つれづれなるままに,来し方行く末の自然とのたわむれ、社会との交わりを月毎の俳句集にまとめています。 先ずは、ご笑覧いただき、ご意見、ご感想など、お聞かせ頂ければ、光栄です! |
H24.12.5
俳句・短歌 | 写真 | 詞書他 |
越前一国を支配した朝倉五代の栄枯盛衰、時雨にけぶる。 | ||
足羽川の支流、一乗谷川に沿って朝倉氏遺跡は広がる。 その入り口、一の門「下城戸」跡の紅葉。 |
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「下城戸」と「上城戸」(二の門)のほぼ中央に「町並立体復原地区」、「朝倉館跡」が在る。 雨にけぶる町並みの紅葉も枯れ落ちてーーー。 |
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復元町並みの武家屋敷の庇から朝倉館跡方向の残りの紅葉を見る。 | ||
某社のTVコマーシャル一乗谷版の白い犬の父のふるさと写真はこの付近ですね。 | ||
朝倉館跡西門に当たる唐門は、江戸時代中頃に建てられた松雲院の山門。 | ||
唐門は、朝倉氏遺跡のシンボル。 雨中にも威厳を保つ。 |
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広壮な屋敷群が想像されるが、今はただ遺構が初時雨に濡れているのみ。 | ||
湯殿跡庭園は戦国時代の荒々しい気風の岩の配置が特色の由。 成程、武士がごろごろしているように見えますね。 |
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中の御殿は、義景の母高徳院の居館で、山麓を削り出して造った由。 紅葉が一本さびしく立ち、水溜りがーーー。 |
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諏訪館跡庭園は、戦国時代の池泉回遊式庭園として日本有数の由。 義景の妻「小少将」のために造ったと伝えられている。 催したであろう紅葉の宴も今は昔。 |
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南陽寺跡庭園は、尼寺で、永禄11年(1568年)15代将軍足利義昭接待の宴を催したとつたえられている。 |