books / 2004年02月02日〜

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神坂 一『トラブルシューター シェリフスターズMS mission05』
角川書店 / 文庫判(角川スニーカー文庫所収) / 平成16年02月01日付初版 / 本体価格514円 / 2004年02月02日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 書き下ろし長篇のMS、雑誌連載シリーズのSSの両軸で展開していたトラブルシューター・シェリフスターズシリーズの掉尾を飾る書き下ろし長篇。
 事件処理業者という表の顔を持つシェリフスターズ、その実態は巨大軍事企業が開発した生体兵器のいわば試験場だった。ある特殊な薬品を定期的に投与しなければ命を繋げない、サミィとイーザー、そしてメニィの三人は、その計画の薄汚さを知りながら、為す術もなく会社の指令に従うほかなかった。だが、ごくつまらない仕事に呼び出されたサミィとイーザーのMSチームが、彼らと縁浅からぬある男と邂逅を遂げたことで、事態に劇的な変化を齎す。四面楚歌の苦境から、果たして彼らは無事に“自由”を手にすることが出来るのか……?
 年始に書き下ろしのMS、夏頃に連載のSSを発売するというペースが定着して約四年、これでシリーズ完結である。しんどそうだ、と感じる巻もあったものの、ほぼ安定した展開と筆運びで楽しませてくれたゆえ、毎回特に詳細な感想を記さなかったが、せっかくの完結編なので、全体を俯瞰するような感じでちょっと書き留めておく。
 デビュー以来未だに継続している『スレイヤーズ』シリーズ短篇のイメージもあって、ライトな作風が売りとなっているような著者だが、こと長篇については重い主題を隠している場合が多い。結局シリーズとして設定に向き合ううちに“重み”が露見していくパターンもあるが(『日帰りクエスト』がその代表)、本編は比較的早いうちから“作られ隷従せざるを得ない命”というテーマを真っ向に押し出している。
 そのテーマをこの完結までに充分処理できたかというと、正直疑わしい。未解決な部分ばかりが残されている。とは言え、元々著者の作風はそれを虚構らしく大団円で纏めるのではなく、妥協点を見出してひとまず丸く収める、という方向に向きがちなので、さして意外ではない。
 丸く収める、という意味では本編の決着はむしろ巧い。著者が楽しむためだけに出してるんじゃないか(いや当然それはそれで面白いのだけど)という要素が、ここに来て見事に伏線として活きており、大逆転と呼ぶに相応しい結末を用意している。
 ただ残念なのは、その結末にメインキャラ四人があまり奉仕していないことである。無論彼らがこの展開の重要な鍵になっていることに変わりはないのだが、ほとんど流されるがまま、あれよあれよという間にちょっとだけ暖かな気分になれるラストシーンまで雪崩れ込んでしまう。ラストではいかにも彼ららしい一面が随所に窺えて、それはそれでいいのだけど、どうせならば最後ぐらい全面で活躍して欲しかった。
 なまじ二方向から物語を描こうとしたぶん、全体にキャラクターの書き込み不足が感じられる。要素が良かっただけにもっと多くのエピソードを読みたかった。結末はいいのだが、それだけに尚更もう少しヴォリュームがあっても良かったのではないか。昨今の大長編化、どんな作品でも冗漫になりがちな傾向には私も否定的なほうだが、ここまで潔いと勿体ないと思ってしまうのである。
 とは言え、重いテーマにも拘わらず相変わらずのギャグや軽さも損なっておらず、すべてを描き尽くしていないが故の想像の余地も残した、とことん楽しめる作品であったことに変わりはない。個人的にはこのあとの話も書いて欲しいように思うのだが、ひとまずお疲れ様でした、と申し上げておこう。でも、あと一冊で旧ザクに届いたのにね。

 ……で、ひとくさり感想を書き上げたあとで、確認のため旧刊からざあっと眺めていて気づいた。
 そういや最初、“スペースオペラ”って言ってたんだ……それっぽかったのって……この巻だけだったような……。

(2004/02/02)


アガサ・クリスティー/中村妙子[訳]『火曜クラブ』
Agathe Christie “The Thirteen Problems” / Translated by Taeko Nakamura

