細い線
たとえば。
蜘蛛の糸のように細く頼りない1本の線。
そんな極々細い、ふとしたはずみでプツンと切れてしまうような…そんな心もとない縁。
自分たちの関係なんて、そんなものだ。
オフの日に居酒屋へ足を運べば、そこにさも偶然ですねという顔をして酒を飲む男がいて。
約束してたわけじゃねえけど、って顔してその隣に黙って座れば。
『俺のお財布が来たよ。』と笑う。
『ふざけんじゃねえ!』としばらくどうでもいいやり取りをして、酒を飲んで。結局勘定は割り勘で。
その後には、少し歩いたところにある安宿へはいる。
きっかけは酒の勢いってやつで、たまたま互いに特定の相手がいなかったからで。
子供がいるから家にエロ本もエロビデオも置けねえんだぜ。と愚痴るあいつが妙におかしくて。
こっちもいつ人が入ってくるかわからない屯所の自室じゃ、同じようなもんだと笑って。
そうしたら思いもかけずに相性が良かったらしく、互いに信じられないくらいに満たされて。
『次のオフ、いつ?』アイツがそう聞いて来た時に、『来週だ。』と答える自分がいた。
多分、それだけ。
あいつはそう思ってるはずだ。
同じ男だというのに、以前から俺があいつのことを………なんて、きっと思いもよらないだろう。
だからこうして、事が終って。
そうするのがエチケットだとでも思っているのか?それともただ人肌が心地良いだけなのか?
紛れもない男である俺を、その腕に抱きこんで満足げに薄笑いを浮かべながら眠っている。
肌を合わせれば、情も湧く。
多分こいつは、根本的なところで優しいから。
愛情から来るものではなかったとしても、こうして抱き合う俺を奴なりに大切にしたいと思ってくれているのだろう。
互いに抱いている想いが、全くのイコールではないのだとしても。
こいつが俺を他の人間とはまた別格に扱ってくれているのが分かる。
奴の腕の中で、その間抜けな寝顔を。俺が胸の痛みを抱えながらそっと眺めているなんてこと知りもしないんだろうな。
それでも、この一時は俺にとってかけがけのない時間で。
絶対に無くしたくないものだった。
「ち。」
「ふ、副長…。人相の悪さがいつもの5割増です………。」
「うるせえ。」
「ひい。」
後ろをついて歩く山崎を睨みつけて屯所の自室に戻る。
この十日ばかり、テロやら警備やらで立て続けの出動。それが先ほどようやく一段落したのだが、必然的に机の上は書類の山で…。
あろうことか、机に乗りきらない分が畳の上に積み上がっていた。
「………。」
「あ、………あの、机の上の分が本日中の至急の分です………。」
蚊の鳴くような声で、山崎が言う。
「分かってる……、お前のせいじゃない。」
「あ、ハイ。」
ほっとしたような山崎の声に、それでも湧き上がる怒りを抑えられなかった。
「お前のせいじゃねえのは分かってるが、イラつくんだよ!!」
「うわあ!!?」
とりあえず馬乗りになって山崎をタコ殴りにしておいて。
幾分気分が晴れた俺は、仕方なく机の前に座った。
「ひどいです〜、副長〜。」
「うるせえ、山崎のくせに。…茶ぁ持ってこい。」
「うう。」
これから俺がこなさなければならない苦行に比べたら、そんなのなんてことねえだろうが。
別に事務作業が得意なわけでもないのに、他に出来る者がいないから…という理由でほとんどの書類が俺のところへまわってくる。
いつ終わるんだよ。こんな量。
上着を脱いでスカーフをとり、最初の1枚を手に取った。
「お疲れっす!!副長!これで全部終わりです!!」
山崎の声も弾む。
全部といったって、急ぎが全部終わっただけで、書類の束がゼロになったわけじゃない。
それでもようやく休めそうなくらいまで書類が片付いたのは、あれからきっちり3日が立った後だった。
「ふう。」
煙草に火をつけ、煙とともに安堵の溜息をつく。
「副長、どうぞ休んでください。俺はこれを局長のところへ持っていくんで。」
「あ、ああ。」
この3日。ほんのわずかの仮眠だけで乗り切ったせいで、頭の中は確かに霞がかかったようにぼんやりしている。
食事も、握り飯とかマヨネーズチューブ食いとか簡単なものだけだったので、何となく体の内側がスカスカしたような、心もとない感じだ。
確かに体は休養を欲している。
けれど………。
私服に着替えた俺は自室を出た。
「………あれ、副長。仕事終わったんですか?」
廊下で原田とすれ違う。
「おう。」
「…どっかお出かけですか?」
「お出かけ…っつうか…気分転換にその辺を一回りしてくる。」
「………えええ?」
「?………なんか問題でもあんのか?」
