S.S.FACTORY別館TOPへ

「現在」の考察


 『修羅の門』(以下、『門』)の舞台は、西暦何年なのか?

 作品中に具体的な年数が出てこないため、ハッキリ「何年」という断定はできないのだが、『門』及び『修羅の刻』(以下、『刻』)の中にいくつかのヒントは存在する。

 なお、原作中の時間も何年かにまたがっているため、ここでいう「現在」は、『門』第四部のヴァーリ・トゥードが行われた年を対象とする(ちなみに、ボクシング世界王者統一トーナメントも同じ年に行われており、全日本異種格闘技選手権大会の開催はその前年である)。   

(文章中で引用した『門』『刻』の巻数とページ数は、全て講談社コミックス版のものである)

1、ニルチッイの生年による推測


 『刻』第四部及び『門』第三部に登場する、風のニルチッイ。
 1877年の春、彼女が「クー」を果たすために旅立ったとき、雷は「まだ15になったばかりだってのに」と語っている(『刻』4巻P51)。ここから推測すれば、ニルチッイが生まれたのは1862年の春頃となる。
 そして『門』18巻P114でマッイイツォは、

 「オレも大婆様の話の内 半分は信じられなかった・・・・村の者は大婆様が130に近いという事さえ信じていない者もいる・・・・」

 と語っている。
 「130に近い」という言葉は、「実際にはまだ130歳にはなっていない(120歳台である)」と考えるのが自然であるが、同じ年の8月に行われたアリオス戦の時に、九十九は「130歳のバァさん」(『門』18巻P178)、「130歳を すぎ・・・・」(『門』21巻P125)などと語っており、130歳より上なのか下なのかは今ひとつハッキリしない。
 恐らくマッイイツォは、ニルチッイの正確な生年までは本人から聞かされておらず(正確に知っていれば「130に近い」などという曖昧な言い方はせず、ハッキリ○○歳と言うであろう)、「大体130歳ぐらい」と認識しているのではないかと思われる。 彼からニルチッイの話を又聞きした九十九もまた然りである。
 そこで、ここではニルチッイの現在の年齢を130歳前後とし、「現在」を1992年前後と仮定しよう。   


2、九十九の誕生日とローマン戦の日付による推測


A、ボクシング世界王者統一トーナメントの決勝、8月29日夕刻(アメリカ現地時間)のアリオス戦の時点で、九十九は「18歳1か月」と紹介されている(『門』19巻P52)。
 つまり、九十九の誕生日は6月30日〜7月29日の中のいずれかの日であろうと推測される。


B、対ジャージィ・ローマン戦直前のTVで、アナウンサーは九十九を「若冠18歳」と紹介している(『門』第14巻P8)。
 少なくとも、九十九はローマン戦の時点ですでに誕生日を迎えていた事になる。

 さて、そのローマン戦の日付は、トーナメント表によると1回戦が「6月」とあり(『門』13巻P35)、6月中に行われたと思われがちだが、ひとつ引っかかる点がある。

 ボクシング世界統一トーナメントは、急遽九十九をメンバーに加えたために変則スケジュールとなり、開会式直後に九十九vsリック・ガンフォードの特別予選が行われる事となった。
 恐らくそれが理由と思われるが、1回戦の全3試合のうち、最後の試合である九十九vsローマン戦だけが他の2試合の1週間後に行われている。
 そして、2回戦の九十九vsアーロン、アリオスvsムガビ戦は「7月25日」(『門』16巻P124)、 決勝戦は8月29日と、いずれも月末近くに行われているので、1回戦の2試合(本来のスケジュールでは3試合の予定だったが)も6月末に行われた可能性が高い。
 もし1回戦の2試合が6月末であれば、それより1週間後の九十九vsローマン戦は、7月にずれ込んでいた可能性があるのだ(ただし、ローマン戦とアーロン戦の間隔は、『門』15巻P47によると「一か月」と言われているので、ずれ込んでいたとしてもせいぜい数日程度であろう)。
 これをAと合わせて考えると、九十九の誕生日はローマン戦の日付によって、以下のどちらかとなる。

 ア、6月末の場合・・・・6月30日

 イ、7月初めの場合・・・6月30日〜7月初め



C、『門』13巻P166で、谷山記者が、

 「陸奥は18・・・・アリオスは19・・・・アリオスがロビンソンからWBAのベルトを とっても・・・もし 準決勝でアーロンが陸奥に敗れると・・・・ヘヴィ級史上最年少チャンピオン陸奥九十九が誕生しちまう・・・・アリオスの記録を あっさりと1年ぬりかえて・・・・な」

 と語っている。
 語ったのは、九十九vsローマン戦の1週間前。アリオスvsロビンソン戦の前日である(同、P168)。
 果たして、このセリフを根拠に「この時点で九十九は18歳であった」と判断して良いか?

