「鬼は鬼であって鬼ではあらず」2
町全体の空気がピンと張りつめていた。
いつだって雑多に賑わっていた町だった。
呼び込みの声。
笑い声。
どなり声。
ある時は大声で泣き。
そして、本気で喧嘩もする。
そして、そんな大人たちのもとで、たくましく遊びまわる子供たちの声。
それがこの町だった。
なのに。
店は軒並みシャッターを下ろし。
多くの人は家に閉じこもり。
公園に子供が遊ぶ姿はない。
「どうなっちまうんだ。この町は。」
「二・三日中にでも戦争が起きるって話だ。」
「微妙なバランスで成り立ってた四天王が崩壊したからな…。」
「俺たちは…どうすりゃいいんだ…。」
「溝鼠組、華陀の手勢、西郷のところの化け物たち………。奴らが本気でぶつかりあったらひとたまりもねえぞ。」
「かといって、指をくわえて見てるってのも…。」
「ったく、上は何をやってるんだ!」
「大かた華陀の裏についてるだろう天人たちにビビってんだろ。」
「俺たちは………見捨てられたのか…?」
「嫌なこと言うなよ。」
「けど、この状況で仕事しろって言われても…。」
「………命がいくつあっても足りねえ、………よなあ。」
「…逃げるか?」
「おい、お前。」
「だってよ。」
誰もが考えたことだ。
逃げることができたならどんなにいいだろう。と。
けれど、逃げたことが知れたら一体どんな咎めを受けることになるのか…。
その時。
「邪魔するぞ。」
ドアを開けて入ってきたのは…。
「し、真選組の土方…!……さん。」
黒い制服で颯爽と入ってきたのは土方だった。
後ろに部下を1人連れただけで、この緊張状態のかぶき町を歩いてきたのか…?
いつもながら、自分の立場とか価値とかに無頓着な人だ。と思う。
「な、何しに来たんですか!この町は非常事態なんですよ!」
「ああ、分かってる。」
そう言って煙草の煙をふうと吐く。
それほど頻繁に会うわけではないが、記憶の中にある『いつもの土方』そのままの様子にそれまで恐々としていた気持ちがすとんと落ち着く。
「お前ら見廻り組や所轄に何か指示は来てるのか?」
「いえ、全く何も。」
「ち、ったく。…どうせ、天人にビビってんだろう…。」
「はい、多分。」
「ならお前たちはどうするつもりなんだ?」
「…どう…って…。どうしたらいいんでしょうか…。」
自分たちよりずっと若い土方に向かって、良い大人がこんなことしか言えないことが情けない。
けれど、本当に分からないのだ。
もう一度、土方がふうと煙を吐いた。
馬鹿にされるんだろうと思った。
手前等、そんなことも分からねえのか?と、鼻で笑われるものだと思っていた。
そして思ったとおり、土方はふ、と笑った。
けれど、それは決して馬鹿にした笑いではなかった。
「上等だ。」
「…はい?」
「俺はな、もうここには手前等誰もいないんじゃねえのかって思ってたんだ。とっくの昔に逃げたんじゃねえかってな。」
「それは!」
「ああ、悪かった。見廻り組も捨てたもんじゃねえな。」
確かに逃げようか?との意見も出てはいた。けれど、誰一人足を動かした者はいない。
逃げられるものなら逃げたい。
逃げなかったのは、実際に逃げた場合その後に受けるだろう咎めが怖いというのも勿論ある。
けれど。
いつだって見廻り組は馬鹿にされてきた。
実際、ほとんどの人間が武家の二男三男などで、家を継げないあぶれた者の就職先であるのも本当だ。
そんな自分たちだけど、仕事に対する責任感だってちゃんと持っている。
一般の、普通の市民が逃げずにいるのに、自分たちが逃げるわけにはいかないではないか。
「上からの指示が来てねえなら、好都合だ。」
そう言って土方はその場にいる全員を順に見た。
「いいか。とにかくお前らは手を出すな。」
「え?」
「け、けど。」
「これから起こる戦いは、この町に住む者たちの戦いだ。
この町の人間が自分たちの町を守るための戦いに、警察が介入するなんてヤボなことはすんな。そんな事をしたら纏まるものも纏まらなくなる。」
「………。」
「いいか、目の前で何が起こっても一切手を出すな。」
「そ、それで良いんですか?俺たちだってこの町の一員なんです。何か出来ることはねえんですか?」
だったら。そう言って土方はふっと笑った。
「女や子供。戦えない弱い者が逃げ込んできた時は受け入れてやればいい。それに、俺は警察は介入するなとは言ったが、この町に住む住人として動くことまで規制するつもりはねえよ。」
「え?」
「これはこの町の人間がこの町のこれからのありようを決めるための戦いだ。お前たちがこの町の住人だって言うんなら、参加する権利はあるだろう。」
「つまり、見廻り組の一員としてではなく、一個人として戦うのなら許可していただける…と?」
「そんな事は俺が許可することじゃねえ。」
自分で決めろと、そういうことだ。
「あ、ありがとうございます!」
「…別に、礼を言われることじゃねえ。」
「いえ、自分たちは本当に途方に暮れていたんです。一体どうすれば良いのか…って。」
「おい、ここに残るメンバーと現場に行くメンバーを分けようぜ!」
