キタキツネ夏紀行その1
【平成18年8月4日高崎→大館】
 8月4日の未明、高崎市内を自転車をこいで横切り管理人のいない東口駐輪場に止めて改札を抜けてホームへ行くとまだ乗る予定の列車は到着していなかった。その代わりに矢張り同じ列車目当てと見える利用者が、自分を含めて10人ほどホームにて身軽な格好をして到着を待っている。自分の格好と言えばポロシャツを着てジーパンにパソコンなどを詰めた肩掛けカバンを提げた調子で似た様なものだろう。
 本来の予定ではこの337発の新潟発「ムーンライトえちご」ではなく一時間半近く後の510発新前橋発上野行始発電車の予定であったが、前日夜の飲み会が早く引けた事もあって相手の都合も考えて「ムーンライトえちご」に飛び乗る事にしたのだ。今回は珍しく単独ではない、複数での旅行である。具体的には東京からほぼ全ての往復の行程を取るのが1人、そして秋田県の大館からもう1人の計3人での旅行である。
 ホームで列車を待っているといきなり放送が流れて8番線に列車が入ってきた。車体の色は国鉄特急色、すわ「ムーンライトえちご」かと思えてしまうかもしれないがそうではない。そもそもムーンライトながらにしては到着時刻が10分ほど早くまたドアも開く気配が無い、そして何よりも方向幕の表記は「団体」である。そして色は同じでも車両の形式は183系・・・ムーンライトながらは485系。

 183系H81編成、恐らく東京ディズニーリゾートにでも行く団体客を運んでいるのだろう。そうこうしている内に7番線に案内が流れ「ムーンライトえちご」が到着、同一ホームに183系と485系と言う厳密に言わない限り、同じ車両だと思える車両同士がまるで国鉄時代であるかのように並んだのであった。そして1分停車の後「ムーンライトえちご」は先発し次の停車駅大宮へ向かって軽快に走っていく、自分は開いていた一席に腰を下ろすとそのまま新宿まで眠るのだった。

 新宿到着寸前に目を覚ましホームへ、510と定刻通りに到着した「ムーンライトえちご」をじっくり見る事もなくそのまま階段を下り西口を抜けて京王線へ・・・と思ったらまだこの時間は京王線新宿駅は開いてなく都営新宿線新宿駅でもある新線新宿駅へ回る事に。まだ人影少ない西口地下通路を早足で進み、520発の二番列車で調布へ。東京から一緒に行く知人K氏と調布駅で落ち合い、都心方向へ向かう為か若干込んだ調布553発の新宿行きでとんぼ返りとなる。
 知人K氏は本人から聞く所によると久々の北海道、そして初めてこれほど長距離を鉄道で移動すると言う。そういう事情もあるので調布まで当初予定とは違って迎えに行った訳だったが、結果的に正解で予定よりも早い電車で新宿につけて埼京線新宿634発611Kで赤羽、通勤ラッシュの第一波の中を横切って飲み物を確保し13分後の701発快速ラビット3521Mに乗り宇都宮へ向かう。
 生憎座れずドア際に2人で立ちつつ車窓を眺める、空は青空で全くの快晴。次第に減って行く車内と段々と増える車窓の農地の様子を眺めながら談笑しつつ気が付けば小山。分かれていく両毛線の線路を見てそして宇都宮駅手前で合流してくる日光線の、どちらも単線で似通った線路を見つつホームへ降り立ち待ち構えていた211系に乗って黒磯まで向かう。  乗り込んだ車内はほどほど混んではいたが氏家も過ぎると立ち客は無く、座る客もやや疎らとなる。とは言え矢板辺りでそこそこの乗車があるなど短距離的な増減を繰り返しつつ、如何にも那須野と言った調子の風景の中を北上し宇都宮で別れて以来の新幹線の高架と再び出会えば那須塩原。皇族方のある意味では定期的なご利用のあるこの駅も今日は静かで、ホームの上の新幹線ホームからの列車の遅れを告げる放送が良く響いていた。
 そして那須塩原が、新幹線の関東最後の停車駅と言うこともあって現在の北の関門とすれば、かつての古の関門とも言える黒磯駅に。東北新幹線開業、更には東北地域での新幹線網の発達もあって今やこの駅は東北へ行く人々にとって、こうも普通電車を利用しない限り馴染みの無い駅になってしまったがこの駅を境に南は直流1500V、北は交流25000Vと電圧が異なっている事もあるので今でも関門といえば関門であるのに変わりは無いだろう。


