湖東三山写真俳句短歌紀行

<概要>

 2年振りの大学同窓会が京都で行われるのを機縁に、前日の11月24日(木)湖東三山を旅した。
近江、琵琶湖の東岸で鈴鹿山脈の懐に抱かれた山地に、北から西明寺、金剛輪寺、百済寺の三名山(古刹)があり、”湖東三山”として知られている。

会社勤めの最後に近江草津に数年滞在し、新緑の頃に三山を訪れ、深い感銘を受けた記憶があり、もう一度紅葉の頃に来たいと思っていた念願が10数年を経て、叶うことになった。

    
        紅葉狩り 湖東三山 バス溢る

<アクセス>

  東海道新幹線米原駅下車。在来線に乗り換え、彦根の先JR河瀬駅にて下車。
 紅葉のこの季節は、当駅からシャトルバスが出ており、

  河瀬駅―西明寺、西明寺―金剛輪寺
金剛輪寺―百済寺、百済寺―河瀬駅

  と周り、それぞれの古刹には1時間程度拝観した。


<写真俳句短歌紀行>

                                     注記:各寺概要は、寺の案内パンフレットによる

写真 俳句・短歌 記事
西 明 寺 平安時代の承和元年(834年)に三修上人が、仁明天皇の勅願により開創された天台宗の寺院である。戦国時代に織田信長は比叡山を焼打ちしてその直後にこの寺も焼打ちされたが、幸いに国宝第1号指定の本堂、三重塔、二天門が火難を免れ現存している。江戸時代、天海大僧正、公海大僧正の尽力により復興され現在に至っている。
山門の

 常磐木囃す

   紅葉かな 山門は、鬱蒼とした松、杉の常緑に覆われているが、この時季だけ紅葉が彩りを添える。
最澄像

 光るもみじに

    纏われて 天台宗の開祖最澄上人には紅葉も敬意を表するか?
信長と
 切り結びしや
    二天王

  返り血浴びて

     炎の紅葉 広目天、多聞天の二天王が守護する八脚門。
紅葉も心持ち赤い?
千年の

 大樹を見上ぐ

    紅葉かな 樹齢約千年の夫婦杉を見上げ、紅葉世代の儚さよ!!
彼岸見む

 紅葉散り敷く

     苔の池 池の彼岸には輝く未来が??
ただ黙視

  蓬莱庭の

     紅葉時 端正な書院、清らかな泉水、蓬莱島に閑静な時が流れている。
ただ紅葉に向かうのみ。
金 剛 輪 寺 天平13年(741年)聖武天皇の祈祷寺として、行基菩薩が開山された歴史あるお寺である。嘉祥年間(850年頃)には延暦寺の慈覚大師が来山。天台宗の大寺となる。寛元4年(1246年)に三重塔、弘安11年(1288年)に本堂大悲閣が再興され現在に至る。尚、三重塔は昭和53年秋、「昭和の復元大修理」が完工し現在に至っている。
黒門に

 紅のもみじの

    傘架かる 紅葉の傘が、「いらっしゃい!」と皆を招いているよう。
千年の

 苔むす寺に

    花紅葉 苔むす屋根、苔むす木々の侘びの寺には、もみじは花、華
名園の

  黄葉の気に

    鼓舞されて 何とも威勢の良い黄葉!
粛々と
 四百年の
  茶を伝ふ

  水雲閣に
   紅葉の雲か 茶室、水雲閣を取り巻く紅葉。名の通り雲の如く?
本堂に

 血染めの歴史

    知る紅葉 信長焼打ちの歴史を今に伝えるや?
よだれかけ
 千体地蔵
  かざぐるま

 思い思いの
   風に任せて 立ち止まって、銘々家族の平安を祈願。
三重の

 塔に三重の

    紅葉かな うす紅、黄色、深紅の三重のもみじで三重の塔を覆う。
百 済 寺 推古14年(606年)に聖徳太子の御願により百済人のために創建された古刹で開創当時のご本尊は、太子御自作の「植木の観音」であったと伝えられる。その後、規模が拡大され「湖東の小叡山」と称されるほど壮大な寺院となった。時代が下り、室町、戦国時代には、度重なる兵火、 特に天正元年4月11日に織田信長の焼打ちを受け、一山悉く焼亡烏有に帰した。江戸時代に至り、天海大僧正,井伊直孝、土井利勝、酒井忠勝等の尽力により本堂、仁王門、山門等が竣工し、現在に至る。
尚、寛永11年に本坊「喜見院」が完成、元文元年消失したが、昭和15年改築され、池泉回遊式且つ鑑賞式で山上眺望の見事なパノラマ庭園も移築されている。
降りかかる

 もみじの日差し

      百済寺 百済寺本堂に初冬の日差し。名残りの紅葉。
白壁の

 紅葉に沈む

    古刹かな 同本堂を遠望すると白壁だけがもみじの陰にひっそりとーーー。
信長の
 焼き尽くしける
     城跡に

 廻遊庭園
    廻る歴史や 池巡り、栄枯盛衰の歴史を想う。
紅葉に

 血の陰ほのか

     喜見院 「血染めの紅葉」は、湖東三山に共通の思い(恨み)?
湖越えて
 比叡遥か
   西方に

  太子夢見つ
   百済の浄土 百済寺縁起を胸にパノラマ庭園から比叡山方向を遠望。




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