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68xx69 土井武夫氏とオートジャイロの間

表題にある氏名は日本航空界の偉大な先輩の一人 3式戦・飛燕の土井武夫氏のこと
です。1904(明治37)年10月31日山形市生まれ 1996(平成8)年12月24日死去
行年92。

個人的なホームページとはいうものの このようなタイトルで登場していただくのは 誠に
畏れ多い事なのですが失礼を承知で記録しておきます。

国産旅客機YS-11の主翼取付部に入れる4度19分のクサビが話題になっていた頃 
航空機製造会社に就職出来て艤装部門に配属になって 職場は空力や構造等航空機
そのものズバリの部門と同じフロアに有りました。 隣接した専門部門には土井顧問(肩
書〜そのように記憶します)が頻繁に出入りして 検討や指導を行っているようでした。
遠くからあるいは近くでその姿なりを拝見しただけでしたが 小柄ながらもがっしりした体
格 非常にエネルギッシュな印象を受けました。 個性的な大きな声が聞こえて現れた
事が分かると 話の中身に聞き耳を立てたりしました。 直接の薫陶なりを受ける機会
は有りませんでしたが 土井顧問の話として記憶に有るもの それは 「図面を引きなさ
い」 です。 構想なりは製図する事によって 全てが具体化する 問題点が明確になって
対策も立てられる〜そのような趣旨と受け取りました。

土井武夫氏と自作オートジャイロには何の関係も有りませんが その間にドラフター(製
図器具)が絡んでいるのです。 かねがね自前の飛行機を作りたいということで ドリーム
・デザインは まぁ 結構ありました。 しかしいつもアイデア・スケッチの域を出ないで 
細部が決まらないまま飽きてしまったり 目移りしたり 結局まとまりません。 スポーツ機
ソアラー モーター・グライダー はたまたヘリコプターなんかも顔を出したりして その繰り
返し。 恥ずかしいったらありゃーしない。 その様な状況のもと 私の中で土井顧問の言
葉が大きく膨らんで行きました。 「図面を描け〜さすれば具体化する」。 奥様と交渉の
末 職場でもまだ全員には行き渡っていなかった 安くもないドラフターをゲット 食卓に据
え付けました。 はじめの頃は3面図を青焼きにして飾っただけで嬉しくて それ以上進展
しませんでした。 しかし出費を無駄にしないように頑張って 細部を適した縮尺で書き表
わせば確かに 寸度は適切か? この部材は何を使うか? そのサイズは? 強度は?
 重量は? 必要量は? 入手先は? 値段は?と具体化しない筈が有りません。 小さ
なスケッチの段階ではあまり気にもしなかった 各部位 例えば胴体と主翼の結合方法や
その金具の事などが具体的に問題となって迫ってくるわけです。 一方VWエンジンを入
手してからは 目の前のそれを見ながらやったので マウントの仕方やコックピットとの位
置関係などが一層良く検討出来ました。 会社の仕事とは違って自由度は大きく 例えば
座席や操縦系統の大きさとか配置の基準は自分の体格で良いわけであり 厄介な顧客
の仕様は無いし 職制上の承認サインも不要です。 更にその最たる物はビールを飲み
ながらやれた事です。 というわけで非常にハッピーなひとときでもありました。

かくして 昭和43年の暮れから44年の始めにかけて モーター・グライダーが一応まと
まって 材料リストのうち JIS規格( JIS W−1101)の航空機用樺合板発注に至りまし
た。 しかしです それなりに行程目標も立てたりしましたが 製作場所をどうするかの問
題も やはりというか当然ながら大きく具体化してしまいました。 結局まもなく ドラフター
はオートジャイロの図面を引くのに使われるハメになりました。 大きな大きな先輩を偲び
つつ〜表題の所以です。

691126 小牧祭

昭和44年11月24日。 小牧祭(小牧空港のお祭)に行く。 話題のモーター・グライダー
スポルタビア RF4 を見る。 美しい!。 ついこの間 今年の初めの頃は間違いなく 
そのようなモーター・グライダーを作ろうと夢見ていた。 だからこそ現在の目的(ローター
・ブレード)には サイズが中途半端な合板の手持ちが沢山有るのだ。 どこでどう狂った
か?。

   RF4

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