うちのお姫さん達
注:『姫』は「ひめ」でかまいませんが、『お姫さん』は「おひいさん」とお読みください。
「ちっ。」
突然に振り出してきた雨。
慌てて近くの軒下に入った。
確かに朝からぐずついた天気ではあったが、予報では今日の日中はもちそうな話だったのに…。
これはしばらくやみそうに無い。
屯所へ連絡を入れ、迎えに来てもらおうか?
一瞬携帯に手が伸びかけて…やめた。
今、自分と同じように見回りに出ている者が全員迎えを要求したらパトカーが足りなくなってしまう。
そんなときに何か事件が起きたりしたら対応しきれなくなってしまうだろう。
自分が呼べば来てはくれるだろうが、副長だからという特権をこんな風には使いたくなかった。
もう暫く様子をみるか…。
雨足が弱くなりそうなら、そのタイミングで走ればいい。
すぐ傍というわけではないが、走って帰れない距離でもないし。帰れば着替えがあるのだから。
しばらくぼんやりと濡れる町を見ていると、何か小さな声が聞こえた。
「…?」
きょろきょろとあたりをみまわすが、取り立てて何も目に留まらない。
「…ニ…。」
再び聞こえた。
「……猫…か?」
今度は軒下を移動して、声の聞こえた裏の方まで視線をやってみた。
すると。
ダンボール箱の中に申し訳程度の手ぬぐいがグチャグチャに入っていた。
「………。」
さああああと雨の音が響く。
再び小さくニイと鳴く声がして。
「…お前、だったのか…。」
ペラリとめくった手ぬぐいの中に、黒い子猫が丸まっていた。
「でーっ、ぬーれーるー!」
出先で雨に降られて、大慌てで走る。
最短距離を行ってやる!そう決めて他人の家の庭、路地裏、空き地、公園…全く気にせず走り抜けた。
「あれ?」
ふと捕らえた視線の先には…。
「多串くん?」
「…多串じゃ、ねえ。」
いや、『水も滴るいい男』とは言うけれど。
しっとりと濡れて張り付いた髪から、ポタリポタリと水滴を落とす土方はいつもより何倍も美人だった。
「雨宿り?…ん?…捨て猫?」
段ボール箱を覗き込み、見た瞬間に思う。
ああ、この子猫。このままでは死んでしまうな…。
しかし、定春が居る家の中ではいつ何時プツンと踏まれてしまうかも分からない。
猫を貰ってくれそうな…あるいは、一時的にでも預かってくれそうな奴って誰か居なかったっけ?
そう思考をめぐらせたとき、ついと土方の手が猫に伸びた。
「真っ黒だな。」
「ああ…多分それがこいつだけ残った理由だろうな。」
猫が入っていたダンボール箱の大きさは、子猫1匹には大きすぎる。
おそらくは数匹の猫が入っていたのだろう。
黒猫は縁起が悪いと言われているし。
それに、右目が目ヤニで瞑れている。
子猫を抱き上げた土方がシュルリとスカーフを外し、子猫の身体を拭いてやる。
そして、スカーフが少し湿ったところで目ヤニもそっと拭ってやった。
「お、目ぇ開けた。」
「どれどれ…ああ、ちゃんと見えてそうだな。」
「ああ、良かった。」
「…飼ってくれそうな人、いんの?」
「…屯所で…。」
「へえ!?」
「あいつら、ごつい顔してる割に案外こういう小動物好きだから。」
「ふ〜ん。」
スカーフでふくふくに包み込んで、猫を上着の中へ入れる。
「多串くん。」
「だから、多串じゃねえ。」
「キスしていい?」
「はあ?何言ってんだ。路地とはいえ外だぞ。」
そんなことは分かっている。
ただ、今にも死にそうな子猫にためらいも無く差し伸べられた手が、あまりにも綺麗だったから…触れたくなっただけ。
怪訝そうにこちらを見ている土方に、それでも顔を近づけると。
土方は小さくため息をついて目を閉じた。
なんだかんだ言ったって、こうやって絆されてくれんだよなと嬉しくなって。
土方の服の中で丸まっている子猫ごと、そっと抱きしめてキスをした。
数日後。
土方がオフだときいたので、銀時は屯所を訪ねてみた。
あの、子猫がどうなったか様子が気になっていたから…。
見れば、数日前に死に掛けていたのが嘘のように元気になっていた。
「何、オスなのメスなの?」
「メスだ。」
「名前は?」
「…今考え中だ。」
拾った者の責任だ、と名前を付けることを近藤から言われているのだが、どうにも思いつかないらしい。
「恋人の名前付ければ良いじゃん。」