「問題…というか…1人でっスか?」
「ああ。そのつもりだが…。」
「誰か連れて行った方が…。」
「ああ?何でだよ?別に構わねえよ、ちょっとぐるっと回ってくるだけだ。」
「あんまり遠くには行かないでくださいよ?」
「何言ってんだ?」
「顔色、相当悪いですよ?」
そりゃあ寝不足だからな。心の中でそう思ったが、今はそれよりも外へ出たかった。
「適当に帰ってくる。」
「………そうですかあ?」
疑わしそうに俺を見る原田を振り切って屯所を出た。
外はとても天気が良く、太陽の眩しさに思わずクラリとする。
それでも久しぶりの外の空気は、美味いような気がする。
ぼおーっとしつつ俺が向かったのは、良く銀時を見かける団子屋だった。
我ながら、これだけ疲れてるのに休養よりも会えるかどうか分からない銀時の方を優先するなんて馬鹿げてるのは分かってる。
でも、もうずっと会ってないのだ。
テロなどで忙しかった間も、事務作業でこもってる間も。その前にもいろいろと立て込んでたから、トータルすると多分1ヶ月くらいは会ってない。
別に会ってどうこうしたいなんて思ってない、………や、ちょっとは思ってるかも知れないけど…。
けど、本当に顔が見たいだけだ。
一緒に団子屋で並んで座って、町を眺めながら『大変だった』とちょっと愚痴ったら、団子を頬張りながら銀時が『へえそりゃ御苦労さん』なんて………。
そんなほっとする時間を過ごしたいだけだ。
遠くに団子屋が見えてきた。店先には目立つ銀髪。
あ、いた。
なんとなく視界が狭いような気がするが、その真ん中にいるあいつだけはすぐに目に飛び込んできた。
私服で来たから、銀時には俺がオフなんだとすぐに分かるだろう。
ようやくこれで、のんびりした時間が過ごせる。
そう思った時、いつもなら俺が隣に座るまでその場を動かない銀時が立ち上がった。
『親父、ツケといて』そんな声も聞こえる。
そうして立ち上がったあいつは俺の方にずんずんと近付いてきた。
「お前、何してんの?」
「何……って?」
アイツの顔は不機嫌そのもので、ち、とか舌うちをしている。
………なんだ…?
「とにかくお前、屯所へ戻れよ。」
「はあ?何で今出てきたのに戻らなきゃいけねえんだよ。」
やっと仕事を終えてきたのに…。
「一人なのか?誰かいねえのか?」
「オフに外出するのに、部下連れてくるわけないだろ。」
1ヶ月振りにようやく会えたのに…。
「…ったく。」
ちょっとでも良いから見たいと思ったのは、こんな不機嫌な顔じゃない。
「………ああ、来た来た、ハゲだ。」
「………へ?」
銀時は俺の背後へ視線をやると、おおいハゲ〜。と原田を呼ぶ。
「ああ、旦那。すいませんねえ。」
「本当だよ、迷惑なんだよ。」
………迷惑…?
原田とその後ろから山崎も来て、二人に挟まれるように腕を取られる。
「ともかく副長、屯所へ戻りましょう。」
「お、おい。」
「じゃ、旦那、すいませんが失礼します。」
「おう。」
訳も分からず屯所へ連れ戻される。
連れ込まれた自室にはすでに布団が述べられていて、そのままごろりと転がされる。
横になった途端に、疲れがどっと押し寄せてすぐに意識がぶっ飛んだ。
その時俺の頭の中は銀時の放った『迷惑なんだよ』という言葉がぐるぐると回っていた。
………そうか、俺は迷惑だったのか…。
なんだかたくさんの悪夢を見た気がするが、それでも十分に休養を取った体はすっきりと目覚めた。
「………いつだ?今は。」
ノロノロと布団から出て廊下へ出ると、山崎が来た。
「あ、副長、起きましたか?」
「ああ、今何時だ?」
「朝議が終わったところです。」
………ということはほぼ20時間くらい寝てたってことか…。
「だいぶすっきりされたようですね。局長が今日1日休んでいいとおっしゃってたんで、どうぞ思う存分散歩でも何でもなさってください。」
もう、止めませんから。と笑って山崎は仕事へと戻って行った。
なんで昨日は駄目で今日は良いのかよく分からないが、食堂で軽く朝食をとった後屯所を出た。
さて、どこへ行こうか…。
昨日の今日で、あいつに会いたくはなかった。
ゆっくりと歩き出した足は、万事屋があるのとは違う方へと向いていた。
いつの間に俺の存在が『迷惑』になったのかは分からない。
確かに疲れて見えた俺の相手をするのが面倒だったのだろうか?
身体の相性が良いだけの相手を1ヶ月も待つ気はなく。疲れていて抱くことができないならば相手をする必要はない…ということだろうか。
それとも、この1ヶ月の間に誰か本気で好きになった人が出来たのだろうか?
