朝4時に目がさめた。
そういえば腕時計の目覚ましをツーリングの時そのままにしておいたのだ。しかし不思議とそこまで眠たくはない。
目がさめると同時に何か忘れているような気がしていたがソレが何なのかはすぐに分かった。
「今日はどこまで走ろうか」
「どこを見て周ろうか」
「朝飯を食べるのに湯を沸かさなくて
は」
「寝袋をたたんで出発準備をしなくて
は」 ・・・
一週間やってきたことをやらなくてもいい朝。
そのかわり先々週までやっていたことをやらなくてはならない。
朝食を食べて出勤し、日中働いて帰宅。
その日に「どこへ泊まろうか」考えることも必要なければ、ストーブで炊くご飯のでき具合に、一喜一憂する必要もない。
この、楽で特に不満のない贅沢な暮らし。「いつもどおりの毎日」
がまた今日から始まるのだ。
が、その「いつもどおり」が今は少々もの足りなく感じる。
大学四年の卒業ツーリングの時には「このまま旅を続けようか」
と本気で考えた一瞬があった。
就職しいわゆる「社会人」となることへの不安からも、そういった思考になったとも思う。
今回のツーリングでもそういった気分になるかと思っていた。しかしそこまでのには至らなかった。
確かにツーリングは楽しく「もう少し続けられれば」
と思った。だがそれ以上にはならなかった。
北海道にツーリングに行き、「ツーリングに生きている」人達も少なくない。
が、今の自分にはその生き方はできない。
いや、したくない?
自分が帰ることができる場所がある限り、たぶんその生活は望まない。
平日があるから日曜日がうれしいように、ベースとなる生活があってはじめてツーリングが楽しいのだと、今は思う。
「祭り」はまた必ずやってくる。その時に思いっきり楽しめばよいのだ。
北海道ツーリングから帰ってはや一ヶ月以上が経つ。
いつも通り6:30に目を覚まし、朝食を取り、腕時計をして出勤する。
いつもどおりの生活が、もう何の乱れもなく繰り返されている。
ツーリングから帰ってきてほったらかしにしておいたキャンプ道具も、また元の居場所に収まり次の出動
のために休暇を取っている。
ツーリング中に撮った写真の整理も終わった。
今回の北海道ツーリングが自分を成長させたかどうかは分からない。
「その時の経験や体験というもは後になって活きてくるもの」
と人生の師から教わった。
多分そうなのだろう。だから今はっきり言えるのは「行ってよかった」
ことだけである。
それが言えただけでもこのツーリングの意味はあったのだ。
それで自分の中をとりあえず整理できている。
いっぽう、相棒はまだツーリングの余韻を引きずっている。
吹き出たオイルで汚れたエンジンエリア。
山のなくなったタイヤ。
小傷の増えたボディ。
彼はこのツーリングに行ってよかったと思ってくれているだろうか。
聞いてみたい気もするが、随分無理をさせたことだし、今しばらくはそっと眠らせておくことにしようか。
次の「祭り」
のその日まで・・・。