親友の恋
ぐらぐらと揺れる頭。
ゆっくりと体を起こせば、こみあげてくる吐き気。
そばの壁を伝って立ち上がると、足には力が入らなかった。
「うう。」
相変わらず、お妙さんは遠慮がない。
殴られて、店から放り出されて、打ち捨てられた細い路地。
けれど、転がされていたところが地面ではなく、ゴミに出されていた段ボールの上ってあたりにそこはかとない愛情を感じつつ。(たまたま偶然…なんてことは無い!絶対無い!)
屯所へ戻るためにノロノロと歩き出した。
『ああ、また総悟に呆れられるなあ。んで、トシには怒られる。』
…またですかィ、近藤さん。『懲りる』ってことも覚えた方がいいんじゃねえですかィ?
…いい加減にしろよ!真選組の局長がそんな姿でふらふらしてたら、攘夷浪士たちに襲ってくれって言ってるようなもんだろ!
声まで聞こえてきそうで、苦笑する。
それでも二人とも、本気で心配してくれているのがわかるから、嬉しくなるのだ。
確か、今日はトシが早めに仕事が上がるとかって言っていたっけ。んで、明日は休みだったはず。
帰って一緒に飲みなおそう。
お妙さんことを愚痴ってノロケて。
そうすれば、呆れながらも話を聞いてくれるはず。
しょうがねえな、近藤さん。そう笑って背中を叩いてくれるはず。
屯所へ向かう道を、大分しっかりと戻ってきた足取りでたどると。
前方に、見慣れた黒い着流しの背中が見えた。
「トシ!」
あいつも今日は飲みに出ていたのか…。
「近藤さん?」
振り返ったトシは、一瞬驚いたようだったが、次いで大きなため息をついた。
「…またかよ、近藤さん。」
「ん?ああ、ははは。まあな。…なんでわかった?」
「そんだけでっけえ青タン作ってりゃ、誰にでもわかるだろう。ゴリラ。」
トシの隣からはこれまた馴染みの声がした。
「おお、坂田。あれ、なんだ、二人で飲んでたのか?」
「う、あ、おお、まあな。」
トシが何んだかよく分らない返事をする。
対して、坂田は少し不機嫌なようだった。
きっと、一緒に飲んでても喧嘩になったりしたんだろう。
だけど、決して仲が悪いんじゃないことは二人を見ていればわかる。
意地っ張りのトシは全力で否定するだろうが、坂田と知り合ってからずいぶんと自然な表情が出るようになったと思う。
それまでの『真選組の副長』であらねばならないと、どこか張りつめたような雰囲気がずっと柔らかくなった。
たぶん坂田は、トシが江戸に出てきてから初めて。真選組以外でできた友人だろうと思う。
「今帰りなのか?」
トシが懐から煙草を取り出す。
「ああ、お前らもか?」
「………まあ。」
曖昧にうなずくトシに内心首をかしげていると。
「しかし、ゴリラ。あんなメスゴリラのどこがいいかねえ?」
坂田が首を傾げる。
「お妙さんをメスゴリラとか言うな。あの人は本当に素晴らしい女性だ。大体、お前だって一時期は婚約者とか言っていたじゃないか。」
「そりゃあ、アレだ。お前のストーカー行為にうんざりしたお妙が、勝手に人をまきこんだだけだっつーの。」
「お妙さんは渡さないからな!」
「いや、いらねえし。」
こいつは、尊敬する部分もあるが、事恋愛に関してはどうにも信用ならない。
どうせ金が介在するような爛れた恋愛しかできないようなやつにきまってるんだ。
言葉に出していってしまえば、それはお妙さんと仲が良い坂田にひがんでるだけだといわれるかもしれない。
けど、どうしたってこいつが誰か一人を想い、その思いに苦悩したり、時にはから回ってみたりなんてことが想像がつかないんだから仕方がない。
「まあ、いいや。今帰りならちょうどいい。トシ、一緒に帰ろうぜ。」
「……えっ……と…。」
「んん?どうした?」
「いや…。」
トシが困ったように、言葉を濁す。
「ああ、花街にでも行くつもりだったのか?」
「そうじゃなくって…。」
困り果てたトシは、なぜか助けを求めるかのように坂田を見る。
先ほど言葉を交わしていた時は、それほど感じなかったがやはり坂田は機嫌が悪いのか、珍しく険しい顔をしている。
「えっと…俺、まだ……。」
「ん?なんか予定があるのか?」
「まあ。」
「そうか、ならいいけどよ。せっかく早く上がったんだし、明日はトシは休みなんだし。久しぶりにゆっくり話でもできたらなあと思ったんだが…。」
「………。」
少しあざとかっただろうか…。
けど、こうやって頼めばたぶんトシは断らないだろうという考えが心のどこかにあったのかもしれない。……だから。
「やっぱ、ごめん。近藤さん。…今日は…。」
そうやってトシが断りの言葉を言うのを、内心信じられない気持で聞いたのだった。
「…あのさあ、ゴリラ。」
それまで、黙って様子を見ていた坂田が、ガリガリと頭をかきながら言った。
「お前が言ったようにさあ、久し振りなんだよね。」
「…はあ?」
「多串くん忙しすぎだろ。真選組が忙しいってだけじゃなくてさ、お前がしょっちゅうお妙を追いかけまわして仕事をしねえってのも、最終的には多串くんにしわ寄せが行ってんだよな。」
「あ、ああ、それは、悪いと…。」
「悪いと思ってんなら何で改めねえの?」
「ぐ……。や、けど、お妙さんへのアタックはやめられないし。…ってか、坂田。そうやって、俺にお妙さんを諦めさせて、自分が上手くいく気だな!」
「だから、違げーって!」
イライラと足を踏み鳴らす坂田。
「ともかく、多串くんが早く上がれて、んで次の日休みなんて、こんなにゆっくり出来る機会は本当に少ねえんだよ!」
「あ、ああ。」
だから、一緒にゆっくり飲もうと思ったんだけど…?
