そっと、手を…。
「………もう、しまいにしようや…。」
銀時が溜息をつきながら疲れたように言う。
「ああ、そうだな。じゃあな。」
硬い声で言った土方は、くるりと踵を返した。
そして、迷いのない足取りで歩いた。
煙草を持つ指が震えていることなど悟らせてはいけない。
ここで絶対に歩みを止めてはいけない。
決して後ろを振り返ったりしては………。
………笑っている………。
まず思ったのがそれだった。
巡回に出ていた時のこと。銀時と新八と神楽と、そしてお妙の4人が町中で何か楽しそうに話しながら歩いているのを見かけたのだ。
神楽とお妙が主にしゃべっており、2人に新八が何かツッコミを入れている。
そんな3人の後ろを歩きながら、銀時は笑っていた。
土方にはそう見えた。
時折何か促されて『うん』とか『ああ』とか短く返しているだけだったが、銀時がそんな穏やかな時間を楽しんでいることは容易に知れた。
4人が醸し出す『家族』ともいえる空気は柔らかく、温かい。
そして、自分はその空気の中に入ることはできないことを知っていた。
それから数日して。
土方は、山崎から提出された報告書をファミレスで読んでいた。
『相変わらず餓鬼の作文みてえな文章だなあ』と半ば呆れつつも、回を重ねるごとにしっかりしてくる内容に頼もしさも感じつつ、今後の方針などを考えていた時。
聞き覚えのある声が聞こえてきた。
少し離れた席に銀時と、もう一人幾分くたびれた男がついた。
「だからさ、長谷川さん…。」
銀時の呼びかけで、ああ、あれが銀時が時々一緒にパチンコをやったりする『長谷川さん』か…。と合点がいく。
酒を飲んでいるときなど、時々話の中にその名前が出てきた。
ピークの時間を過ぎた店内は静かだったので、幾分声高に話す二人の会話は(途切れ途切れではあったが)聞きとれた。
どうやら、パチンコでそこそこの稼ぎがあったらしく、奮発してファミレスに来たらしい。
そして、どう話が転んだのか、女性の胸の好みについて論じ合い始めた。
大きさがどうの、手触りがどうのと、下ネタバリバリの話をしている。
少し離れた所に座っている女性グループからの冷たい視線に気づくこともなく楽しそうだ。
銀時が普通に女性を好きなのは知っていた。
お天気お姉さんのファンだと言っていたし、男を抱くのは土方が初めてだと言っていた。つまり、裏を返せば女性経験は普通にあるということだ。
土方はそっと席を立った。
こんな場面で顔を合わせたって何と言ったらいいのか分からなかったからだ。
まさか『悪かったな。俺の胸は程よい大きさも、柔らかさもなくて』などと言うわけにもいかないし…。
又、数日して。
「あら、銀さん。久し振り!」
銀時を呼びとめる声にふと振り返った。
「おう、元気だったか?」
愛想よく返す銀時の前には赤ん坊を抱いた女性がいた。
「ほら、勘七郎、銀さんよ?覚えてるかしら?」
女性が差し出した赤ん坊を、ためらいもなく受取り抱き上げる銀時。
「お、結構重くなったなあ。」
「そうなのよ、この頃抱っこするのも大変なくらい。」
「あれからどうよ?爺さんとは上手くやってんのか?」
「ええ、おかげさまで。」
そんな話をする間、赤ん坊は銀時の腕の中でおとなしくしている。
というよりもむしろ銀時に抱かれることを喜んでいるようにも見える。
…しかし、あれは本当に他人の空似なのか?とっちらかった天パの銀髪や、やる気のない眼が、まるで銀時と同じ遺伝子を持っているように見えるのに。
