空いた車内で座席を向かえあわせて談笑しながら過ごす、この「いなほ7号」はかつて大阪〜青森間を結んでいた特急「白鳥」が廃止後に3分割された内の一番北の区間に当たる新潟〜青森間を走る列車である。それゆえか停車駅は秋田〜青森間のこの区間を走る「かもしか」と比べると格段に少なく、大館の次は弘前そして青森と寝台特急「日本海3号」と同じであった。
しかしそこは電車と客車の違いか、「日本海3号」は大館→青森1時間23分で走るのに対し「いなほ7号」は1時間3分と20分も快速である。機関車牽引の客車列車には真似出来ない電車ならではの柔軟な運転の良さが良く分かるものであろう。
夜の為、車窓は暗くまた元々人家の少ない地域なので街路灯や車の明かり以外には特に見えない。時折過ぎる駅に人影が無く寂しげに蛍光灯が灯っているのが一瞬で過ぎていく。通過駅ではあるが大鰐温泉ではホーム挟んで向こう側の弘南鉄道大鰐線大鰐駅ホームには大鰐線の最終電車が、考えてみれば大鰐温泉〜弘前間は奥羽線で、そして東北で唯一の私鉄との競合区間なのだった。
これを奥羽線・羽越線・信越線・北陸線の4線を包括した日本海縦貫線と言う括りで見れば、福井県内の武生〜福井〜芦原温泉、富山県内の富山〜黒部の2つの私鉄平行区間が存在するが、何れも北陸地方でありまた北陸線である。故に貴重で珍しいし何よりもJRでは大鰐温泉・石川・弘前と3駅なのに対し弘南鉄道大鰐線は14駅、これもまたある意味歴史遺産と言えよう。何故なら戦前は明治時代に実施された日本鉄道・甲武鉄道・山陽鉄道と言った当時の17私鉄を国有化する際、政府は「私設鉄道とは一地域内の輸送に完結するものに限る」旨の見解を示しているからである。
それから見れば並行して走る弘南鉄道大鰐線は駅の多さと路線の短さから地域内輸送を、JR奥羽線は駅の少なさと路線としての長さから全国及び地域間輸送を担っているのが一目瞭然。そんな意味でも何時までも残ってもらいたい競合にして平行区間なのであった。
そして弘前でやや混んで発車、複線化の暁には活用するつもりで残された旧大釈迦トンネルと並行して走る大釈迦トンネルを抜ければ、あとは青森まで一直線。鶴ヶ坂・津軽新城・新青森と過ぎれば青森である。新幹線の停車駅となる予定の新青森駅には全く明かりが見えなかった。
青森駅に降り立つとすでにはまなすは同じホームに入線していた、しかしドアは開いておらず自由席の前には案の上行列が出来ている。寝台車には増結がされているようだ、しかし自由席にはされてないようで最後尾2両との放送が流れていたのでそちらの列に並び扉が開くのを待つ。
座れるかどうか不安であったが並ばなくては座れないのだから並ぶに越した事は無いだろう、だからじっと待ち・・・ドアが開いて車内に入ったら開いている席があったらすぐ座る様、2人に教えつつ時間を過ごしていると業務放送が流れドア開放。一気に列が動き出す、時間は2230そして2232・・・3人とも無事席を確保して腰掛けていたのだった。
座席は自分は1人で車両の中央付近に、2人はそれよりもやや後の座席に2人並んで腰を下ろしていた。とにかく座席は確保出来たので荷物を置いて買い物に、青森駅に来る度に使っている冷凍食品の自販機にて焼きおにぎりを買い求め、後は飲み物を手にして戻り早めの夜食。もう既にデッキには立ち客の姿が見られる、また折り畳み自転車の大きな復路が幾つも置かれている。
そして奥羽線からの最終普通電車が到着・・・本来利用を予定していた電車が到着し、かなりの乗換客を迎えたところで2245。定刻通りに「はまなす」は札幌へ向けて発車したのだった。やはり2350円の出費は無駄ではなく有益であった、そんな事を思いつつ「はまなす」の客車特有の揺れに身を任せ本来は客扱いで停車しない蟹田駅で臨時の客扱い停車、ちなみに客扱いとは乗客の乗り降りと言う意味である。
つまり本来は通過する筈の蟹田駅に停車し、ドアが開いて乗客が乗ってきたのは大変珍しい事なのだ。良い場面に遭遇出来た・・・そう思いつつ青函トンネルに入ってしばらくした所で目蓋を閉じ眠り始める、次に起きるのは北海道だろう。
翌朝、G氏に起こされる形で目を覚ますとちょうど新札幌だった。時間は555、この駅で降りて厚別まで歩いて旭川行始発普通列車で滝川まで先行する考えもあったが、今ここで慌てて降りるのもどこか顰蹙ものなのでこのまま札幌まで行く事にした。札幌到着は607、ここでK氏は一旦離脱して別行動となる。コンコースにて別れるとG氏と2人で今日の、そして今回の旅行の目的の一つであるキタキツネ牧場へと向かって動き始める。
