cinema / 『メダリオン』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


メダリオン
原題:“THE MEDALLION” / 監督:ゴードン・チャン / 脚本:ベネット・ジョシュア・ダヴリン、アルフレッド・チョン、ゴードン・チャン、ポール・ウィーラー、ベイ・ローガン / 製作・ストーリー・オリジナルキャラクター:アルフレッド・チョン / 製作総指揮:ジャッキー・チェン、アルバート・ユン、ウィリー・チャン、ビル・ボードン / 製作:キャンディ・リン、ティム・ウォック / アクション監督:サモ・ハン・キンポー / ライン・プロデューサー:リック・ナサンソン / 撮影:アーサー・ウォン(H.K.S.C.) / プロダクション・デザイン:ジョセフ・C・ネメック3世 / 衣装:グラニア・プレストン / 編集:ドン・ブロシュ / 音楽:エイドリアン・リー / 出演:ジャッキー・チェン、クレア・フォラーニ、リー・エヴァンス、ジュリアン・サンズ、ジョン・リス=デイヴィス、クリスティ・チョン、アレクサンダー・パオ、アンソニー・ウォン / 配給:日本ヘラルド
2003年香港・アメリカ作品 / 上映時間:1時間29分 / 日本語字幕:栗原とみ子
2004年06月19日日本公開
公式サイト : http://www.herald.co.jp/official/medallion/index.shtml
有楽町ニュー東宝シネマにて初見(2004/07/01)

[粗筋]
 香港のとある古書店。店主がある人物の依頼で、一冊の古書を捜しあてた。千年にいちど、巳年の五月に、選ばれし少年が聖なるメダルを二枚重ね合わせる。その手が触れた死者は蘇り、超人的な力を宿すという――古書を前に、スネークヘッド(ジュリアン・サンズ)は北叟笑んだ
 そのスネークヘッドがある寺院を襲撃する、という情報を得た香港警察のエディ・ヤン(ジャッキー・チェン)は共同で捜査に赴いている国際刑事警察機構のアーサー・ワトソン(リー・エヴァンス)とともに寺院に向かった。スネークヘッドは国際的な密輸組織の首領であり、四ヶ月に亘って調査を進めていたのである。
 プライドの高すぎる一面があるワトソンはエディのアドバイスを無視して強引に突入するが、なかなかスネークヘッドに辿り着けない。一方エディは、地下水路から奇妙な光が漏れたことに気づき、そこから寺院の深くに潜入することに成功した。早速スネークヘッドの部下であるレスター(アンソニー・ウォン)らと遭遇したエディは果敢に戦うが、あと一歩のところでスネークヘッドらを逃がしてしまう。しかし、スネークヘッドらも目的であった少年――ジャイ(アレクサンダー・バオ)の誘拐をいちど諦めざるを得なかった……
 だが、スネークヘッドらはエディたちが目を離した隙にふたたび寺院を襲い、首尾良くジャイを拘束した。エディをはじめとする香港警察の面々はスネークヘッドたちが所有する船に進入し奪還を画策するが、ふたたび失敗。彼らが本拠であるアイルランドに帰還したと睨んだエディはわざわざ休暇を取り、空路で現地を目指す。
 アイルランドの国際刑事警察機構本部を訪れたエディは旧知の幹部スマイス(ジョン・リス=デイヴィス)の指示により、久々に逢った恋人であり、国際刑事警察機構の捜査官でもあるニコール(クレア・フォラーニ)、先に本国に帰還していたワトソンと共に捜査を開始する。町中でばったりとスネークヘッドの右腕であるレスターと遭遇したエディは彼の口から、間もなくジャイを乗せた船が港に入ることを知り、仲間と共に先回りする。
 混戦の末、どうにかジャイを発見したエディだったが、手違いからコンテナに閉じこめられ、しかもそのコンテナは混乱のさなか海に転落してしまった。エディは内部にあったテントを利用してジャイの安全を確保するが、彼自身を守る手だてはなかった。
 引き上げられたコンテナに恋人の骸を見つけて悲嘆に暮れるニコールと彼女を慰めるワトソンをよそに、ジャイ少年は遺体の手にメダルの片割れを握らせる。そして死体安置所、彼を助けられなかったことを悔やむワトソンの目の前で、エディは蘇った――!

