cinema / 『アメリ』

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アメリ
原題:La FABULEUX DESTIN D'AMELIE POULAIN / 監督:ジャン=ピエール・ジュネ / 脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、ギヨーム・ローラン / 音楽:ヤン・ティルセン / 出演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、リュフュス / 配給:アルバトロス・フィルム
2001年フランス作品 / 上映時間:2時間1分 / 字幕:齋藤敦子
2001年11月17日公開
2002年08月02日DVD日本版発売 [amazon|限定版:amazon]
公式サイト : http://www.amelie-movie.com/
劇場にて初見(2002/02/09)

[粗筋]
 元軍医のラファエル・プーラン(リュフュス)と元教師のアマンディーヌ・フエ(ロレーラ・クラヴォッタ)、ちょっと神経質で変わり者のふたりの間に生まれた女の子・アメリ(フローラ・ギエ)もやっぱり変わり者だった。お父さんにたった一度だけ診察してもらったとき、抱き締めて欲しくて早鐘のように打っていた心臓の音を病気と勘違いされて、学校には通わされずお母さんに教育されて、辛い家庭環境から逃避するために空想を友達にするようになった。やがて不幸な事故でお母さんを亡くし、お父さんとふたり暮らしになって、成長してモンマルトルにある古いアパートで一人暮らしを始めるようになっても、やっぱり彼女の友達は空想だけだった。
 22歳になったアメリ(オドレイ・トトゥ)の運命は、歯を磨こうとした矢先にテレビが報じたダイアナ妃事故死のニュースにキャップを取り落とし、それが洗面台下の煉瓦に当たって立てた乾いた音から急激に変化を始めた。煉瓦を外した向こうの空洞に、ツール・ド・フランスの選手の写真や小さな玩具を詰め込んだ箱を発見する。アメリはそれを、多分ずっと昔に少年だったはずの持ち主に返してあげようと思った。彼が喜んでくれたら、自分も少しはこの世知辛い世の中と上手くやっていけるような気がして。
 南米で夫に先立たれ、以来寂しい日々を過ごすアパート管理人のマドレーヌ・ウォラス(ヨランド・モロー)を切り出しに、人づたいにかつて自分の部屋に暮らしていた少年を紆余曲折の末に見つけだし、その男性――ドミニク・ブルトドー(モーリス・ベニシュー)の喜ぶ姿を遠巻きに見ているうちに、アメリは漸く自分と世界とが調和していることを自覚した。アメリは天性の想像力で、自分の周辺にいる人々の運命を少しずつ変えていく。――そうして、彼女自身にも、運命を変える出逢いが間近に迫っていた。

[感想]
 あたまからやたら奇妙なノリである。いきなり道に降りた羽虫を紹介してその矢先に車が轢いていって、同時刻に起きた別の出来事に触れる。要するに最後に同じ頃アメリが生まれたことを言うために、何の脈絡もない話から始めるという寸法。そしてこのテンポは最後まで続き、かなり先の方まで一体どこが物語の目指す方角なのか解らない。しかし、全体に一癖も二癖もある人物が居並び、それぞれのエピソードをアメリの空想と交えてテンポよく見せることで、どこに向かうのか解らないながらも何となく惹き付けられるのだ。
 最初のうちはてきとーなエピソードが羅列されているように見えるのだが、これに段々と筋が通っていく感覚が意外にもミステリっぽい。そして、少しずつ一貫した意志が覗いてくる――アメリという女の子の空想が周りの人々を変えてゆき、最後には恋心をきっかけに彼女自身が現実の殻を破る。
 あちこちにVFXを用い、どこか醜悪な人間の生き方をファンタジックに愛らしく描いてみせ、最後に残るのはこの上なく爽快な余韻。フランスでの大ヒットも日本でのムーブメントも頷ける、大人のための完成されたファンタジーである。ただし、慣れてない人はひとりで見ないように。あとで辛いから。

 帰宅後よくよくプログラムを眺めてみるまで気づきもしなかったのだが、本編にてアメリと共鳴する、ポルノビデオ屋のアルバイトでやっぱり空想癖の強いニノという青年を演じたのはマチュー・カソヴィッツ――昨年の今頃に日本で公開され好成績をあげたミステリ映画『クリムゾン・リバー』の監督であった。近年若手監督の台頭著しいとは言え、こーも朴訥で愛らしい青年とは思わなかった。無論役柄なんだけど。

(2002/02/09・2004/06/19追記)


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