1992年全仏オープン女子決勝/モニカ・セレス - シュテフィ・グラフ

2006. 6. 1

6−2
モニカ・セレス 3−6 シュテフィ・グラフ
10−8

「テニス - 懐かしの名試合」、第1回目はこの試合を書こうと決めていました。テニス史に残る名勝負、そして私の中でもかなり強く印象に残っている名試合です。

私が好きなテニスプレイヤーは男子はアンドレ・アガシ、そして女子がシュテフィ・グラフ。 この2人が好きだという事は、テニスファンならばすぐに共通点がわかりますね。 圧倒的な破壊力を誇るフォアハンド、そして観衆を味方に引き込むカリスマ的オーラです。特に長い年月に渡って「マルチナ・ナブラチロワ&クリス・エバート」の時代が続いた後に出てきたグラフは、抜群の身体能力と独特なプレースタイルで一気にトップへと登りつめました。1988年には4大大会(全豪、全仏、ウインブルドン、全米)に加えてオリンピック(ソウル)も優勝し、史上初の5冠を達成。 「グラフ時代が何年続くのだろう」と言われていた矢先に出てきたのがモニカ・セレスです。1989年のこの全仏オープンでは準決勝で対戦(ちなみにこの試合も録画テープが残っています)。 圧倒的な強さを誇っていたグラフが年下のセレスに初めてセットを落とした時、世界中が驚きました。そして翌年 (1990) の対戦ではセレスがグラフを破って初優勝。 テニス界の最年少記録を次々に塗り替え、ついに 1991年にはセレスがグラフを抜いて世界ランク第1位となりました。私がグラフという名前を知った頃(1988年の全仏オープン)は既に世界ランク1位でしたので、グラフが世界ランク2位に落ちるという事自体に違和感があった事もさることながら、1位を譲った相手が年下のセレスという事に悔しさを感じたのを覚えています。なので余計にこの決勝戦で雪辱を晴らして欲しいという思いでテレビを見ていました。

グラフを良く御存知の方ならわかると思うのですが、ほとんどの試合が先行逃げ切り。 相手がペースを掴む前にフォアハンドでぐいぐいポイントを重ねるプレースタイルが魅力です。リードを許しながら、特にファーストセットを落とした後から追い上げて逆転するという試合もあるにはあるのですが、この試合当時、セレス相手にそれを行うのは厳しいかと。 ファーストセットを簡単に落とした時、私はストレート負けも覚悟していました。しかしこの日のグラフは凄かった。 ファイナルセット、セレス 5 - 3 のリードでマッチポイントを3度握られてからの集中力は今見てもしびれます。しかし 14年経った今、あらためてこの試合を見てみるとセレスの集中力は凄いなぁ。 当時マスコミや選手の間で話題となった「グランティング」も、その試合がおそらく最高のボルテージ。 そして徹底してグラフのバックを突くプレースタイルは精密機械のようにミスがありません。 3時間を超える大熱戦のラストはグラフのミス。 ダウン・ザ・ラインの渾身のフォアハンドはネット。 セレスは3年連続3回目の優勝。 グラフはセレスが初優勝した 1990年に続いて雪辱を期すことはできませんでした。しかし涙をぐっとこらえてセレスへ賛辞を贈るグラフに観衆からの大声援。 「確かに私は負けたけれど、今日ここにいる皆さんの事を絶対に忘れません」と右手を挙げて語ったスピーチ
(それが上の画像です)は大きな感動を呼びました。もちろんグラフを応援していた私は悔しさで眠れなかったのを覚えています。1年後に必ずこの舞台で雪辱をはらして欲しいと思いながら。


・・・、テニスファンなら翌年に起きた事件を知っていますね・・・。 この名試合から1年後(1993)の全仏オープンの直前、セレスは「試合中に」グラフの熱狂的ファンに肩を刺されるという衝撃的な事件が起きました。病院で対面した二人が言葉を交わさず、顔を見合わせてずっと涙を流し続けていたというのは有名な話です。それから二人が対戦するのは 1995年の全米オープン。 2年以上に渡るセレスの不在はもちろんセレスにとっても長い年月でしたが、グラフ、そしてテニス界にとっても長い年月でした。「あの事件が無かったらセレスはどれだけ記録を塗り替えていたのだろう」という表現がさんざん使われましたが、その仮定は無意味。 確かにセレスは復帰後の全豪オープン(1996)で優勝を遂げましたが、復帰後の優勝はその1回のみ。 事件が起きる前の圧倒的な強さを取り戻すことはどうしてもできませんでした。この試合は私にとってセレスが最も強かった時代を記録している貴重な映像でもあります。そしてもう1つ。 14年振りにビデオを見て気づいたのですが、この試合の途中に不慮の事故で他界した「アイルトン・セナ」がスタジアム観戦している映像がありました。14年という年月は良い事だけを思い出すのではありませんでしたが、これからも懐かしい名試合について書き綴ろうと思っています。


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