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701206 G6 惨め

12月6日 航空局へ出向いた(12月4日)後の最初の日曜日。 この日も横風が気にな
るお天気だったが S2機は脚修理未完でG6のみの訓練。 とはいっても何か有った場合
に備えて単独では出来ないし事情内容を知った者の協力が必要なのでこの日も志水さん
が来てくれた。 協力関係と共に競争関係にも有って友でもありライバルでもあって お互
いに相手の進捗状況 技量向上が非常に気になった事は否定出来ない だから特別な
用事が無ければ支援と視察を兼ねてやって来る。 そんな背景があるところで今日は交
代なしの訓練 他の条件が同じで有れば訓練数が多いほど上達する理屈なのだが。 滑
走路が長いから 状況によっては短いジャンプが何度も出来て 最後のジャンプは滑走
路間際で慌てて着陸操作をしたり ジャンプ飛行の距離と高度がだんだん長く高くなって
やはり同じ様に急減速する等 全般的に操作が荒れて行った。  結局最後は落下着陸
 とっさの操作で姿勢を立て直して転倒は免れ辛くもローターは助かった。 しかしメイン・
ギア(主車輪)の支柱はグシャッと座屈してしまったので機体横から少し力を入れて押せ
ばすぐひっくり返りそうだった。 腫れ物に触れる様な気持ちでエンジンをカットしてロータ
ーの回転が止まるのを待って降りて脚支柱に添え木をした。 みんなで機体を支えながら
ソロリソロりと格納庫へ引き返えす行進 惨めそのもの。 競争意識とかプライドなんても
のは無惨に吹っ飛び泣きだけが残った日だった。 現像したフィルムの一駒は阿鼻叫喚
焼いてみて驚いた 良くぞまぁローターが地面を叩かなかったものだ

G6−2Dk Dec. 6 , 1970

701213 13日 壊れた主脚支柱交換修理と機体点検。 この日は例のデモが有って
どのみち訓練は出来なかったし出張準備が有ったりで早々と帰宅。

701214 ライト航空商会の石川氏が本場アメリカのPRA大会の8ミリ映画フィルムを持って
ベンセン・ジャイロコプター宣伝行脚をやっていて14日は名古屋地区であったが14,15日
は航空宇宙研への出張があって残念ながら本場の映像は見れず終い。

701220  仮称東海ジャイロクラブ

G6 及び S2 共に脚の修理が完了して 2機で訓練再開。 G6が突風にうまく対処出来
ず滑走路外へ不時着。 この時の荒っぽい操作で操縦系統の一部(クロス・バー)に変形を
起こし 手直しのため訓練を中断している間にS2機が安定した素晴らしい飛行を繰り返し
た。この日の夕方 同好の士が名古屋の伊藤氏宅に集まって仮称東海ジャイロクラブ結成
の打ち合わせが行なわれた。 参加者約10名で実験航空隊の吉田パイロットも出席した。
夜遅く帰宅したら航空局の飛行許可書(8日付け及び9日付け)が届いていた。

701227
 27日 操縦系統を改修した機体で訓練。

701230 30日 座席や操縦系統の改修〜方向舵にトリムダブを追加。

701231  お父さんは「空の下」を飛んだ

昭和45(1970)年12月31日 この年最後の訓練 G6 および S2。 志水さんは全く呑
み込みが早くまた度胸もあってメキメキ上達して安定した飛行をした〜完全脱帽である。 
一方私は怖くて今は高度を取る気にならない〜飛行許可は下りているというのに〜まぁ仕方
ない 自分のペースでやるしかないのだ。  飛行場に連れて行った3歳の長男は家に帰っ
てから「おじさんは空高く お父さんは空の下を飛んだ」という意味の報告?を母親にしてい
た。これは記録ノートにあるメモからの引用なのだが「空の下を飛ぶ」とはいったいどういう
事だろうか。 考えて見れば意味深長であって今このメモに気がついて 宿題=航空の用に
供するとは? の答えの一つを再発見したような気がする。

ともあれ45年末には単なる浮上ではなくて 再現性のある明確なジャンプ飛行が出来る様
になった。

これ以前に日本で成功していた動力飛行例は次の通りである。
日本初の快挙は私達(國分、志水)に先立つこと5年近くも前のことだった。

坂元義篤
(横浜市)

昭和41(1966)年8月1日 浮上、 2日 ジャンプ、3日周回飛行
 桶川市ホンダエアポート
 しばらくして(12月?)公式公開飛行が行なわれた。

石崎竜人
(下関市)

昭和44(1969)年10月19日 非公式ジャンプ(MaC
 自衛隊小月基地 

広重重功
(久留米市)

昭和45(1970)年5月27日 非公式ジャンプ(VW
 筑後川河川敷



空高く飛ぶ志水おじさん−S2型

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