「相変わらずそっくりねえ。あの人の子供なのになんで銀さんに似てるのかしら…。」
複雑そうに女性がそう言わなかったら、二人の関係を疑っただろう。
「もう少しでかくなりゃ、あんたの死んだ旦那にそっくりになるさ。」
そう笑って銀時が赤ん坊を母親に返す。
途端にぐずりだす赤ん坊に、『あらあら勘七郎は本当に銀さんが大好きねえ』なんて言って笑う女性。
銀時と赤ん坊がそっくりなことも手伝って、まるで仲の良い親子3人の姿だ。
なんだってこんな短期間にこういう場面ばかりを見てしまうのだろう。土方は内心溜息をついた。
結婚して、子供を持って…そういう、当たり前の幸せ。
それは、土方にとっては自分から一番遠い所にあるモノと思っていた。
その日暮らしに近い銀時も、きっとそんなものだろうと勝手に思っていた感があるが…。
実は違ったのかもしれない。
顔の広い男だ、土方の知らない女性の知り合いもたくさんいるだろう。
今後仕事の上での出会いだってあるかもしれない。
そんな中には、本気で銀時を想ってくれる人が現れるかもしれないのだ。
そうなれば当然、結婚して子供を作って、つつましやかでも幸せな家庭を作っていくという未来がある。
そして、それはとても『良い』ことなのだろう。
銀時が普通の『良い』未来を手に入れるための、一番の障害が自分という存在なのだとしたら…。
「別れる………しかねえのかな…。」
銀時が幸せになれるのなら、自分が辛いくらい我慢できる。…そう言えたらいいのに…。
『別れ』を想像するだけで、胸がこんなに痛むのに。
「別れ…られるのか…?」
土方の非番のたびに待ち合わせをして、二人で居酒屋で会う。
程よく酔ったところでホテルか万事屋へ行って一晩過ごすのが大体の決まったコースだ。そして、この夜はホテルだった。
一夜を過ごし、帰りがけに始まった喧嘩とも言えないようないつもの言葉遊び。
少し乱暴な言葉をテンポ良く投げ合うのは楽しい。
だが、普段なら適当に切り上げるところを粘ってしつこく食い下がってしまったのは、多分土方の中に依然としてモヤモヤとした気持が残っていたからだと思う。
一度始まってしまった言い合いは次第にエスカレートし、だんだん険悪になっていく。
自分でも頭に血が昇って行くのが分かった。
感情のコントロールが利かない。
こんなことが言いたいわけじゃないのに。
これ以上銀時を傷つけたくないのに。
辛くて、もう駄目だと思った時、銀時が大きな溜息をついた。
「………もう、しまいにしようや…。」
喧嘩別れなんて、なんて自分たちらしい。
「ああ、そうだな。じゃあな。」
別れた方がいいと分かっていたって、別れたかったわけじゃない。
銀時は自分で言うほどモテないわけではない。そのうち優しい人を見つけるのだろう。
そう思うと、信じられないくらいに胸が痛んだ。
それでも、これでいいんだ。と自分に何度も言い聞かせた。
それからちょうど忙しい日が続いた。
仕事に没頭するのは辛さを忘れるのにはちょうど良かった。
勿論完全に『忘れる』ことはできなかったが、辛い日常からほんの一時逃れられたことは土方にとってずいぶんとおおきな救いとなった。
3週間ほどたってようやく非番の日が訪れた。
ついいつもの癖で屯所を出てしまってから、はて、銀時と会う前の自分は休みをどうやって過ごしていたっけ?と首を傾げた。
「まあ、何にせよ。とりあえず酒とメシだな。」
流石にいつもの行きつけの居酒屋へ行くのはためらわれた。
一人で静かに飲みたい客を、程よくほおっておいてくれる店はどこだったろうか…?
