ACT.5_先輩


 陽子の家で夕食を頂き、修一の勉強の邪魔にならないよう早々に二人は恵子の家にいった。
 家に着くと、恵子は風呂を沸かしながら洗濯を始めた。ほとんど家にいない母親に代わって
家事は恵子がやっている。
 恵子の家は、3LDKで母子二人暮しにはかなり大きい。1階はキッチンやダイニング・
リビング・風呂などがあり2階には3部屋ある。そのうちの一つは、母親が仕事に使って
いるので恵子は出入り禁止になっているが、逆にその部屋だけは掃除ができないので、いつも
散らかしっぱなしになっている。
 恵子は母親に『少しは片付けてよ』と言うのだが、全然効果が現われないので、今はもう
あきらめている状態だ。
 残りの部屋はそれぞれ、恵子と母親の寝室になっている。
 恵子の部屋は東南に窓があり、 東側の大きな出窓の正面に陽子の部屋が見える。
10帖ほどの広さがあるが、セミダブルのベッドやかなり大きいパソコンデスクが部屋の
大部分を占領している。
 恵子が洗濯をしている間にも、陽子は勝手知ったるナントカで早速コーヒーを入れている。
 恵子は紅茶党なので普段はあまりコーヒーを飲まないが、陽子と恵子の母はコーヒー好きで、
恵子そっちのけでコーヒー器具などを揃えて二人で楽しんでいる。
 陽子が入れるコーヒーは格別で、そのため恵子の母は調子にのって陽子のためといいつつ、
自家倍煎用の器具まで一式揃えてしまった。
おいしいし、入れてくれるのだから恵子も文句は言わないで飲んではいるが、自分の母親が
陽子とコーヒーの話で盛り上がっている時は正直言ってヤキモチを焼いてしまう。
「恵子、コーヒー入ったわよ」
「ありがとう、すぐいく」
脱衣所の洗濯機のモーターがうなり、ザザザッという音が聞こえてくる。陽子が振り替える
と、下着姿の恵子がやってきた。
「どうしたの? もうお風呂沸いたの?」
陽子が不思議そうに聞く。
「お水、足そうとしたらシャワーが出ちゃって、頭から濡れちゃった。」
といって、タオルで頭をふいている。
「ま、いつものことか…早く着替えないと風邪ひくよ」
「いつもってのはひどいよぉ」
頬をふくらませながら、恵子は自分の部屋へ着替えにいった。

「でも、陽子って本当にコーヒーが好きだね。うちに来ると絶対、最初にコーヒーだもんね。」
「サイフォンで入れると、すっきりして、しかもコクのあるコーヒーが入れられるの。
うちはコーヒーメーカーしかないから、恵子の家でコーヒー入れるの楽しみなんだ。」
「お母さんも陽子みたいに、きちんと後片付けまでしてくれれば文句ないけど、『コーヒーは
入れてアゲルから、後片付けは恵子がやりなさい』ってキッチンいつもグチャグチャにするん
だもん。」
「おばさんらしいね。おおらかっていうか…」
「おおらかなのはいいけど、も少し女らしくしてほしいわよ」
「えー、素敵な女(ひと)だと思うけどな」
「外づらはいいのよ。でも、家の中だとズボラで、家事なんかはみんな私にやらせるんだから」
恵子がブツブツ言っているのを見て、陽子は吹き出しそうになる。
「なにがおかしいのよ、陽子。」
「だって、家事をやらされてるって言うくせに、散らかってるとすぐに片付けたくなるん
でしょ。」
「そりゃそうよ。」
「いやだったら、多少ちらかってても平気なんじゃない? おばさんの作戦勝ちだよね。」
「ぶうーーーっ。」
そう言いながら陽子の入れてくれたコーヒーをすする。
「あれ? いつもと違うよ」
「あ、わかった? 味の方はどう?」
「おいしい! どうしたのこのコーヒー?」
「じゃーん! これよ!!」
と言って、陽子は小さなブランデーの瓶を恵子の目の前に掲げた。
「え? これって、お、お酒?、入れたの? コーヒーに」
「入れたって言っても、スプーン1さじよ。香り付け。」
「ふ、不良だわ。陽子って。」
「あ、そんなこと言うともう飲ませてあげない。」
「やだぁー、もっとちょうだい陽子ちゃーん」
 珍しく陽子がアルコールを持ってきたので『何かあるな』と思いつつ、恵子は今、初めて飲む
カフェ・ロワイヤルを楽しむことにした。
 カフェ・ロワイヤルは、スプーンに角砂糖をのせ、ブランデーを注ぎ火をつける。ブランデー
に火が移ったらスプーンをゆっくりとコーヒーに浸す。そうすることで余分なアルコールが蒸発
して、口に含んだ時にとろけるような感触が喉を潤す。恵子はアルコール類は初めてではないが、
直に飲むよりこのほうが気に入った。もともと紅茶類が好きなので、香りと味のハーモニーを楽
しむ方で、ゴクゴク飲むことはない。
 カップ半分位飲んだところで、風呂の湯加減をみようと立ち上がったら、ちょっとフラついた。
それでも心地よいので、なんだかうれしくなってきた。
「恵子、フラついてるわよ。大丈夫?」
「うーん、へいきへーきぃ。とぉーっても気持ちいいのぉ」
「ね、ねえ。もうやめとこ。お風呂入れなくなっちゃうよ」
「少し横になってれば、だぁーいじょーぶだよぉ」
「そうかなぁ……?…え?ヨコにって…」
心配になって陽子が見に行くと、洗面所と廊下にまたがって、恵子が転がっていた。


