1999年全仏オープン男子決勝/アンドレ・アガシ - アンドレイ・メドベデフ
2006. 7. 2


1−6
2−6
アンドレ・アガシ 6−4 アンドレイ・メドベデフ
6−3
6−4

「テニス - 懐かしの名試合」、第2回目は男子プレーヤー史上5人目、30年ぶりに「生涯グランドスラム = 四大大会全制覇」を達成したアンドレ・アガシの試合です。

私がテニスを見始めた 1988年は男子テニス界がちょうど世代交代を迎えようとしていた年。 ビヨン・ボルグ、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、そして当時世界ランク1位のイワン・レンドルに対し、ボリス・ベッカー、ステファン・エドベリ、マッツ・ビランデル、そしてアンドレ・アガシが急激な勢いでランキングを駆け上ってきました。1988年は、長年に渡って世界ランク1位をキープしていたレンドルがその座を明け渡した年でもあります。ビランデルは四大大会のうち全豪、全仏、全米の3つを制覇。 全米の決勝戦でレンドルを破って世界ランク1位になりました。私がアガシを初めて見たのは、そのビランデルが全仏で優勝した時の準決勝。 肩まで伸ばした長髪、デニム素材のテニスウェア(懐かしい)、そして何よりも信じられないほどに強烈なストローク・・・、まさしく衝撃的な出会いでした。その頃は奇抜なファッション故、どちらかと言うとランキング的な強さよりも「次はどんな格好をするんだろう」という話題性でメディアの注目の的。 この点、北海道日本ハムファイターズの SHINJO さんと同じ。 話題性ではなく、真の勝負強さを評価されるのが後というのも同じです。その後、1990年の全仏(対 ゴメス)、1991年の全仏(対 クーリエ)、1990年の全米(対 サンプラス)で決勝進出を果たしますがいずれも敗退。 土壇場での精神的弱さを言われる中、アガシから最も遠いだろうと言われていたウインブルドンで優勝(1992年)。 しかも破った相手がゴラン・イバニセビッチでしたからね。 この話はいずれまた書こうと思っていますが、これがアガシにとっての生涯グランドスラムへのスタートだったわけです。実はアガシがウインブルドンを優勝したというのが非常に重要なキーポイントなわけで。

テニスファンならばもちろん御存知ですが、四大大会(全豪、全仏、ウインブルドン、全米)を全て制覇したプレーヤーは本当に極僅か。 女子のシュテフィ・グラフ(年間/1988年)とマルチナ・ナブラチロワ(2年越し)が近年に達成しているので男子プレーヤーも多いかと思いきや、とんでもない! 世界ランク1位になった面々を見てもレンドル、ビランデルがウインブルドンを優勝できず、コナーズ、マッケンロー、ベッカー、エドベリが全仏を優勝できず、ボルグが全米を優勝できず、そして四大大会史上最多の優勝を誇るピート・サンプラスでさえ、ついに全仏を優勝することができませんでした。テニス史上、最高のテニスプレーヤーとしてピート・サンプラスを挙げる方は多数います。もちろん、サーブ、ネットプレー、ストローク全てにおいて素晴らしい技術を持った偉大なプレーヤー。 しかし私自身は、四大大会の優勝数こそサンプラスに劣るものの、生涯グランドスラムを達成したアガシはサンプラスに勝るとも劣らない、まさしく SHINJO さんの言う「記録では無く記憶に残る」プレーヤーだと思っています。しかもテニスファンでさえあまり知らないことですが、
アガシはオリンピックの金メダルも獲得しています(1996年アトランタ)。つまり生涯グランドスラム + オリンピック金メダルというのは、現在のところアガシとグラフしか成し得ていない偉業。 しかも母国アメリカ開催でのオリンピックで金メダル。 こういう事もまさしく「アガシらしさ」を感じさせてくれます。上の画像は生涯グランドスラムを達成した瞬間のアガシの涙、そして決勝を戦った相手メドベデフとのツーショット。 その後、幾多の優勝を重ねてもひどい負け方をしても決して涙を見せず、ジョーク交じりのスピーチが得意なアガシが、優勝した瞬間に泣きました。もう7年前のことですが、今でもその瞬間が私の頭の中で色鮮やかに残っています。


・・・、ついに今年、アガシは引退を決意しました。男子テニス界最年長ながらトップレベルのプレーで観客を魅了し続けた偉大なプレーヤーがついにコートを去ります。 おそらくアガシが引退する日(今年9月の全米オープン)が、私にとってもテニスを引退する日。 その後もテニスの試合は見続けるでしょうが、テニスに対する情熱はこれまでとは確実に変わっていく筈です。 同世代のプレーヤーはアガシ以外は全て引退しました。既に充分にテニスファンの記憶に残っている偉大なプレーヤー、アンドレ・アガシ。 頑張れ!