 そして考えてみれば今の今まで乗ってきた211系が最後の直流電車、数日後無沙汰となる日常の直流電車。それも自分の住む高崎支社の車両であり、またその後に発車する東北線上り電車が両毛線経由高先行きであったのも何かの縁なのだろうか。それらと貨物列車の入れ替えを見つつ、26分の待ち合わせを経て939発の郡山行2131Mで東北へ。車両は701系ロングシートの6両編成であった。

 矢張り東北なのだろうか、黒磯を過ぎると途端に山がちになったように感じられる。どことなく中央線の高尾以西と通じるが、矢張り東北、そして北の要所北海道と関東を結ぶ第一級の大幹線。中央線の様に幹線と言いつつもカーブが多く減速も多い事は無く、カーブでも滑る様に走り抜けていくのが何処か新鮮だった。車内はそうは混んではいない、これは少しばかり拍子抜けであった。
 何故なら黒磯から北はロングシートの詰め込み地獄・・・と聞いていたからである。とは言えこれほど空いているのなら余裕で足も延ばせて心地が良い、それでも豊原か黒田原駅にて黒磯行の急行形電車とすれ違うと矢張りボックスシートが良いなぁと感じつつ白河、矢吹、そして郡山へ。流石に白河付近から地元客で混み始めたので、それまでの様にゆったりとはせずにちんまりと腰掛けて下車する。

 郡山では折りしも磐越西線1043発会津若松行が発車するところであった、その車体は国鉄急行形の455系。生憎話題の赤べえのラッピングのされていない編成であったのが残念であったが、矢張り磐越西線と言う支線であっても会津若松、喜多方と言う著名な観光地を持つ路線は強いものである。幾ら旧型とは言え磐越西線は基本的にボックスシートで比較的柔らかい座席の車両であるのに対し、本線たる東北線を走るのは通勤型3扉ロングシートの新型車両。
 磐越西線は観光主体、東北線は通勤通学主体と役割が違うのだからと言われれば合理的であり否定し難い。しかしあくまでも旅行者としてみると通勤通学時間だけを考えての合理化はどこか賛同しがたいのも事実であった。

 そして郡山では意外な発見があった、それは郡山駅の北側の側線に止まっている仙石線の103系。電化されていない側線の中、ディーゼル機関車等に隠されて止められていたが見える端々の形はどう見ても103系である。仙石線の103系は一度も見ることが無いまま現役を引退してしまい、もう全て解体されたかどうにかなってしまった物と考えていただけにこれは嬉しく。距離があってカメラを向けても満足に取れない事がまた残念でならなかった。

 郡山からは1106発福島行1137M、47分と乗る時間は短く車両の内容も黒磯からと全く変わらない。しかし車内は大分込み合っていてとても座れずに立ったまま福島へ行く、新幹線や磐越西線からの入り込みがあったからだろうか。また二本松辺りからも乗車が多く、ほぼ満員の状態で福島。福島では乗換時間が7分とこれまでで最も短かった事もありすぐに乗り換える。
 またも701系であったが混雑はやや一段落、福島電鉄ののんびりとした風情をした線路と平行して見送る。この1185Mは仙台まで行かない白石行である、なので33分で白石に降り立ち3分乗換で仙台行443Mに。かなり駆け足で行ったので座席を選ぶ余裕もあった、今度の車両は701系ではなく東北版211系とも言える719系であった。こちらは独特な配置のセミロングシートであったので、2人がけのボックスシートに腰を下ろす。
 車窓から見える光景は晴天の下瑞々しくなんとも心地が良い、その一つ一つを話題にして雑談しつつ過ぎる時間はあっという間で気が付いた時にはもう名取駅であった。そして仙台、17分の乗換を以って一ノ関行537Mに乗り込むも車内はすっかり満員。運転席後ろのわずかなスペースに身を寄せ合うようにして場所を確保し仙台市街を抜けて松島、この旅行初の海であり垣間見える太平洋そして仙石線の姿を見つつ田圃の中を行く。