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格800円 / 2004年02月04日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ポアロと共にクリスティー作品を代表する名探偵、セント・メアリ・ミードで人々の様々な暮らしぶりを見届け洞察力に優れたミス・マープル。彼女の才気をあますところなく示した、十三本の“安楽椅子探偵”シチュエーションによる連作短篇集。
 とある火曜日の夜、ジェーン・マープルの宅に集まった人々が寛ぐなか、甥の作家レイモンド・ウェストがぽつりと「迷宮入り事件」と呟いたことがきっかけだった。六人の参加者がめいめい、己が見聞きした謎めいた(だが、何らかのきっかけで当人が解凍を聞き及んだ)事件を語り、メンバーそれぞれがその場で推理を披露してみる、というちょっとしたお遊びに発展する。レイモンドや元警視総監、弁護士らが迷解答を披露するなか、ただひとり類い希なる洞察力を発揮して、思いがけない根拠から真相を見抜いていくひとがいた。それこそ他でもない、ミス・マープルだった……
『黒後家蜘蛛の会』、『毒入りチョコレート事件』などと同様のシチュエーションに基づく作品集である。推理小説のもつ“ゲーム性”を最もよく体現したスタイルであるが、そう考えた場合にこのシリーズでやや物足りないのは、ミス・マープル以外の登場人物があまり気を吐かない点だ。いずれも名のある名士ながら発想は(推理小説にありがちなことだが)凡庸で、口にするはしから「そりゃ正解やないやろ」と眉を顰めたくなるものばかり。現実に『毒入りチョコレート事件』のように各人が新たな材料の発掘に繋がるような名推理を披露することも、更に言えば『匣の中の失楽』のように論理自体が目くるめく光芒を放つこともあり得ないだろうが、にしても少々味気ない推理が多い。それ故にミス・マープルの、ご近所で起きたトラブルを例に取った推理が引き立つわけだが、他の人物の発言が無意味に感じられるくらいであるのは勿体なく思う。
 だがその物足りなさは主に紙幅の制約があるからで、短編小説としてみた場合、このヴォリュームもミステリとしての仕掛けも必要充分と言える。あまりに脇役が出しゃばっては、名推理に割く紙幅も乏しくなり、また余計な水増しにもなるのだから。クリスティーの長篇作品でも認められる“無駄のなさ”は短篇集である本書にも健在、というわけだ。
 作品としては、参加者を一新した第七話以降の質が素晴らしい。登場人物たちの個性がそれ以前のエピソード以上に際立っているし、推理小説というものを執筆するうえでの技巧が数多詰め込まれ、読み応えは並の長編小説数冊ぶんに匹敵するのではないか。特に、それまでの展開を踏まえてツイストを連続するラスト三話の迫力は尋常ではない。
 ミステリ短篇集の傑作として本書を挙げる好事家は多いと聞いていたが、なるほどと思う傑作。クリスティー作品(というより、このぐらいの年代に執筆された多くの作品)に共通する人間性への根本的な誤解が散見されるが、ミステリとしての質の高さと秤にかけて、さほど問題視されるほどのものではないだろう。

(2004/02/04)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第26巻 幻影城』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2003年11月20日付初版 / 本体価格933円 / 2004年02月09日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年より刊行の開始された江戸川乱歩全集の第四回配本。戦争によって輸入が中断され、国内にあって把握できなくなっていた海外の探偵小説の趨勢を推し量ると共に、本邦の探偵小説への展望を綴った各種の評論を一冊に纏め、昭和二十七年の探偵作家クラブ賞(現在の日本推理作家協会賞の前身)を受賞した、乱歩畢生の評論集である。
 読んでいて痛感したのは、江戸川乱歩という人物がその後の本邦における探偵小説(推理小説)に与えた影響の多大さである。戦争終結と共に英米探偵小説を渉猟し、海外での現状を推し量ると共に随時その成果を発表し、探偵小説愛好家の渇に応えようとしていた。無論、探偵小説というものを愛すればこそだが、現在の日本推理作家協会の原型となった探偵作家クラブの設立に「宝石」をはじめとする発表媒体への協力、高木彬光や山田風太郎といった新しい実力を輩出した努力などなど、その労苦がページの端々から垣間見える。
 巻末の註釈を引くまでもなく、多くの誤解(ハードボイルド派の理解にはさすがに予断が混ざっていたように思う)や思いこみがあり、細部は決して正確ではないし、固有名詞の扱いなど現在との隔たりを感じさせる点が非常に多い。かなり丁寧な作りをしている今回の版においても、例えば『魔棺殺人事件』が現在『三つの棺』として刊行されていることとか、未訳として紹介されている作品の多くが現今にいたって訳されて市場に出ている(絶版になって久しいものもあるが)ことまで詳細には言及していない。尤も、せっかくこれだけの労作に触れるのだから、そうした点は忖度したり推測したり、読む側で補填していくのもまた楽しみのひとつだ。
 本書では近年になって国書刊行会、晶文社から刊行されている古典的名作にも多く言及しており、その先見の明――或いは、未だ好事家たちに与える影響の大きさを認める。いま現在、そうして訳出されている海外の探偵小説に親しんでいる方も、これから東西の古典に馴染もうとしている方も、もちろん既に好事家の領域に達している方にも必読の一冊と言えるだろう。

