「また、あした。」 3
銀時が行きつけの居酒屋に連れていくと、おトシは『ここは初めて来ました』と店内を見回していた。
並んでカウンター席につき、
「じゃあまあ、任務完了を祝って乾杯、かな。」
「はい。」
ビールのジョッキをカツンと合わせてグイと煽る。
どうして女の子の買い物ってのは、そんなに無駄にたくさん歩くのだ…。
次にどこへ行くのかも分からずただ後を付いて回るのは、思ったよりもひどく疲れた。
こんな時は日本酒よりビールだろ。
そう思ったら、おトシも同じことを思ったらしくビールを頼んでいて。
あれ、俺たち案外考え方が似てんじゃね?なんて思ったりして。
喉の渇きを潤し、数種のつまみがそろった頃。
「銀さん。」
おトシが相変わらず喋りづらそうに名を呼ぶ。
「依頼料ですけど…。」
「ああ…。」
適当な金額を言うと、『分かりました』とアッサリと頷く。
相場より安い金額だけど、喫茶店でもここでも奢ってくれるっていうから、まあそんなもんだろう。
「で、…あの。どうやってお支払すれば…。」
「あ、ああ。そうか…。ウチまで持って来てもらっても良いけど…。君の家や職場から離れてたら悪いし…。振込み…かなあ。」
口座番号をメモしたものを手渡す。
「分かりました。」
メモを受け取り、丁寧に畳んで袂へ………。
…って、あれ?
あの位の紙切れなら、普通襟元に挟まないか…?
まあ、護身用に胸元に懐刀は差している訳で、だからざわざわ袂に入れたのかもしれないが。
袂に入れた仕草はごく自然で、普段からそうしているのだろうと分かる。
けれど、きちんと襟元を整えて着る女物の着物。紙切れくらいならそこに挟んだ方が落ちない。
対して男物の着物…特に着流しなんかは襟元をざっくり開けて着る者もいるくらいだからそんな所に物を入れたら落としてしまう。…で袂に入れる訳だが…。
考え込んでしまった銀時をおトシは不思議そうに見る。
「銀さん?…どうしました?」
「あ、あああ、いや、何でも…。」
「あの、どうぞ、食べてください。」
手が止まっていた銀時を心配してくれたのか?
遠慮しているとでも思われたのかもしれない。
「じゃ、遠慮なく。」
そう言って箸を伸ばすと、おトシも箸を持った。
なにか物足りなそうな顔をしている。
「…あまり美味くなかった?」
「え?ええええ、いえ。美味しいです。」
曖昧に笑うおトシ。
そういや、料理に山ほどマヨネーズかける奴いたよね。
ふ、と思いだす。
ご飯にマヨネーズを山ほどかけて、あり得ないオリジナルフードを作りだしてた男。
あいつならきっとこんな酒のつまみにもマヨネーズを掛けまくるんだろうな…。
って、あれ?
ちょっときつい眼とか、整った顔立ちとか、あいつとそっくりじゃね?
改めておトシの顔を覗き込む。
「な、な…に…??」
驚いてこちらを見返してくるおトシ。
真っ直ぐな目にドキドキする。
「あのさあ…。」
「はい?」
「………。」
イヤイヤイヤ。
何、聞こうとしてんの?
