cinema / 『インソムニア』

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インソムニア
原題:INSOMNIA / エーリク・ショルビャルグ監督の『インソムニア』(ノルウェー作品)に基づく / 監督:クリストファー・ノーラン / 脚本:ヒラリー・サイツ / 製作:ポール・ジュンガー・ウイット、エドワード・D・マクドネル、ブロデリック・ジョンソン、アンドリュー・A・コソーベ /  製作総指揮:ジョージ・クルーニー、スティーヴン・ソダーバーグ、トニー・トーマス、キム・ロス、チャールズ・D.J.シュリッセル / 撮影監督:ウォリー・フィスター / 美術:ネイサン・クローリー / 編集:ドディ・ドーン / キャスティング:マーチ・ライロフ / 衣裳デザイン:ティッシュ・モナハン / 音楽:デイヴィッド・ジュリアン / 出演:アル・パチーノ、ロビン・ウィリアムズ、ヒラリー・スワンク、モーラ・ティアニー、マーティン・ドノバン、ニッキー・カット、ポール・ドゥーリー、ジョナサン・ジャクソン / 制作:アルコン・エンタテインメント / 配給:日本ヘラルド
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間59分 / 字幕:栗原とみ子
2002年09月07日日本公開
公式サイト : http://www.insomnia-movie.jp/
劇場にて初見(2002/09/07)

[粗筋]
 白夜に包まれたアラスカ、ナイトミュート。かつて大きな事件の起こらなかったこの田舎町のゴミ置き場で、1人の少女の変死体が発見された。暴行の末に脳内出血を起こして死亡したと思しいが、殺人事件の捜査に不慣れな現地警察は本国に応援を要請する。寄越されたのは、ロス市警のベテラン刑事ウィル・ドーマー(アル・パチーノ)と相棒のハップ・エクハート(マーティン・ドノバン)の2人。
 選択科目でドーマーの扱った事件を勉強したという女性刑事エリー・バー(ヒラリー・スワンク)に迎えられた2人は早速署を訪れ、少女――ケイの遺体と対面する。死因となった顔周辺の痣以外に、足や腕に古い痣があり、事件以前に別の暴力を受けていたことを示していた。そして、遺体の髪は洗われ、手の爪は切られ丁寧にヤスリまでかけられている。ドーマーは、ボーイフレンドとは別の親しい顔見知りによる犯行と考えて、捜査に乗り出した。
 ケイの部屋には、破かれた写真があった。破き捨てられた半分には、ケイの親友である少女が写っている。箪笥やクローゼットには、高校生の財布では買えそうもない服とアクセサリーが眠っていた。ケイの部屋を調べたあと、彼女の通っていた学校に向かいボーイフレンドのランディ(ジョナサン・ジャクソン)に不意打ちで事情聴取を行う、と提案したドーマーだったが、既に時刻は夜の10時を廻っていた――飛行機を利用した移動とアラスカの白い夜はドーマーの体内時計を狂わせていた。
 ドーマーとハップは宿でチェックインを済ませると、レストランで遅い食事を摂る。注文を取る間際に、ハップは自分が内部監査の対象になっていることを告げる。麻薬取引を巡る捜査で賄賂を受け取ったという引け目があり、家族のためにも監査部との取引に応じるつもりだ、と告げるハップをドーマーは叱責した。監査部の標的はお前でなく自分だ、と。憤激のあまり食欲も失せて部屋に引き上げたドーマーだったが、心掛かりと窓から差し込む白い光のために一睡も出来ずに朝を迎える。
 翌日、ランディはドーマーの追求に暴行を認めたが、ケイがいったい誰と親しくしていたのかは知らない、と応えた。ケイの親友への聴取を提案しつつ署に戻ると、思わぬところから事態は進展する。とある小屋で、ケイの所持品が発見されたのだ。