1989年全仏オープン男子決勝/マイケル・チャン - ステファン・エドベリ
2006. 11. 11



6−1
3−6
マイケル・チャン 4−6 ステファン・エドベリ
6−4
6−2
ネットプレーヤーとグラウンドストローカーが対戦する時、ほとんどの場合において私はグラウンドストローカーの方を応援します。ネットダッシュしてきた横をパッシングショットで抜き去るのを見るのは何とも痛快。 なのでこの試合はそういう意味では非常に例外的な試合でした。マイケル・チャンは4回戦で世界ランク1位のイワン・レンドルを下して一躍優勝候補の筆頭。 一方、ステファン・エドベリも準決勝でボリス・ベッカーを下し、苦手と言われた土のコートで初の決勝進出。 しかし下馬評はレンドルを破ったチャンの勢い、そしてとにかくボールを拾い捲るコートカバーリングが圧倒的に有利とされ、ネットプレーヤーのエドベリにとって厳しい試合になると予想されていました。特に前日、17歳のアランチャ・サンチェスがシュテフィ・グラフを下して初優勝(この試合についてはいずれまた)を遂げたのもチャンにとって追い風。 同じ 17歳の選手が男女決勝を制するか? というマスコミの煽りがあったのも事実です。その煽り方が私にはあまり好印象ではありませんでした。この頃の私はまだテニスを「する」方だったので、年下のチャンよりもエドベリを応援するという単純な理由だけでは無く、下馬評を覆して欲しいという願いもあったのです。

第1セットを 6−1、僅か 30分でチャンが取った時には、観戦していた私も含めほとんどの観客が「これでチャンの優勝は確実だろう」と思ったに違いありません。 とにかくエドベリは何も出来ないまま第1セットが終わったという感じ。 しかし何度パッシングで抜かれても、とにかくネットに出続けるエドベリが少しずつ、本当に少しずつペースを上げていきました。第2、第3セットを連取、第4セットも最初にエドベリがチャンのサーブをブレイクした時は、ジョン・マッケンローも無し得なかったサーブ&ボレーのエドベリが全仏オープンを優勝するのかという期待がかなり大きくなりました。しかし・・・。第4セットの終盤、それまで何度もブレイクチャンスがありながらポイントを取れなかったエドベリに対し、チャンがたった1度のブレイクチャンスを生かして第4セットを奪取。 体力的にと言うよりも精神的に疲れ始めたエドベリにとって、長い長いファイナルセットが始まりました。

この試合で最も印象に残っているのはファイナルセットの第5ゲーム。 第4セット同様、再三ブレークポイントを握りながらどうしてもブレイク出来ずにゲームが終わった時、、疲労なのか、あるいは極度の集中だったのか、エドベリはコートチェンジに全く気づきませんでした
それが右上の画像です。私も結構な数の試合を見てきましたが、こういうシーンを見るのは初めてです。 試合時間は既に3時間超。 自分のサーブを残り4つキープする事がどれぐらい遠く難しいか、見ている私にとってもその先の展開が見えてきてかなり辛かったです。この試合の解説をしていた坂井利朗さんのコメントも非常に印象的でした。「エドベリはこの試合に勝つと『二周り』は成長するんですけどね〜」。聞いていた私も納得。 それぐらいこの試合はエドベリにとって重要だったと思います。

実はこの試合には後日談があります。エドベリは 1996年に現役を引退したのですが、その年の全仏オープン2回戦でマイケル・チャンと再び対戦しました。そして勝利! 試合そのものは見ませんでしたが、あまり感情を出さないエドベリが本当に嬉しそうにガッツポーズ。 「7年越し」でチャンに勝った瞬間でした。


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