弥生、縄文あたりから生きてた。ずうっと生き物と今会ってるわけですから、普通だったら、あの、本当ひれ伏すっていうような、あの、感じなんだと思うんですよ。そういう感じが自分のなかにこう、芽生えるというか、あのこう、思えたときが、一番なんか縄文杉の前にいて、ああいいなぁと思える時ですかね。
屋久島の山中に一人の聖老人が立っている。齢およそ七千二百年というごわごわとしたその肌に手を触れると、遠く深い神聖の気が沁みこんでくる。聖老人、あなたはこの地上に生を受けて以来、ただのひとことも語らず、ただの一歩も動かず、そこに立っておられた。聖老人、あなたが黙して語らぬ故にわたくしは、あなたの森に住む。罪知らぬひとりの百性となって鈴振り、あなたを讃える歌をうたう。
縄文杉に魅せられ、屋久島に移り住んだ詩人、山尾三省の詩です。
縄文杉から山を下ること三時間、豊かな水をたたえる沢がありました。山が緑に覆われるこの季節、水辺は鮮やかな彩を放ちます。サツキの花が満開のときを迎えています。川ツツジと呼ばれる屋久島のサツキは岩場に次々と花を咲かせます。山の中では光の差し込む場所は沢にしかありません。そのため、サツキは岩場に根を張るようになったのです。
ほんの一瞬のぞいた晴れ間は、瞬く間に雨雲にかきけされました。屋久島に台風が近づいているのです。毎年多くの台風に襲われる屋久島、激しい暴風雨によって荒々しい姿に一変します。
屋久島最大の滝、大川の滝です。降りしきる雨によって、溢れ出した水が80メートルの崖から叩きつけれます。屋久島に点在する無数の滝、この時期、その一つ一つが人を寄せ付けない、険しい表情に変わります。落差40メートルの千尋滝です。巨大な一枚岩のうえを流れ落ち、一気に滝壺になだれ込む勇壮な滝です。天気の変化によって、めまぐるしく表情を変えながら流れる屋久島の水、太古の森はこの豊かな水によって、育まれてきたのです。
森の中で眩いばかりの緑が輝く神秘的な場所を見つけました。一面の苔の森です。映画監督、宮崎駿さんは、映画『もののけ姫』に登場する山の神のすみかをこの場所をモデルに描いたと言われています。雨が多く湿度が高い屋久島は苔の生育に最適の場所です。屋久島に自生する苔はおよそ540種、日本にある苔の三分の一を見ることができると言われています。その一つ一つに目を凝らしてみると、表情豊かな小さな風景が広がります。
森いっぱいに広がる苔、実は屋久島に育つ木々にとって、苔は欠かすことができないものです。岩の多い屋久島では、水を多く蓄えた苔が様々な木々の苗床となってきました。屋久島の豊かな森は島を覆いつくすこの小さな苔によって支えられてきたのです。
雲に覆われ、絶え間なく、雨が降り続く屋久島。遥か昔から繰り返されてきた自然の営みが今も変わらない屋久島の風景を作り出してきました。そして、山は、麓に暮らす人々に豊かな恵みをあたえ続けてきました。人々は山の裾野のわずかな土地に田畑を拓き、一年を通して米や野菜を育てています。田んぼには稲穂が実りはじめていました。この永田地区で農家を営む渡辺泉さんです。屋久島で生まれ育った渡辺さんは先祖代々受け継がれた田んぼを50年間守り続けてきました。渡辺さんは里で多くの恵みを得ることができるのは、山と水のおかげだと言います。
もう屋久島はやっぱり九州一高い山で、高いところがありますから水があるでしょう。水のあるとこでなくちゃ、人間は住めないですから。まぁ、人間にしても、獣にしても、木にしてもそうですよ。雨が降って水が貯まって、はって、それを吸うて、木そのもの恵みをもらって、みんながやっぱり成長していますから。晴れたり曇ったり、雨が来たり時化が来て、やっぱり調整して世の中生きていると思います。だから、わたしは、もう、ここがもう一番いいなと思いながら、もうなんていいます、人が「あっちがいい」「ここがいい」と言っても、自分は自分なりに一生懸命大切にしながら百姓にがんばっています。
渡辺さんが子供のころからいつくしんできたふるさとの風景です。
屋久島では山の上や森の中など至る所で小さな祠を見ることができます。昔から人々にとって山自体が信仰の対象でした。日々の暮らしと山とのつながりが大切に守られてきました。この日、楠川地区では二ヶ月に一度の祠の手入れが行なわれました。楠川地区では年に二回、代表者が一泊二日をかけて山に入り、感謝の祈りを捧げる「お岳参り」という行事が大切に守られています。山への感謝、自然への畏れ、そして、太古の森を守り続けてきた誇り。島の人々は山の神への祈りを代々受け継ぎながら暮らしてきました。
森の中に昔から大切に見守られてきた場所があります。およそ300年前に伐採された屋久杉の切り株、ウィルソン株です。大正3年にこの株を発見したアメリカの植物学者、ウィルソン博士にちなんでその名が付けられました。切り株の中は畳八畳ほどもある空洞となっています。切られた当時の樹齢がおよそ2000年と言われる切り株の中にはいつ誰が建てたか分からない小さな祠が祀られています。人間の手によって伐採され、命絶えた一本の屋久杉。祠には森を大切に守っていきたいという人々の思いが込められています。大いなる自然の力に包まれた屋久島、そこには太古から続く悠久の時の流れがありました。