(2004/02/09)


平山夢明・編著『「超」怖い話Γ』
1) 竹書房 / 文庫判(竹書房文庫所収) / 2004年2月6日付初版 / 本体価格552円 / 2004年02月09日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 復活から一年、早くも三冊目となるシリーズ最新刊。
 相変わらず、『新耳袋』シリーズと比較するとやたらグロテスクな話が並ぶ。ぐちゃぐちゃになった、ありえない“もの”が音を立てる、口をきくといった内容が多いは本書ぐらいのもので、特色と言えるだろう。
 著者ふたり揃って、この短期間に新作を立て続けに発表している(編著の平山夢明氏は『鳥肌口碑』に『東京伝説』、加藤一氏は『ダムド・ファイル』なども発表)ため、さすがにそろそろ個々の話の新味は失われている。そんななかで「お告げ」のような特徴的な一発技や、何カ所かに挿入された一ページ未満の短いネタが異彩を放っており、著者ふたりの努力といおうか、サービス精神ともいうべきものが窺われる。こういうネタを扱っていて「お祓いはしない」と公言しているだけで大したものだと個人的には思うのだが、それに飽きたらぬ徹底ぶりには改めて敬意を表したくなる。
『東京伝説』や各種創作においてグロテスクなエピソードの叙述に才能を発揮している平山氏の編集だけあって、「虫穴」「猫ボール」といった、狂気に触れるような作品が強烈な印象を残すなかで、「霊感はない」の成り行きが、実に快い。「神様」の二篇目とか「断食」とか、やたらと滑稽な味わいのあるエピソードも収めており、実話集としての広がりを示している。
 相変わらずクオリティは高く、今後も楽しみなシリーズではあるのだが、出来ればそろそろペースを落としても宜しいのではなかろうか、と思ったりする。ネタが薄くなる――とかいうよりも、著者お二人の体調がちょっと心配になってきましたので……。

(2004/02/09)


マルキ・ド・サド=原作/澁澤龍彦=訳/会田 誠=絵『ジェローム神父 ホラー・ドラコニア少女小説集成【壱】』
平凡社 / 四六判ハード / 2003年09月25日付初版 / 本体価格1800円 / 2004年02月10日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 澁澤龍彦の残した作品群から“少女”をテーマとした部分を抜き出し、秀麗な挿絵と共に一巻本としたシリーズの第一回配本。サド『新ジュスチイヌ抄――ジェローム神父の物語』を抄録、会田誠氏が「美味ちゃん」シリーズとして発表した絵画を合わせた作品。
 一人称人物が気まぐれにイタリア方面を目指して出発し、道中、兄の裏切りによって放逐され恋人に助けを求める途中の若い娘を発見するところから物語が始まり、彼女を騙して純潔と命と財産まで奪い、それを元手に更なる悪逆に手を染めながら上り詰めていく、といういわば暗黒のビルドゥングス・ロマンのような趣の作品。あいにく原典に触れていないので、どの程度かいつまんだ内容なのかは解らないのだが、恐らくまるっきりの断片なのだろう。けっきょく「ジェローム」という名前もほとんど登場しないし、最後はジェロームではなく彼のいわば同志による悪徳を説いた一大演説によって幕を下ろすのもやや唐突だ。
 本当にただただ極悪非道の男達の所業を描いているのみで、基本に教訓めいたことなど何もない。代わりにその行動や終盤での演説には異常なまでの魅力が迸っている。かつてマルキ・ド・サドが時の権力から排斥され精神病院送りにされたのも、澁澤龍彦が猥褻書刊行のかどで有罪とされたのも、なるほど故なきことではない。常識と呼ばれるものに頑なにしがみつこうとする人々の顔をしかめさせるものが、確かにここにはある。
 その圧倒的な悪徳の芳香に更なる彩りを添える会田誠氏の絵画だが、投げ込みの冊子にも記されているとおり、その意図は必ずしもサドと澁澤の狙いとは一致していない。サドの意図は権威を俗悪へと貶めることだが、会田氏の絵には加虐者と被虐者を同じ俎上に並べようとする意図を感じる。だが、その両者が“少女”という通底するテーマで濃密に交わり、不思議なハーモニーを醸し出していることは確かだ。
 いずれにしても、同衾することによってその隠微さを更に際立たせた本書は、やはり読み手を大いに限定する反面、手頃な分量とイラストによって(少なくとも額面上は)比較的手を出しやすい一冊になっている。これをきっかけに澁澤文学、更にはマルキ・ド・サド作品に挑戦してみるのもいいのではなかろうか……な? ほんとに? いいの? だいじょぶ?