「はあ?」
「俺、俺っ!」
「黒猫に『銀』?ありえねえだろーが!」
「それもそっか。」
残念そうに言いつつも、『恋人』を否定されなかったあたりで、もうすでに大満足である。
土方の部屋の前の広めの廊下で、ゴムのボールを相手にぴょんぴょん跳ね回っている子猫を二人して眺める。
土方が言っていたとおり、時折強面の隊士たちが庭を通る際に声を掛けて構っていく。きっと日常的にこうなのだろう。
男達にたっぷり甘やかされて、すっかり我儘が板についているようだ。
「男共をかしずかせてんだもんなあ。」
「うん?」
「男ばっかりの中で紅一点なんだろ?」
「…まあ、そうかな…。」
「ちやほやされて。すっかりお姫様気取りなんじゃね?」
「ああ、うん、そうかも…。」
すでに自分の気に入りの隊士とそうでない者とを選り分ける態度を見るにつけ、将来どんな悪女になるのやら…とため息の一つも漏れる。
「どれ、俺も忘れらんねーようにちょいと構ってくるかな。」
銀時が廊下に出て、子猫の弾いたゴムボールをほいと転がす。
いくら可愛いものが好きだといったって、真選組の隊士はどうしたって仕事の片手間の相手となる。が、銀時には時間の制約がない。
それを敏感に子猫も感じ取ったのだろう、互いになにやら本気で遊び始めた。
「………。」
天気の良い昼下がり。
日向の廊下では、恋人と猫が遊んでいる。
なんだ、このまったりと平和な風景は…。
心和む…和むが、しかし…。
土方はふうと煙草の煙を吐いて、吸殻を灰皿に押し付けた。
今日は久しぶりのオフだった。
銀時が来なければ、こちらから万事屋を訪ねようと思っていた。
来てくれたのは嬉しい。
嬉しいが、これではまるで土方にではなく猫に会いに来たようじゃないか…。
…はっ、馬鹿馬鹿しい。
まるで子猫に嫉妬しているかのような己の思考にうんざりして、ため息をついた。
座布団を枕にごろりと横になる。こんなときは寝てしまうに限る。
疲れは澱のように身体に溜まっている。あっという間に眠りについた。
「………。あれ。」
部屋の中へ入っていく子猫につられて中へ戻ってみれば、土方が昼寝をしていた。
「あ〜あ、何にも掛けないで…。」
いくら天気が良くたって、着流し1枚では風邪を引いてしまう。
自分の白い着物を脱いで掛けてやる。
…やべ、なんかものっそいそそられるんですけど…。
「あ、旦那来てたんですか?…副長は……寝ちゃったんですか?」
「お、ジミー。」
「山崎ですって。おやつ、いります?貰い物のお饅頭があるんですけど。」
「貰う、貰う!」
「じゃ、こっちへ。」
「…っと、猫ほっといて大丈夫?」
「ああ、大丈夫ですよ。今のところ副長の部屋周辺しか出歩かないんで。」
ならば、遠慮せず。
「………。」
やあ、あのね。仲良きことは美しいけどね。
おいしいおやつを頂いて、満足して戻ってみれば。
横を向いて寝ている土方の胸の辺りで、子猫が丸くなって眠っていた。
お前ね、俺がその位置をキープできるようになるまで、どんだけ苦労したと思ってんの?
それをただ小っちゃくて可愛いってだけで、こうもあっさりと…。
複雑な気分で二人…というか一人と一匹を見やる。
久しぶりの土方のオフ。
猫の様子だって気にはなっていたけれど、むしろ屯所へ押しかける口実で。
愛しい恋人を抱きしめたりキスしたり、もっといちゃいちゃしたかったのに…。
ただでさえ、自分の着物の中で手足を縮めて眠る土方はとってもおいしそうだ。
静かな部屋の中、聞こえるのは穏やかな寝息だけ…。
「………。はあ。…ったく、うちのお姫さんたちは…。」
あきれたように言った言葉。
けど声音にはいとおしい気持ちがあふれていた。
疲れてんだろうな。
こめかみにそっと唇を押し当てて。
銀時は土方を背中から抱きこむように腕を回して横になった。
ま、いっか。たまにはこんな休日も。
気付けば猫は隊士たちに『姫』と呼ばれていた。猫自身も『自分は姫』と思っているらしい。
「………。」
土方は、複雑な思いで『姫』と呼んだら寄って来た猫を抱き上げた。
「……ま、黒いしな。」
『姫』の上に『黒』をくっ付けて、『黒姫』というなにやら格調高い名前を正式に決めて。
ようやく名付け親の面目を保った土方だった。
20071205UP
END