*** ページ説明:アテネ出場前の新聞記事
57歳保科 アテネで「入賞を」
写真:保科さん沖山さんとのツーショット写真
アテネでも伴走する沖山健司さんと、やぶはら高原ハーフに出場した保科清さん 18日
臼田在住パラリンピックマラソン出場
シドニーはゴール目前失格 雪辱期す
アテネ・パラリンピックのマラソンT11(視覚障害)クラスに出場する保科清=南佐久郡臼田町、県厚生連佐久総合病院小海分院=は57歳。初出場だった前回のシドニー大会で失格になった後も走り続けてきたが、「4年前、アテネまでは考えていなかった」という。パラリンピックでの記録を「失格」で終わらせないため、入賞を目指してこれまで以上に走りこんでいる。
「とっくにピークを過ぎた年齢。どう維持するかがテーマ」と保科は語る。昨年11月の選考会での記録は2時間49分51秒。自己記録には届かなかったが、4年前の記録をほぼ維持している。6月に行った走り込みは一カ月で計1120キロとシドニー大会前より60キロ延ばした。また、昼休みには新たに加えた負荷トレーニングをしている。
シドニー大会ではゴールを目前にして力尽き、伴走者に支えられて走ったため失格に。
「普通は悔しいと思うだろうが、そういう気持ちが全然わかなかった。
自分の浅はかさが招いたんだろうから」と淡々と振り返る。教訓は現地での調整。前回は現地入り後に体重を増やしてしまい、元に戻せないままレースに臨んだ。
「今度は前回ほど練習量を減らさず、食事に注意する」と語る。
この4年間は、一般の大会への視覚障害のあるランナーの参加を広げるきっかけも作った。
01年2月に大分県で開いた別府大分毎日マラソンに参加を申し込んだところ、伴走者が日本陸上競技連盟規則の禁止する「助力」に当たるなどの理由でいったんは断られた。
あきらめずに続けた働き掛けが実り、オープン参加が認められた。
その後、陸連が規則に「視覚障害者が道路競技に参加する場合の伴走者は助力とはみなさない」と追記。今ではどの大会も伴走者を付けて走る視覚障害者の公式参加を認めるようになったという。
視力は徐々に落ちているが、「何よりも練習を優先させる人」(妻の喜美子さん)という姿勢が2度目のパラリンピック出場に導いた。
「シドニーから4年か。あれがあったから、今があるんだよな。
雪辱だから、入賞を目指して頑張るよ」。いつもの穏やかな表情で決意を語った。
シドニーからアテネへ4年
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