「現場に行く奴らの分は休暇願を出しておいた方がいいな!」
先ほどまでの意気消沈としていた様子と打って変わって、生き生きと顔を輝かせる面々を見てふと笑った土方は『かぶき町を管轄とする他の署にも伝えておいてくれ。』と言って出て行った。
「良かったんですか?副長。あんなこと許可して。」
「あんなことって何だ?許可って何だ?俺は何も許可なんかしてねえ。」
「え、でも…。」
「女子供を受け入れるだけ…ってことは、結局は見廻り組としては何もしてないってことに等しい。上から鎮圧せよとの命令が出ていない以上、結局は指くわえて見てるだけなんだから、弱者を守ったってだけでも褒められるだろ。」
「そう、でしょうか…。」
「かといって、何もするなといくら口を酸っぱくして言ったって血気に逸る者は出てくる。そしてそんな奴に限って迂闊に怪我をしたりおっ死んだりする。」
「は、はあ。」
「公務の最中に怪我をしたり死亡したりなんぞされたら、上は黙っちゃいないだろう。」
「何しろ武家の御子息さんたちですしね。」
「ただでさえ警察は身内意識が強いんだ。首謀者の特定だの犯人の特定だのに躍起になるだろう。そんなことになったら色々面倒だ。だったら、個人で動いてもらうしかねえだろ。」
「…はあ。」
確かに、先ほどの様子では個人で動いているときに何かあったとしたって、それを仕事上の怪我ですとは報告しなさそうだ。
土方も命令という形はとらなかったから、後になにか詮索されても土方の名前は出ないだろう。
というか、彼らは絶対に出さないだろう。
全く。
山崎は内心溜息をつきつつ、半歩前を歩く土方を見た。
それまでの、形式とか手順とかを重んじてきたらしい見廻り組の面々にとって、土方の効率を最優先する捜査方法は相当新鮮に映った様子で。
一度合同捜査をしたところは、残らず土方の親派となっている。
仮に見廻り組のトップと土方の意見が対立したとしたら、見廻り組の多くは土方につくんじゃないかと山崎は踏んでいる。
「けど。」
「何だ?」
「本当に俺たちも何もしないんですか?」
「ああ。」
「…良いんでしょうか?」
「真選組は『対テロ』を目的とした武装警察だからな。」
「ですから…。」
「あいつらがあいつらの住む町を守る戦いは『テロ』じゃねえ。管轄外のことにまで手を出しゃしねえよ。」
「けど、華陀のバッグには宇宙海賊春雨が付いてるらしいって噂も…。」
「そんなことであいつらがひるむかよ。」
「ひるまないから問題なんじゃないですか。」
土方は、すっかり短くなった煙草の吸殻をポイと捨ててギュッと靴で踏みにじった。
そして、すっかり静かになり人通りもまばらな町に目をやる。
つられて山崎も目を挙げた。
いつもなら多くの人が行き交う賑やかな通りのはずなのに、今はまるでゴーストタウンのようだ。
「この町がこのままで良い訳がねえ。」
「ええ、はい。」
「何かしたいと思っても、俺たち真選組に出来ることなんてねえんだよ。」
「………。」
「せめて。」
「せめて、警察という国家権力を介入させないことくらいしか………ですか。」
「………。」
警察が介入などしたら…。
ほんの少し誰かを怪我させただけでも傷害罪。建物を壊せば器物破損あるいは建造物損壊。火をつければ放火だし、許可なくどこかの建物に侵入すれば建造物侵入………。
その日、一体どれだけの人が集まるのか?何十人か?あるいは数百人を超えるかもしれない。
それだけの人間に対していちいち罪状を調べ立件し…なんてこと、考えただけで気が遠くなる。
そうなると首謀者を拘束して終息させる…という方向になるだろうが、今回『首謀者』と目されるだろう人物たちは皆思いっきり知った人間ばかりだ。
「これから松平公のところへ行くんでしょう?車、呼びます。」
「………。ああ。」
屯所へ連絡を入れながら、山崎は土方の様子をうかがう。
お登勢が死んだ。
溝鼠組の若頭が死んだ。
さまざまな憶測やデマが流れているが、二人とも命を取り留めていることは掴んでいる。
ただ、『彼』が大怪我をしていることも同時に掴んでしまった。
これから大きな戦いが始まるというのに、寄りにも寄って利き腕を怪我しているということも。
本当なら真っ先に病院に駆け付けたいだろうに…。
警察を介入させないと決めた時から、自分は彼と会ってはいけないと思っているらしい。
それこそ、一個人として会いに行けばいいのに…とも思わないではないが。
この緊迫した状況の中では、それが許されないくらいには『真選組の副長』は有名人だ。
事の直前に、首謀者(と見定められるだろう)と真選組の副長が会っていた事を知られたりしたら…。
事後にいくら真選組が火消しに回ったって、説得力がなくなってしまう。
「損な性分ですよねえ。」
「ああ?なんか言ったか?」
「いえ。」
小さく呟いた山崎の言葉は土方には聞こえなかったらしい。
見知ったたくさんの顔を思い浮かべる。
平和に戻ったかぶき町で、また一緒に笑い合いたい。
そして二人が、何の気兼ねもなく笑って喧嘩している姿を、見たい。
20110614UP
END