黒い風

 

 

黒い制服が見えた。

真選組だ。

見回りの最中なのだろうか、二人組で市中に眼を配る。

「待ってください。副長。」

遅れ気味で後からついていく隊士が前を行く者を呼び止めた。

「遅えよ。」

欠片も速度を落とさず、早足で歩いていく。

そういえば、記憶の中にある彼はいつだって颯爽と早足だったように思う。

…黒い風のような人だな…。

なんとなく、そう思った。

 

 


「おい、親父。」

「あ……、土方の旦那…。」

夕方。いつもの河川敷に、いつものように店を出す準備をしていると土方十四郎が声を掛けてきた。

まずい。

とっさに思った。

この場所に出店するための許可をとっていない。

そもそも河川敷への出店は、祭りや花火大会など特別のとき以外は禁止されている。申請したところで通るわけもない。

かといって町中では、場所代などが掛かってとても手が届かない。

『鬼』と呼ばれるその人が、ちっぽけとは言え犯罪者を見逃すとは思えなかった。

「な、なんでしょうか?」

「昨夜の事なんだが…。」

何でもこの傍の住人から人の争う声が聞こえたとの通報が合ったらしい。

「夜の11時頃のことらしい。何か気づいたことはなかったか?声がしたとか、怪しい人物とか…。」

「昨夜の11時…。」

そういえば…なんかペンギンみたいな、なんか変な生き物と細身の人間が駆け抜けて行ったような…。

「ペンギン…?…ああ、こういうのか?」

『山崎』と声を掛けた一緒にいる隊士に何かを出させる。

『宇宙怪獣ステファン』と書かれた文字の下に書かれた子供の落書きのような絵は、まさしく自分が見たもののようだった。

「一緒に居た人間の特徴は分かるか?」

「暗かったので…。ただ、髪は長かったかも知れません。一瞬女かなと思ったくらいですから。ただ、上背があったんで『ああ、男だな…』…と。」

「…そうか。分かった。悪かったな仕事の邪魔をして。」

そのまま行ってしまおうとするのをとっさに呼び止めてしまった。

「あの!」

「ん?」

「…俺は…。」

「…?」

「俺を取り締まりに来たんじゃねえんですか?」

「取り締まる?…手前、なんかやらかしたのか?」

途端に眉間にしわが寄る。……凄みの増した眼にゾクリとする。

「あ、あの。その。この場での営業は、許可されてねえんで…。」

「………ああ、そういうことか。」

ふっと肩から力を抜くと、小さく苦笑した。

「江戸の治安を守るのが真選組の仕事だ。あんたの店が攘夷浪士の溜まり場にでもなってんならともかく、ただの飲み屋だってんなら、そりゃあ管轄外だ。」

「………は、ありがとうごぜいやす。」

「それに、俺だって何回か寄らせてもらってる。いまさら取り締まるも何もねえだろう。」

「………は?」

「ここのおでんは美味えしな。値段も手ごろだし…。」

「………ええ?」

『真選組副長』が来店したことなどあっただろうか?

戸惑っていると、先ほど『山崎』と呼ばれていた男がするりと会話に入ってきた。

「食い物にやたらとマヨネーズをかけて食べる客、居ませんでしたか?」

「マヨネーズ………ああ、そういえば…。」

おでんの大根にも、焼き鳥にも信じられない量のマヨネーズをかける客が居たっけ。そんなんで味が分かるんだろうか?と思ったが。

一緒に居た客にもからかわれて、ムキになったマヨラーがダシやら味付けやらを全て言い当てたのに驚いたっけ。

「………そういや…。おい、親父。昨夜のその11時ごろ。この店に客は居たか?」

「客…ですか?………昨夜は…へい、おかげさまで客が途切れることはありやせんでした。…ただ、一見ばかりでしたが…。」

「…そうか。」

「副長。何か、気になることでも?」

「いや、………万事屋は来なかったか?」

「万事屋…ああ、銀さんですか?…へい、昨日は来ませんでしたね。…って言うか、この頃来てませんね。……そろそろツケを払ってもらわねえと困るんですが…。」

「ち、あいつまだツケまくってんのか…。近いうちにきちんと払うように言っておく。…じゃあ、邪魔したな。」

「へ………へい…。」

去っていく後姿を見送って…。

銀さんと土方の旦那は知り合いだったのか…?

ああ、そういえば以前マヨラーが…土方の旦那が来たとき。一緒に居たのは銀さんだったか…。

なんか違う名前で呼んでいた。なんとかくん…と、『土方くん』って呼んでくれていれば自分も相手が真選組副長だと気づいただろうに…。

…気づいていたら…普通に接客なんて出来やしなかったろうが…。

 




 

………ああ、又、走っている…。

江戸の町を黒い制服の集団が走っていく。

犯人を追っているのだろうか?それとも、これから事件現場に駆けつけるのだろうか?