 鹿島台駅の手前まで平行して流れていた用水路には何故か昔ながらの木船が堤防に立てかけられる様に、そして半分を水に浮かべさせて留め置かれているのが何とも気になる光景で思わず話題に。松山町駅付近でも長い直線と田圃を楽しみつつ走っているといきなり急停車、何かと思えば小牛田駅での入れ替え作業の影響で赤信号である為と放送が。続けてこの列車も小牛田駅にて後部4両を切り離し、小牛田駅から先は2両編成のワンマン運転となると流れるも、幸いに今いるのは先頭車でこのまま一ノ関まで向かう2両の中である。
 その内に静かに動き出し、やや遅れて小牛田駅に。石巻港へ向かう貨物列車と接続する石巻線気動車の姿を見ている内に遅れはそのままで発車する、先発した気動車の消えた石巻線の草生した線路を見送りつつ身軽にそして一層満員になった電車は、仙台行きで信号開通待ちを上り線でしていた電車を尻目に一ノ関へさらに向かっていく。
 小牛田駅の次の田尻駅では駅舎とは反対側の東側に池が広がっており、浮島のような島と対岸の社の姿がどうにも気になった。連れのK氏はこう言う事に造詣が深いので中々に熱く語り合ってしまう、その後もこれまでと同じ様に溜池なりを見つめるとあれやこれやと話しつつ、石越でくりはら田園鉄道の気動車を見て一ノ関へと到着する。ここでは5分の乗換・・・ようやく座れるかと思いきやそれはまた甘い見込み違いであったと知るのはすぐの事だった。

 一ノ関駅で待ち構えていたのは701系、盛岡行1543Mである。2両編成であるのに変わりは無いが、これまで乗ってきた701系が仙台支社管内のものであったので帯の色が緑であったのに対し、ここからは盛岡支社であるので紫と薄紫の2色に変わる。そして車内は・・・ギュウギュウ詰め、これまでも混んでいたがそれを凌ぐ混雑が発車前だと言うのに待ち受けていたのだから。

 一体何があったのか・・・?そう思えるほどの混雑の中にもぐりこみ、わずかに遅れて発車。しかし止まる駅と言う駅から次から次へと乗客が乗り込んできて山手線もかくやと言うほどに立錐の余地無く、文字通り箱寿司・・・鮨詰めであった。そして何があったのかと言う答えは壁に貼ってある張り紙「盛岡さんさ踊り臨時列車運転について」の文字。
 期間は8月1日〜4日、そう今日までが祭り期間。道理で浴衣姿の乗客がちらほらと見れた訳でその久々に味わった地獄のような混雑の中、盛岡駅に降り立った時の開放感は何とも言えない至福の時であったのは否めず・・・改札付近の混乱が収まった後、改札を出て買い物と夕飯を済ませる。ちなみに夕飯は簡単にキツネそばと稲荷寿司、味はそこそこで普通と言うレベル。買い物はJR東日本のNEWDAYSであったが、ここは盛岡地域であるので思わずSuicaを出しそうになるのに何とも苦笑してしまった。

 そして再び改札へ、しかし先ほど出てきた改札ではない。そのまま通路を歩き階段をくだり、駅ビル1階のテナントの一角をくぐり抜けた先の改札。IGRいわて銀河鉄道、今となっては淡い緑のおかっぱ頭が出てくる・・・とポケモンDPしている人なら思い浮かべてしまうかもしれないが、とにかく整備新幹線としての盛岡〜八戸間の東北新幹線開業に伴ってJRから分離された第三セクターである。
 第三セクター化によって会社が変わったのだから改札が別と言う理屈は分かるが、余りにもこの配置は考えようなのではないだろうか?現在IGRが使用しているホームはかつて山田線が発着していた0番線のあった場所であり、そのホームからJRホームへはかつては繋がっていたが今は繋がっていない。そしてJR改札口は二階にあるのに対し、IGR改札は1階のテナント街の隅に間借りしているような感じである。