 にしても、「栽尾」という語を見たのはたぶんこれが初めてのよーな気がします。

(2004/02/10)


ジョン・ディクスン・カー/村崎敏郎[訳]『震えない男』
John Dickson Carr “The Man Who Could Not Shudder / Translated by Toshiro Murasaki

早川書房 / 新書判(ハヤカワポケットミステリ所収) / 1959年11月30日付初版(1998年02月28日付3版) / 本体価格1000円 / 2004年02月12日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

“幽霊屋敷”のふたつ名で呼ばれた邸が売りに出されたという。わずか17年前にも召使頭が不可解な死を遂げたというその家を購入した奇特な御仁はマーチン・クラーク。隠退したばかりの謎めいた事業家は、「ぼく」こと三文文士のボブ・モリスンらのつてを頼って様々な個性の招待客を呼んで、改装祝いを兼ねた“幽霊パーティー”を開催した。だが、客が揃うか揃いきらないかというタイミングで、いきなり犠牲者が出てしまう。しかも、その一部始終を目撃した犠牲者の妻は異様な事実を語った。何と、壁に掛かっていた拳銃がひとりでに狙いを定め、彼女の夫を射殺したというのだ! やがてロンドン警視庁に勤めるぼくの友人とともに駆けつけたギデオン・フェル博士は、まったく予測を超えた解決を提示するのだった……
 原因は原書にあるのか翻訳者の技量にあるのか、とにかく文章が読みづらい。脈絡を勘違いしているのではないかという文章も少なくないし、台詞のどう考えても意味のないところで「ちぇっ!」などと入るのも理解に苦しむ。そんな調子なので、なかなか内容が頭に浸透せず苦労した。
 話そのものはいわばカー作品の定番というべきものだ。過去の因縁にそれぞれ癖のある登場人物、そして犯行不可能とも思える状況での犯罪に、最後には合理的な解決を与える。『三つの棺』などの代表作と比べると動きに乏しく、活劇的な味わいがないのが残念なくらいで、筋の巧さは相変わらずである。
 トリックそのものはカーの作品のなかでも特に機械的な部類に属するだろう。色々な意味で盲点を衝いた細工だし、解き明かされる場面でははっとさせられるのだが、実際にああも都合良く動くかどうかは些か疑問だ。とは言え、実際の勘所はトリック自体ではなく、その盲点の捉え方とそれを契機にした論理展開であり、そこから導かれる解決は実に見事だ。
 カーの作品としては珍しい一人称であるが、それにもちゃんと意味が付与されているあたりにも感心する。代表作と呼ぶにはやや一本調子で膨らみに乏しいが、カー作品の安定感を実証する佳作だと思った。
 ……それだけに、この訳文はちょっと、どうにかならないもんだろうか、と首を傾げるのでした。

(2004/02/12)