この3月に初めてキタキツネ牧場へ行った際には明日会う予定のM氏と待ち合わせ、721発の特急「オホーツク1号」で向かったが今回は普通列車で美唄まで先行し美唄から「オホーツク1号」に乗る事にする。その為朝食となる食べ物を確保して635発滝川行127Mに乗り込み、函館本線を一路北へ。車両は711系、北海道初にして日本初の交流急行型電車である。
↑岩見沢駅にて撮影
かつては本来の用途である急行として小樽〜札幌〜旭川の主要都市間を結んでいたが、特急「スーパーホワイトアロー」に代表される特急網の整備と高速化、また普通電車にもJR化後に新型車が相次いで導入された事もあって今では年々淘汰が進み、残存車の中には通勤対策として3扉化改造された編成もある。今回乗ったS-114編成は車内の座席の一部がロングシートになっている以外は原型のままの編成であり、空いていた事もあってのんびりと過ごす事が出来た。
車窓に映る風景は広々としていて夏を感じさせる、関東平野とは違う緑の生彩に染まった北の大地の石狩平野。3月には雪で埋まっていた岩見沢駅も雪は無く広々としていて降り立った美唄駅も同じで、確かあの時はホームの半分位が雪に埋もれていたのを覚えているがそれは何処へやら。太陽の光に照らされたコンクリートが広がっているだけであった。そして窓口で切符を買い求めてホームへ降りると上手い具合に特急が到着してきた。
気動車特有の一震えをして「オホーツク1号」は美唄駅を発車した、3月は自由席で混雑していた中でようやく座ったものだったが今回は予め指定席を取っておいたので余裕で腰を下ろす。車両はキロハ182-6、札幌方半分がグリーン車の残り半分が普通車と言う折衷な作りであり、セミコンパートメントの様な少し特別な印象を感じられるのが個人的には好みと言えようか。「オホーツク1号」ではないが中央特急の「かいじ」「あずさ」で可能な限り指定を取る時には、これと同じ構造の8号車を指定するのからも最早そうであるのは疑いが無いだろう。
そんな車両に揺られつつ砂川、滝川、深川と川が三連発される停車駅に順繰りに止まりトンネルを抜けて4つ目の川である旭川へ。駅構内の高架化工事は矢張り進捗しており、何時か来る時には高架化された駅に何の疑問も無く到着して利用してしまうのだろうなぁとふと思えてならなかった。旭川ではこれまでと同じくどっと客が降りて車内に余裕が生まれる、降りた客を埋めるほど乗客は乗ってはこないから座席定員一杯と言った感じで3分停車の後発車。旭川市内の高架線を走り、新旭川にて宗谷線と別れて石北線を進む。
石北線のこの区間は全く気持ちがいい、架線の無い非電化の路線であるから目一杯広大な農地の中を進む車窓を楽しめるのが何とも気に入っている。この春の「オホーツク9・10号」廃止で特急停車駅で無くなった当麻駅を通過し、直線と緩やかなカーブ主体の線路をディーゼルエンジンも高らかに軽快に走っていく。そして上川に、宿代わりで使った「オホーツク9号」から「オホーツク10号」への乗換の為に深夜に降りて雪の中を楽しんでいた事を思い出している間に1分の停車時間を以って発車して行った。
ここから先、石北線は山を縫うように走って行く。速度も落ちたせいかはわからないが自分の記憶も途切れ途切れで・・・うたた寝の繰り返しをしていた様だった。ただ上越信号所を通過した事だけは不思議と覚えている、そして遠軽駅で座席の向きを反転させた所で発車。時刻は1057、外の緑は眩しく心地が良く目も覚める。安国で対向の「オホーツク4号」とすれ違い今はすっかり草に沈むかつての常紋信号所を通過すればあとは下り勾配、北見駅の手前までトンネルもない。
そして留辺蘂、3月にこの駅に降り立った時には雪に隠れて見えなかった施設などを見つつ、今日は降りずにこのまま北見へと行く。そして再び居眠りをして目を覚ますと北見駅直前のトンネルの中で、トンネルを出ると共に北見駅へ到着し下車したのだった。
北見駅に降り立つのは初めてである、本当はこの3月に廃止となった北海道ちほく高原鉄道が現役の内に来たかったのだが、適わずに廃止後のこの8月に来る事になった訳である。構内には特に忍ばせるような遺構は無く用をしにいなくなったG氏を待って駅前を彷徨う、駅自体は地方都市の駅といった感じであり右手側に東急ストアがあるのがバブルの名残と言う感じもした。