以前、良く一人で出歩いていたころの記憶を探る。
記憶を探り探り歩いていたせいか、店を決めるのにずいぶん時間がかかってしまった。
そしていざ決めてみれば、それはいつも行く店とさほど離れていなくて…。
なんだかそんなことまで自分の未練が招いた結果のような気がして情けなくなる。
溜息を一つついて、店の戸に手をかけた。
すると物凄い力で後ろに引っ張られる。
「うわ。」
「………。」
土方を引っ張ったそれは、そのままぐいぐいと土方の腕を引っ張り続けて1本入った細い路地に連れ込まれた。
「多串くん、いったい何のつもり?」
「………え…?」
目の前にいるのは銀時だった。
もう、こんな近くでは見ることができないと思った顔が目の前にある。
「何かこの頃仕事忙しそうにしてたから、邪魔しちゃ悪いと思って大人しくしてたんだけど。お宅のジミーから今夜から明日にかけて非番だって聞いて、いつ待ち合わせの連絡が入るか?ってずっと待ってたのに連絡はないし。
でも結局はいつもの居酒屋だろうと思って店のそばで待ってれば、フラフラと違う店に入ろうとするし!」
「………え…?」
「『え?』じゃねえよ!いったいどういうつもりなんだよ?」
訳が分からずに呆然と銀時を見つめ返す土方。
自分たちは別れたのではなかったのか?
あの時銀時は確かに『しまいにしよう』と言ったし、自分は『そうだな』と頷いたはずだった。
「ちょっと、多串くん!聞いてる!?」
土方の返事を待つ銀時は、怒っているのか焦っているのか……とにかくなんだか必死な顔をしていた。
土方はそっとその頬に手を伸ばした。
「………何でそんな顔してんだ……?」
「っ。」
別れは銀時のためになるはずなのに。
土方さえいなくなれば、銀時は幸せになれるはずだったのに。
「…もう、別れたつもりだった…。」
「はあああ!?」
ポツリと言った言葉に銀時が大きな声を上げた。
普段なら『うるせえよ』と返すところだが、土方はただ俯いた。
『そうだな、そうしよう』と言われたらどうしよう。
あのときは何とか取り繕った平静を、今度も保てるかどうかわからない。
「え、ちょ、な、何言ってんの!?何、銀さん捨てられちゃうわけ!??」
「……捨てるなんて…。」
「だってそうだろ。俺なんかした?」
「お前は何も悪くない。」
「じゃあ、何?他に好きな人ができたとか?」
そういうと、銀時は土方の顎を掴んで顔を上げさせた。
「たとえそうだとしても、逃がさねえぜ。」
「え…。」
間近で土方を見据える紅い瞳は恐怖を覚えるほどに真剣だった。
逃げる?誰が?逃げたいなんて思ったことはない。
むしろ土方という枷から銀時を解きはなったつもりでいたのに。
「………え、あれ、もしかしてあの時…。」
銀時がふと声の調子を変えた。
「この間別れ際に『しまいしよう』って言ったアレ?……や、ちょっとあんだけで?」
「あんだけもなにも、立派な別れの言葉じゃねえか。」
「や、いやいやいやいや、違うよ。あれは『喧嘩』を『しまいにしよう』って言ったんだよ!何かお前辛そうだったし、仕事とかで疲れてて歯止め利かなくなっちまったのかなと思ったからさ!」
「え?」
「大体、お互いちゃんと相手のこと好きなのに、何で別れなきゃなんねえの!」
「っ」
「どうせまたなんか一人でぐるぐる考えてたんだろ。自己完結して結果出す前に何で俺に一言相談してくれないのかねえ?」
「っ、すまねえ。」
「ま、いいよ。これから全部白状させっから。」
「………え…、ちょ、」
「はい、今夜はホテル直行!」
そう言って銀時は土方の腕を掴んで引っ張った。
向かうのはラブホテルが並ぶ一角だ。
「メ、メシは!?」
「そんなの後後、先に多串くんを頂かなきゃね。『別れた』って言われた時の俺の心の痛みを思い知らせないと。」
そんなのこの3週間、自分はずっと痛みに耐えてた。と言いたかったが、勝手に勘違いして別れたつもりで悲壮観に浸っていただけの自分には反論の余地はないのだろう。
きっとこれから、土方が抱えていた不安や鬱屈を洗いざらい吐き出させられるのだろう。
そして銀時は『何だそんな事』と笑って土方の不安を取り除いてくれるに違いない。
それでもいつか、銀時を解き放たなければならない時が来たら………。
その時こそ、銀時の幸せのためならばと笑って手を放してやれる強い自分になっていたい。
土方の腕を引っ張って歩く銀時の背中を見ながら、そう思った。
20100927UP
END