[感想]
『メメント』が単館系列で大ヒットとなったクリストファー・ノーラン監督のメジャー進出第一作。アカデミー監督であるスティーヴン・ソダーバーグとジョージ・クルーニーらのプロデュースを受けて、ノルウェーで1997年に製作された映画『インソムニア』をリメイクした作品である。
 世評を耳にして劇場で『メメント』を鑑賞し、その時点で私はある危惧を抱いていた。――正直、その危惧が思いのほか早く現実のものとなってしまった、という印象が強い。
『メメント』は練り込まれたガジェットもさることながら、「物語を逆行させる」という着想に依って立つ部分が大きかった。ある程度時間が経過すると、それ以前の出来事に場面が移り、観客はその都度前の画面との関連を解きほぐしながら物語に対峙することになる。それ故に、決して山場の多くないストーリーにも拘わらず最後まで興を繋いでいた。
 だが、本編は基本的に時系列を素直に追っているだけ。回想場面は『メメント』のときのように、フラッシュバックとして断片的に挟まれるのみで、冒頭以前の出来事がそのまま描かれることはない。それ故に、演出と物語――特に前半――の平板さが際立ってしまい、まるで主人公ドーマーが喪ってしまった眠りをこちらが肩代わりしたように、ある場面までは欠伸を堪えるのに必死になるほどだった。
 そして、スタッフ共々幾度もブラッシュ・アップを行い整合性を与えることに腐心したという『メメント』と異なり、本編には科学的考証の不備や説明不足があまりに多い。中盤以降の鍵となる銃撃事件での考察は理に適っているのだが、その周辺の出来事を裏打ちするはずの心理的背景が全体に唐突で、役者たちの演技の質に助けられてはいるものの、説得力が乏しい。こと、ある過去の出来事などはもっと早い段階で発覚していなければならない――それ以前に工作として成立しない性質のものだ。
 が、犯人対捜査官という構図が明確になり、中盤ほどである展開に至ると、俄然面白くなってくる。それまでの弛緩したムードから一転し、不眠症に苦しめられる主人公の描写共々高い緊張感に引きずられる。それ以前の描写の意図が次第に明らかになり、クライマックスには異様な余韻を残す。
 それを支えているのは、白夜と主人公の内的葛藤に起因する不眠症の演技と演出の巧妙さだ。もうちょっと強烈に壊れてくれたら、という感想もあるが、話が進むごとに狂気さえ帯びていく姿は「アル・パチーノ最高の演技」という評も頷ける。
『メメント』という前作に幻惑されがちだが、本編の本題は「善と悪」「過失と故意」「眠りと覚醒」「昼と夜」――そうした彼我を溶解させることにあり、ミステリー部分はその補強に過ぎない、と捉えることが出来る。そういう意味では、冷静なまま暗黒面に足を踏み入れた男をある意味淡々と演じたロビン・ウィリアムズ、使命感に燃える若い女性刑事の葛藤を丁寧に表現したヒラリー・スワンク、そして両者のはざまで揺れ動くアル・パチーノと、主演三者の演技は完璧であったと言っていいだろうし、彼らを充分に活かしたという点では監督の仕事ぶりも見事である。ただ、見事すぎて全体として型に嵌ってしまった嫌いが強く、また前述のミステリー部分の不都合もあって、どうも疑問の残る仕上がりになってしまった印象がある。
 悪い作品ではない。トータルでは充分に面白いと言えるし、完成度は『メメント』を上回ってさえいると思う。だが、『メメント』を期待してもいけないし、完璧なミステリーを望んでも裏切られる。演技や全体の統一感、それに舞台選択のセンスなど確かな光芒は感じられるのだが、『メメント』のように繰り返し観たい、という気にさせる要素はない。
 詰まるところ、総合ではふつーの作品になってしまった、という気がしたわけで。

 毎度ながらの余談。プログラムに寄せられた文章、二階堂黎人氏のものは「いい仕事」だと思うのだが、『メメント』のノベライズも担当した映画評論家氏の浅はかな論考はどーにかならんものか。劇中で鍵となる主人公のある行為を「故意」と捉えその理由を説明しているのだが――肝心の描写を見逃して説いているうえに、そこにあるあまりに大きすぎる偶然を意図的か無意識にか全く無視している。そうでなくてもプログラムに掲載する文章で、袋綴じにもせずネタバレをするという御法度を犯しているのに、更にこーも愚劣な論考を得々と披露するというのは……。

 余談その二。TVCMで幾度も耳にしたあの台詞は、劇中で一度も聴かなかった。……録り下ろしたのか、編集段階でカットされたのか。

(2002/09/07)


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