「あのなあ。」
今度は少し呆れたように溜息をつく。
「馬に蹴られたくなかったら、とっとと一人で屯所へ帰れや。」
「はあ?」
「万事屋、そんな言い方…。」
「ああ、はいはい。多串くんはゴリラ大事だからね。んじゃあ、ゴリラと一緒に屯所へ帰れば。」
「そうは言ってねえだろうが…。俺だって、いつも忙しくて悪いと思ってんだ…。…今日だって、やっとゆっくり時間が取れる…って……。」
あれ、なんだろう。
この二人の醸し出す甘やかな雰囲気は。
普段、町で出会った時のけんか腰の態度とは全く違う。
「近藤さん。」
トシが一歩俺に近づく。
「あんた、危機感足りなすぎだから、気をつけて帰れよな。」
「え…。」
それってつまり、一緒には帰らないってことだよな。
その時、トシの肩越しに坂田がこっちを睨んできた。
「てめえ、ゴリラ。俺が多串くん落とすのにどんだけ苦労したと思ってんだよ。この真選組命のカタブツ振り向かせるのは本当に大変だったんだからな。」
「………は…?」
「どんだけ俺が手元に置いておきたくたって、事件だって呼び出されりゃ飛んで行っちまう。それが多串くんの仕事なんだから仕方ねえとは思うけどさ。心配だってするんだぜ。」
そう言って、坂田はトシを腕ごと後ろから抱き締めた。
………!
「だからな。仕事んときは仕方ねえよ。お前ら真選組に預けておくよ。けどさ、休みの時のこいつは俺のモンだから。」
「………万事屋…。」
トシが戸惑うように呼ぶ。
けれど決して嫌がっている風ではない。
え…と、アレ?つまり、これって……?
目の前の事実が信じられなくて、『じゃ、俺帰るわ』とかろうじて口の中でごにょごにょと言った俺は。先ほどとは違う理由でふらふらと屯所への道をたどり始めた。
「近藤さん。屯所に電話して迎えに出るように伝えておくから。」
トシの声がしたけれど、俺の意識はその意味を汲み取ることができなかった。
「ああ、いたいた。局長。」
「ザキ…?」
「今副長から連絡が来たんで迎えに来ました。…あれ、なんか顔色悪いですね。いつもよりひどく殴られたんですか?」
「いや、さっきトシに会って…。」
「ああ、万事屋の旦那といっしょだったでしょ。」
「ええっ、知ってんのか?」
「そりゃあもう、万事屋の旦那の猛烈アタックはすごかったですからね。けど、副長にはあのくらいで良かったんですよ。以前から旦那のことが気になってたくせに、なかなか素直にならないんだから。」
「………。」
「沖田隊長も言ってました。『万事屋の旦那に絆されたって体裁を取り繕わなけりゃ好いた人間と付き合えないなんて、全く難儀なお人だ』って。」
「え、総悟も知ってんの?」
「そりゃあ知ってますよ。隊内の殆どは知ってんじゃないですかね。局長位ですよ、気づいてなかったのって。」
「………。」
「男同士ってのはアレですけど、副長この頃雰囲気柔らかくなったし、以前ほど無茶もしなくなったし…。良かったんじゃないですかねえ…。」
「………。ザキ……。俺は、…なんだか娘を嫁に出した気分なんだが…。」
「あはははは。大丈夫ですよ、真選組のみんながそう思ってますから。」
「そ、そうか…。」
あっけらかんと笑うザキに、いいのか、これで?と思いながらも。
万事屋の隣ではにかんで笑うトシを思い出し、いいのかもな、これで…。と思い直した。
20080822UP
END