歌野晶午『ジェシカが駆け抜けた七年間について』
1) 原書房 / 四六判ハード(MYSTERY LEAGUE所収) / 2004年2月19日付初版 / 本体価格1600円 / 2004年02月12日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年度のミステリ関連ランキングで上位を独占した『葉桜の季節に君を想うということ』で一躍知名度を高めた著者の、2004年最初の長篇。
 もしも自分の分身が作れたら、と彼女は言った。彼女は夜な夜な人形に釘を打ち、数少ない友人だったジェシカにあの「男」を殺すよう催眠術をかけようとした……やがて彼女は死んでしまった。何の助けにもなれなかったジェシカが彼女のために出来ることは、もうこれしかない……
 ああ、粗筋が書きにくいったら。一時期執筆が途絶えていたこともあったが、復活以降次第に評価を高め、2003年ついにブレイクした著者の2004年度第一作である。が、あまりそういうこだわりは見せず、これだけはデビュー当時からほとんど変わらぬ淡々とした、しかし乾いた詩情を漂わせた文体でもって、女子マラソン選手たちの生き方と、その深い怨念を描きつつ、奥底に確かな本格ミステリへの意欲を感じさせる作品に仕上がっている。
 さほど独創的なトリックは用いていないのだが、それを幾つも組み合わせることで独特なムードと効果とを織り上げており、こと中央におかれた二章の不可解な雰囲気は素晴らしい。けっこう複雑な仕掛けを用意しながら、読んでいてその為に引っかかることはないし、解決場面ではすんなりと腑に落ちる説明の巧さも光っている。
 ただ、人によっては決着以後も何か喉の奥に小骨のようなものを感じるかも知れない。悪い意味で裏切られたような感覚を抱く方もあるだろう。そうわたしが感じた根拠もあるのだが、ネタに触れねばならないので理由を挙げることは出来ない。いずれにしても、一筋縄でいく決着の付け方ではなかった、とぐらいは言っておこうか。素直に受け入れれば、実にいい余韻のあるラストシーンのはずなのだが。
 そんなわけで、やや据わりの悪いものを感じたことも本当だが、単純に面白い“ミステリ”であることも事実。あまり構えずに、無心に読んだ方が楽しいと思われます。

(2004/02/13)


アガサ・クリスティー/中村能三[訳]『オリエント急行の殺人』
Agathe Christie “Murder on The Orient Express” / Translated by Yoshimi Nakamura

早川書房 / 文庫判変形(クリスティー文庫所収) / 2003年10月15日付初版 / 本体価格680円 / 2004年02月15日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 ミステリ界の元祖女王アガサ・クリスティーが1934年に発表した、女史の作品群でも特に知名度の高い長篇。その後多く著すこととなる中近東を舞台とした作品に先鞭をつけた一冊でもある。
 スタンブールに向かうため急遽オリエント急行に乗車したエルキュール・ポアロ。国籍も人種も異なる人々で満員となった列車が雪で立ち往生した夜、不気味な雰囲気を宿した老人が無数の創傷を受けて殺されるという事件が発生する。現地ユーゴスラヴィアの警察が関わる前に速やかに解決したい、という意向を持った関係者の依頼を受けて調査に乗り出すポアロだが、多すぎる証拠と怪しげな目撃談に翻弄される。アメリカで発生した無惨な誘拐事件の首謀者でもあった老人を殺したのは、いったい誰か……?
 あまりに有名すぎる作品であり、説明が容易なためネタバレされる危険が高く、解説で有栖川有栖氏が書くようになるべくミステリ初心者であるうちに読み、衝撃の真相に驚いておくのが最善の作品である。
 無論、未だにミステリ界の女王の名を冠されているクリスティーだから、大きな仕掛け一本に頼るのではなく、精妙な心理の綾を解きほぐすポアロ独特の推理法で、解決の場面を実に劇的に演出している。登場人物が多すぎるため、各人の証言をひととおり得るだけでも半分近い紙幅を必要としており、迂遠に感じる一方でさほどヴォリュームがなく、妙に物足りない印象があるのだが、その最小限の言葉にある嘘を矢継ぎ早に暴き立てる終盤は、クリスティー作品でも稀なくらいにドラマティックで鮮烈だ。
 作者自身も書かれた時代も一時代以上前に属しているため、価値観が古く、登場人物そのものに偏狭な思いこみが見出されるのが引っかかったり、描写そのものの端々に偏った認識がそのまま投影されているのをまるで喉に刺さった小骨のように感じることがある。クリスティー作品に限らず、このぐらいの年代に執筆された探偵小説の類にはよくあることなのだが、実は本編はその点がもっとも見過ごしにくい作品ではなかろうか。トリックの方向性そのものに、ものごとを安易な二元論で捉え、簡単に解決してしまおうとする志向が窺われ、本来爽快に感じるはずの結末に据わりの悪さを覚える可能性も、今となっては否定できまい。実は『そして誰もいなくなった』も根底に流れる意志は共通しているのだが、あちらが神々しいばかりの開き直りを感じさせるのに対し、本編にはどうもあざとさのようなものを見出してしまうことも、アイディアの鮮烈さを色褪せさせてしまう。
 ただ、そうした点を割り引いても、この大胆極まりないトリックに本気で着手し、鮮やかに完成させた手並みそのものが古びることはない。仮に本書を知らなくとも、思いつきでこのトリックに辿り着いて挑戦する輩はあるだろうが、ここまで見事に成し遂げられる書き手が現れるかどうか。唯一無二のアイディアに、簡潔な文体と優れた構成力が与えられて初めて達成できる境地であり、今後もとうぶんのあいだ、追随するものはあっても超えることは出来ない大傑作である。後学のためにも、まだという方は早めに手に取ることをお薦めする。てか『アクロイド殺し』『そして誰もいなくなった』と本書は必読だと思う、やっぱり。

