| GYROSmffm 721112 カメラはどこだ? ワイドショー11PM 1972.11.15昭和47年(1972)年11月12日 千葉県八日市場市の干潟 (旧海軍航空隊香取基地) にて。 −−− TV番組11PMの収録があるので 一緒にやりませんかと誘いの電話が有った。 日本で 最初にジャイロコプターの公式動力飛行に成功した坂元義篤氏からで 手続き上の問題 で多少のやりとりが有って−大先輩と飛べると言うことで−結局トラックをチャーターして 出かけた。 しばらく手入れしていなかった機体(G6−2DK)と飛んでいない操縦者。大 急ぎで 組立てて整備して、 夜中に出発 徹夜して出かけて当日の早朝に現地近くに到着 。およそ1年ぶりの飛行。 ほったらかしでほこりが積っていた木製ローターの調子もまず まず、捨てた物では ない。最初の飛行から戻った所で待っていたのはTV局のマイク&カ メラ。「高度はどれ位でし たか?」。以前は滑空機の高度計を借りてやっていたのだけど 、この時は搭載 してなくて、私の答えがかなり「高め」だったらしい。マイク氏曰く「パイロッ ト には高く感じるのかなー」。これが若造りの自分には こたえた〜というか気持の奥に残 ったようだ。次に上がった(実は、舞い上がった と言うべきか)時、無意識に「上がれ、上 がれ」になってしまったらしい。地上の 景色が流れなくなって、天候のせいか、なにやらま わりの景色も霞んできて、もう いいだろうで降り始める。一緒に飛んでいる筈の他の1機 坂元機はどこだ?。良く見ると滑走 路中央部にあって動かない。 ?、ローターがやけに 短かく見える。さらに高度を 下げて良く見ると、どーも壊したらしくて皆で片付けようとして いるようだ。頃合 を見計らって着陸前のローパス、上昇で何故かエンジンが急に静かに なっちゃって 不時着。 タイミングの悪い下手なフレア操作で機体はトータル・ロス。泣き を見たのは言うまでも無いけど燃料を切らしたのが原因で そのような事態を招いたこと が問題。 で 大問題は その後、家に戻ってから気付いた事に有った。 フォルクス・ワー ゲンの自動車 エンジンを搭載した機体、一寸説明しにくいけど、エンジンはプロペラと反 対側の (自動車で言えばクラッチ・ハウジングの)周辺4ヵ所のボルトでローター・マストに 対して機体を押すような形で取付けて(ロータックスの場合はエンジンの上又は下の部材 に対して載せる又は吊り下げる形)更にプロペラ・エンド1ヵ所を下から支えるマウント方 式だった。戻った家で目にとまったのは残って主の帰りを 待っていた「4組のナット」。4ヵ 所のマウント・ボルトは取付け穴に単に差込ま れていただけだった、プッシャー式だった ので助かった、ゾーッとした。 ![]() 当日の坂元機 Ys-5M (8ミリ映画フィルムより) −−− 転倒した機体から立ち上がった所へ真っ先に駆けつけて来たのは離陸に先立って私に アイモ(16mmニュ−ス映画撮影機)を渡した担当者。 大丈夫か?と声をかけてくれた 筈と思うけれども 記憶にはっきり残っていることはそのような安否を気遣う言葉ではなく て 「カメラは!、カメラはどこ?」 である。 これは坂元機や何かを空撮して欲しいと預 けられたものだが 私は全く忘れてしまっていて飛行中は一度も触れる事はなかった。 あ、そうだった、シマッタ 等とぼんやりいる間に忙しく動き回っていた担当者が近くの草 むらの中からカメラを拾い上げた。 同日のG6-2DK ![]() −−− その後坂元さんと「仲良くヤッテしまいましたね」等とテレた話をしたが これが坂元さんに お会いした3回目で最後となった。坂元さんがスタジオに生出演(私は断った)した番組は 11月15日に放映され タイトルは「男の好きなオノリモノ」 担当の司会者は三木鮎郎氏 で(先日 )他界されました。ご冥福をお祈り致します〜ワイドショー11PM、一時代を画 した番組でした。ちなみに三木鮎郎氏は日航ダグラスDC−4でエンジン停止事故(1958 年9月30日)を経験していて その時の模様を航空情報誌のコラム サイド バイ サイドに 「私の遭難記」として綴っています。 ![]() スタジオの坂元氏(右から2人目) −−− ジャイロの飛行を実際に見た事がなかった家内と子供達はこの日 夫と父の飛行を初め て見て そして事故をも目撃した。 私は11日の夜自宅を出発した折り財布を忘れた事 に気が付いて近くから後戻りした。 その事を知っていて 壊れて戻った機体を見て「何か 有ると思った」と言った母も今はいない。 −−− 以上が G6−2DK型ジャイロプレーン最後の飛行顛末記。 エンジンやプロペラ 他の 損傷を受けなかった部材は後年 G6−VW1500型ジャイロプレーンとして復活した。 GYROSmffm |