権益と責任
日本人は、自己の権利や利益よりも自分の義務や責任を重視しがちである。日本では、能力を認められていない者が権利や利益を主張しても相手にされない。むしろ、義務や責任をおろそかにして権利や利益を主張するのは、恥ずかしいことだと考えられている。例えば、不勉強な学生(=責任をおろそかにしている)が自分の利益を主張しても、正当な要求だと思ってもらうことはできない。「ちゃんと勉強してから文句を言え!」と怒られるのがオチである。
台湾では、仕事のときに、自分勝手な判断をせずに必ず責任者の指示を仰ぐように求められる。自分で考え・判断することができるのは、能力のある者(または、偉い人)だけだと考えられていて、大半の者には指示通りに動くことが求められるだけである。他方、日本では、自分で考え・自分で判断することが求められる。自律的に行動せずに上司の指示ばかり待っていると、『指示待ち人間』などと言われて能力がない者と見なされてしまう。『言いつけられた仕事を、言われた通りにやることができる』だけでは、ふつうの人である。『仕事を言いつけられる前に、すでにその仕事を終えている』くらいでないと有能な人とは思われない。
日本では、「ちょっと、これ、あれしといて。」のような指示が多い。指示をされた方は、相手が何をしてほしいかを考えて行動し、ほとんどのケースで相手の要求を満たすことができる。日本語のコミュニケーションでは、常に相手の立場に立って考えることが重要なのである。具体的には、以下のように考えればよいだろう。
指示されたことを実行するだけでなく、相手がしてほしいと思っていることをするべきである。
たとえば、あなたが上司に、Aという資料を探すためにBという図書館に行くように指示されたとする。しかし、B図書館にA資料はなかった。このとき、上司のところに戻って、B図書館にA資料がなかったことを報告してはいけない。上司があなたにしてほしいと思っていることは、あなたがB図書館に行くことではなくて、あなたがA資料を入手することである。あなたがしなくてはならないのは、最も早くA資料が入手できる方法を探し出し、その方法でA資料を入手する(あるいは、入手可能な状態にする)ことである。しかも、それを短い時間で確実に行なわなければならない。
あなたが人並みはずれて有能な人物でないかぎり、あなたが考えつくことは他の人も考えつく。
たとえば、あなたが上司に無理な要求をされた場合も、その場で断ってはいけない。上司が無知か無能でない限りは、上司も無理であることを承知の上で指示をしているのである。あなたは、そこに何か特別な事情があるのだと考えなければならない。その結果、あなたは上司の要求に従うことになり、その要求に従った以上は、責任を持ってその仕事をやり抜かなければならない。あなたは、寝る時間を削ってでも食事を抜いてでも、上司の要求に応えるために努力をするべきである。結果としてできなかったとしても、相手が納得するだけの努力をすることこそが、あなたに課せられた責任なのである。
自分の都合よりも、相手の都合を優先すべきである。
たとえば、B5のファイルを用意するように指示されたとする。しかし、事務所にはA4のファイルしか置いていないので、B5のファイルならばどこかに買いに行かなければならない。そのとき、「A4のファイルではダメですか?」などと質問してはいけない。わざわざB5のファイルを買いに行くのは面倒かもしれないが、それはあなたの都合に過ぎない。あなたに指示をした人は、B5のファイルでなければならないから、あなたにB5のファイルを用意するように指示をしたのだと、あなたは理解しなければならないのである。あなたがしなければならないのは、黙ってB5のファイルを買いに行くことである。あなたにとっては面倒なことでも、相手にとって不十分な代替手段で済まそうとしてはいけない。