 実は、谷山が語った時期は、6月に行われた1回戦2試合の前日となるため、どんなに遅くても6月29日以前となってしまう。
 この時点で九十九が18歳であったとすれば、8月29日には九十九は最低でも18歳2か月となっているはずである。
 谷山のこの発言があった時点では、九十九はまだ17歳のはずなのだ。

 恐らく、この「陸奥は18・・・・アリオスは19・・・・」というのは、最年少記録が生まれるタイトルマッチ(九十九vsアーロン戦とアリオスvsロビンソン戦)の時点での九十九とアリオスの年齢を指した言葉なのではないかと思われる(上記のセリフの冒頭に「タイトルマッチの時点で」という一文を補足すれば、より分かりやすくなるであろう)。


D、ローマン戦の生中継をTVで観戦していた舞子に、木村が声をかけるシーンがある。

 「日曜(きょう)の少年部の稽古 早坂さんがおじょうさんのかわりにみてくれるそうです・・・・」(『門』14巻P7)

 ローマン戦が行われた時(現地では夜)、日本は日曜日だったのである。
 時差を考えると、日本での日付は恐らく試合日の翌日になっているはずだ。


 これをBの推測にあてはめて考察してみよう。

 B−ア・・・ローマン戦が6月中であった場合

 6月30日が九十九の誕生日とすれば、時差の関係上ローマン戦は6月29日・30日のいずれかとなる。
 6月30日または7月1日が日曜日となっている年が「現在」の年の条件を満たす事になる。
 1980年〜2004年の範囲で調べてみたが、この条件を満たすのは1984、85、90、91、96、01、02年の7つである。
 つまり、この7つのうちのどれかが、「現在」の年であると推測できる。

 B−イ・・・ローマン戦が7月初めである場合

 日付が特定されていないため、どの年も当てはまってしまう。
 これだけではデータ不足なので、推測はひとまず置いておこう。   


3、実在の建物・人物・出来事による推測


・全日本異種格闘技選手権が開催された日本武道館が建設されたのは、1964年。
 つまり、選手権が行われたのは64年以降であり、「現在」は1965年以降という事になる。


・『門』7巻P122には、全日本異種格闘技選手権大会を放送中のアルタビジョンが写っている。
 スタジオアルタができたのは、1980年3月26日。
 選手権が開催されたのは、九十九が17歳の時(『門』10巻P124)。アリオス戦の1年前である。
 ボクシング統一王者トーナメントを報じるアナウンサーが選手権の開催を「昨年の夏」と語っている点(『門』13巻P5)や、九十九の選手権優勝の写真を載せている格闘マガジンが9月号(普通に考えれば発売月は8月)である点(『門』11巻P6)などから判断して、おそらくその時期は7月頃であろう。
 つまり、選手権が開催されたのは1980年以降、「現在」は1981年以降という事になる。


・『門』22巻P86で、レオンの「ペレやジーコを知っているのと同じように(九十九の事を知っている)」というセリフが出てくる。
 よって「現在」は、ペレやジーコがサッカー選手として活躍し始めて以降の時期であると言える。
 ペレのデビューは1958年、ジーコがフラメンゴのエスコーリニャ(14歳以下のチーム)で活躍を始めたのは1967年の事であり、少なくとも「現在」は1967年以降という事になる。


・『門』22巻P179に、ビクトル・グラシエーロがコンデ・コマ(前田光世)との出会いを語るシーンがある。

 「コンデ・コマに会うたのは今から70年程前・・・・コマが30代後半の頃だ・・・・」

 コンデ・コマこと前田光世は1878年生まれ。 「30代後半」は、おそらく35〜39歳頃を指すと思われるので、前田とビクトルが出会ったのは1912〜17年頃であるという推測が成り立つ(年齢が数え年かどうか不明なので、そうであった場合も計算に入れてある)。
 そこに70を加えると、「現在」は1982〜87頃となる。
 ただし、この「70年程前」という表現もあいまいなため、前後5年程度の幅を考慮して「現在」は1977〜92年のうちのどれかとしておこう。


・『門』23巻P29で、徳光が見ているのは阪神タイガースの試合のビデオテープである。
 その内容から見て、これが1985年の快進撃の時代のものである事はほぼ間違いあるまい。
 よって「現在」は1985年以降であると推測できる。


・『門』25巻P21で、舞子の母が九十九の体重に関して舞の海を引き合いに出しているシーンがある。
 舞の海秀平は、90年の5月場所に初土俵、91年3月場所で十両、そして同年の9月場所で新入幕を 果たしている。
 よって「現在」は、少なくとも1990年以降であると推測できる。


以上の6点全ての条件を満たす「現在」の範囲は1990〜92年となる。   


4、カレンダーによる推測


 『門』11巻P8で、舞子の部屋にかかっている1月のカレンダーは、1日が火曜日になっている。
 元旦が火曜日の年は、1980年〜2004年の間では、80年、85年、91年、02年の4つしかない。
 ヴァーリ・トゥードはこの年の12月に行われているので、「現在」の年はこの4つのうちのどれかという事になる。   


結論

 以上、1〜3で算出した年代から、最も可能性のありそうな年を特定してみよう。

 1・・・1992年前後

 2・・・ア、1984、85、90、91、96、01、02年のいずれか イ、(データ不足のため保留)

 3・・・1990〜92年

 4・・・1980、85、91、02年


 この中で、全ての条件を満たすのは1991年しかない。

 その内容をまとめてみよう。


■九十九の生年月日は1973年6月30日。
■ローマン戦が行われたのは(※)6月29日(土)。7月25日のアーロン戦は「1か月後」でほぼ合致する。
■ニルチッイの誕生日は春頃と推測されるので、ボクシング編終了の時点で年齢は129歳。
■ビクトルが前田と会ったのは、前田が35歳の時ならば1913年となり、今から78年前(数え35歳なら1912年で79年前)。前田が39歳の時ならば1917年となり、今から74年前となる(数え39歳なら1916年で75年前)。


 (※)時差の関係で、日本でローマン戦が放送されたのは翌30日(日)となるため、日本のTVアナウンサーが九十九を18歳と紹介しても矛盾はない。   


【最終結論】

『修羅の門』における「現在」(ヴァーリ・トゥード開催年)は、1991年と推測される。
  

S.S.FACTORY別館TOPへ