君、お兄さんいる?とか?そいつ瞳孔開いてんじゃね?とか?真選組なんて言うヤクザな組織に属してない?なんて…。
もしも、『ハイ』なんて頷かれたりしたら…。
実はお兄さんとは、顔合わせれば喧嘩する仲なんです〜なんて知れたら…。
「や、何でもない。」
「そうですか。」
「あ、いや、これ、ありがとう。」
銀時の手元には、小さな可愛い紙袋がある。
女の子向けのアクセサリー屋で、ふと目についた赤いリボン。
金とグリーンで刺繍が施されたそれは、何となく神楽を連想させた。
『そういえばあいつの髪の毛に付けてるあの団子みたいなやつ。あれ、だいぶくたびれてきたよな…。』
売り場を見れば、リボン売り場のそばには髪飾りのコーナーがあって、何となく見る。
ああ、これこれ、こんな奴。
「欲しいんですか?」
「わっ。」
すぐ隣からおトシが銀時の手元を覗き込んでいた。
「あ〜、ウチに居候してるガキがいてさ…。」
「買いましょうか。」
「へ?」
「いつまでも手ぶらなのも不自然でしょ?」
そういうといくつかの髪飾りを手に取り何度も眺める。そしてその中から赤と紺のものを選んだ。
「こんなのはどうでしょう?」
「ああ、良いんじゃねえ。…っていうか俺そういうの良く分かんねえし。」
銀時がそういうと、クスリと笑ってレジに並んでしまった。
確かに、行く先々で店がかちあうカップルがいるな…位には気づかれているかもしれない。(まさか、父親に頼まれて見張っているとまでは思わないだろうが)
いつまでもその手に買ったものがないことを不自然に思われるかも…。
だから、仕事のためなのかもしれないけれど。
それだけが目的ならば自分のものを買えばいい話。
「悪いな。」
会計から戻ってきて、可愛らしい小さな紙袋に入れられた髪飾りを受け取る。
「いいえ。似合うといいですね。」
ニコリと笑う。
あの、『ニコリ』に何度心臓を鷲掴みにされただろう。
ターゲットの子を見る目はまるで妹を見守るかのように優しい。
けれど、彼女たちに近づこうとする男子たちのグループがあれば、キっと睨み何かあればすぐに出て行くつもりなのが分かった。(最も男子たちは『キモイ〜』だの『ウザイ〜』だのと言われアッサリ撃退されていたが)
ギャップがいいんだよなあ。
ニコリと笑った顔。
優しい目。
かと思えば、鋭く強められた眼差し。
あれは、ちょっとゾクリとするくらいイイ。
いつでも真っ直ぐに相手を見るおトシ。
その視線の先に自分も入っていたいと思ってしまった。
ああ、しまった!
何で依頼料を振込みって言ってしまったのか!?
ウチに持って来てもらうのが悪ければ、どこかで待ち合わせして受け取るという手があったのに!そうすればもう1度会う機会を持てたのに!
ってことは、今夜しかないってことなのか?
このままさよならしてしまったらそれっきり!?
心の中で焦っている銀時を、おトシが不思議そうに見る。
「…銀さん?……もう、良いんですか?」
「え?は?いや、良くない良くない!」
「???…何か追加しますか?」
「お、おう。」
それからは少しでもおトシの情報を得ようといろいろと聞いてみるが。何となくはぐらかしたような返事しか返ってこない。
警戒されているのだろうか?
警視総監が上司だというくらいだから、警察の中でも結構中枢の方に位置する人なのかもしれない。
だから、個人情報をおいそれと他人には言えないのかもしれないけれど…。
まるで銀時自身が信用されていないような気になって何となくへこむ。
かなり粘ったけれど、もう女性を引きとめておける時間でもなくなった。
諦めるしかねえのかな…。
店を出ると、おトシが銀時を見た。
「では。」
「あ、送ってくよ。」
「え、けど。」
「まだ、この辺は酔っ払いとか多いから危ねえよ。」
「………ハイ。」
千鳥足で歩く酔っ払いが、『ね〜ちゃん俺と1杯飲もうよ〜』と真っ赤な顔で声をかけてくる。
それらにうんざりしたような顔をしたおトシは、自然と銀時にくっつくように並んで歩き、そっと腕を組んできた。
え?
さっきまでは『彼氏役』だったから腕を組んで歩いていただけで、今はそんな『演技』する必要はないのに…。
「………ぁ。」
しばらくして小さな声が聞こえた。
腕を組む必要もないのに腕を組んでしまっていたことに気づいたのかもしれない。
それでも腕が解かれることはなかった。
長いような短いような帰路。
「あの、…もう、ここで…。」
「え?家まで送るよ?」
「もう、すぐそこなので。」
「そう。」
そういえばこの先には真選組の屯所があったっけ。
もしかしたら、警察の寮とかもあるのかもしれない。
「あの、今日は、本当にありがとうございました。」
「いや、いいよ。俺もここんところ仕事がなくてさ。助かったよ。」
そういうとクスリと笑う。
「じゃあ、依頼料は早めに振り込みますね。」
すぐに欲しいから現金で渡してくれとでもいうべきだろうか?けど、あんま貧乏丸出しなのもみっともないし。
これで見納め?
そう思ったら、名残惜しくて腕を離せない。
「………銀、さん。」
不思議そうにこちらを見る真っ直ぐな目。
ああ、この目が好きなのに。もう、自分がこの目に映ることはないのだろうか?
銀時の真剣な目を見て、おトシも黙り込んだ。
その時ふと煙草の香りがした。
それは彼女の香水に紛れて、ほんの少し香っただけだったけれど。
職場がたばこ臭いのかも知れない。それで、彼女に煙草の香りが染みついているのかも。
それとも、彼氏がいるのだろうか?
