見上げる星空
「パーキングに入るぞ。」
「おう。」
短く答えた火村は沈み込むように座っていた助手席で、少し背筋を伸ばすように座りなおした。
火村が言うところのフィールドワークが終わり、事件は解決した。
明日には講義が入っているという火村を今夜中に送り届けるべく夜を徹して車を走らせる。
車内には、重苦しい空気が満ちていた。
後味の悪い事件だった。
嫉妬や気持ちの行き違い、相手を思いやったはずがそれすら裏目に出て起きた事件。
気持ちが届かないのは辛い。
誰一人、いわゆる「悪人」がいなかった事件だからこそ余計に。
火村の推理によって早期に解決したのがせめてもの救いか。
火村は今回の事件で何を感じたのだろう。
普段だって決して口数の多い人間ではないけれど(自身の専門分野については饒舌だけれども)、車に乗り込んだ後はほとんど口を開いておらず、眠ることもできていない。
明日仕事ならば、今寝ておかなければつらいだろうに。
入ったPAは閑散としていた。
トイレと自販機があるだけのパーキングだから平日の深夜ならこんなものなのだろうか。
本線のすぐ脇のスペースに3台ほどのトラックが止まっていて、どうやら運転手は仮眠をとっているようだ。
一人自販機の前でドリンクを買っていた男は、反対側のほうに1台ぽつんと停まっているワンボックスのほうへ戻っていった。
「トイレ休憩な。」
そういって車外へ出るアリスに続いて火村も助手席のドアを開けた。
同じ姿勢でいたために凝り固まった体をううんと伸ばして、トイレへ向かう。
小用を済ませ自販機の隣に設けられた小さな広場へと歩をのばす。
どうせ火村は煙草を吸っていくのだろう。
灰皿が置いてあるだけの喫煙スペースからカチリと火をつける音がする。
木で作られたベンチが二つ。
その周りを申し訳程度に囲む緑。
先ほど「広場」といったけれど、広場というにはおこがましすぎるスペース。
ううん?これは、なんと表現するのが相当か?
そんなことをぼんやりと考えていると、後ろから足音が近づいてくる。
煙草吸い終わったんか?
そういって振り返ろうとした途端、キャメルの香りが強くなって。
後ろから抱きしめられた。
ああ、弱ってるなあ。
長年保ってきた友人という距離を一気に縮めてきた火村も。
冗談を装ってその腕を振り払えない自分も。
煙草を吸い終わり、アリスが歩いて行った方を見れば。
PAの隅に設けられたスペースをぼんやりと見ながら何か考えている様子。
一見人当たりも良く分かりやすい風に見えるけれど、意外と思いもかけないことを突然言い出したりする。
事件の時、アリスの推理は間違っていることがほとんどだけど、不意に言った一言が発端で解決の糸口が見えたことは1度や2度じゃない。
今度は、一体何を考えているのやら。
きっと火村には思いもつかないようなことなのだろう。
そんなアリスの思考を、楽しむとともに、いとおしく感じるようになったのはいつからなのだろう?
もしかしたら、大学生のころ講義の最中に夢中で小説を書いていた彼の隣で、初めて彼の書く小説を読んだ時からだろうか?
だとしたらいったい何年越しの、思いだろう。
ずっと抑えていけるものだと思っていた。
そして「友人」という距離を保ち、穏やかな時間をこれからも過ごしていくのだろうと。
けれど、暗闇の中ぼんやりと浮かび上がった白く細い背中が、途轍もなく愛おしい。
いつもなら、立ち止まって声をかけるべき距離を1歩詰めて背中から抱きしめた。
ああ、弱ってるな。
腕の中の暖かさに心底ほっとしている自分も。
ゆっくりと火村の胸に寄りかかってきたアリスも。
火村の腕の中で、クスリとアリスが笑った。
「火村、見てみい。星がきれいや。」
つられるように見上げた夜空には、確かに普段都会では見れない数の星が瞬いていた。
「なあ、きれいやろ。」
まるで自分の手柄であるかのように、目を輝かせるアリス。
「ああ、そうだな。」
火村は腕の中でアリスの体の向きを変えると、そっと唇を寄せてキスをした。
20130718UP
END