せっかく来ていただいたのですから 珈琲でもといきたいところですが・・・・・・。
せめてものおもてなしに 歴史上の人物の歴史に関係ないお話 でもいかがでしょう。
ただし私の手前味噌な タイトル,現代語訳,扱い,解釈 となっていますのでご勘弁を。
勝海舟の首 04-11-28
徳川幕府が初めて咸臨丸をアメリカに渡航させたときの事です。
まもなく港につく頃となり アメリカの祝砲に応じて こちらも祝砲を放つべきかどうか 艦内幹部で議論となりました。
艦長の海舟は 艦内の誰も祝砲の経験がない事から 「失敗して外国人に笑われるよりは むしろやらない方が良い。」 と考えたのです。
しかし 大砲運用方の佐々倉桐太郎が 「艦長閣下 私が必ず成功させます」 と言うと 海舟は 「馬鹿な。おまえが見事に出来たなら俺の首をやるよ。」 と罵り からかいました。
桐太郎は 「必ずやってみせる。」 と言いきり そして応砲に見事成功したのです。
桐太郎はこのとき 「勝艦長の首は俺のもんじゃ! けれども航海中は忙しいから しばらく当人に預けておく!」 と大喜びで叫んだそうです。
福沢諭吉の肝っ玉 04-11-27
大阪にあった緒方洪庵の適塾を出て 江戸にいた頃の事です。
ある夜に今の新橋駅付近を通りかかった時 月明かりのなかに 向こうの方からひとりの武士が ツカツカと急いで進んでくるのが見えました。
当時は攘夷熱が盛んで 目の敵とされていた洋学を研究していたものですから 諭吉は切り殺されると思い 足がすくみました。
しかし 志ある者として 此処で逃げるわけにはいかないと勇気を奮って進んだのです。
刻々と近づいて お互いが肩をそびやかして通り過ぎる時 その肩と肩がコツンと突き当たりました。
その途端 諭吉も相手もびっくりして それまでの見栄をほっぽって 振り返りもせず お互いが走って逃げてしまいました。
後に 諭吉は福翁自伝の中で 「さても臆病者と臆病者との衝突で、世の中にはおもしろい揃いもあるもんじゃ!」 と書いています。
歴史のピンスポット
( かなりピントが外れています )