分からないけれど、彼らが走っているということは何かが起きたということ。

「ぶっそうだねえ。」

「くわばら、くわばら。」

別に彼らが事件を起こしたわけでもないのに、待ち行く人々は眉をひそめる。

まるで彼らが悪いことをつれてくる前兆のように…。

いつも黒い集団を率いて、一番先頭を走っていくのは『真選組副長土方十四郎』。その人だ。

やっぱり風のようなお人だな。

そう、思う。

年寄りの老婆心からか、何とはなしに不安になる。

彼の走っている速度。

その速さ。

まるで彼自身が生き急いでいるように見えて…。

彼の心休まる場所はあるのだろうか?

吹き続ける風だって、いつかは休まなければ疲れてしまうだろうに…。

 




 

夕方。

今夜、店で出すツマミの材料を持っていつもの場所へ向かう。

今日は仕込みをするものが多いので、いつもよりは少し早い時間となった。

河川敷を渡る風は気持ちが良くて、季節が移り変わっていくのを肌で感じる。

もう少しすると、虫が多くなって大変だが。

今の時期はこんなところで昼寝をしたら気持ちがいいかもしれないな…。

時間に余裕があるのをいいことに、いつもよりのんびりと歩いていると。

「あれ、銀さんじゃねえですか。」

「………しィ〜〜〜。」

土手に座る人に声を掛ければ、口の前に人差し指を立てて静かにというジェスチャー。

「……?」

銀さんの隣、自分の腕を枕に眠っているのは…土方の旦那…。

いつもは、対峙するこちらまで緊張してしまうような張り詰めた空気を纏っているのに。

すうすうと眠るその人からは、リラックスした気配しか感じられない。

「土方の旦那…ですよね。」

その纏う空気の違いに、思わず確認してしまう。

「…全くね。眼の下に隈なんか作っちゃっててさ。せっかくの美人が台無し。」

「…はあ。」

「ふらふらしてて、あぶなっかしいから無理矢理寝かせた訳。こんなトコ襲われたら絶対にやばい…って。」

だいたいちょっと眠そうな眼で、上目遣いで見られちゃったりしたら理性なんかもたねえっつーの。そんなんで町中歩いてみなよ、襲ってくれって言ってるようなもんじゃん。普段はばりばり警戒しまくってるくせにさ。めったに触らせてくれないくせにさ。一旦こうなっちゃうと、フェロモン垂れ流しでさ、やべえのなんのって…。

ぶつぶつと愚痴る銀さん。

…………………………………。

…………ははあ……。

「…ああ、ええと…、そういや顔色もあんまり良くねえ見たいですね。」

「だろ。ワーカーホリックだかなんだか知らねえけどさ。徹夜が続くと飯もあんま食わないみてえなんだよね。煙草とマヨだけじゃ、身体壊すって…なあ。」

近くで人が話しているせいだろう、『ううん』と小さく土方の旦那が身じろぎした。

「多串くん、大丈夫。もう少し寝てなよ。」

ひどく優しい声。

黒い髪を梳く優しい手つき。

土方の旦那は、その手を自分の胸元に引き寄せると、抱きこんだまま再び眠ってしまった。

一瞬あっけにとられたように眼を見開いていた銀さん。

けれど、すぐに嬉しそうに眼を細める。

いとおしげに見つめるその眼を見て、『ああ、そうか』と思った。

 




 

 

「真選組だ!」

又、町中を真選組が疾走している。

すぐ先の店舗がドカンと爆発する。

「うわ。」

思わず身をかがめた。

「親父、巻き込まれたくなければ下がっていろ。」

低い声が通り過ぎていく。

ああ、やっぱり黒い風のようなお人だ。

ものすごい速さで追い抜いていく風。

けれど、もうその後姿を不安で見送ることはない。

 

その風は、行き急ぐかのように江戸の町を駆け抜けていく。

 


 

けれども、大丈夫。

 

 




彼は、心も身体も休められる場所を持っているから。

 

 

 

 

20080528UP

END

 

 




「土誕企画」最後のリク小説となりました。
リクエスト内容は『銀土前提。第三者目線で格好いい土方』との事でした。
土方はいっつも江戸の町を走っていて、ぴゅーっと追い抜いていってしまう。そんな土方の走る後姿をしょっちゅう見かける飲み屋の親父。
なんか、娘を嫁に出す親のような。生暖かい目線になってしまいましたが…。
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(08、05、29:月子)