「け、恵子ぉ。」
ビックリした陽子は、恵子に駆け寄り上体を起こした。
「恵子、お酒弱いの?」
「そんなこと…ないと…思うけど、なんか目がまわるぅ」
「カフェ・ロワイヤルにしたから酔いが早かったのかな?本当に少ししか入れてないのよ」
「ブランデーって…あまり…飲んだことないから…かなぁ?」
恵子は顔中真っ赤になっている。いままで、ワインや日本酒でこんなになったことはない。
どうやら、ブランデー自体合わなかったようだ。
 思えば、今日は恵子にとって厄日だったのかもしれない。朝から降りそうで降らない天気
のために気分がすっきりしなかったし、部室では、ぼぅーとしていた所を部長に茶化されたり、
買い物の帰りにはシャックリが止まらなくなるし、極めつけはブランデーで酔っ払う始末。
なんで、こうなったんだろ? と考え始めたとたん、部長の顔が頭から離れなくなった。
急いで振り払おうと叫んでしまった。
「うーん! もぉーっ!」
 突然、恵子が両拳を握り、のたうつように唸ったので、陽子はビックリして恵子から飛び
退いた。

―ゴン!―

次の瞬間、恵子の後頭部は床と激突した。
「いったぁーーい」
今度は後頭部を抑えて、本当にのたうつ恵子だった。
「ひぃーん。陽子ぉひどいよぉ。急にどかなくたっていいじゃない!」
「ご、ごめんね。急に叫ぶからびっくりしちゃって。でも、どうしたの?」
「い、いたいよぉ。」返事どころではないらしい。
「ここ?…あっ! コブになってる。すぐ冷やしたほうがいいわね。タオル濡らしてくるね。」
と言って陽子はタオルを濡らし、ついでに風呂のスイッチも切ってから居間に恵子を連れて行
き、ソファに寝かした。かわいそうに恵子のコブはかなり大きく痛そうだ。
「酔いが一辺で醒めちゃった。」恵子は後頭部をさすりながら、残念そうにつぶやいた。
「なによ。デロンデロンになってたから、すっごく心配したんだからぁ」
陽子はタオルを恵子の後頭部にあてながら、半ベソをかいている。
「だって、今日はロクなことなかったなって思って、頭にきて…モヤモヤして…そしたら…」
そう言いながら恵子はまた顔が真っ赤になった。
「そしたら?…」陽子はとぼけて聞き返した。
「そしたら、部長の顔…! 陽子! 気付いてて聞いたナァ!」
「わぁーい、白状した」
「い、いじわる!」恵子はどうしていいのか分からなくて、クッションに顔を埋めて陽子に
背を向けていじけてしまった。
「恵子、ごめん。ごめん。でも、私には正直な恵子の気持ち聞かせてよ」
「……」
「けいこぉ」
「……」
「け…い…」
陽子は恵子の態度があまりにも今までと違うので、どうしていいのかわからなくなってきた。
時計の針の進み方がやけに遅く感じられた。5分…10分…。
そして、陽子が予想していたより、ずっと落ち着いた声で恵子が聞いた。
「陽子。私どうしたらいいのかな?」
「素直になればいいんじゃない? 自分の気持ちに…」
「え? 自分の気持ち?」
「ん。石田部長が好きなんでしょ」
「好きとか、嫌いとかそんなんじゃないと思うんだけど」
「じゃあ、例えば石田部長と二人でイラスト描いたり、話しをしたり…したくない?」
「二人で? うーん。よくわかんない」
「じゃあ、石田部長が誰か他の人と仲良く笑って話してたりするの見ても何とも思わない?」
「いつも楽しそうにみんなと話してるよ」
