1995年全豪オープン男子準々決勝/ピート・サンプラス - ジム・クーリエ
2006. 10. 1

6−7
6−7
ピート・サンプラス 6−3 ジム・クーリエ
6−4
6−3

「コーチのために頑張れ!」。 
ファイナルセットの第2ゲーム。 サンプラスの様子がおかしいのに気づき始めたスタジアムの観客、生中継でテレビ実況をしていた解説者、そして試合をテレビで見ていた私も、初めはその原因がわかりませんでした。彼には貧血症という持病があって、試合が長丁場になると手足をだらーんと伸ばしたり肩で息をしたりするのですが、それとは少し違う。 そのうち、サンプラスが明らかに泣いている事がわかってから場内が一気にざわつき始めました。それでも最初は体のどこかを強くひねったのかなと。  冒頭に書いた、ファンの「コーチのために頑張れ!」という声援がサンプラスの琴線を揺れ動かしたのがわかったのは試合の後になってからの事です。単に涙を浮かべるという表現ではなく、感情をどうしても抑えきれずむせび泣く状態。 第2ゲームのサービスゲームをキープした後、自分のベンチに戻ってからは号泣してしまい(それが上の画像です)、果たして彼はゲームを続けることができるのだろうかと試合を観戦していた誰もが思いました。

当時のサンプラスのコーチはティム・ガリクソンという方。 おそらく以前は現役プレーヤーだったと思うのですが詳細は知りません。 彼がコーチについてからサンプラスは一気に世界のトップに躍り出る目覚しい活躍を遂げました。しかし単にプレーヤーとコーチという関係では無く、トップを維持するために精神的な支えとなっていたのでしょうね。 そのコーチが全豪オープンの途中に心臓の病気(実際は脳腫瘍でした)で緊急入院。 サンプラス自身、コーチのためにという思いがあったのでしょう。 昂ぶる感情に何度も揺れ動きながら、信じられないサーブ、ストローク、ネットプレーでクーリエを圧倒していきました。最後にはクーリエが根負け(と言うよりはキレてしまいました)。 マッチポイントを取った瞬間のスタンディングオベーション、そしてサンプラスの涙は 10年以上経った今でも感動します。

残念ながら翌年(1996)の5月にティム・ガリクソンコーチは 44歳の若さで亡くなりました。その時のサンプラスの様子はメディアでもほとんど取り上げられていません。 人間的に優し過ぎる彼にとって、プレーヤーとしての大きな節目であったことは確かです。その後、サンプラスは脳腫瘍で苦しむ人々のためにガリクソンコーチの妻と共に基金団体を設立しました。現在も活動しています。



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