 似たような例としては高崎駅における上信電鉄が挙げられようがJR改札からすぐに見渡せるところに、地平にあり旧JR1番線ホームに設けられた上信電鉄改札への連絡通路がある。だから比較的分かりやすいのだが、このIGRとJRの有様は果たしてよいのだろうか?正直言って看板があるから辿り付けた様なもの、初めての利用者には大変不親切な作りといえるのではないないだろうか。乗換客は直接行き来できるよう中間改札などを設けるなどの知恵が欲しいところだった。

 現在、以上のような事情から朝にIGR・東北線を直通する一部列車と寝台特急以外は全て盛岡以北の列車はIGRホーム発着となっている。ここには好摩から大館へ向かう花輪線も含まれており、JRの列車であるのに第三セクターのホーム発着と言う妙な具合になっている。
 盛岡からは花輪線経由で大館を経て青森へ向かう、待ち構えていたのは3両編成の気動車。色は国鉄色ではない赤と白の2色の岩手色で0番線に停車していた。編成は盛岡方からキハ581531+キハ58739+キハ52153、キハ52については初めてお目にかかった事もあり、また展望が前に利くので非冷房であるのも楽しもうと一番前の2人がけの座席に腰を下ろして発車を待つ。

 そして定刻の1746に発車、車内は混み合っていて中々に賑やかで開いている窓から響くエンジン音と共に響かせてIGRとなった東北線を快調に走っていく。時刻表を見ているとIGRの電車よりも若干所要時間が長いのが分かる、矢張り国鉄時代の旧型気動車と新型電車では原理も然る事ながら古さ自体もあわせて敵わないのは事実だろう。だからこそ微笑ましくて思わずその揺れに身を任せるのであった。
 辺りは次第に薄い夕闇の足音が迫る中、好摩からJR花輪線に。矢張り地方交通線、乗り心地も大分違うがその勢いが車窓そして車両と合わせて何ともマッチしており田舎の中を心地よく走っていく。田圃と林、そして家が点在し混在する中を進むと大更、ここでは対向列車との行き違いで止まるのでホームに下りて撮影。

 そして発車し段々と深いもりの中に、竜ヶ森・・・今では安比高原と言う駅名に変わり、数年前までは上野発の臨時夜行急行がスキーシーズンに発着していた駅は、竜ヶ森と言う名に相応しい素晴らしい森の中に沈む駅であった。降りる人の姿は無いまま発車、この頃には大分人影は少なくなっていて高校生が大口あけてボックスシートに横になって居眠りをしている程だった。

 荒屋新町では国鉄色キハ58がこちらを待っていたので、発車していくその姿を窓からカメラを出して後追い撮影。乗る事は出来ずとも見ることが出来て全く嬉しいものであった、鹿角花輪で殆ど客は下車しガラガラで暗闇の中を進む。この1939D鹿角花輪から先は最終列車である、時間は1949・・・完全にその目的が通学などの限られた需要に対してしかない事がうかがえる設定であった。

 十和田南ではスイッチバックをしてあとは大館へ一息、大滝温泉にて秋田発のかつての急行「よねしろ」当時の塗装のまま使われている抹茶と白塗装のキハ58とすれ違えば、もうこの1939Dが今日の最終列車として文字通り走る区間になる。東大館を過ぎて奥羽線を乗り越して大きく弧を描いて大館駅へ、すっかり夜に沈んだ時間であった。時刻は2045・・・夏なのに何処か寒いような気がしたのは気のせいだろうか。
 ちなみにこのキハ52、半手動ドアと言うのもまた興味深いものであった。


【この項目での行程】高崎→新宿→調布→新宿→赤羽→宇都宮→黒磯→郡山→福島→白石→仙台→一ノ関→盛岡→大館
 続
   キタキツネ紀行その2
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