「それじゃあ!」陽子は段々イラついてきた。
どうして恋愛感情が分かんないのか、不思議でしょうがない。
「石田部長が、誰かと腕を組んで歩いてても何とも思わない?」
「…う…、……。やかも」恵子の声が暗くなってきた。
「石田部長が、誰かとキスしてても平気?」
「き、キスぅ?」「部長と…キス?」「誰かと部長が…キス…」恵子は泣きそうな複雑な
表情をしたと思ったら突然、
「いやぁー」
大声で叫び出した。
「やだやだ、部長が誰かと…やだぁー」「陽子ぉやだよぉ、部長がぶちょうが…」
「やっとわかった?その気持ちが…」
「胸がくるしいよ、陽子ぉ。どうしよう、私、わたし…」
「いままで、恵子自身が知らないうちに恵子の心の中の石田部長は大きくなっていたの。
でも恵子自身がその本当の意味を知らないでいたから、かえっておかしなことになってたのよ。
最近やたらとボーッとしてたりイライラしてたり、私とても見ていられなかった」
「陽子…、じゃあ私が気付かなかったこの気持ちわかってたの?」
「当り前でしょ。私はあなたの親友よ! 何年恵子と付き合ってきたと思うの?」
「……」
「確かに最初は恵子を石田さんに取られちゃうとか思って、何かと妨害してきたけど、
恵子見てるうちに段々わかってきたの。恵子は自分が石田さんのこと好きだって気付いて
いないんだ。って」
「だって、だって。まさか…恋とか愛とか…そんなこと考えてなかった…」
「普通は、中学生くらいになると恋のまねごとみたいなものに興味を持つものよ」
「私、普通じゃないの?」
「恵子の場合は仕方ないんじゃない。おとうさんの事があったから、気持ちに余裕がなかった
と思う」
「うん。ショックだったもん。あの時、陽子がいてくれたから私、おかしくならなくて済んだ
んだと思ってる」
「それだけに私は最近の恵子、見てられなかった。
こうなったら、何が何でも石田さんとうまく行ってもらおうってね」
「よ、陽子」
「恵子、がんばって。石田さんにアタックしよう!」
「え、そんな。いきなり…だって、好きだって気付いたばっかりだし…部長だっていきなり
じゃビックリするだろうし…」
「そんなことないよ」陽子は極、当り前のことのように話すので、恵子は面喰らった。
「なんでそんなことわかるのよ?」
「石田さんだって、気付いてると思うよ」
「…… えーーーっ!!」
「明日にでもデートに誘えば? 多分OKしてくれるよ」
「断わられたらどーすんのよ! 私、恥ずかしくって部活出られなくなっちゃう!」
「大丈夫だって!いつもの恵子らしく真正面からぶつかってけば!」
「だって、だって。なんて言ってデートしてもらえばいいのかわかんないよぉ」
「あ、そうだ。私メトロポリタンの招待券持ってるから、これ使いなよ」
そう言って、陽子は美術館の招待券を鞄から出すと恵子に押し付けた。
「陽子も一緒に行ってくれる?」
「なに、おバカ言ってんの。人のデートを邪魔する気はありません!」
「ふえーん」
恵子は心細さに今にも泣きだしそうだ。
陽子の粋な(?)計らいで、お膳立ては整ってしまった。
後は明日、恵子が一大決心して石田にアタックするだけだ。
その夜、恵子はなかなか寝付けなかった。

<つづく>

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