香水の香りで消そうとしても消せないくらいに彼女に染みついた香り。
それだけ彼女のそばにいられる者がいるのだ。
それが自分ではないことがひどく悔しい。
そっと銀時が顔を近づけると、おトシの目が静かに伏せられた。
ゆっくりと唇が近付いって、触れあいそうになった寸前。
「っ。」
とんと銀時の胸が押され、おトシが顔を逸らす。
銀時の唇には、おトシの頬をかすめた柔らかい感触だけが残った。
『寸止めかよ〜〜!!』
心の中で絶叫した銀時は、けれどふと気付いた。
薄暗い街灯の明かりでもはっきりと分かるほど、おトシの頬も耳も赤く染まっている。
嫌がられている訳ではないらしい。
出会ってからまだ数時間。今はこれで満足しなければならないのだろうか。
銀時が仕方なく腕の力を抜けば、おトシはそっと離れた。
「…それじゃ…。」
小さく会釈をして歩いていってしまう。
銀時はせめてどの方向へ行くのかだけでも見届けようと、その場に立ったまま少しずつ小さくなる後ろ姿を見つめていた。
その先の角を曲がるのか?それともまっすぐに行くのか?
そんな事を思っていると、道の向こうから黒い影が走ってきた。
「あ、いたいた〜。副長〜〜!帰りが遅いから心配しましたよ!」
その声を聞いた途端、ピキとおトシの背中が固まった。
………『副長』?
駆け寄ってくるのは、夜の闇にまぎれんばかりの地味さを発揮した真選組のジミー。
「松平のとっつあんのお嬢さんの尾行、どうなりました〜?…ぶべ!」
傍に駆け寄った途端おトシに殴り倒される。
あれ、デジャブ?
似たような光景は過去に何度も見たことがある。
違っているのは、殴り倒すのは綺麗な女性ではなく、瞳孔ガン開きの真選組の鬼副長だということくらいで…。
え?
ギ、ギ、ギ、とまるでオイルの切れたロボットのようにぎこちなく振りかえるおトシ。
分かってみれば、それはまぎれもない真選組の土方十四郎で。銀時がいつも掴み合いの喧嘩をする相手だった。
確かに、男独特の仕草をすることもあった。
女性にしては背が高いな。とも思った。
酷く喋りづらそうにしていたのは、一生懸命女らしい声を出そうとしていたからで。
居酒屋の料理を見て物足りなく思ったのは、正にマヨネーズをかけたかったから。
そういえばあの時土方に似ていると自分は思ったのではなかったか。
ターゲットの子を尾行するには女装が最適であったのだろう。
出会ったのはただの偶然で、別に銀時を騙すつもりだったわけではないと思う。
いつも喧嘩をしている銀時に女装しているのだと気取られたくなかっただけだ。
協力を申し出たのは銀時の方から。
それがなければ、トラブルに見舞われながらも土方は一人で仕事をやり遂げただろう。
決して土方に非があるわけではない。
それでも、すぐに事実を受け入れられない自分がいる。
その時、がさりと手元で何かが鳴った。
それは、彼女…いや土方が買ってくれた髪飾りの入った紙袋だった。
土方は神楽を知っている。
きっとあの場にあったいくつもの髪飾りの中で一番似合いそうなものを選んでくれたのだろう。
それは仕事とか報酬とかじゃなく、純粋に土方の好意。
ザっと銀時が歩き出すと、ビクンと夜目にも分かるほど土方の体が揺れた。
「…副長?」
起き上がったジミーが土方と銀時を交互に見る。
「あれ、…万事屋の旦那?」
ゆっくりと銀時が近付く間に、土方は腹を決めたようだった。
罵倒でも何でもしやがれ。
真っ直ぐな目が銀時を見る。
ああ、この目だ。
がしっと土方の両腕をつかむと、顔を寄せてすぐ傍で言った。
「やっぱり依頼料は現金でちょうだい。明日、ウチに持ってきて。」
「な。」
土方にとって予想外の言葉だったのだろう。
あっけに取られた顔をしている。
ヤベエ、土方だと分かってても可愛い。
ちゅ。
触れるだけのキスをする。
「え、…ちょ……っ。」
驚いているジミーと硬直している土方。
掴んでいた腕を放すと、『じゃあね』と言ってくるりと振り返った。
さあて、明日が楽しみだ。
アイツ、どんな顔して万事屋へ来るかね?
20110529UP
END