眠れぬ夜は
屯所の自室で書類整理をしていた。
元がゴロツキの集まりだ。
自然と能力には偏りが生じ、書類整理などの事務作業は土方を含めほんの2・3人の手でこなさなければならなかった。
『真選組を結成する。』と近藤に告げられたときは、まさかこんな事態になろうとは想像もしなかったけれど…。
幸い、隊士の中には元商家出身で算術の得意な者が居たので予算関係の書類はそいつに一手に引き受けさせた。
細かい書類は、観察の山崎に。
その他、組内の大部分の書類は自分へ…。
考えただけでもうんざりする、その量。
『悪いなあ、トシ。何でもお前に頼っちまって。』
どこまで悪いと思っているのか?意外と悪びれない表情の近藤。
『良いってことよ。』
そう、答えた。いちいち目を配っては居られない隊士たちの動きを把握するのには、むしろ都合が良かったから。
元々近藤の道場に集まり、武州から一緒に出てきたメンバーはそれほどではないが。
江戸に出てきてから募集した隊士たちの中には、どうにも統制の効かない者も居て。
それは、書類を見ていればそこここに見受けられる。
2度。口頭で注意を与える。
それでも禁を犯したものには、粛清を加えた。
敵に対しては手加減などしないから、『鬼』といわれることに抵抗は無かった。
けれど、それを身内である隊士たちからも言われていると知った時は、さすがに微妙に心が揺れた。
『だったら、禁を犯すなよ。』
怒りと呆れ、そしてやるせなさ。
近藤に『○○を切った。』と報告すれば。
返ってくる言葉は『そうか。』の一言のみ。
やりすぎだとも、やめろとも言わない。当たり前だが、良くやったとも言わない。
ただ『そうか。』と頷く。
いつだって一目見れば何を考えているのか分かるその表情が、このときばかりは読めない。
土方の行為を本当はどう思っているのか?
聞いてみたいが聞くのが怖いというのもある。
ああ、だめだ。考えが堂々巡りを繰り返す。
先程から作業がなかなか進まない。
『こりゃ、今夜も徹夜かな。』
新たに煙草に火をつけた。
ふう、と煙を吐き出せば。何故かこんな時に思い出す声。
『又、徹夜?体壊すよ?…ほらもう、又痩せちゃって。』
うるせえよ。ほっとけ。
『ほっとけるわけ無いでしょ。ああ、目の下の隈!せっかくの美貌が台無しじゃん。』
何だよ、美貌って!俺は男だ。
『知ってるよ、そんなの。不健康そうな顔って言ってんの!こんな時に現場でなきゃいけなくなったらどうするつもり?君が倒れるわけには行かないでしょ?』
自分が居なければ……本当にそうか?
真選組が無ければ、そして自分が副長でなければ…。
今日、切って捨てたあいつはまだ死ななくて済んだかも知れないのに…。
決して悪い奴じゃなかった。
ただ、ちょっとガラが悪くて気が短くて、手(刀)が早かっただけだ。
ゴロツキの喧嘩を止めようとして、結局自分が一番暴れて。一般人まで切り捨ててしまった。
それが3回目ともなると非難は免れない。
外からの圧力が掛かる前に、自分で始末した。…組織を守るために…。
最後の瞬間、絶望した目で自分を見た。あの目が。忘れられそうに無かった。
ごろり、と布団の上で寝返りを打った。
今日は本当に金が無くて、子供達は妙のところへ泊まりに行かせた。
眠れないのは空腹のせい?
それとも、いつもはにぎやかな万事屋が今夜は静かだから?
それとも、いつもなら酒で気分良く酔ってその勢いで寝てしまうのに。今夜は、その酒すら飲めないから?
それとも。先程転寝したときの夢見が悪かったから?
特に、強い思想もなく。流されて参加したような攘夷戦争。
後悔はしていない。当時の自分には、あそこにしか居場所は無かったから。
戦争に参加するということ。それは敵を殺すのとイコールだ。
自分が死にたくなかったら、敵を殺さなくてはならない。
敵を殺す時『やった』と言う思いは無い。むしろ、『生き残れた』とホッとする方が強い。
あんなのを楽しめるなんて変態だ。
変わってしまったのか?むしろ自分らしく生きているのか?片目の昔馴染みに心の中で『変態』の烙印を押して、多少溜飲を下げた。
『いくら、お前が馬鹿だって言ったって、忘れることは無理だろ。』
いつだったか。いつもの仏頂面で言った、土方の声を思い出す。
馬鹿って酷いなあ。
『馬鹿は馬鹿。忘れられるなんて思ってる辺りがもう馬鹿。』
うう〜。
『過去は無かったことには出来ねえし、しちゃいけねえんだよ。多分。』
そうかなあ。
『こっ恥ずかしい事。馬鹿やった事。人を殺した事。…そいつらは、楽しい事や嬉しい事と同じだけあって。全部で自分なんだ。』
全部で?