[感想]
 ジャッキー・チェンを劇場で初めて体験しました。ほどよい脱力感を味わいました。
 伝奇風アクション・アドヴェンチャーという趣で作られた物語だが、全体にあまり説得力はなく、設定の細部がいまいち伝わりにくいのが難点である。なんで千年にいちどわざわざ死者を蘇らせるという伝承が生まれたのか、メダルによる蘇生の儀式の仕組み、そしてクライマックスでどーしてああいう倒し方が有効だったのか、疑問は尽きない。
 加えて悪役側であるスネークヘッドらの理念がよく解らないのも問題だ。こういうヒーローアクションでは主人公たちのキャラクター作りもさることながら、悪役側の動機付けがある程度出来ていないと、いまいち緊張感を欠いてしまう。本編などその典型で、彼らはけっきょく何の為にあんな大掛かりな組織を形成したのか、それがいったいどんな理由でステレオタイプな“悪の根城”ふうの隠れ家(しかもぜんぜん隠れてない。地図にも載ってるらしいし)に潜んでいたのか最後までなにも提示しなかったのはどうか。スネークヘッド本人はクライマックスで如何にも悪の親玉らしい台詞を発するが、そんな彼にどうして部下たちが付き従ったのかも不明である。カリスマと呼ぶにはいちいち間抜けだし、やっぱり金だろうか。
 ――が、そういうところに妙に拘って観るのはたぶん間違いだろう。前述のように本編は伝奇的な要素を採り入れたアクション・アドヴェンチャーであり、お話作りの面ではその典型以上になることを端から志すことはしていない。要はジャッキー・チェンという、50代に達してなお力強さを失わないアクション俳優のための映画なのである。
 そう割り切って鑑賞すれば、込み入った謎解きや複雑極まる陰謀を用意せず、ストレートなヒーロー対悪の組織という構図のみに絞ってくれたお陰で、虚心にジャッキーの活躍を楽しむことが出来る。実際、撮影中はまだ辛うじて40代だったはずだが、いずれにしても年齢を窺わせないほどアクションにはキレがある。
 また、そのアクション面での色づけがきっちりなされているのも巧い。序盤、まだ普通の肉体であったときの活躍ぶりが既に常人離れしていて、これで不死身になってなにか意味があるのか、と不安になったぐらいだが、いざメダルの効果が発揮されると、そのアクションが更に人間離れして度肝を抜かれる。一対複数という戦いが随所に登場するが、序盤と不死身になってからのスピードの違いを御覧いただきたい。しかも近頃こうしたアクションでは定番のスローモーションを、そういう数の迫力で押してくる場面では使っておらず、余計に超人的な強さが浮き彫りになっている。ジャッキー以外の仲間たちにもアクションが用意されており、それぞれにらしい活躍をしているのもいい。こと、ニコールが終盤に見せるキャット・ファイトはBGMに猫の鳴き声を採り入れたりと、小技が利いている。
 そして、緊張感のなかにも常に挿入される笑いの要素がある。狂言回しとして笑いの部分を主に請け負ったワトソンがエリート警察官にしては行動があまりに間抜けすぎるとか少々行き過ぎの嫌いはあるものの、単純な暴力の映画、という印象を与えない工夫は評価できる。
 伝奇的な設定が終盤でかなり物語をぐちゃぐちゃに掻き乱し、ラストシーンは少々意味不明になってしまっているが、全体としては単純明快な娯楽アクション・アドヴェンチャー映画の枠に収まっている。堅苦しいことは抜きで映画を観たい、ジャッキーのアクションを堪能したい、という向きにはお薦め。物語の構造がチョウ・ユンファ主演『バレット・モンク』と酷似しているが、アクションの密度と笑いどころの多さもあって、私は本編のほうをより高く評価する……まあ、正直に申し上げると、レベルの低い戦いではありますが。

(2004/07/03)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る