確かにそれなら、俺という存在が『迷惑』なのは納得がいく。
はあああ。溜息をつきつつ歩いていると、繁華街へと出ていた。
ふと、映画のポスターが目についた。
最近公開になった映画らしい。
別に特別に見たい映画ではないが、………映画か…。良いかも知れない。
映画なら2時間ほど時間を潰せるし、………泣ける……。
どうやら俺の泣くツボは人とは違うらしい。
『映画を見て泣いた』といえば、泣きはらした顔して屯所へ帰ったって誰もおかしいとは思わないだろう。
映画館に入ろうと足を向けた時、突然ものすごい勢いで腕を取られ、路地裏に連れ込まれた。
???
「何なんだよ、お前は!」
目の前には何やら怒っているらしい赤い瞳。………銀時?
「心配して屯所の近くまで様子見に行けば、ずいぶん顔色は良くなってるみたいだけど、まだどっかフラフラした感じで歩いてっし。
昨日会った団子屋とも万事屋とも違う方向へ歩いていくしさ。あれ、なんか用事があるのかなと思ってつけてみれば、映画館…って!!!
映画見てる場合じゃないだろう!ここは1ヶ月ほっぽりっぱなしだった恋人のところへ向かうとこだろうが〜!!!」
「………恋人…?」
「え、ちょ、何、そっから?やっぱ、ちゃんと『好き』って言って『お付き合いしてください』とか言わなきゃダメか?…ってかもう、いまさら、あんなことやこんなことしてんのにこっ恥ずかしくて言えっかよ。」
「………。」
なんだろう?なんか、思ってたのとは違う展開になっているようだ。
「………でも、俺は『迷惑』なんだろう?」
そうならそうとはっきりと引導を渡してくれ。
そのあと映画館へ駆け込むことにはなるだろうが、泣いてすっきりしたらちゃんと普通の顔ができるようにするから…。
「へ?迷惑…?…ああ、昨日のアレね。」
そう言って腕の力を緩めた銀時は俺の目を見ながら言った。
「お前、昨日どんだけ酷い顔してたか分かってねえの?お前が1人で外に出られる状態じゃないからハゲたちだって探しに来たんだろうが。」
「え…。」
「それに、あのときちょっと離れた所から、お前のこと狙ってる浪士たちが3人いたんだけど、お前全然気付いてなかったろう?あの後ハゲたちから連絡受けたらしくて、総一郎クンの隊が適当に何癖付けて捕まえてったよ。」
気がつかなかった…。
「それに、な。」
それまで流暢にしゃべっていた銀時が、少し口ごもる。
「お前さ、あれは反則だって…。」
「?」
「団子屋にいた俺を見た時さ。お前笑ったんだぜ。会いたかった、会えて嬉しくて仕方ない…って顔してさ。」
「っ。う、そ……だ。」
「本当だって。こんなに疲れた顔してんのに、そんなに俺に会いたかったの?とか思ったら、抱きたくなっちまうだろうが。…けど、もう、明らかにお前が疲れ果てて限界なのも分かったしさ。分かってても目の前にいられたら、手を出さないでいられる自信なかったし…。だってお前1ヶ月振りだってのに、あの可愛い顔見て我慢しろ…って…。」
と最後は半ば愚痴のように拗ねた口調になる。
「………。」
それじゃあ、銀時に他に好きな人が出来たとか、そう言うことではなく。
昨日は銀時なりに俺のことを心配して、大切に思ってくれていたからこそ突き放した…ということだったのだろうか?
「まあ、あのさ。『迷惑』…って言葉がお前を傷つけたんなら悪かったよ。別にお前の存在が『迷惑』とかってんじゃなくてさ。むしろお前の色気…っていうかね、可愛さっていうか…そんなんが俺の理性を試してる…っつうか、試されてるっつうか。負けそうな俺の理性しっかりしろ!みたいなそういう己の葛藤が………ね。」
では自分は銀時を諦めなくて良いのだろうか?
映画館で泣かなくても…?
「…で、この後の予定は?何?見たい映画でもあったわけ?」
俺が納得したらしいと分かったのか、銀時がそう聞いてくる。
「………早く…。」
「え?」
「早く、二人きりになれるところへ連れていけ。」
こんなすぐ後ろに大通りがあるようなところじゃ、抱きつくこともできない。
手を引かれて、そのまま路地裏の奥の方にあるホテルに連れ込まれる。
部屋に入った途端に抱きしめられ、何度もキスされて。
もう、気持がばれないように…とか用心しなくていいんだと思ったら、いつもよりずっと素直に体を預けることができて。
そうしたら『ああ、もう、お前何なの?可愛すぎんだけど。メロメロなんだけど。』なんて銀時が言って。
たとえば。
蜘蛛の糸のように細く頼りない1本の線。
そんな極々細い、ふとしたはずみでプツンと切れてしまうような…そんな心もとない縁。
自分たちの関係なんて、そんなものだ。
そんな風にびくびくと怯えていたけれど。
それは、いつの間にかピアノ線のように強くて頑丈なものになっていたらしい。
銀時の腕の中で眠るとき、その間抜けな寝顔を見て胸に湧き上がるのは幸福感だけで。
痛みを覚えることはなくなった。
20100520UP
END