cinema / 『墨攻』

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墨攻
英題:“A Battle of Wits” / 原作:酒見賢一[小説]、森秀樹[漫画]、久保田千太郎[漫画脚本協力] / 監督・脚本:ジェイコブ・チャン / 撮影監督:阪本義尚 / 美術:イー・チェンチョウ / 編集:エリック・コン / 衣装:トン・ホアミヤオ / アクション監督:スティーヴン・トン・ワイ / 音楽:川井憲次 / 出演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン、ウー・チーロン、チェ・シウォン / 配給:Cubical Entertainment×松竹
2006年中国・日本・香港・韓国合作 / 上映時間:2時間13分 / 日本語字幕:小坂史子
2007年02月03日日本公開
公式サイト : http://www.bokkou.jp/
よみうりホールにて初見(2007/01/23) ※特別試写会

[粗筋]
 紀元前370年頃、中国大陸は戦乱に包まれていた。群雄が割拠し、大国がしのぎを削るなか、ある小国がその狭間にあって苦境に喘いでいた。趙が燕に侵攻するための拠点に位置するその国・梁は、間近に迫った趙国10万の軍勢に恐れを為し、窮余の策を取る。
 この頃中国に、墨家という一族があった。いずれの国にも属さず、“兼愛”と“非攻(専守防衛)”を唱え、要請に応じて使者を送り届け、その知略によって民衆を守り抜こうとする、特異な人々である。梁の王(ワン・チーウェン)はその墨家に助けを求めたのだ。
 だが、いくら待てども墨家からの使者は来たらず、代わりに趙国からの先発隊が迫りつつある。王は無抵抗で梁を明け渡すことをも考えたが、そのとき遂に、ひとりの男が現れた。
 しかしこの革離(アンディ・ラウ)という男、確かに知識は豊富で知略に長けていると見え、ただ一矢で先発隊をひとたび退却させるが、驚くべきことに実戦経験はない、という。王の嫡男・梁適(チェ・シウォン)は反対したが、弁舌に長けた革離は王を説得、王の近衛隊を除く軍の指揮権を預けられるのだった。
 それからの革離の指揮は極めて迅速だった。地形の利を考慮して敵勢を一面に集め、挟撃するために敢えて城壁を解体し甕城を構築する。通常数ヶ月を要する作業であったが、その存在を脅威と感じさせるためにも、7日程度で完成させることが求められる。その明快な理に感銘を受けた騎馬隊の女性指揮官・逸悦(ファン・ビンビン)の申し出もあって運搬に馬を用いることが可能となり、作業は順調に進んだ。
 他方、あまりに過酷な工程と、厭でも戦いに赴かされることに抵抗を覚えた一部の人々が脱走を試みた。しかし彼らはほどなく趙軍によって捕らえられてしまう――間もなく女子供を除いた数人が梁城に戻ってきたが、彼らが趙軍に脅迫されていることを、革離は知らない。
 やがて先発隊が、革離の意図した通り、甕城を築いた南面へと迫り来る。迎え撃つ彼らが耐え忍ばねばならないのは、約一ヶ月間。遅れて到来する趙軍本隊を率いるのは、名将・巷淹中(アン・ソンギ)――果たして革離は本当にこの苦境から、梁城とそこに暮らす民とを守り通せるのだろうか……?

[感想]
 日本人が手懸けた、大陸を舞台とした歴史漫画をもとに、中国・香港・韓国・日本からスタッフを結集して作られた、大作スペクタクルである。
 定期的にこういう国際的な大作が出没するが、記憶に留まらないまま消え去っていくことが多い。それは、スタッフこそ粒が集まり予算も潤沢ながら、そのせいで舵取りの主が曖昧となり、焦点を欠いた仕上がりになりがちであるのが原因だろう、と思う。その意味では本編は、稀な成功例と言っていい。
 とは言え、一分の隙なく完成された作品ではなく、寧ろかなり問題がある。
 原作は酒見賢一の小説版にしてもクレジットされている漫画版にしても長大で、かなり多くの出来事を盛り込んでいる。あいにくと漫画版で読んだのがだいぶ昔なので、どの程度オリジナルを踏襲しているのかは判断できないのだが、それにしても本編はやたらと詰め込みすぎて、個々のエピソードが充分に活きていないきらいがあるのだ。多くの伏線や人物の感情が描きこまれ、それを丹念に回収しようとする姿勢は好ましいが、そのために照準を見失い、どこで感動すればいいのか、カタルシスに浸ればいいのか解りにくくなっている。
 特に作中、いちばん微妙な位置づけにあるのが、女性ながら騎馬隊の首領として王の近くに仕え、革離に接近していく逸悦というキャラクターである。全体を俯瞰すると彼女が物語に足りない“華”を補う役割を担わされていることが見え見えで、それ故に終始全体から浮いてしまっている。様々な出来事が混沌としていくクライマックスにおいて、革離の積極的な行いの動機付けとして機能しているためにまるっきり無駄ではない、とも言えるのだが、代替不能かと問われると、細かな出来事を積み重ねていくことで充分代用できるはずであり、やはり充分な必然性が感じられない。やもすると絵的にも感情的にも彩りを欠きがちな作品に色をつけている点で充分貢献はしているが、もともと本筋の部分でも散漫に感じられる焦点が、彼女がいることで余計に散り散りになってしまったのもまた事実だ。
 と難点を連ねていったが、しかし全体の仕上がりは決して悪くないのだ。初めて梁城に現れた革離が迫り来る軍勢に放った“第一矢”に始まり、繰り返される知略と息詰まる攻防、そして感情の軋轢が齎す終盤の混乱など、全篇で見せ場が用意されており、平均してテンションが高く飽きさせない。そのせいで全体がフラットな印象を与えているのは残念だが、意識の高さを感じさせるぶん決してマイナスには感じないのだ。
 あまりに破天荒なアイディアの数々はよくよく検証すると非現実的であるし、とりわけ最後に繰り出される逆転の一手は無茶が著しいが、その出来事を暗示する伏線は巧みに鏤められており、この一手で見事に形勢が逆転してしまうあたりは痛快の一言に尽きる。それでいて、多く盛り込まれたドラマや終盤の展開のために安易な大団円とはならず、複雑で重厚な余韻を齎す。
 ある程度史実を踏まえようとしているからなのだろう、革離という経験の乏しい、しかし稀代の策士の才能を遺憾なく描き出しながら、決着に苦々しさを留めているあたりが、冒頭に記したような国際的な大作と一線を画している部分なのだろう。戦略を用いながら本懐を“民を守る”ことに置く墨家としての理想を堅持しながら、戦争のあまりにむごい現実との乖離に苦しむ革離の姿と、それ故に齎される結末は、観る者に何かを考えさせずにおかない。
 盛り込みすぎとは言い条、言い換えればそれは無数のドラマが鏤められていることに他ならず、戦争映画に求められる厚みも存分に備わっている。もっと整理が行き届いていれば、という厭味は残るが、娯楽性に富み、そのうえ深みも伴ったいい映画に仕上がっている。中国もの、歴史ものが好きという方ならまず楽しめるであろうし、戦争映画としても整っているので、まず観て損をした、と感じることはないだろう。

(2007/01/25)


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