そしてG氏と共に東急ストアへ、その途中で駅舎の一部にあった「北海道ちほく高原鉄道株式会社」との銘板を見つけて写真を。どうやら営業所か何かだったのだろう、中はがらんとしていて妙に新しく立派な銘板がその哀れさを強調している様に見えてならなかった。なお痕跡と言うとこの他に駅にある地図にまだ廃止になった路線図が書き込まれていた、ただ2つだけしっかりと痕跡がある所に無念さが漂っている・・・のだろうか。
↑上が廃線の載ったままの地図、左へ分岐していくのが廃線。下は営業所跡。
東急ストアは北見バスターミナルと一体化しており、1240発恩根湯行きのバス発車まで25分ほど余裕があったので上にあるレストラン街のそば屋に入って昼食をとる。ただのんびりとしすぎたせいで時間がぎりぎりになってしまい、2人で荷物抱えて会計後1階のバスターミナルまで走る事になったのは少しばかり恥ずかしくもあったがいい教訓だろう。
ここからは北海道北見バスの路線バスである、すでに「恩根湯」と行き先を表示したバスは止まっており、席も半ば埋まる程度の乗車で最後尾に荷物を置いて腰を降ろして出発を待つ。そして定刻よりも数分送れて1240にバスは発車、幅の広い国道39号線を西進していく。
北見駅を出て一旦石北線を乗り越したのだがこの区間は地下を走っているので何処かはっきりとは分からない、しかしようやく農地主体となった付近で右手側に姿を現し再び交差して左手側に移る。先ほど特急の中から見ていた光景の中から逆に見ながら進んで行く、道は広くどこか日本的ではない雰囲気。矢張りこれも開拓によって拓かれた北海道だからなのだろうか、その道を客をすっかり減らしたバスは進んで行き相内駅辺りで最後の客が降り、その後は自分とG氏と言う旅行者だけを載せるだけとなっていた。
この北見〜恩根湯間バスは途中で留辺蘂駅を経由するので一旦国道から離れて、駅前に。あの3月と同じ様にタクシーが並んでおり雪が無くやや人影が見られるのが違うところか。それ以外は殆ど同じの駅前で一回転したバスはまた石北線を渡って国道へ向かう、ちなみに先ほど乗ってきた「オホーツク1号」で留辺蕊駅で1138に下車して1本前の1212留辺蕊駅発のバスを利用しても良いのだが、今後の行程と考えて北見まで行って今乗っている北見1240発留辺蕊1322発を利用している訳だ。
最もこの3月にした様に留辺蘂駅からタクシーを使って行っても良いだろう、しかし3600〜3800円とべら棒に高いので4人とかで行くならともかく1人か2人では明らかに割に合わない。時間的にキツキツの行程ならそれでも良いかもしれないが、余裕があるなら少し時間を置いたりするなどして北見〜恩根湯1270円、留辺蕊〜恩根湯580円の路線バスを利用するのをお勧めしたい。
そして国道に戻り、恩根湯温泉への案内看板も見えれば後は少し。2つほど沿道には神社があるのが日本らしかぬ広い大地を日本としているのだろう、そしてセブンイレブンの角をバスは折れて恩根湯の街の中へ入り到着。時刻は1342、1時間余りの路線バスの旅であった。
↑恩湯湯バス停
ここからは西へ向かう道路沿いに徒歩で移動となる、夏の一応は観光シーズンだと言うのに恩根湯の街は温泉街らしい看板はみられるのだが人影が全く無かった。車も全く走ってなく店もすべて閉まっていて動いているのは信号機の灯りと空気に降り注ぐ太陽光だけ、自販機の唸る音が妙に響いて聞こえるゴーストタウンの様であった。
そんな街中を夏の日差しの下、足早に過ぎて行くと道はわずかにカーブし道路の右手側・・・つまり今歩いている歩道側に建物は無くなり、緑地帯と川が併走しだす。そして先には川を乗り越える勾配のついた橋がかかっており、橋の袂で道は五叉路となるのでそのまま西へ向かって川沿いに伸びていく道に入る。道の左手には「道の駅おんねゆ温泉」の施設が見える、なおこれらは冬季は一部を除いて閉鎖されてしまうので注意すべきだろう。
そして右手を見れば何やら赤い大きな門柱のような川を挟んで並び立つ一対の構造物、そして間に渡る橋、それがキタキツネ牧場の入口の橋。T字路の様な交差点を右に折れれば大きな鳥居。そして対岸に「北きつね牧場」と屋根に白く大書された建物の姿・・・そう目的地である北きつね牧場なのだ。振り返っての花畑が何とも美しい。