『ああ。全部で、だ。今の自分は、過去の集合体なんだから。』
そんなふうに考えたこと無かったな…。
『ガキの頃馬鹿ばっかりやってたから、俺はそれなりに喧嘩が強くなった。もっと強くなりたいと思ったから、相手構わず喧嘩ふっかけた。馬鹿だと思う。幼かったと恥ずかしくも思うが、あの馬鹿な俺がいなかったら近藤さんと会ってない。近藤さんと会ってなけりゃ、江戸にも出てきてない。』
江戸に出てきてなけりゃ、銀さんとも会ってない。…なるほど。
『なるほど、じゃねえよ。だから忘れんな。お前が忘れなければ、死んだ奴等もその存在が無になる事はねえ。』
分かって、いる。
死んだ者を覚えているのは、生きている者の義務なのだと…。
けど、屠った数があまりにも多い俺はどうしたらいいんだろう?
その重さに押しつぶされそうな時、誰かに傍にいて欲しいと…思っちゃいけないだろうか?
土方が、ふと部屋の外に人の気配を感じて顔を上げた時。
そろりと障子が開いた。
「銀髪…。」
「あら、まだ仕事してんの?もう日付変わっちゃったよ。」
「ほっとけ。…どうした?変な顔して。」
銀時がここに潜んでくるのは、今回が初めてではない。
最初の頃こそ『どこから入ってきた!』と怒鳴りつけ屯所の警備を強化した土方だが、あまりにも成果が無いので今では諦めている。
「変な顔って酷いなあ、男前銀さんをつかまえて。…そういう多串くんこそ、いつもの美貌が3割くらい落ちてるけど?」
「3割?じゃあ、まだまだ男前だからいいか。」
「うお!激ムカつく!当たってるだけにすっげえムカつくんですけど〜!」
いつもの通り、ぽんぽんと小気味の良い言葉のやり取り。
けど、すぐに途切れた。
「………。」
「………。」
「仕事…まだ?」
「ああ、終わんねえな…。ガキ共は?」
「お妙んとこ。」
「そ…か。」
土方が見たところで頭になんか入らない書類に視線を落とした。
と、背中に暖かく柔らかい感触。
「…お前はコアラか。」
「ん…何でもいいよ。もうちょっと…。」
「………。仕方ねえな。出血大サービスだぞ。」
そう言うと、土方は文机に向かっていた体をほんの少しだけずらして。ぽんぽんと自分の胡坐を書いた左腿を叩いた。
「へ……?」
「鼻血は出すなよ。」
おかしそうに言う。
「何?そういう『出血』?」
「ばーか。」
苦笑する土方の膝に恐る恐る頭を乗せた。
「眠れねえのか?」
「ん…。」
あんなに遠かった眠気がゆっくりと近付いてくるのがわかる。
土方が書類整理に戻ったのが分かる。
サラリサラリと筆が動く音。
そして、時々思い出したように左手が銀時の髪を梳く。
銀時をなだめるように…というよりは、むしろその感触を土方自身が楽しむように。
「…多串くんは…俺の髪…良く触るよね…。」
「……嫌だったか?」
「や、そういう訳じゃないけど。」
「お前にとってはコンプレックスらしいがな。…俺は、結構気に入ってる。」
手触りが良い。
そっか、じゃあ、いいや。
眠りに落ちようとした、その時。土方の体が大きく動いて、ふわりと銀時に黒い上着が掛けられた。
優しいんだ、多串くん。
多串じゃねえ。いいから、早く寝ろ。
血の匂いをぷんぷんさせた優しい手が銀時の髪を触る。
パラリと書類を捲る音。
終わりそう?
徹夜は免れそうだな。
そっか。…じゃあ、さ。
明日の朝は、二人で思いっきり寝坊しよう?
20070510UP
一人じゃ眠れない夜は一緒にいたらいいよ。
(07、05、14)