(2004/02/15)


江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第14巻 新宝島』
光文社 / 文庫判(光文社文庫所収) / 2004年01月20日付初版 / 本体価格933円 / 2004年02月17日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 2003年より開始した光文社文庫版江戸川乱歩全集の第6回配本。少年向けの冒険活劇である表題作、科学的知識を売り物とした少年向け連作『智恵の一太郎』、太平洋戦争下の日本という状況をよく映した戦前最後の長篇『偉大なる夢』と、戦時下に執筆・発表された、乱歩としては珍しいタイプの三シリーズを収録する。
『新宝島』は、新・宝島というより少年三人版ロビンソン・クルーソーという趣。しかも特異なのは、(ネタバレのため伏せ字)行ったきり帰らない(ここまで)ということ。困難の連続で、確かに子供心には興奮させられるような冒険譚かも知れないが、全体に成り行きが楽天的で、微笑ましいと言おうか何と言おうか。戦時に差し掛かった頃の作品のためか、いかにも時勢に配慮したような描写が散見されるが、一方で地底世界の文章など、他の通俗長篇にも通じる迫力があって、ファンにはそれなりに読み応えがあるのでは。ただ、この結末だと“宝島”と表現した意味ないと思います。
『智恵の一太郎』も少年向け読み物だが、『新宝島』よりも遥かに厳しくなったご時世を配慮して犯罪も猟奇的趣味も皆無の、およそ乱歩の作品とは思えないくらいに健全な内容である。いわば「日常の謎」風の連作であり、前半の作品は主人公である一太郎少年が巡りあった謎や困難をちょっとした智恵を駆使して解決していくものだが、後半は伯父や近所の大学生がものごとの科学的知識を一太郎に伝授していく形に変容し、どんどん豆知識的な読み物に変化していく。まるで授業のような内容ばかりで、筋にも謎解きにも目新しさがまるでないのだが、あの乱歩が一時期とは言えこういうものを書いていたこと自体が驚きであり、新鮮に映る。いまの子供には文体・内容共に馴染まないつくりだろうが、大人が読むとそれぞれの少年期の記憶と相俟って擽ったくなるような懐かしさが滲んでいる。
 本巻唯一の大人向け作品であり、何と終戦僅か十ヶ月ほど前まで雑誌に連載されていたという『偉大なる夢』は、乱歩の死以後に初めて一冊に纏まったといういわくつきの作品――だが、これ、もし発表時期が違っていたなら、『孤島の鬼』などには及ぶべくもないが、『吸血鬼』などと並ぶ通俗ものの代表作のひとつに数えられていたのでは、と思う。戦時中であるが故に日本の国民や軍人、そしてその戦争に対する姿勢が甚だしく美化されており、逆に諸外国はかなり卑下して描かれているが、その細部には極めてひっそりと冷静な批判の眼差しを注いでおり、また物語の必要から悪役として登場させられた時のルーズベルト大統領でさえ、戦争の重圧に苦しみつつ、敵対国である日本を冷静に観察することの出来る人物として描いている点に注目したい。
 オリジナル作品としては(若干の不手際はあるが)秀逸なトリック、戦時を背景とした冒険とロマンスに、現実を忘れて陶酔してしまいそうになる美しいラスト。本書収録作品の執筆にかかる少し前、短篇「芋虫」の削除を命じられたあたりから執筆量が激減していたことが却って幸いしたのかも知れない、この状況だからこそ書きうる大衆向け探偵小説として見事な仕上がりではないか。
 瀬戸際まで保ち続けた探偵小説への情熱が、戦後の探偵作家クラブ結成、『幻影城』の執筆といった探偵小説復活の機運を齎した。その如実な証明と言える、貴重な作品群だと思う。濃密すぎる戦時色に耐えられるなら、という条件付きながら、非常に興味深く読める一巻である。

(2004/02/17)


カーター・ディクスン/中村能三[訳]『爬虫類館の殺人』
Carter Dickson “He Wouldn't Kill Patience” / Translated by Yoshimi Nakamura

東京創元社 / 文庫判(創元推理文庫所収) / 1960年10月28日付初版(2000年04月21日付18版) / 本体価格640円 / 2004年02月19日読了 [bk1で購入するamazonで購入する]

 1940年、絶え間ない空襲警報に悩まされ続ける第二次世界大戦下のロンドン。ロイヤル・アルバート動物園は命令により一時閉園の瀬戸際にあったが、園長のエドワード・ベントンは必死の抵抗を試みていた。そんなある日、ひょんなきっかけから共にベントン邸でのパーティーに招待された奇術師の男女とお馴染みヘンリ・メリヴェル卿は、内側から目張りされた部屋の中でガス中毒死したベントンを発見する。だが娘のルイズは、その日に取り寄せたばかりの、ベントンが愛して止まない蛇が道連れにされていたことを根拠に、他殺だと言い張った。それを証明するかのように、発見者の一人である女奇術師マッジ・パリサーが何者かによってつけ狙われることに……
 ほんとは『弓弦城殺人事件』のあとに読むカー作品として用意していた本書ですが、同書に収録された評論にて、まるで狙いすましたかのように本編の種明かしをされてしまい、やむなくしばし間隔を取ってみました。が……その必要はどうやらあまりなかったらしい。
 密室トリックばかりが取り沙汰されがちな著者だが、基本的に意味もなくトリックを使うような書き手ではない。トリックを解き明かしただけでは届かないところに犯人なり真相なりを用意しているのがカーター・ディクスン=ジョン・ディクスン・カーである。トリックを承知のうえで読んでも真相は看破し得ないし、クライマックスの衝撃も弱まっていない。
 何せ、舞台装置のほとんどが謎解き、或いは物語の展開に奉仕しているのだ。爬虫類館という舞台そのものもそうだが、戦時中に敢えて殺人事件を起こす理由もきちんと用意してあるのだ。そればかりか作者は大胆不敵にも、真相にほとんど近い要素を読者の目の前にちらつかせてさえ見せる。わたし同様、事前にそのトリックを知ってしまった人でも、すべての謎を見抜くのは困難だろうし、仮に解った上でもその大胆不敵さに感嘆することだろう。
 ただ残念なのは、H・M卿が犯人を追い込むのに利用した手段だ。それさえあらかじめ用意した伏線で処理されているものの、ここまで狡猾な犯人を追い込むのなら、もっと事件の核心から責めて欲しかった。このやり方は、痛快ではあるけれど、必ずしも理知的ではない。
 ライバル同士である奇術師一家の男女のロマンスまで盛り込んだ物語は実に劇的であるが、そこまで根の深い確執のあった家同志にしては、打ち解けるのが少々早くはないか、という嫌味もある。が、それはさすがに要求が厳しすぎるかも知れない。大衆文芸に必要なロマンスや冒険まで詰め込みながら、戦時下という条件さえ利用してしまった圧巻の探偵小説。戦時中に発表されたとはにわかに信じがたい、溢れんばかりのサービス精神が楽しめる。

 原題は直訳すると「彼がペイシェンスを殺すはずはない」。ペイシェンスとは“辛抱強さ”を意味する単語だが、作中、被害者であるエドワード・ベントンが入手した蛇につける名前でもある。無論、もっと深読みする方法もあるだろう。「彼がヘビを殺すはずはない」という邦題で発表されていたこともあるようだが、それではやはり不十分だ。
 ……が、『爬虫類館の殺人』という本書のタイトルはちょっと安易に思えなくもない。他にいい題名が思いつくわけでもないのだけど。

(2004/02/19)


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